かつて住民の生活用水として利用されていた井泉と戦時中に築造された防空壕☆|沖縄放浪日記

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2017年1月26日木曜日

かつて住民の生活用水として利用されていた井泉と戦時中に築造された防空壕☆

ハイサぁ~イ⭐

今週月曜日(1月23日)の午後、南城市玉城前川の『Café ゆーゆーらーさん』で食事を終えた後、すぐ近くにある史跡&戦跡を見学しに向かいました。

本当は、南城市内のグスク跡に向かう予定だったんですが、食事を終えた後の店員さんとのお話がちょこぉ~っと長くなってしまって(笑)、予定していた時間がちょこぉ~っと過ぎてしまってたんですよ。。。😅

・・・なので、店員さんに教えて頂いた、お店からすぐのところにある史跡&戦跡を見学することにして、そちらへ向かいました。

沖縄県南城市玉城前川にある

『前川樋川と前川民間防空壕』

前川樋川の写真
前川集落の西に位置する断崖の麓にある『前川樋川』
こちらはまず、前回ご紹介した『Café ゆーゆーらーさん』から県道17号線『おきなわワールド(文化王国・玉泉洞』向けに進み、約440mほど進んだところ右側にある脇道に入ります。
※脇道の道向かいには『ローソン おきなわワールド前店』があります。

脇道に入って道なりに約130mほど進むと右前方に『前川樋川』の遊歩道入口が見えてきますので、その先にあります。
※入口横にはクルマが2台分ほどのスペースがありますので、そちらに駐車可能です。
前川樋川と前川民間防空壕の写真
『前川樋川と前川民間防空壕』の入口
南城市内を流れる『雄樋川』沿いからも行くことが出来るんですが、そちらからだと案内板が県道17号線にしかなく、ちょっと分かりづらいんですよ。。。

・・・なので、先述の入口から向かった方が分かりやすいと思います(笑)
前川樋川と前川民間防空壕の遊歩道入口の写真
遊歩道入口
遊歩道入口には、ご覧の通り、説明板と標柱が設置されていました。

見学に向かう前に、まずは説明を読んでみると・・・

≪前川樋川と前川民間防空壕≫
≪琉球王府の史書である「球陽(きゅうよう)」(1745年)によると、前川区は1736年に糸数城跡南側の麓から現在地に移動している。

この前川樋川も当時の絵図(琉球国惣絵図・1750年頃)にも記載されていることから、当時から住民の生活用水として利用していたと思われる。

急勾配の石階段は水運びが不便であったため、1932年に南側へ緩やかな道路を造り、水運びが楽になった。
前川樋川と前川民間防空壕の遊歩道の写真
石階段を下りて、すぐのところにある分岐点。右に進むと防空壕群があります。
分岐点を右に進んできたところ。岩盤に小さな防空壕の入口が点在しています。
当初、樋川は簡易な水溜め程度の施設だったが、1936年に現在の粟石(あわいし)製貯水タンクと女性用の水浴場を建造して、日本本土復帰前(昭和40年代)まで貴重な水源として使われてきた。

同樋川を中心とした崖の中腹には、岩盤を掘り込んで築造された民間防空壕が40ヵ所、並んで存在している。

この民間防空壕は1944年10月10日の南西諸島大空襲(那覇市は9割の家屋が焼失した。)後、米軍の沖縄上陸が濃厚となったため、字民が2・3世帯ずつ一組になり避難壕として建設したものである。
前川民間防空壕の写真
大小様々な穴が並んで点在していました。
前川民間防空壕の写真
定期的に清掃されているらしく、比較的綺麗な壕もありました。
壕入口の多くはしゃがんで通れるくらいの高さで、広さは約4㎡。隣り合う壕が内部で連結するという構造になっている。

字前川近くに米軍が進攻してきた際には、多くの住民がこの壕や南部具志頭方面に避難した。

なお、この壕では4ヶ所で集団死が起こっており、20人余が死亡している。

旧玉城村内には自然の洞穴を利用した防空壕は多いが、このようにまとまって掘られた民間防空壕はここだけである。≫
・・・とありました。

説明を読んだ後で、石階段を下りていくと、右側に石畳道があったので、まずはそちらの方へ行ってみると、岩壁に小さな防空壕の入口が並んで口を開けていました。

その小道は、岩壁の下の方へ続いているようなので、一旦石階段へ戻り、遊歩道を歩いて向かうことにしました。
前川樋川と前川民間防空壕の遊歩道の写真
石階段の先は、岩と岩の間を通り、旧カーブして下へと続いていました。
前川樋川と前川民間防空壕の遊歩道の写真
岩と岩の間を通過してきたところ。遊歩道は右にカーブしていますが、左にも小道がありました。
石階段を下っていくと、岩と岩の間を通っており、その先で右に急カーブしていましたね。

