沖縄放浪日記: 史跡・遺跡・文化財

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2017年3月24日金曜日

南城市大里大城にある大城按司の妻のお墓と按司・ヌルのお墓☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、南城市大里大城にある稲福遺跡群を見学しに行った際、旧稲福集落の東側に位置する崖の中腹にある大城按司の妻が葬られているとされるお墓と、その近くにある按司とヌルのお墓も見学してきました。

沖縄県南城市大里大城にある

『ウナザラのお墓』『ウツーヌアジ墓群』

ウナザラのお墓の写真
鬱蒼と生い茂った森の中にあった『ウナザラのお墓』

2017年3月20日月曜日

稲福遺跡群を形成する2つの御嶽と拝所や寺跡などの史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、以前ご紹介した『稲福遺跡群』の残りの史跡をご紹介したいと思います。

稲福集落の北側の一番高い場所に位置する『上御願』まで見学した後、来た道を戻って、今度は東側と南東側に点在する史跡を見学しに向かいました。

南城市大里大城の稲福遺跡群を形成する

『仲村御嶽・中森御嶽とその他の史跡』

稲福寺(熱田寺)の写真
遺跡群の南東に位置する『稲福寺』。畑の奥にひっそりと佇んでいました。
以前ご紹介した『稲福殿』の横を通過して『イリ』の案内板がある小さな十字路を左折し、約30mほど進んだところ左側の奥に井戸跡らしき石垣を発見しました。
ウチバルガーの写真
『ウチバルガー』
『稲福殿』の前にあった説明板の分布図によると、こちらは『ウチバルガー』と呼ばれる井泉なんだそうです。

ご覧の通り、現在は水が枯れているようでした。

また、分布図では、ここから少し東側へ進んだところ左側に伸びる小道の先にあると示していましたが、そちらは私有地となっているらしく閉じられた門しかありませんでした。

この『ウチバルガー』を後にし、次に向かったのは、集落の南側に位置する『稲福寺跡』と呼ばれる史跡です。

『稲福寺跡』は、以前ご紹介した『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』の近くにあります。
稲福寺跡の入口の写真
以前ご紹介した『慰霊之塔』と『テラグヮ』・『ミーガー』の入口。
『テラグヮ』に向かうようにして小道に入り、そのまま奥まで進みます。
『テラグヮ』に続く小道の入口を通過し、奥へと進んでいき、突き当りのビニールハウス
の前を左折すると、その奥に『稲福寺跡』があります。

なんでも、この『稲福寺』は別称『熱田寺』とも呼ばれているんだとか。。。
稲福寺跡の写真
ビニールハウスの奥にある『稲福寺跡』
『稲福寺』の横には、その由来が記された石板が設置されていたんですが、劣化が激しく判読することができませんでした。。。

んで、ネットでいろいろ調べてみると、HN『クオックス』さんが手掛ける『沖縄の裏探検』というブログのページ『稲福(いなふく)寺跡』に、その由来のことが記載されていました。

記事によると、昔、村を治めていた熱田門中の初代にあたる人物が、仕事に向かう際、同じ所にある石で毎回躓いていたとのこと。
稲福寺(熱田寺)の写真
『稲福寺(熱田寺)』の横に設置されていた説明板。劣化が激しく文字が消えかかっていました。

不可思議に思い、ある日、その石を掘り起こしたところ、石の下から石像が出てきたんだそうで、その石像を現在の『稲福寺』のある場所に祀ったのが始まりとされているとのことです。

そして今日に至るまで、上稲福集落の人々の拝所となっているんだそうですよ。
※『沖縄の裏探検』:『稲福(いなふく)寺跡』の記事より一部引用
稲福寺(熱田寺)の写真
稲福寺(熱田寺)跡
稲福寺(熱田寺)の写真
内部にはたくさんの霊石が祀られていました。
この『稲福寺(熱田寺)跡』を見学した後、『慰霊之塔』の入口がある小道へと戻り、小道をさらに東側へと向かいます。

