八重瀬町にある西部プラザ公園の北東側に位置するフサトモーと呼ばれる杜☆|沖縄放浪日記

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2018年6月11日月曜日

八重瀬町にある西部プラザ公園の北東側に位置するフサトモーと呼ばれる杜☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した『当銘・小城の共有龕および龕屋と馬ンザ広場』を見学した後、『馬ンザ広場』から北向けに伸びる階段を上がり、『馬ンザ広場』の上にある杜へ向かいました。

この杜は、『馬ンザ広場』に設置されていた説明板によると、『金満の杜』と呼ばれる神聖な森の一つで、内部には拝所や古墓などが点在しているんだとか。。。

沖縄県島尻郡八重瀬町字小城の『西部プラザ公園』内にある

『フサトモー(金満の杜)(前編)

ウマチーロードから見た『フサトモー(金満の杜)』
『馬ンザ広場』から北向けに伸びる階段を上がると、すぐ右側の茂みの奥に2基の拝所を発見しました。
フサトモー(金満の杜)の写真
『馬ンザ広場』から伸びる階段。
フサトモー(金満の杜)の写真
階段を上り終えたところすぐ右側にある拝所。
こちらの拝所は、向かって右側が『城之御嶽』、左側が『城之嶽井戸』という井戸跡となっていました。
城之御嶽の写真
城之御嶽。
城之嶽井戸の写真
城之嶽井戸。
どちらの拝所にも香炉が1基ずつ置かれており、『城之嶽井戸』の方には井戸跡を示すコンクリート製の円柱状の筒が設けられていました。

この2基の拝所の右側には、森の奥へと続く獣道があったんで、今度はそちらの方へ進んでみることにしました。
フサトモー(金満の杜)の写真
『城之御嶽』と『城之嶽井戸』の横から入ってきたところ。
森に入ると、入口側は雑草が生い茂っていましたが、内部の獣道は定期的に草刈り清掃が行われているようで、とても歩きやすい状態が保たれていました。

入口から獣道を少し入っていくと、道沿い左側にある岩壁の根元に石積みを発見。
フサトモー(金満の杜)の写真
入口を入って少し進んだところにあった石積み。
石積みと岩の間に空間があるのが見えたので、ちょこっと近づいてみると、石積みの後方は"ガマ"のような感じの洞穴が見えました。

この石積みは、もともとはこの"ガマ"の洞口を塞ぐ形で造られていたようですが、崩れてしまったようですね。。。
フサトモー(金満の杜)の写真
獣道をさらに奥へ進んできたところ。
また、この石積みがある"ガマ"から獣道を少し進むと、左側に立派なガジュマルの木の根が張った場所があり、その根元付近にも背の低い石積みがありました。
フサトモー(金満の杜)の写真
ガジュマルの木の根が張った岩。写真左下に石積みが見えます。
フサトモー(金満の杜)の写真
岩壁の根元にあった石積み。
最初に発見した石積みは崖葬墓など古墓の遺構だと思われますが、こちらの石積みは"グスク"か何かの遺構のように見受けられましたね。
※あくまでワタクシ個人の憶測なので、定かではありませんよ。

・・・と、こちらを後にし、さらに森の奥へ進んでいくと、道が左右二手に分かれた分岐点に辿り着いたので、まずは左の道へ進むことにしました。
フサトモー(金満の杜)の写真
獣道の先にあった分岐点。
左へ進むと、またすぐに道が二手に分かれていたので、こちらもまずは左の方へ進むことにました。
フサトモー(金満の杜)の写真
二つ目の分岐点から獣道の先を見たところ。奥に拝所がチラッと見えます。
すると、獣道の先に1基の香炉が置かれた拝所が見えました。
フサトモー(金満の杜) 龕世の写真
『龕世』と記された石板が立つ石積みの拝所。
その拝所に近づいてみると、岩に溶け込むように石積みの祠が造られており、手前には1基の小さな香炉が置かれ、その左側に『龕世』と記された小さな石板が設けられていました。

