沖縄兵站会が1971年に建立した糸満市大里の県道7号線沿いにある慰霊碑☆|沖縄放浪日記

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2017年7月15日土曜日

沖縄兵站会が1971年に建立した糸満市大里の県道7号線沿いにある慰霊碑☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(7月)の6日も、糸満市方面へちょこっと出かけてきました。

んで、目的地へ向かう途中、同市大里の県道沿いに石碑が建立されているのを見かけたので、クルマを路肩に停め、石碑の前に行ってみると、旧日本軍のいくつかの部隊の戦没者が合祀された慰霊碑でした。

沖縄県糸満市大里にある

『沖縄兵站慰霊之碑』

沖縄兵站慰霊之碑の写真
糸満市大里の県道7号線沿いに建立されている『沖縄兵站慰霊之碑』
こちらは、糸満市の県道7号線77号線が交差する『照屋(東)』の交差点から、県道7号線を同市大里向けに約1.5㎞ほど進んでいくと、県道沿い左側にあります。
沖縄兵站慰霊之碑の写真
県道側から見た『沖縄兵站慰霊之碑』
『沖縄兵站慰霊之碑』は、県道から一段高くなった場所に建立されており、県道から伸びる小道から入ることができます。
沖縄兵站慰霊之碑の写真
敷地の入口から見た『沖縄兵站慰霊之碑』
入口には小さな案内板が立てられており、その案内板によると『沖縄兵站慰霊之碑』が建立されたのは、1971(昭和46)年10月10日となっており、管理団体『沖縄兵站慰霊之塔奉賛会』が建立し、『公益財団法人 沖縄県平和祈念財団』が"管理者"となっているんだそうです。
沖縄兵站慰霊之碑の写真
『沖縄兵站慰霊之碑』と碑文が記された石板。
慰霊碑の前までいくと、台座部分には、合祀された戦没者が所属していた各部隊が記されており、碑の左側には碑文が記された石板が設置されていました。
沖縄兵站慰霊之碑の写真
慰霊碑の台座に記された各部隊の名称
石板に記されていた各部隊は、第49兵站地区隊本部(球5896部隊)、陸上勤務第72中隊(剣持隊)、陸上勤務第83中隊(森田隊)、特設水上勤務第103部隊(市川隊)、特設水上勤務第104部隊(中山隊)、独立自動車第215中隊(山口隊)、独立自動車第259中隊(大島隊)、球1616自動車中隊(西山隊)、球1616航空兵站(具志堅隊)、沖縄防衛中隊(友寄隊)、沖縄出身従軍軍属、那覇停車場司令部(県鉄道)となっていました。
沖縄兵站慰霊之碑の写真
慰霊碑の横に設置されていた碑文
また、慰霊碑の横に設置されていた碑文には、次のように記されていました。

≪銘≫
≪第二次世界大戦最後の且つ日本国土上唯一の激戦上となりたる沖縄本島に在りて、第四九兵站地区隊本部、及び麾下各陸上勤務中隊 水上勤務中隊 自動車中隊竝に現地採用各軍属は昭和十九年八月より米軍の侵攻来撃に備え、兵器、弾薬、装備、糧秣及兵員の輸送業務竝に陣地構築の任務を遂行しつつありたる処昭和二十年三月二十四日米軍上陸と同時に特編第二旅団を編成し、之に現地召集防衛中隊を指揮下に入れ、第32軍司令部直轄兵団として、戦列に加わり全将兵もとより従軍志願せる軍属に至る各員は祖国防衛の難に身命を挺しつつ各戦線に赴き、米軍の尨大なる戦力、且つ米軍が太平洋戦線、戦局の決定を賭しての、陸海空総力戦略をつくしたる、熾烈死斗猛攻に対し、日夜勇戦敢斗の限りを盡しつつ、緑の山野に殉国の血を染め、故国に想ひを馳せつ祖国の再興を念ひ乍ら遂ひに散華せられ、逝きぬ。
沖縄兵站慰霊之碑の写真
慰霊碑と碑文の石板の間から参道がさらに奥へと伸びていました。
時に同じ砲煙弾雨のもとで死生を倶にと誓ひし乍らもいかなる運命のもとにてか奇しくも生き永らえし者幾余名本土と沖縄とに在りて志を同じゆうして逝き戦友の英魂を永こしなえに慰ぐさめ弔わんものと、その慰霊碑建立の、悲願を樹て、爾来二十有余年、一日として、忘却せざるなし、警願、努力の積年、幾星霜、遂ひに、ここに御遺族各位を含めての、英霊追慕の至情は、結実し、ここゆかりも深き、南部戦線の一画に、一人一人の微衷と心魂とを篭め尽くせる「沖縄兵站慰霊之碑」建立の本願を果たしぬ。

茲にその全英魂を招き、祀り弔う日を迎え得たり。
沖縄兵站慰霊之碑の写真
慰霊碑の後方に行ってみると、壕跡がありました。
今、静かに往時を偲ぶとき、戦友の英姿が、俤げが瞼に映じきたり、そこここより、戦友の在りし日の声聞こゆるが如きを、感じ、転た血涙、新らたなるものを覚ゆ。

冀くわ、霊魂来たり、亨け、この地に、永こしえに、安らけく、鎮ませ給え。
昭和四十六年十月十日 沖縄兵站慰霊之碑建立 奉賛有志一同≫
・・・とありました。

碑文を読み終えると、慰霊碑と石板の間から参道が奥へと伸びていることに気付き、そちらに目をやると、奥にある琉球石灰岩の根元にガマ(壕跡)があるのが見えました。
沖縄兵站慰霊之碑の写真
ガマ(壕跡)
こちらのガマ(壕跡)は、戦時中に将兵が籠っていたガマの1つなんだそうですよ。。。

このガマは、人工的に造たれた壕ではなく、"自然壕"のようなんですが、入口付近は小さな石積みがあり、少し手が加えられているみたいでしたね。

また、入口から内部の様子を伺うと・・・
沖縄兵站慰霊之碑の写真
ガマの入口から見た内部の様子。
地面は平坦になっており、岩壁を削ったような跡が見受けられました。

また、思ってたよりも奥行は無く、結構狭かったですね。。。
沖縄兵站慰霊之碑の写真
ガマの前に置かれていた古い石板。碑文らしき文字が刻まれていましたが、判読出来ませんでした。。。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのままクルマへと戻り、この日の目的地へと向かいました。

沖縄県のローカル新聞の記事によると、年々、慰霊碑を建立し、維持管理を行っている関係者の高齢化が進み、慰霊祭を行うことが出来なくなりつつあり、こちらの『沖縄兵站慰霊之碑』で行われていた慰霊祭も2000(平成12)年で最後となってしまい、翌2001(平成13)年からは自由参拝となってしまったんだそうです。。。

こちらは、県道沿いにあってとてもアクセスしやすいので、糸満市大里を訪れた際には、ぜひこちらにも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。。。?

それでは、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『沖縄兵站慰霊之碑

☆場所:〒901-0325
      沖縄県糸満市大里

☆見 学:無料

☆駐車場:なし