前々回、北中城村の大城集落内に点在する史跡をご紹介させて頂きましたが、今回は、大城集落の西側に隣接する荻道集落内の史跡をご紹介させて頂きたいと思います。
(前々回のブログ記事は、こちらからどうぞ⇒https://oki-night.blogspot.com/2018/11/blog-post-seisen-uganjo-Kitanakagusukuvillage-Oogusuku.html)
沖縄県中頭郡北中城村荻道に点在する
『貝塚や井泉などの史跡』☆
荻道集落内を走る県道沿いに立つ立派な琉球松の木。 |
※荻道集落への行き方は、前々回のブログ記事をご参照下さいませ。
『ヒージャーガー』の前にある広場。東屋も設けられていました。 |
広場には古いくみ上げ式のポンプも設置されていました。 |
『ヒージャーガー』は、広場と県道の間に位置しており、『ヒージャーガー』のすぐ上を道路が走っている形になっていました。
ヒージャーガー(樋川井泉)。 |
≪ヒージャーガー(樋川井泉)≫
≪このカー(井泉)の築造年代は詳らかでない。1965年(昭和40)12月に水道が通水されるまで、大半の家庭が、ここの湧水を飲料水として利用していた。『ヒージャーガー』の手前右側に設置されていた説明板。 |
旧元日の早朝子どもたちが、カーの水をワカミジ(若水)として汲んできた。この水をヒヌカン(火神)等に供えたりお茶を沸かして仏壇にさしあげて新しい年の家運隆昌と健康を祈った。
戦前は旧正月2日、現在は元日に区の役員有志が水の恵みに感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしている。
北中城村≫
・・・とありました。カーの手前には洗い場らしきスペースが設けられており、現在も豊富な水を湛えていました。 |
そして、その水は洗い場らしき場所から側溝を通り、先程の広場の下へと流れてました。
貯水槽上部に設けられた樋口から水が勢いよく流れ出ていました。 |
んで、『ヒージャーガー』の後方をチラッと覗き込んでみると、後方の石垣の壁の根元には拝みのための香炉が1基置かれていました。
『ヒージャーガー』の後方に設置されていた1基の香炉。 |
この『ヒージャーガー(樋川井泉)』を見学した後、広場から西向けに伸びる集落内の小道を進んでいきました。
ほいで、1つめの十字路に差し掛かると、その左前方の角に『メーヌカー』と記された標柱が立てられた井泉がありました。
集落内の十字路角にあった『メーヌカー』。 |
道路沿いに立てられていた『メーヌカー』の標柱。カーはこの後方の低くなった場所に位置しています。 |
メーヌカー。 |
また、カーの後方の石垣の壁の根元には1基の香炉が置かれているのが見えましたね。
集落の道路から『イーヌカー』へと伸びる小道。 |
こちらは『イーヌカー』と称される井泉で、こちらも先程の『ヒージャーガー(樋川井泉)』と同様に県道から少し低くなった場所に位置しており、県道下に食い込むような形になっています。
イーヌカー。右側に見える階段は県道に繋がっています。 |
≪イーヌカー(上の井泉)≫
≪イーヌカーは荻道集落の共同井泉の一つでいつごろ築造されたかは詳らかでない。1965年(昭和40)12月に水道が布設されるまで屋敷内にチンガー(井戸)のない家庭にとって洗濯、野菜洗い、水浴び等生活用水として貴重な井泉であった。
『イーヌカー』の手前に設置されていた説明板。 |
戦前は旧正月2日、現在は元日に区の役員有志が水の恵みに感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしている。
北中城村≫
・・・とありました。説明を読み終えて、『イーヌカー』の貯水槽を見てみると、透き通った綺麗な水が溜まっており、現在も『ヒージャーガー』や『メーヌカー』と同様に、現在も水を湛え続けていました。
『イーヌカー』の貯水槽。綺麗な水が溜まっていました。 |
『イーヌカー』の後方に置かれていた1基の香炉。 |
『イーヌカー』のある場所から県道を西向けに約50mほど進むと、右側に北向けに伸びる小道があります。
県道から北向けに伸びる小道を入ってきたところ。この奥に石碑が建立されています。 |
この石碑が建立されている場所一帯と、その後方一帯がそれぞれ『荻道遺跡』・『荻堂貝塚』となっています。
小道の奥に建立されていた『史跡 荻堂貝塚』の石碑。 |
「史跡 荻堂貝塚」と記された石碑の後方に説明板が設置されていました。 |
≪史跡 荻堂貝塚 昭和47年5月15日 国指定≫