また、この『龕世』の拝所の前から道が二手に分かれていたので、こちらもまずは左の獣道へ進むことにしました。
フサトモー(金満の杜)の写真
岩陰を利用して造られた古墓と拝所。
『龕世』の拝所から少し進むと、左側の一段高くなった場所に、岩陰を利用して造られた古墓と拝所がありました。
フサトモー(金満の杜)の写真
"拝所"らしき場所。
フサトモー(金満の杜)の写真
岩陰を利用して造られた古墓。
また、この古墓と拝所がある場所から獣道を少し進むと、またまたコンクリートブロックと石積みで造られた2基の古墓がありました。
フサトモー(金満の杜)の写真
岩穴を利用して造られた2基の古墓。
そして、この2基の古墓をそのまま通過していくと、左側の小さな岩の前に1基の香炉が置かれた拝所がありました。
フサトモー(金満の杜)の写真
茂みの手前にある拝所。
この拝所を通過していくと、今度は右側に自然岩とコンクリートで造られた『小城之按司御墓』がありました。

こちらには3基の香炉が置かれていましたね。
小城之按司御墓の写真
小城之按司御墓。
後日、ネットで『小城按司』について調べてみると、尚穆王(しょうぼくおう)の三男である尚周、義村王子朝宜を元祖とする琉球王族で、第二尚氏の分家で代々東風平間切の按司地頭を務めた琉球王国の大名『義村御殿』の『4世 向明良・小城按司(義村)朝真』という人物が出てきました。
(※Wikipedia『義村御殿』)

この『4世 向明良・小城按司(義村)朝真』という人物が、どういった人物だったのかなどの詳細は、ここでは省かせて頂きますが、父である『三世 向志禮・義村按司朝明』と行動を共にして、福州で客死したんだそうです。
フサトモー(金満の杜) 小城之按司御墓の写真
『小城之按司御墓』と記された墓標。
んで、『小城按司(義村)朝真』の兄弟である『四世 向明徳・義村朝義』が福州に渡って、亡き父と兄の遺骨を『平良本墓』に移葬したとのことです。
(※参考⇒義村按司を語る広場『義村按司とは』)

この『平良本墓』がどこにあるのかも調べてはみたんですが、何も情報が出てこなかったため、詳細は不明です。。。

なので、こちらに葬られているのが、果たして『4世 向明良・小城按司(義村)朝真』という人物なのか、それとも別の"小城之按司"なのかも、残念ながら詳細は不明です。。。
フサトモー(金満の杜) 金満御嶽の写真
金満御嶽。
この『小城之按司御墓』から獣道を挟んで向かい側には自然岩を利用して造られた『金満御嶽』がありました。

こちらには1基の香炉が置かれていましたね。
フサトモー(金満の杜) 金満御嶽の写真
ちょっと見えにくいですが『金満御嶽』と記された石板。
"金満(カニマン)"とは、沖縄の方言で「鍛冶屋」を意味しており、こちらの拝所はその「鍛冶」に纏わる拝所となっているのでしょうね。

この『金満御嶽』がある場所の斜め向かい側には、赤瓦屋根の祠が藪に埋もれるような形でありました。
フサトモー(金満の杜) 嶽之火神の写真
嶽之火神。
祠には『嶽之火神』と記された石板が設けられており、内部には1基の香炉と3基の霊石が収められていました。

この『嶽之火神』を見学した後、獣道をそのまま進むと、すぐに『西部プラザ公園』の遊歩道に出ました。

どうやらこちら側からも『フサトモー』内へ向かうことが出来たようです。
フサトモー(金満の杜)の写真
『フサトモー』から出て遊歩道側から見たもう1つの出入口。
・・・と、ここまで見学した後、来た道を戻り、今度はまだ足を踏み入れてなかった別の道を見学しに向かいました。

この『フサトモー』には、まだご紹介しきれてない拝所や古墓などがいくつか残っているんですが、区切りがいいので今回はここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。

それでは、この辺で・・・でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『フサトモー(金満の杜)

☆場所:〒901ー0415
      沖縄県島尻郡八重瀬町小城(西部プラザ公園内)
☆見 学:無料

☆駐車場:あり(西部プラザ公園駐車場)

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。