沖縄放浪日記: 戦跡

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2018年10月14日日曜日

うるま市与那城屋慶名のイシマシムイの丘上にある『与那城監視哨跡』☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(10月)の3日、沖縄市中央の『一番街』にある『たこ焼き ちゃんぽん』さんで食事を終えた後、まだ少し時間があったので、以前から足を運んでみたかった勝連半島にある戦跡へ行ってみることにしました。

沖縄県うるま市与那城屋慶名にある

『与那城監視哨跡』

与那城監視哨跡の写真
イシマシムイの丘の上にひっそりと佇む『与那城監視哨跡』。

2018年6月21日木曜日

読谷村喜名の国道58号線沿いに建立されている3基の慰霊塔☆

ハイサぁ~イ⭐

八重瀬町にある『西部プラザ公園』や当銘・小城・志多伯集落内に点在する史跡をご紹介させて頂いてますが、今回は場所を変えて、先日足を運んできた読谷村喜名の史跡・戦跡をご紹介させて頂きたいと思います。

今月(6月)の5日、読谷村喜名にある『沖縄そば専門店 まるは』さんで食事を終えた後、帰りがけに同じ喜名集落内にある史跡を数ヵ所回ってきました。

まず最初に向かったのは、『沖縄そば専門店 まるは』さんから国道58号線を南向けに少し下った右側にある丘です。

この丘には日露戦争や支那事変、そして第二次世界大戦(沖縄戦)の戦没者が祀られている3基の慰霊塔(碑)が建立されています。

沖縄県中頭郡読谷村喜名にある

『さくら之塔・梯梧之塔・山吹の碑

さくら之塔・梯梧之塔の写真
読谷村喜名の国道沿いにある丘の上に建立されている2基の慰霊塔。

2018年4月15日日曜日

糸洲と名城の住民や第24師団第2野戦病院等が避難していた糸満市伊敷の壕跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回、糸満市の糸洲集落内にある『糸洲グスク』『復興乃泉』などの史跡を見学した後、この日最後に糸洲集落の北側に隣接する伊敷集落内にある"ガマ"を見学しに向かいました。

沖縄県糸満市字伊敷にある

『ウッカーガマとウンジャーガマ』

ウッカーガマの写真
『ウッカーガマ』の前に建立されている2基の慰霊碑。

2018年4月1日日曜日

糸満市の糸洲集落北側にある丘陵中腹に位置する外科壕☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回、糸満市の小波蔵集落内に点在する史跡をご紹介しましたが、小波蔵集落を後にし、この日最後に小波蔵集落東側に隣接する糸洲集落にある壕跡へと向かいました。

同壕跡は、沖縄戦の際に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成された『ひめゆり学徒隊』がいた壕の1つなのだそうです。

沖縄県糸満市糸洲にある

『陸軍病院第二外科壕』

陸軍病院第二外科壕の写真
鬱蒼とした森の中にある『陸軍病院第二外科壕』。

2017年10月15日日曜日

かつて豊見城市伊良波にあった収容所跡と区内に点在する拝所☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、那覇市小禄にある『小禄グスク跡(森口公園)』『小禄ノ嶽』、そして区内に点在する"拝所群"を見学した後、次に向かったのは豊見城市内にある史跡です。

まず最初に向かったのは、かつて沖縄戦の際に豊見城市伊良波に設置されていたという"捕虜収容所"跡。。。

現在、"収容所"があった一帯は、住宅地や畑になっており、遺構などは残されていませんが、その付近には"井戸跡"等の"拝所"も点在しているんですよ。

沖縄県豊見城市伊良波にある

『伊良波収容所跡と拝所群』

伊良波収容所跡の写真
かつて沖縄戦の際にこの一帯に捕虜収容所が設けられていたんだそうです。。。

2017年7月19日水曜日

沖縄県庁最後の地と言われる避難壕として利用された糸満市伊敷の壕☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した糸満市大里にある『沖縄兵站慰霊之碑』を後にし、次に向かったのは同市山城の『平和創造之森公園』内にある"ガマ"だったんですが、現在、こちらは見学や入壕には事前に連絡して許可が必要とのこと。。。

以前は自由に見学することが出来ていたようなんですけど、現在は、管理事務所に連絡しないと見学出来なくなってしまったようなんです。。。

・・・なので、今回は断念してまた改めて訪れることにし、この日最後の目的地である糸満市伊敷にある"ガマ"へ向かいました。

沖縄県糸満市伊敷にある

『轟壕(トゥドゥルチガマ)

轟壕(カーブヤーガマ)の写真
入口の前から見た『轟壕』。木々が生い茂ってこの場所からだと全体が見渡せなかったですね。

2017年7月15日土曜日

沖縄兵站会が1971年に建立した糸満市大里の県道7号線沿いにある慰霊碑☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(7月)の6日も、糸満市方面へちょこっと出かけてきました。