『慰霊之塔』と『テラグヮ』・『稲福寺』の入口から、東向けに約150mほど進んだところ左側の森の中に『アガリヌヒージャーガー』と呼ばれる井泉があります。
アガリヌヒージャーガーの写真
写真のほぼ中央付近に見える木と草の間が『アガリヌヒージャーガー』の入口です。
アガリヌヒージャーガーの写真
アガリヌヒージャーガー
こちらの『アガリヌヒージャーガー』も、まだ水を湛えているみたいで、コンクリートブロックで囲い、その横から水道管らしきホースが伸びていました。
アガリヌヒージャーガーの写真
ガー(井泉)の手前には香炉の代わりとなるブロックが置かれていました。
アガリヌヒージャーガーの写真
ガーの後方。草木が繁茂しており、深い森となっていました。
『アガリヌヒージャーガー』を見学した後は、一度集落の表の道まで戻り、集落の東側に位置する小高い丘へと向かいました。
中森御嶽の写真
表の道から見た『中森御嶽』。
以前ご紹介した『稲福ガイドマップ』の分布図によると、上の写真にある丘に『中森御嶽』があるとなっていたんですが、そこに向かう入口がなかなか見つかりませんでしたねぇ。。。(泣)

んで、上の写真に写っている道をゆっくり走らせていると、コンクリートで覆われた斜面に向かって右側から少し上がったところに、一ヵ所だけ小さな空間があるのを発見したんですよ‼

すぐさま、通行の邪魔とならないスペースにクルマを停め、その場所へ行ってみると・・・ありました‼『中森御嶽』‼(笑)
中森御嶽の写真
『中森御嶽』。写真中央から少し下側に小さな香炉があるのが見えますでしょうか?
ただ、こちらも長い間、人の手が入ってないようで、雑草が生い茂っていたため、それらをかき分けながら奥へ進んで行くと、雑草に埋もれた香炉を発見致しました!

『稲福ガイドマップ』によると⑧『中森の御嶽(なかむい ぬ うたき)』は、≪現在は各門中が遥拝所として利用している。≫とのことです。
中森御嶽の写真
『中森御嶽』の香炉。
いそいそと写真を撮り終え、すぐさま撤収(笑)

雑草がかなり繁茂していたため、ゆっくり見学することができませんでした(泣)

んで、『中森御嶽』を出た後、その道を挟んで斜め向かい側にある脇道へと進み、『仲村御嶽』に向かいました。
仲村御嶽の写真
仲村御嶽
こちらを訪れたことのある方たちのブログに掲載されている画像を見てみると、以前は、もっと小さな祠だったみたいで、しかも『仲村御嶽』に続く小道や祠周辺は草木の覆われていたみたいですね。

現在は、ご覧の通り、コンクリートブロックで大きく造り替えられてました。

・・・と、ここまで見学した後は、表の道を北西向けにクルマを走らせました。

『稲福ガイドマップ』によると、上稲福集落の北北西側に『カタカシラー』と呼ばれる拝所、西側に『イリの墓』があるとのことでしたので、帰りがけに立ち寄ることにしました。

まずは『イリの墓』。
イリの墓の写真
『イリの墓』の入口がある小道。
イリの墓の写真
『イリの墓』の入口。。。
ガイドマップで示している場所を見ると、表の道沿いにあるのかと思いきや、本線から逸れた小道に入り、案内板がある場所の向かい側の森の中に入って約30mほどの距離にありました(泣)
イリの墓の写真
入口を入ってきて真正面にあった『イリの墓』。
イリの墓の写真
もう1基の『イリの墓』はこの先にあります。
恐る恐る森の中の獣道を上がっていくと、岩壁を利用した古墓が2基あり、奥の古墓の前に『イリの墓』の標柱が立てられていました。
イリの墓の写真
もう1基の『イリの墓』
イリの墓の写真
奥の『イリの墓』から最初の『イリの墓』を見たところ。標柱が反対向きに立てられていました。
こちらも、いそいそと写真を撮り終え、すぐさま撤収。。。(笑)

