今月(10月)の3日、沖縄市中央の『一番街』にある『たこ焼き ちゃんぽん』さんで食事を終えた後、まだ少し時間があったので、以前から足を運んでみたかった勝連半島にある戦跡へ行ってみることにしました。
沖縄県うるま市与那城屋慶名にある
『与那城監視哨跡』☆
イシマシムイの丘の上にひっそりと佇む『与那城監視哨跡』。 |
そして脇道に入って道なりに約62mほど進んでいくと、左側に丘の上へと伸びる防災路があるので、その奥にあります。
県道37号線から細い脇道を入ってきたところ。 |
『与那城監視哨跡』の入口。この遊歩道は地域の防災路にもなっているようです。 |
防災路沿いに設置されていた『与那城監視哨跡』の説明板。 |
≪与那城監視哨跡≫
≪与那城監視哨は、航空機を早期に発見し、敵味方を区別して防空機関に知らせるための施設で、屋慶名のイシマシムイの丘上にあります。『与那城監視哨跡』の説明板。 |
当時、沖縄県内には11ヵ所の防空監視哨が設置されており(那覇、糸満、本部、金武、国頭、嘉手納、宮古、八重山、西表、久米島)、本監視哨もその一つです。
説明板に掲載されていた『与那城監視哨』と『與那城村役所』の写真。 |
1943年(昭和18年)にコンクリート製に建て替えられたようです。
説明板の右側に、丘の上へと伸びる獣道があり、監視哨はこの奥にあります。 |
壁面には沖縄戦当時銃撃を受けたときの弾痕が、今でも残っており、戦争遺跡として貴重な文化財です。
設置:うるま市教育委員会≫
・・・とありました。また、うるま市の資料『広報うるま』の2010年6月号によると、当時、監視哨内には、電話機や双眼鏡、時計、方位版、防寒具、航空機器識別飛行機の模型、羅針盤などが置かれていたんだそうで、これらの備品は全て国の負担で設置されていたんだそうですよ。
(※参考⇒うるま市『広報うるま No.63:2010年6月1日号』)
説明板が設置されたところから防災路を進んできたところ。落葉や折れた枝が山積してました。 |
んで、防災路を奥へ進んでいくと、台風(24号)が過ぎ去った後でまだ手付かずの状態でそのまま放置されており、落葉や折れた木の枝が防災路上に山積しておりました。
きっとこの一帯も、風が相当強かったんでしょうね。。。
防災路の終点。 |
なので、一旦説明板まで戻り、その右側の獣道を上がっていくことにしました。
説明板の右側にある獣道。こちらもあっちこっちに折れた枝が道を塞ぐように落ちてました。 |
防災路から上がってきたところ。この先に監視哨跡があります。 |
獣道の途中から丘の上を見たところ。生い茂る木々の向こうに監視哨の屋根が見えます。 |
生い茂る草木の囲われた『与那城監視哨跡』。 |
『与那城監視哨跡』の全景。 |
んで、監視哨に近づいてみると、説明にあった通り、監視哨の壁面には大小様々な無数の弾痕がそのまま残されていました。
窓枠の上部にあった弾痕。 |
弾痕。 |
監視哨跡の内部。落葉などがあるものの、なかなか綺麗な状態が保たれていました。 |
天井の中央にあった柱。下部3分の2程は無くなっていました。 |
『与那城監視哨跡』の出入口。こちら側はさらに劣化が酷い感じでした。 |
出入口上部にも弾痕が多数ありました。 |
ってか、表側だけでなく、こちら側にも無数の弾痕があり、当時の戦闘の激しさがヒシヒシと伝わります。
出入口横の窓枠にあった弾痕。 |
監視哨のあちらこちらに弾痕が残っていました。 |
まぁ、"防空監視哨"ですからね。
敵に狙われやすい目立つ場所に設置されていたので、当然といえば当然ですが。。。
監視哨がある丘の上からは平安座島や浜比嘉島など、遠くの方まで見渡せましたよん。 |
沖縄戦の際に設置された"防空監視哨"は、今回ご紹介した『与那城監視哨』を含め11ヵ所あると、現地に設置されていた説明板にありましたが、また時間を設けて、現存しているその他の"監視哨"も見学しに行ってみたいですね。
それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
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☆『与那城監視哨跡』☆
☆場所:〒904ー2304
沖縄県うるま市与那城屋慶名1090
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。