んで、目的地へ向かう途中、同市大里の県道沿いに石碑が建立されているのを見かけたので、クルマを路肩に停め、石碑の前に行ってみると、旧日本軍のいくつかの部隊の戦没者が合祀された慰霊碑でした。

沖縄県糸満市大里にある

『沖縄兵站慰霊之碑』

沖縄兵站慰霊之碑の写真
糸満市大里の県道7号線沿いに建立されている『沖縄兵站慰霊之碑』

2017年7月3日月曜日

沖縄戦の際に住民が避難していた山城集落の東側に位置するガマ☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した糸満市伊原にある『伊原第一外科壕跡』を見学した後、次に向かったのは同じ伊原区内にある壕跡です。

こちらは、沖縄戦末期に撤退してきた陸軍病院の本部勤務者が傷病兵の治療にあたっていた壕で、『ひめゆり学徒隊』もこちらに配置されていたんだそうです。

沖縄県糸満市伊原にある

『沖縄陸軍病院本部壕跡』

沖縄陸軍病院本部壕跡(サキアブ)の写真
壕の入口前に立てられている『沖縄陸軍病院本部壕跡』の石碑

2017年7月1日土曜日

沖縄陸軍病院職員やひめゆり学徒らが避難していた糸満市伊原にある壕☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した糸満市宇江城にある『宇江城グスク』を後にし、次に向かったのは、同市井原の畑の真ん中に位置する自然壕。。。

こちらは、同じ糸満市伊原の国道331号線沿いにある『ひめゆりの塔』が建立されている『第三外科壕』から南西に直線距離約280mほどのところにあり、沖縄戦の最中、『ひめゆり学徒』らが避難してきた壕の1つです。

沖縄県糸満市伊原にある

『伊原第一外科壕(アブチラ壕)

伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
壕の出入口横にひっそりと佇む『第一外科壕跡』の碑。

2017年6月8日木曜日

具志頭王子の墓だと言われる具志頭城跡の北側に位置する壕☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した八重瀬町具志頭にある『具志頭城跡』を見学した後、城跡の北側を走る道路へと移動しました。

その道路沿いには、琉球王国第一王統・第二代『尚巴志』の三男『具志頭王子』の墓と言われ、沖縄戦の際には、旧日本軍の武部隊(第9師団)が自然洞穴を拡張して構築した陣地壕があるんです。

沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭にある

『クラシンウジョウ壕』

クラシンウジョウ壕の写真
『具志頭城跡』北側にある道路。道路にせり出した右側の巨岩の裏に『クラシンウジョウ壕』があります。

2017年5月19日金曜日

沖縄戦の際に米軍の侵攻を妨害するために破壊された天願川に架かる橋☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(4月)の26日は、雲が多かったものの、まぁまぁ天気が良かったので、うるま市方面へ史跡巡りへと出かけてきました。

この日は、ちょこっと時間に余裕もあったんで、いくつかの史跡を回ることができたんですが、まず最初に向かったのは同市天願を流れる天願川に1934年に架けられたコンクリート製の二重橋。

この橋は、建築当時に『南沖縄八景』にも選定されたんだそうなんですが、沖縄戦の際に日本軍によって爆破されてしまったのだとか。。。

沖縄県うるま市天願にある

『旧天願橋(ターチー橋)』

旧天願橋(ターチー橋)の写真
沖縄戦の際に破壊され、V字型に折れ曲がった状態になってしまった『旧天願橋』

2017年5月13日土曜日

真壁区の住民達が遺骨収集を行い集落北側に建立した慰霊塔☆

ハイサぁ~イ⭐

この前糸満市真壁にある『真壁グスク(真壁公園)』を出て帰ろうとした際、公園前から真壁集落へと続く小道の先に木々が生い茂る場所を見つけたんですよ。

その木々の中に、いくつかの石碑が建立されているのが見えたので、そちらにも行ってみることにしました。

沖縄県糸満市真壁にある

『萬華之塔(まんげのとう)

萬華之塔の写真
真壁集落の北側にある木々に囲まれた場所にひっそりと佇む『萬華之塔』

2017年4月20日木曜日

かつて地元民が避難所として使用した具志川グスク内にある避難壕☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回、うるま市具志川にある『具志川グスク』をご紹介しましたが、こちらのグスク内には、かつての沖縄戦の際に、地域住民が避難所として使用した壕が現存しています。

今回は、その避難壕をご紹介しますね。。。

うるま市具志川にある

『具志川グスクの壕』

具志川グスクの壕の写真
『具志川グスク』の西側にひっそりと佇む『集団自決の地』碑。

2017年3月2日木曜日

米第十軍司令官が戦闘指揮中に戦死した丘に建立された慰霊碑☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、糸満市真栄里にある『栄里之塔』を見学した後、そこから西側へ約70mほどの距離にある慰霊碑を見学しに向かいました。

その慰霊碑が建立されている丘は、沖縄戦の最中、米軍の最高司令官が、この丘に視察に訪れていた際、すぐ近くに爆弾が炸裂し、着弾した岩の破片が司令官の胸部に直撃してしまい、戦死してしまったんだそうです。。。