いつ何時、藪から何が飛び出して来るか分かんないので、長居は無用です。

『イリの墓』を出た後、最後に『カタカシラー』を見学しに行きました。

『カタカシラー』も、表の道から少し入った場所にあったんですが、『イリの墓』よりは比較的楽に見学できました(笑)。
カタカシラーの入口の写真
『カタカシラー』の入口。
草の間から中へ入って行くと大きな岩壁があり、その中腹から根元までコンクリートブロックが積まれており、その手前に香炉が置かれていました。
カタカシラーの写真
『カタカシラー』
『稲福ガイドマップ』によると、⑩『カタカシラー』は≪唐船が目印にした岩といわれ、古墓としても知られている。 語源は形が士族の髷(カタカシラ)に似ていたことによる。≫とありました。
カタカシラーの写真
向かって右側の岩壁の根元にあった拝所。
カタカシラーの写真
向かって左側にあった古墓。
『カタカシラー』を見学した後は、ガイドマップの分布図に『イリヌヒージャーガー』も示されていたので、そちらも見学しようといろいろ探し回ったんですが、残念ながらこちらは発見することが出来ませんでした(泣)
上稲福集落の西側にある階段の写真
表の道から下へ降りる階段。この先に『イリヌヒージャーガー』があると思うのですが。。。
表の道から下に続く階段を見つけはしたのですが、階段の先が雑草に埋もれてしまっていて、その先へ進むことが出来ませんでしたね。。。
沖縄本島南部の景色の写真
『イリの墓』の入口から見た本島南部の景色。
あと、この上稲福集落の西側は絶景ポイントになっており、いい天気だと、八重瀬町・糸満市方面が一望でき、その先に東シナ海と慶良間諸島を臨むことが出来るんですよ。
稲福を詠んだおもろの写真
『イリの墓』入口近くに設置されていた『稲福を詠んだおもろ』。
んで、先程ご紹介した『イリの墓』の入口近くに『稲福を詠んだおもろ』の説明と『おもろさうし』の紹介が記された説明板が設置されていましたよん。

・・・と、ここまで見学した後は、そのまま帰宅の途に就きました。

今回、『稲福遺跡群』を3回に分けてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

『稲福遺跡群』は、今回で終わりですが、以前ご紹介した『上稲福集落』近くにある『大城按司の墓』の道向かいにある『ウナザラのお墓』と『ウツーヌアジ墓群』、そして『大城城跡』の南側に『ぬる殿内』があるので、今度はそちらを順次ご紹介していきたいと思います。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『稲福遺跡群』

☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市大里大城(上稲福集落)

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

2017年3月16日木曜日

南城市大里大城の丘陵上にある旧稲福集落内に分布する遺跡群☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回のブログ記事で、南城市大里大城の稲福集落内に点在する『ナカヌカー』・『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』をご紹介しましたが、今回は残りの史跡をご紹介しますね。

『大城按司の墓』『ナカヌカー』・『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』を見学した日から約10日後ほど経った頃、改めて南城市大里大城の稲福集落を訪れました。

沖縄県南城市大里大城の旧稲福集落に分布する

『稲福遺跡群』

稲福殿の写真
稲福区の村立ての屋敷跡である『稲福殿(いなふくとぅん)

2017年3月14日火曜日

南城市大里大城の稲福集落に点在する拝所や御墓などの史跡群☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回のブログ記事の続きです。

南城市大里大城にある『大城按司の墓』を見学した後、稲福集落まで戻り、集落内にガイドマップが設置されていたので、まずはそれを見て各史跡の場所を確認しました。

ガイドマップを見ると、予想に反して史跡の数が多かったんで、最初に訪れた日は、あまり時間も無かったんで数ヵ所だけ散策し、また日を改めて訪れ、残りの史跡を散策してきました。

