第一尚氏王統第六代国王尚泰久の5男や江洲按司宗祖が居城していたとされるグスク跡☆|沖縄放浪日記

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2018年9月24日月曜日

第一尚氏王統第六代国王尚泰久の5男や江洲按司宗祖が居城していたとされるグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した『スクブ御嶽(すくぶ公園)』を後にし、次に向かったのはうるま市宮里にあるグスク跡です。

こちらは、北山系の人物とされる『江洲按司』が初代の城主と云われているんだそうで、その後は、琉球王国 第一尚氏王統 第二代国王『尚巴志』の六男『尚布里』が城主となり、最後は琉球王国 第一尚氏王統 第六代国王『尚泰久』の五男『尚武』が城主となった"グスク"なんだそうです。

沖縄県うるま市宮里にある

『江洲グスク(別称:ツチグスク・イーシグシク)

江洲グスク(江洲城跡)の写真
グスク域の頂上付近にある江洲按司とその妹である"つきおやのろ"の墓。
こちらは、うるま市の県道224号線85号線が交差する『江洲』の交差点から県道224号線を同市宮里向けに進み、約140mほどの距離左側にある最初の脇道を左折すると、その突き当りにあります。
江洲グスク(江洲城跡)の写真
すぐ近くにある別の高台から見た『江洲グスク(江洲城跡)』遠景。
実は、こちらには過去に2回ほど足を運んだことがあるんですが、その時はグスク域への入口が分からず、あえなくトンボ帰りとなったんですよ。。。😅ハハッ。。。

んで、今回は事前に入口の場所も調べてあったので、ちゃんとグスク域内へ入ることが出来ました(笑)。
江洲グスク(江洲城跡)の写真
住宅地からグスク域内へと伸びる参道は、途中から未舗装となっていました。
んで、3度目の正直(笑)となる今回は、事前に調べたグスク域入口のすぐ近くの路肩にちょこっと路駐させてもらい、すぐさま見学へと向かいました。

住宅地からグスク域内へと伸びる参道を入っていくと、手前側はコンクリートで舗装されていたんですが、途中から未舗装となっていましたね。

ですが、定期的に草刈り・清掃が行われているらしく、思いのほかとても歩きやすかったですよ。
江洲グスク(江洲城跡)の写真
参道途中、右側にあった森の中へと続く細い参道。
ゆっくり参道を進んでいくと、少し開けた場所に辿り着いたんですが、その右側に森の中へと続く細い小道があるのを見つけたので、まずは、こちらから見学すること。。。
江洲グスク(江洲城跡)の写真
草木が生い茂り、参道が埋もれてましたw
んで、その参道を入っていくと、草木が生い茂り参道が埋もれてしまってて、ちょこぉ~っと歩きにくかったんですが、その草木をかき分けて進んでいくと、その奥に新しく造られた感じの立派な祠がありました。
江洲城跡 御陵墓の写真
江洲城跡 御陵墓。
近づいて祠に設置されていた表札を見てみると、「江洲城跡 御陵墓 参拝門中 沖縄市字古謝 東リ門口門中(比屋根) 宜野湾市大山 又吉門中」と記されていました。

冒頭でも少しお話しましたが、『江洲グスク』は、初代 江洲按司をはじめ、琉球王国第一尚氏王統 第二代国王『尚巴志』の六男・尚布里や第一尚氏王統 第六代国王『尚泰久』の五男・尚武などが居城していたと伝えられており、グスク域内には江洲按司や、その親族が眠っています。
江洲城跡 御陵墓の写真
『江洲城跡 御陵墓』と記された墓標。
そして、門中清明祭の際には、100人を超える親族が参拝に訪れるんだそうで、こちらの御陵墓は、その門中の中の一門中の御墓なのでしょうね。
(※参考⇒ラジオ沖縄ハイサイポッド『江洲グスクの落石撤去作業完了』)

この御陵墓を見学させて頂いた後、先程の参道途中にあった開けた場所へすぐに引き返し、参道のさらに奥へ行ってみることにしました。

・・・が、参道に戻って奥へ進んでいくと、その途中に「KEEP OUT」と書かれた規制テープが貼られており、立入禁止となっているぢゃありませんかぁ。。。

そこから、その先の様子を見渡してみても、何も危険はないように見えたんですが、「立入禁止」となっていてはどうしようもないので、この日はそのまま引き返して帰路につきました。。。

そこで、後日、うるま市役所の文化財課に足を運び、係の人にその旨を話すと、昨年(2017年)の6月の大雨によって参道に直径3m50cm、重さ約20tの落石があり、参道が塞がれていたとのこと。。。

そして、その数ヵ月後に落石が撤去されたんだそうですが、今回の規制テープはその時に設置したものなんだそうです。
係の人も、規制テープはすでに全部撤去されたものだと思っていたみたいですよ。

落石撤去作業は完了しているので、気を付けながら足を踏み入れても大丈夫とのことでしたので、後日改めて『江洲グスク』へ足を運びました(笑)
これで4度目ですねwww
江洲グスク(江洲城跡)の写真
参道から丘の上へと続く参道。
江洲グスク(江洲城跡)の写真
階段状の参道入口左側に石垣があったんですが、この場所には特に何もありませんでした。。。
前回の場所にクルマを停めて、グスク入口から参道奥へと向かいました。