≪荻堂貝塚は、標高140メートルの丘陵崖下に立地します。遺跡は屏風のような巨岩の下方東西約50メートル、南北約30メートルほどの小さな平坦地が中心部となっています。貝層は、もっとも厚いところで厚さ1.2メートルに達し、海水産 淡水産および陸産の貝類、魚骨、じゅごん、いのしし、いぬ等を含む獣骨等とともに、石器、土器、骨製品、貝製品が出土しています。
石碑の後方にある説明板。 |
時期については沖縄諸島の貝塚時代前期に属するものであり、日本本土の縄文文化後期に並行するものです。
沖縄県教育委員会 昭和53年3月31日≫
・・・とありました。また、先程の北中城村の史跡map『北中城村の遺跡・文化財(暫定)』によると、『荻堂貝塚』は1904年(明治37年)に鳥居龍蔵氏が発見し、その後1919年(大正8年)に松村瞭氏によって発掘調査が行われたんだそうですよ。
そして、その調査の結果、三枚の堆積層から上記の説明にもあった土器、石器、貝殻、イノシシの骨などが発見され、土器は「荻堂式土器」と型式設定されているとのことです。
閑静な住宅地のど真ん中にある『イリヌカー』。 |
県道に出て、またさらに西向けに進み、左側にある最初の脇道を左折し、約55mほど進んでいくと、右側に『イリヌカー』と記された標柱が立てられています。
その標柱の後方の道路より少し低くなった場所に、その『イリヌカー』と称される井泉があります。
イリヌカー。 |
その階段を下りて『イリヌカー』の前へ行くと、カーの右側に説明板が設置されていたので、そちらを読んでみることに。。。
≪イリヌカー(西の井泉)≫
≪イリヌカーは荻道集落の共同井泉の一つでいつ頃築造されたかは詳らかでない。1965年(昭和40)12月に水道が布設されるまで屋敷内にチンガー(井戸)のない家庭にとって洗濯、野菜洗い、水浴び等生活用水として貴重な井泉であった。『イリヌカー』の右横に設置されていた説明板。 |
戦前は旧正月2日、現在は元日に区の役員有志が水の恵みに感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしている。
北中城村≫
・・・とありました。説明を読み終えて、カーに設置されていた転落防止ネット越しに中の様子を伺うと、透き通った水が溜まっており、小さな小魚の姿も見えました。
『イリヌカー』の内部の様子。小さな小魚もいましたよぉ~。 |
荻堂集落北側の傾斜地にある『タチガー』。 |
反対側から見た『タチガー』の貯水タンク。 |
貯水タンク後方の傾斜地にある『タチガー』。 |
『タチガー』の前に立てられていた標柱。 |
『タチガー』を直接見学することは出来ませんでしたが、その細道の入口一帯は小さな池やお地蔵さん等が設けられており、そのお地蔵さんの横に小さな説明板が設置されていました。
貯水タンク横の『タチガー』へと続く細道の入口。奥の方から水が勢いよく流れ出ていました。 |
≪タチガーのお地蔵さま≫
≪平成の名水百選のひとつ、タチガーの清らかな湧き水が未来永劫に残ることを願って祠地蔵尊を建立しました。すべての命の根源である水に感謝し、節度・分別をもって、大切にしましょう。(合掌)
平成二十六年 睦月 吉日 おきなわ環境塾≫
・・・とありました。『タチガー』の細道入口に建立されていた『祠地蔵尊』。 |
祠地蔵尊の横に設置されていた説明板。 |
水量がかなり多いためにこの隣にある貯水槽が造られたのでしょうね。
祠地蔵尊の前に設けられていた小さな溜池。 |
こんだけ大量の水が湧き出ているとなると、その水源である『タチガー』を間近で見てみたかったんですけど、この日は、辺りもだいぶ暗くなってきていたため、クルマへと乗り込み、そのまま帰路に就きました。
いかがでしたでしょうか?
今回と、前々回に分けて、荻道・大城の両集落内に点在する史跡をご紹介させて頂きましたが、両集落内には井泉や拝所などの史跡の他に、歌碑やシーサー、オブジェなどもあちらこちらに設置・展示されており、見どころ満載なので、もし興味がある方はぜひ足を運んで、散歩を兼ねていろいろ見学されてみてくださいね。。
それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
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☆『北中城村の荻道集落に点在する史跡群』☆
☆場所:〒901ー2315
沖縄県中頭郡北中城村荻道
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。