沖縄県南城市大里大城の稲福集落内に点在する

『拝所や御墓などの史跡群』

テラグヮの写真
鬱蒼と生い茂る草木に囲まれ、ひっそりと佇む『テラグヮ』

2017年3月12日日曜日

南城市大里大城にある大城グスクの城主であったとされる按司の墓☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(2月)、南城市大里大城にある『大城城跡』を見学した後、城跡の北側に位置する稲福集落へと向かいました。

なんでも、その集落内には、かつての大城グスクの城主であったと伝えられる按司の御墓があるんだとか。。。

南城市大里大城にある

『大城按司の墓』

大城按司の墓の写真
静かな森にひっそりと佇む『大城按司の墓』

2017年3月9日木曜日

大城按司によって築かれたと伝えられる南城市大里大城のグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(2月)中旬、南城市方面へ出かけた際、県道86号線のとある交差点で信号待ちをしてると、交差点の角に城跡の案内板を発見したんですよ😲

んで、ちょこっと立ち寄ろうかと思ったんですが、その日は、ちょっと別の目的地へ向かう途中で、あまり時間も無かったんで、翌日、改めてその城跡へ行ってきました💨
※北中城村にも同じ名称のグスク跡があるんですが、今回は南城市大里大城のグスク跡です。

沖縄県南城市大里大城にある

『大城城跡(うふぐすくじょうあと)

大城城跡の写真
屋敷跡を囲うような形で拝所が並んで設置されてました。

2017年3月7日火曜日

糸満市名城のタルマサ王が築城したという伝承が残るグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先月、糸満市内の慰霊塔やグスク跡などを見学して回った日の翌日、ネットで史跡などを調べてた際、気になるグスク跡を見つけたんで、ちょっと足を運んでみることにしました。

なんでも、こちらは、名城村の宗家『仲原』の始祖である『タルマサ王』という人物が、南山城からやってきて、先史時代の貝塚跡にグスクを築城したんだとか。。。

沖縄県糸満市名城にある
『フェンサー城貝塚』
フェンサー城貝塚の写真
大きな岩壁の根元にひっそりと佇む『四郎樽金』の墓

2017年3月4日土曜日

13~14世紀頃のグスク時代に栄えた糸満市米須にあるグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(2月)、糸満市真栄里にある4ヶ所の慰霊塔を見学した後、最後に同市米須にあるグスク跡へと向かいました。

こちらは、13~15世紀頃のグスク時代に栄えたグスクなんだそうで、同市大里にある『南山グスク』の出城として米須按司によって築城されたんだとか。。。
※築城者に関しては諸説あるようで、現・宜野湾市大謝名にいた謝名按司が戦で負けてしまい、米須へと逃げ延び、築城したとの説もあるみたいです。

沖縄県糸満市米須にある

『米須グスク』

米須グスクの写真
主郭にある『ヒンプン(目隠し)』の役割であろう岩

2017年2月26日日曜日

沖縄戦において奇跡的に戦火を免れた沖縄本島唯一残存した寺院☆

どーもども⭐

今回も、前回の続きです(笑)

『龍の蔵』さんの『金武鍾乳洞の古酒蔵』を見学した後、『龍の蔵』さんの道路を挟んで右斜め向かいにある寺院へと向かいました。

こちらの建物は、沖縄戦の際、大半の寺社建造物が焼失した中、奇跡的に戦火を免れ、本島内で唯一残存した貴重な木造建築物なんだそうです。

沖縄県国頭郡金武町金武にある

金峯山 金武観音寺』

高野山真言宗 金峯山 金武観音寺の写真
高野山真言宗 金峯山 金武観音寺

2017年2月10日金曜日

かつて糸満市の照屋集落と報得川の間に位置する丘にあったグスク☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、糸満市照屋の県道77号線沿いにある『すば処 いーばる家』さんで食事を終えた後、同じ照屋区内にあるグスク跡へ向かいました。

