勝連城の按司であった阿麻和利の妃が眠る南城市玉城富里にある御墓☆|沖縄放浪日記

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2017年9月2日土曜日

勝連城の按司であった阿麻和利の妃が眠る南城市玉城富里にある御墓☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(8月)の18日、再び南城市内にある"史跡"を見学しに行ってきました。

まず最初に向かったのは、琉球王国・第一尚氏王統六代国王『尚泰久』王の長女で、勝連グスクの按司『阿麻和利』の妃であった人物が眠る御墓。。。

こちらは、以前は別の場所にあったそうなんですが、中学校校舎建設のために現在の場所に移設されたんだとか。。。

南城市玉城富里にある

『百十踏揚(ももとふみあがり)の墓』

百十踏揚の墓の写真
陸上競技場の東側にある『百十踏揚の墓』
こちらは、南城市の県道48号線17号線が交差する『稲嶺(南)』の交差点から、県道48号線を同市玉城富里向けに進み、約3.5㎞ほどの距離にある『玉城小学校』前の交差点を左折し、右斜め前の道へ入り、『南城市役所』向けに進みます。
百十踏揚の墓の写真
『南城市陸上競技場』をグルっと囲んだ小道から見た『百十踏揚の墓』。
そして、『南城市役所』もそのまま通過して、左側の『番所公園』横の脇道へ左折します。

そこからさらに道なりに進んでいくと、突き当りに『南城市陸上競技場』があるんですが、"御墓"は、真正面の陸上競技場のトラックを挟んで向こう側にあります。
百十踏揚の墓の写真
『百十踏揚の墓』の手前にも駐車場が設けられています。
『陸上競技場』に到着した際、出入口側の駐車場にクルマを停めて徒歩で向かおうと思ったんですが、御墓の手前にも駐車場があるのが見えたので、そちらまで車を乗り入れ、そこから徒歩で向かいました。
百十踏揚の墓の写真
『百十踏揚の墓』の入口。
クルマを停めて、御墓に向かって歩いていくと、御墓へと続く階段の入口に説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに・・・

≪百十踏揚の墓≫
≪百十踏揚は、尚泰久王の長女で勝連按司阿麻和利の妻であったが、阿麻和利が倒された後、鬼大城(うにうふぐすく)といわれた越来城主の大城賢雄に嫁いだ。
百十踏揚の墓の写真
出入口に設置されている説明板。
大城賢雄が尚円王に破れた後は、兄弟の三津葉多武喜(みつばたぶき)と玉城字當山の大川グスクで暮らし、その後現在の仲栄真の屋敷で共に暮らしたといわれている。
百十踏揚の墓の写真
『仲栄真腹門中之墓』と表記された門。
百十踏揚の墓は、西ヒチ森の大岩に安置されていたが、昭和三十七(一九六二)年頃に中学校校舎建設のため陸上競技場東側にある仲栄眞腹門中墓の側に三津葉多武喜と共に安置されている。
沖縄県南城市教育委員会≫
・・・と、ありました。

説明を読み終えて階段を上がっていくと、『仲栄真腹門中之墓(なげーまばらもんちゅう)』と記された門があり、そこから上の方にある岩下まで石段が続いていました。
百十踏揚の墓の写真
大きな岩の下が石とコンクリートで塞がれており、その手前に四角形の御墓(?)がありました。
百十踏揚の墓の写真
崖葬墓の手前にあった四角形の小さなお墓。
石段を上がっていくと、目の前にせり出した大きな岩があり、その下を石とコンクリートで囲った御墓があり、その手前にも四角形の小さな御墓(?)がありました。

そこをそのまま通過して岩の前まで行ってみると、岩下に埋め込まれるような形で2基の崖葬墓が現われます。
百十踏揚の墓の写真
尚泰久王の次男『三津葉多武喜』の墓
百十踏揚の墓の写真
百十踏揚の墓
当初、手前にある白色の大きな御墓の方が『百十踏揚の墓』と思っていましたが、南城市の公式webサイト『百十踏揚の墓』の動画を見てみると、奥側の小さな御墓の方が『百十踏揚の墓』とのことです。
百十踏揚の墓の写真
2基の御墓の間にあった石碑。
2基の御墓の間には小さな石碑が立てられていたんですが、その石碑には『尚泰久王 長女 百十踏揚按司加那志 次男 三津葉多武喜 之墓』と記されていました。
百十踏揚の墓の写真
奥側から見た『百十踏揚の墓』
絶世の美女であったといわれる『百十踏揚』ですが、時代の波に翻弄され、最後は三津葉多武喜が住む玉城でひっそりと余生を送り、短い生涯を閉じたんだそうですよ。。。

この『百十踏揚』と『三津葉多武喜』が眠る2基の御墓の右後方にも立派なお墓があります。
門中墓の写真
『百十踏揚の墓』の後方にあった立派な門中墓。
そして、この御墓の前に伸びる参道入口には、"拝所"らしきコンクリート製の小屋があり、その右側の斜面にはモニュメントが建立されていました。
門中墓の写真
門中墓の参道入口にあった"拝所"らしき小屋。
門中墓の写真
小屋の右側の斜面にはモニュメントが建立されていました。
モニュメントの台座部分には、碑文が記されていたので、そちらを読んでみると・・・

≪嶺 井 妙 美(1949~2013)≫
≪沖縄に生を受けた妙美は、学生時代を東京で送り社会運動に目覚めた。沖縄日雇労働組合を結成し、ホームレス支援を始め、生涯を地元沖縄に根ざした活動をした。

このモニュメントは、彫刻家金城実の妻初子さんの声かけにより実現した。
2015.12.10 制作 金城 実≫
・・・とありました。
嶺井妙美像の写真
嶺井 妙美像
・・・と、ここまで見学した後は、陸上競技場内にあるすぐ近くのグスク跡を見学しようと思ったのですが、そちらは現在工事中とのことでしたので、今回はそちらを断念し、競技場の南側に位置する富里集落内に点在する史跡を見学しに向かいました。

この続きは、また別の回にご紹介しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『百十踏揚の墓

☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市玉城富里115

☆見 学:無料

☆駐車場:あり(南城市陸上競技場内)

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