沖縄戦の際に凄惨な悲劇が起こった読谷村波平にあるガマ☆|沖縄放浪日記

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2015年8月1日土曜日

沖縄戦の際に凄惨な悲劇が起こった読谷村波平にあるガマ☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、読谷村波平の『花織そば』で食事を済ませた後、次に向かった先は、以前から一度訪れてみたいと思っていた場所へとクルマを走らせました。

沖縄県中頭郡読谷村波平にある

『チビチリガマ』

チビチリガマの写真
左側の林の下に『チビチリガマ』があります。
こちらは、まず読谷村の県道6号線を嘉手納町方面から残波岬方面へ進んでいくと、『タウンプラザかねひで 読谷店』とゆースーパーがある交差点から左斜め前方に延びる道へと入ります。

そして、その道をさらに直進して行くと、右側に整備された駐車場と赤瓦の公衆トイレがあり、その隣りにある林の中にあります。
チビチリガマの拝所の写真
『チビチリガマ』入口横にある拝所
チビチリガマ近くの駐車場の写真
『チビチリガマ』隣りにある駐車場
この『チビチリガマ』がある場所は、浅いV字型の谷になっていて、ガマはその谷底にあります。

ガマの入口近くには、波平集落に水源をもつ『アメシガーラ』とゆー細い小川が流れており、その流れはガマの中へと消えていくんですが、その先が、どこに繋がっているのか分からないとの事。

沖縄の方言で、チビは『尻』、チリは『切れる』、そしてガマは『洞穴』のことをそれぞれ意味していて、小川の『終点』=『尻(チリ)』が、『無くなる』=『切れる(チリ)』とゆー意味から『尻切れ洞穴』、つまり『チビチリガマ』と呼ばれているのでは・・・と考えられているみたいです。
(※参考⇒Wikipedia『チビチリガマ』)
チビチリガマの写真
『チビチリガマ』がある谷底へと続く階段
1945年(昭和20年)4月1日に、アメリカ軍は現在の北谷町砂辺から読谷村の西海岸一帯にかけて上陸を開始し、沖縄本島での地上戦が始まりました。

翌日の4月2日、「アメリカ兵に捕まれば、男は残酷に殺され、女は辱めを受け殺される」・「日本人として国家のために命を捧げよ」といった皇民化教育や軍国主義教育を受けさせられていたため、アメリカ軍の残虐非道な仕打ちを恐れ、凄惨な『集団自決』が起こってしまいました。。。

村史によると、アメリカ軍が上陸してすぐに『チビチリガマ』は発見され、投降を呼びかけるアメリカ軍に対し、男女3人が竹やりを持って反撃に出たが、男2人は銃で撃たれ死亡してしまい、それを見たガマの中の人々はさらにパニックに陥り、『集団死』が始まったとのことです。
(※参考⇒沖縄県読谷村の総合情報サイト 読谷村観光協会『チビチリガマ・シムクガマ』)
チビチリガマの写真
中央が『チビチリガマ』、左側は『チビチリガマ遺族会』の石碑、
右側は『チビチリガマ世代を結ぶ平和の像』
着物や持っていた毛布などを燃やして窒息死を図ったり、毒薬注射をして自決したり、毒薬や燃やすものが無くなると、鎌や包丁などで肉親同士が殺しあうという、まさに地獄絵図のような惨劇が繰り広げられたんだとか。。。
中には「天皇陛下バンザイ」と叫びながら亡くなっていった人も・・・

『チビチリガマ』に避難していた住民は約140名。その内83名が『集団自決』によって尊い命を喪ったんだそうです。

また、犠牲となってしまった83名のうち、約6割が18歳以下の子供たちで、残りのほとんどはお年寄りや女性、乳児達だったみたいですね。
(※参考⇒読谷村の戦跡めぐり『⑦チビチリガマ』)
チビチリガマの石碑の写真
ガマの入口横にある『チビチリガマ遺族会』の石碑
チビチリガマ世代を結ぶ像の写真
沖縄の彫刻家『金城 実』氏が創作した『チビチリガマ世代を結ぶ像』
この『チビチリガマ』で起こった悲劇の真相が明らかになったのは、戦後38年経ってから。。。

そして、『チリチリガマ遺族会』が結成され、慰霊祭も行われるようになり、1987年、『チビチリガマ世代を結ぶ像』が、遺族の意向を受け、沖縄の彫刻家・金城実氏と住民の協力のもとに製作されました。

しかし、完成からわずか7ヶ月後の同年11月、海邦国体ソフトボール会場で起こった『日の丸焼き捨て事件』に対しての報復として『チビチリガマ世代を結ぶ像』が、心なき者らによって無残にも破壊されてしまいました。。。
チビチリガマ 平和への祈りの写真
甲賀市立城山中学校・平成26年度3年生の『平和への祈り』
チビチリガマの歌の写真
金城実氏作詞の『チビチリガマの歌』
住民は怒り、遺族は嘆き悲しんだそうですが、この事件を知った全国の平和を願う人々から、励ましと多大なカンパが寄せられ、事件から7年後の1995年4月に像は再建され、同時に石碑も新たに建立されたんだそうです。

1995年4月以降、『チビチリガマ』の内部へは、遺族会の意向により立入禁止になっています。

注意書きには、「ガマの中には私達、肉親の骨が多数残っています。皆様が、ガマに入って私達の肉親を踏み潰していることを私達は我慢できません。」と書かれていました。
チビチリガマの写真
『チビチリガマ』入り口にある注意書きとたくさんの千羽鶴
また、避難してきた人達が使用していた眼鏡やボタン、お茶碗、錆びた鎌の刃などの遺品もそのまま残してあるようです。

想像を遥かに超える惨劇が起こってしまった『チビチリガマ』。。。

ここで起こった惨劇を、決して忘れずに、後世へと語り継いでいき、二度と戦争が起きない平和な世の中を作っていかなければいけませんね。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『チビチリガマ』☆

☆場所:〒904-0322
      沖縄県中頭郡読谷村波平1136-2

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場有り

☆トイレ有り

※現在、チビチリガマ内部へ入ることは、遺族会の意思により禁止されていますので、ご注意ください!!

※訪れる際は、くれぐれもルールとマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。