こちらは、沖縄戦は、前後の貯水タンク建設によって大部分が破壊されてしまったそうなんですが、グスク内には、拝所や古墓などが点在しているんだそうです。。。

沖縄県糸満市照屋にある

『照屋グスク』

照屋グスクの拝所の写真
グスク域西側にある貯水タンク建設の際に大部分が破壊されたようですが、東側には拝所群があります。

2017年1月31日火曜日

南城市の稲嶺集落内にある合祀された拝所と慰霊塔が建立された公園☆

ハイサぁ~イ⭐

先週、八重瀬町伊覇の『やちむん食堂』さんで食事を終えた後、帰りがけにお隣の南城市大里字稲嶺にある公園へ向かいました。

こちらは、園内に稲嶺区の『慰霊塔』や単体の拝所、そして合祀された拝所が大切に保存されているんですよ。

沖縄県南城市大里字稲嶺にある

『稲嶺農村公園』

稲嶺区の慰霊之塔の写真
『稲嶺農村公園』内に建立された稲嶺区戦没者の『慰霊之塔』

2017年1月29日日曜日

前川集落から西側に約100mのところに位置する『前川樋川と前川民間防空壕』☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回にご紹介した『前川樋川と前川防空壕』『前川樋川と前川民間防空壕』の続きです。

『前川樋川』と『雄樋川』沿いから入ってきた道の突き当りの間から、斜面の上の方へと伸びる小さな階段を発見し、そちらへ行ってみると、『蒙氏 上門門中之墓』と刻まれた石碑と岩壁に連なって存在する壕跡や立派なお墓がありました。

ただ、残念ながら、『蒙氏 上門門中之墓』について、ネットで検索をかけてみると、全くヒットが無かったので、『上門門中之墓』については何も分かりませんでした。。。(泣)

沖縄県南城市玉城前川にある

『前川樋川と前川防空壕』

蒙氏 上門門中之墓の写真
『蒙氏 上門門中之墓』と刻まれた石碑がある場所で一番立派なお墓

2017年1月26日木曜日

かつて住民の生活用水として利用されていた井泉と戦時中に築造された防空壕☆

ハイサぁ~イ⭐

今週月曜日(1月23日)の午後、南城市玉城前川の『Café ゆーゆーらーさん』で食事を終えた後、すぐ近くにある史跡&戦跡を見学しに向かいました。

本当は、南城市内のグスク跡に向かう予定だったんですが、食事を終えた後の店員さんとのお話がちょこぉ~っと長くなってしまって(笑)、予定していた時間がちょこぉ~っと過ぎてしまってたんですよ。。。😅

・・・なので、店員さんに教えて頂いた、お店からすぐのところにある史跡&戦跡を見学することにして、そちらへ向かいました。

沖縄県南城市玉城前川にある

『前川樋川と前川民間防空壕』

前川樋川の写真
前川集落の西に位置する断崖の麓にある『前川樋川』

2017年1月21日土曜日

西原町内間の集落北側にあるノロの住居跡とその周辺に点在する史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回の続きです。

西原町嘉手苅『ウフンミウタキ』を見学した後、次に向かったのは、嘉手苅区に隣接する内間区。

内間区の北側には、かつて内間ノロが住んでいたとされるノロ殿内をはじめ、いくつかの史跡が点在しています。

沖縄県中頭郡西原町内間にある

『内間ノロ殿内』

内間ノロ殿内の写真
内間集落の北側に位置する『内間ノロ殿内』

2017年1月19日木曜日

かつて神女の就任式が行われたと伝わる西原町嘉手苅にある御嶽☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、南風原町の『アグーだし汁使用の店 ゆい食堂』で食事を終えた後、帰りがけに西原町の御嶽を見学しに向かいました。

こちらは、かつて神女の就任式が行われていた御嶽(ウタキ)なんだそうで、村の開祖である『夫婦』を祭った場所でもあるんだとか。。。

沖縄県中頭郡西原町字嘉手苅にある

『ウフンミウタキ』

ウフンミウタキの拝所の写真
ウフンミウタキの頂上には3つの拝所がありました。
こちらは、西原町の国道329号線県道38号線がぶつかる『小那覇』の交差点から、国道329号線を同町内間向けに約400mほど進むと、国道沿い左側にあります。
ウフンミウタキの写真
真正面の木々の後方の小高い丘が『ウフンミウタキ』
こちらには駐車場が無いため、御嶽に隣接する脇道沿いにクルマを停め、すぐさま見学開始。