その急カーブのところ左側にも、細い小道があり、その奥に何やら開けた場所と石積みが見えました。
前川樋川と前川民間防空壕の遊歩道の写真
遊歩道の急カーブから見た左側の小道
んで、その開けた場所へ行ってみると、岩壁に立派な御墓がありました。

この御墓の左右の岩壁にも、小さな防空壕が並んでましたね。
前川樋川と前川民間防空壕の岩壁にあったお墓の写真
小道の先にあった開けた場所。立派な御墓があり、石積みの向こう側の藪の中にも防空壕がありました。
前川樋川と前川民間防空壕の岩壁にあった御墓の写真
岩壁に埋め込まれたように存在する御墓
んで、この御墓を見た後、再度、遊歩道へ戻り、岩壁の下の方へと向かいました。
前川樋川と前川民間防空壕の遊歩道の写真
遊歩道に戻り、さらに下へと向かいます。
遊歩道を少し下ったところから、右斜め側へと小道が岩壁に沿って伸びており、そこにもまた防空壕が並んでいましたね。
前川樋川と前川民間防空壕の遊歩道の写真
遊歩道から右側へ伸びる小道。この小道に沿って防空壕が並んでいました。
前川民間防空壕の写真
遊歩道からすぐの所にあった防空壕。崩れないように岩がはめ込まれていました。
前川民間防空壕の写真
上の洞口が大きい防空壕のすぐ隣になった防空壕。こちらは、洞口が小さかったですね。
この遊歩道上から見える防空壕群の小道を上がっていくと、先程の防空壕群の前の小道と繋がっていました。
前川民間防空壕の写真
小道が下から上へと『く』の字に曲がっているのがわかりますでしょう。。。
前川防空壕の写真
岩壁の麓の遊歩道上から防空壕群のある小道を見たところ。
んで、この『前川防空壕』の一部を後にし、遊歩道をさらに下りていくと、その先に階段があり、その奥に『前川樋川』が、今もひっそりと水を湛えてました。
前川樋川の写真
前川樋川
前川樋川の写真
『前川樋川』の水溜。現在でも透き通った綺麗な水を湛えていました。
『前川樋川』に近づいてみると、左右に香炉が1基ずつ置かれており、拝所となっていました。

この『前川樋川』は、昭和十一年八月十五日に竣工されたようですね。
前川樋川の写真
『前川樋川』に向かって右側の拝所
前川樋川の写真
左側の拝所。奥に小さな洞穴がありました。
んで、『前川樋川』の前から、近くを流れる雄樋川に沿って、道が伸びていました。

この道は、県道17号線に架かる小さな橋のすぐ手前にある脇道から入ってきたところの入口に繋がっていましたね。
前川樋川と前川民間防空壕の入口の写真
雄樋川に架かる一つ目の橋を渡ったところにある『前川樋川と前川民間防空壕』の入口。
この入口は、県道17号線から雄樋川沿いにある脇道に入り、一つ目の橋を渡るとすぐ右側にあります。

県道17号線にある橋のすぐ手前には案内板が設置されているんですが、その先には案内板が見当たらないので、ちょっと分かりづらいですね。。。
前川樋川へ続く道の写真
もう一つの入口を入ると、このような感じになっています。
この道をしばらく進んでいくと、左側の藪の一角に古い御墓があるんですが、そのすぐ隣に香炉が2基置かれた拝所がありました。
前川樋川近くにある古墓の写真
『雄樋川』沿いの道の途中にあった古い御墓
古墓のすぐ隣にあった2基の香炉が置かれた拝所
んで、この古墓を通過し、さらに奥へ進んでいくと、『前川樋川』のちょうど真正面に出ます。
前川樋川と前川民間防空壕の写真
雄樋川沿いの道を入ってきた突き当りから見た『前川樋川と前川民間防空壕』
前川樋川の写真
『前川樋川』全景
前川樋川の写真
『前川樋川』手前にある水溜め
この『前川樋川』と、『雄樋川』沿いの道の間から、斜面へと続く小さな階段を発見したので、そちらの方へ行ってみると、『蒙氏 上門門中之墓』と刻まれた石碑があり、その近くにある岩壁には、防空壕や立派なお墓が連なってありました。

こちらは、定期的に清掃されているらしく、とても綺麗な状態で保存されていましたね。

・・・と、かなり長くなってしまいましたので、この続きはまた別の回にご紹介致しますね。。。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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☆『前川樋川と前川民間防空壕』

☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市玉城前川

☆見 学:無料

☆駐車場:あり