沖縄県糸満市真栄里にある

『バクナー中将慰霊碑』

バクナー中将慰霊碑の写真
小高い丘の上に建立された『バクナー中将慰霊碑』

2017年2月20日月曜日

真栄里集落の人々が将兵や住民を含む1万2千余柱を収集し建立した慰霊塔☆

ハイサイ⭐

この前、『白梅之塔』や『山形の塔』を見学した後、真栄里集落の西側の少し離れた場所に建立された慰霊塔を見学しに向かいました。

こちらの塔は、沖縄戦後に、真栄里集落の方々が、住民や将兵約12,000柱の遺骨を収集し建立したんだそうです。。。

沖縄県糸満市真栄里にある

『栄里之塔』

栄里之塔の写真
真栄里集落から少し離れた場所にひっそりと佇む『栄里之塔』

2017年2月18日土曜日

山形県出身者四万余柱の諸霊が祭られた糸満市真栄里にある慰霊塔☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、以前ご紹介したブログ記事の続きです。

『白梅之塔』を見学した後、次に向かったのは、『白梅之塔』が建立されている場所から西側に位置する慰霊塔。。。

こちらには、沖縄や海外諸地域にて戦没された山形県出身者の諸霊が祀られており、敷地内には壕跡や第24師団雨宮中将率いる各部隊100余名を祀る慰霊塔などもあるんです。。。

沖縄県糸満市真栄里にある
『山形の塔』
山形の塔の写真
山形県出身者四万余柱の諸霊が祀られた『山形の塔』

2017年2月14日火曜日

糸満市真栄里にある県立第二高等女学校の生徒たちが祀られた慰霊塔☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、過去に一度ご紹介したことがある糸満市字真栄里に建立されている慰霊塔を改めてご紹介したいと思います。

以前の記事では、他の慰霊塔とまとめてご紹介したので、あまり詳しく書くことが出来なかったんですよ。。。

んで、つい先日、ちょうど糸満市方面の史跡や戦跡を巡っていたので、こちらにも再訪し、写真などを撮影してきました。
※以前、ご紹介した時の過去記事は、こちらからどうぞ⇒http://oki-night.blogspot.jp/2014/10/blog-post_18.html

沖縄県糸満市字真栄里にある

『白梅之塔』

白梅之塔の写真
静かな雑木林の丘の上に建立された『白梅之塔』

2017年2月12日日曜日

沖縄戦の最中、約1千人の字民が避難していた読谷村波平の洞窟☆

ハイサぁ~イ⭐

昨年(2016年)の9月20日、メチャクチャ天気が良かったんで、沖縄本島中部にある読谷村までちょっとドライブに行って来たんですよ。

んで、その道中、以前から一度は訪れてみたかった戦跡を訪ねました。

こちらは、沖縄戦の最中、読谷村波平の字民約1千人が避難されていた『ガマ(自然洞穴)』なんだそうで、奇跡的に全員助かったんだそうです。

沖縄県中頭郡読谷村波平にある

『シムクガマ』

シムクガマの写真
鬱蒼と生い茂った森の奥にひっそりとありました。

2017年1月29日日曜日

前川集落から西側に約100mのところに位置する『前川樋川と前川民間防空壕』☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回にご紹介した『前川樋川と前川防空壕』『前川樋川と前川民間防空壕』の続きです。

『前川樋川』と『雄樋川』沿いから入ってきた道の突き当りの間から、斜面の上の方へと伸びる小さな階段を発見し、そちらへ行ってみると、『蒙氏 上門門中之墓』と刻まれた石碑と岩壁に連なって存在する壕跡や立派なお墓がありました。

ただ、残念ながら、『蒙氏 上門門中之墓』について、ネットで検索をかけてみると、全くヒットが無かったので、『上門門中之墓』については何も分かりませんでした。。。(泣)

沖縄県南城市玉城前川にある

『前川樋川と前川防空壕』

蒙氏 上門門中之墓の写真
『蒙氏 上門門中之墓』と刻まれた石碑がある場所で一番立派なお墓

2017年1月26日木曜日

かつて住民の生活用水として利用されていた井泉と戦時中に築造された防空壕☆

ハイサぁ~イ⭐

今週月曜日(1月23日)の午後、南城市玉城前川の『Café ゆーゆーらーさん』で食事を終えた後、すぐ近くにある史跡&戦跡を見学しに向かいました。

本当は、南城市内のグスク跡に向かう予定だったんですが、食事を終えた後の店員さんとのお話がちょこぉ~っと長くなってしまって(笑)、予定していた時間がちょこぉ~っと過ぎてしまってたんですよ。。。😅

・・・なので、店員さんに教えて頂いた、お店からすぐのところにある史跡&戦跡を見学することにして、そちらへ向かいました。

沖縄県南城市玉城前川にある

『前川樋川と前川民間防空壕』

前川樋川の写真
前川集落の西に位置する断崖の麓にある『前川樋川』