御嶽入口は、丘の南側の国道沿いにあります。
ウフンミウタキの入口の写真
 『ウフンミウタキ』の入口
御嶽入口には、一つの拝所と標柱が立てられています。
ウフンミウタキの拝所と標柱の写真
『ウフンミウタキ』入口の拝所と標柱
この拝所の後方に、丘の上へと伸びる階段があり、そこから丘の頂上へ向かうことができます。
『ウフンミウタキ』の階段の写真
『ウフンミウタキ』入口の拝所後方にある階段
階段を上がって頂上へ行くと、そこは少し開けた場所となっており、広場のほぼ中央に拝所が1基、そして、その後方奥側に2基の拝所がありました。
ウフンミウタキの頂上の写真
丘の頂上の広場。
ウフンミウタキの拝所の写真
広場のほぼ中央に位置する拝所
拝所に使用されているのは、珊瑚石らしいんですけど、かなり劣化しており、以前に補強を施してはいるようですが、今にも崩れそうになっていましたね。。。

西原町の公式HP『文化財:ウフンミウタキ』のページによると、『琉球国由来記(1713年編纂)』に記載されている大嶽(神名:真南風ノアナ真コチアナ真シラゴノ御イベ)に相当するものと思われるとのことです。
ウフンミウタキの拝所の写真
広場北側にある2つの拝所
『ウフンミウタキ』は、内間集落の前に位置することから、『メーヌウタキ』と呼ばれているんだそうですよ。

また、かつては神女の就任式が行われていたんだそうで、就任式の際に神女に神の名が授けられるということで、『ウナージキヌウタキ』とも呼ばれたんだとか。

あと、この一帯からは、近世の陶磁器が採集されているとのことです。
ウフンミウタキの拝所の写真
広場の北側に位置する拝所
ウフンミウタキの拝所の写真
「天地」と刻まれた拝所
珊瑚石が使用された拝所の後方にも拝所が2つあり、1基は祠状になっており、もう1基は大きな木の根元にあって「天地」と刻まれていました。

この広場には、この3つの拝所だけだったので、いったん丘を下りて、丘の後方へ行ってみることに。
ウフンミウタキの東側の写真
ウタキ東側
『ウフンミウタキ』の東側は、国道から集落へと続く脇道が隣接しており、丘の麓にはコンクリートブロック製の小さな構造物と水タンク(?)がありました。
ウフンミウタキの北側の写真
ウタキ北側
ウフンミウタキ北側の砂利道の写真
ウタキ北側の砂利道。
そして、ウタキ北側も、国道から入ってきた脇道からさらに分岐した砂利道がありました。

その砂利道を進んで行くと・・・
ウフンミウタキの拝所の写真
『ウフンミウタキ』北西に位置する拝所
その先にも、拝所が1基ありました。
ウフンミウタキの拝所の写真
『ウフンミウタキ』北西にある拝所
そして、この拝所のある場所から、ウタキを回り込むような感じで、西側へ行ってみると・・・
ウフンミウタキに隣接する砂利道の写真
『ウフンミウタキ』北西部から西側へ伸びる砂利道
そこには、拝所となっている『カー(井戸)』がありました。
ウフンミウタキの井戸の写真
『ウフンミウタキ』西側に位置する拝所となっているカー(井戸)
・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、次の史跡へと向かいました。

『ウフンミウタキ』一帯は、木々が繁茂しているんですが、定期的に清掃活動を行っているらしく、比較的綺麗な状態が保たれており、とても見学しやすかったですね。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『ウフンミウタキ』☆

☆場所:〒903-0102
      沖縄県中頭郡西原町嘉手苅 上之松

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

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