当銘集落と小城集落の共同で所有する龕および龕屋と馬ンザ広場☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2018年6月8日金曜日

当銘集落と小城集落の共同で所有する龕および龕屋と馬ンザ広場☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回の続きです。

『西部プラザ公園』の西側に位置する、当銘集落のクサムティ(腰当森)として大切にされている『テミグラの杜(テミグラグスク跡)』を見学した後、次に向かったのは『テミグラの杜』の北東側に位置する『金満の杜』と称される丘陵なんですが、『テミグラの杜』とその『金満の杜』を結ぶウマチーロード沿いに立派な赤瓦屋根の建物を見つけちゃったんですよ。

どうやらこの建物は、当銘集落と小城集落が共同で所有する葬式の時に棺を入れて運ぶ屋形の輿を保管するためのものなんだとか。。。

沖縄県島尻郡八重瀬町字小城の『西部プラザ公園』内にある

『当銘・小城の共有龕および龕屋

当銘・小城の共有龕および龕屋の写真
『プラザ橋』から見た『当銘・小城の共有龕』が収められている龕屋。
『テミグラの杜』から『金満の杜』へと伸びるウマチーロードを進み始めると、ちょうど『プラザ橋』を渡りきったところ左側から、『龕屋』が建てられている敷地内に入ることが出来ます。
『プラザ橋』下の道路からも『龕屋』の敷地へ階段が設けられているんですが、そちらは勾配がキツ過ぎて、現在は使用されていないようでした。
西部プラザ公園の写真
前回の記事の最後でもご紹介した『プラザ橋』。左奥に赤瓦屋根の建物が見えます。
西部プラザ公園の写真
『プラザ橋』から見た南側の景色。
西部プラザ公園の写真
『プラザ橋』から見た小城集落側。
『プラザ橋』を渡って、その建物に近づいてみると、建物の側面に1961年と2005年の龕のお披露目の状況を写した写真と琉球王府時代の葬送の様子を描いた絵、そして「当銘・小城の共有龕」と題された説明板が設置されていました。

その説明板を読んでみると、この赤瓦屋根の建物は、字当銘と字小城の共有の"龕"を保管している『龕屋』なんだそうです。
当銘・小城の共有龕の写真
1961年と2005年の龕のお披露目の際の写真と琉球王府時代の葬送の様子を描いた絵画。
んで、その説明を読んでみると・・・
≪当銘・小城の共有龕≫
≪全長 三六三、五センチメートル
 幅  九六、〇センチメートル
 高さ 一二一、二センチメートル

この龕は、葬具として尚灝王(しょうこうおう)三十年、道光十三年(一八三三)「癸巳(みずのとみ)」八月十日に制作されたものです。

構造は、入母屋造りで材質はイヌマキ材(チャーギ)で作られ、朱塗屋根型の輿である。屋根の装飾である竜頭も刀彫により鱗片を浮き彫りに表現されている。

また、屋根や壁面は漆塗りで正面と裏面は仏図を描き、両側面には蓮華模様が描かれているが、朱塗りや壁画、装飾品は三十三年忌ごとに大修理が行われている。
『当銘・小城の共有龕』。
尚、入母屋の屋根裏には、龕を制作するに当たってかかわった人々や、供え物の種類、修復年月日、資材の調達方法、細工への費用等が記されている。

龕は、葬式の時に棺を入れて運ぶ屋形の輿のことで、二本の横棒に載せ、前後を四人でかつぐようにできている。

このような豪華な龕は、初めは王家や首里士族の葬儀に使用されていたが、祖先崇拝の念強く、次第に那覇や地方の百姓階級にも普及していき、経済的に豊でなかった地方の村々でも使用するようになっていった。

本町には、四ヵ字が所有しているが、中でも最古のもので民族資料として貴重なものである。
平成十七年九月十三日≫
・・・と、ありました。
当銘・小城の龕屋の写真
前方から見た『当銘・小城の共有龕』の『龕屋』。
ちなみに、この『龕屋』は2005年9月に改築されたものなんだそうですよ。

また、説明板では白く消去されていましたが、後日ネットで調べてみると、この『当銘・小城の共有龕』は、県の有形民俗文化財に指定されているとのことでした。
当銘・小城の共有龕の写真
『龕屋』の横にあった小窓から見た『当銘・小城の共有龕』。
昨年(2017年)の9月29日(旧暦の8月10日)には、1833年から伝わる当銘集落と小城集落共有の"龕"を供養する『龕甲祭(がんごうさい)』というお祭りも、12年ぶりに龕屋の前の道で盛大に行なわれたんだそうですよ。

この『龕甲祭』、死者を供養する年忌と同じように一年忌、三年忌、七年忌、十三年忌、二十五年忌、三十三年忌・・・に合わせて行われるんだそうで、昨年の『龕甲祭』は6回目の二十五年忌だったとのこと。
※全国的な法要では「一周忌、三回忌・・・」と呼びますが、沖縄の法要では「一年忌、三年忌・・・」と呼びます。
(※参考⇒沖縄県メモリアル整備協会『沖縄の法要。年忌焼香(ニンチスーコー)の基礎知識』)

なので、次回の『龕甲祭』を見るためには、8年後の旧暦8月10日の三十三年忌になるとのことです。。。

この『龕甲祭』が行われる日には、両集落の旗頭が対面して演舞を行う『チチャーイ』や、旗頭を先頭に拝所を巡る『道ジュネ―』なども行われるんだとか。

そして『チチャーイ』や『道ジュネ―』を終えた後は、それぞれの集落に戻り、棒巻や舞踊、喜劇などを行うのだそうですよ。
(※参考⇒やえせ観光サイト『当銘・小城の龕甲祭、12年ぶりの開催!!』)
東屋の写真
『金満の杜』の手前の広場にある東屋。
この『当銘・小城の共有龕』と『龕屋』を見学させて頂いた後、ウマチーロードを『金満の杜』に向かって歩いていくと、杜の手前に道幅が広くなった場所があり、その一画の一段高くなった場所には東屋が設置されていました。

んで、この東屋の手前に標柱が立てられていたんですが、その標柱には『馬ンザ広場』と記されており、「五月・六月ウマチーにはノロは乗馬で殿回りをした」とも記されていました。
馬ンザ広場の写真
東屋の手前に立てられていた標柱。
どうやら、こちらの広場は『馬ンザ広場』と称される場所になっているようですね。

この場所からは、すぐ手前にある当銘集落が一望でき、そこから遠くの方まで見渡すことが出来ますよ。
馬ンザ広場の写真
『金満の杜』を背にして見た『馬ンザ広場』。
そして、この『馬ンザ広場』がある場所から丘の上へと伸びる階段があるんですが、そこを上がっていくと、北向けに遊歩道が伸びています。

その遊歩道を北向けに少し進んでいくと、遊歩道沿い右側に『金満の杜』の『フサトモー』の拝所と入口があります。

・・・と、ここから先はちょっと話が長くなりそうなので、この続きは別の回にして、今回は少し短いですが、この辺で終わりにしたいと思います。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ  

『当銘・小城の共有龕および龕屋

☆場所:〒901ー0415
      沖縄県島尻郡八重瀬町小城(西部プラザ公園内)
☆見 学:無料

☆駐車場:あり(西部プラザ公園駐車場)

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。