すると、参道の突き当りから丘の上へと続く階段状の参道があり、その入口右側に立派な石碑が建立されていました。
江洲グスク つきおやのろの石碑の写真
「大宗江洲按司宗祖武源明 妹 つきおやのろ 之陵墓」と刻まれた石碑。
石碑には「大宗江洲按司宗祖武源明 妹 つきおやのろ 之陵墓」と記されており、昭和六三年に実施された周辺整備を記念して建立されたもののようですね。

また、石碑の裏には碑文のような文と、『江洲城跡』内の御墓の配置図と家系図が記されていました。
碑文は、判読しづらかったため省略させて頂きます。
江洲グスク(江洲城跡)内にある古墓の写真
階段状の参道沿いにあった崖葬墓。
石碑を後にし、階段状の参道を上がっていきます。
江洲グスク(江洲城跡)内にある崖葬墓の写真
正面から見た崖葬墓。
すると、その途中右側に岩穴を利用して造られた崖葬墓があり、その右奥にはコンクリート製の御墓がありました。
江洲グスク(江洲城跡)の古墓の写真
崖葬墓の右奥にはコンクリート製の古墓がありました。
参道沿いにある崖葬墓には墓標などが設置されていなかったんですが、後日調べてみると、尚泰久王の側室で、五男・尚武の母『せりきよ(世利休)』や、『座安掟親雲上』代々のノロを一緒に葬った御墓なんだそうです。

また、奥のコンクリート製の御墓には「江洌王時代 仲宗根按司之先祖 昭和四十八年七月三十日竣工」と刻まれていました。
江洲グスク(江洲城跡)にある仲宗根按司之先祖の御墓の写真
『仲宗根按司之先祖』の古墓。
また、この御墓の右側の一段高くなった場所にも御墓があったんですが、その御墓の前が草木が繁茂しており、御墓を見学することが出来なかったため、そちらは断念しました。。。
江洲グスク(江洲城跡)の古墓の写真
藪の中にも御墓があったんですが、そちらは断念しました。。。
んで、再び参道に戻ると、先程の崖葬墓の参道を挟んで向かい側に獣道があったので、今度はその先へ行ってみることにしました。
参道を挟んで崖葬墓の向かい側にあった獣道。
この獣道は、丘をクルッと回り込むように造られており、『つきおやのろ』の御墓がある丘の後方に出ました。
江洲グスク(江洲城跡)にある門中墓の写真
『つきおやのろ』の御墓がある丘の後方。大きな門中墓がありました。
丘の後方には大きく立派な門中墓があり、獣道沿い右側の岩壁の根元にも小さな崖葬墓がありました。
江洲グスク(江洲城跡)にある崖葬墓の写真
獣道沿いにあった小さな崖葬墓。
江洲グスク(江洲城跡)にある門中墓の写真
獣道の先にあった大きな門中墓。
また、この大きな門中墓の横を通り、丘の後方下へ進むと、その先にも門中の崖葬墓がありました。
江洲グスク(江洲城跡)にある門中墓の写真
岩穴を利用して造られた門中墓。
この門中の崖葬墓がある場所が、獣道の終点となっているようなので、来た道を戻り、参道の先へと向かいました。
江洲グスク(江洲城跡) つきおやのろの墓の写真
参道の先にあった広場。奥の岩壁に2基の崖葬墓が見えます。
参道を落石などに注意しながら上がっていくと、岩壁の根元に造られた広場のような場所に辿り着いたんですが、その奥の右側の岩壁に2基の崖葬墓が確認できました。
江洲按司とつきおやのろの御墓の写真
江洲按司と、その妹"つきおやのろ"の御墓。
その2基の御墓に近づいてみると、お墓の間に1基の石碑が建立されており、判読が難しかったんですが、「えすあんじ之が左 つきおやのろ之が右」と記されていました。
江洲按司とつきおやのろの御墓を示す標柱の写真
2基の御墓の間に建立されていた石碑。「兄 えすあんじ之が左 妹 つきおやのろ之が右」と記されてました。
江洲按司(えすあんじ)の御墓の写真
『兄 えすあんじ』の御墓。
つきおやのろの御墓の写真
『妹 つきおやのろ』の御墓。
この『江洲按司(えすあんじ)』と『つきおやのろ』の御墓がある丘は、標高約100mほどあるんだそうで、この周囲には他に同じ高さの丘は無く、見渡しがスゴく良かったですね。
江洲グスク(江洲城跡)からの展望の写真
『江洲按司』と『つきおやのろ』の御墓の前から見える景色。
うるま市教育委員会の資料『うるま市の遺跡』によると、『江洲グスク(江洲城跡)』の発掘調査でグスク系土器・須恵器・中国製の磁器などが発見されたんだそうです。

また、嘉靖10年(1531年)から天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌謡集『おもろさうし』の巻16の1161には「ゑすの、もりくすく、ゑすの、つちくすく、ゑすは、かほう、くに、又 ゑす、のろの、おやのろ、けおの、よかる、ひに、しけち、もりに、まへて」(おもろさうし 原文・全文 巻16の1161)と記されており、高倉が立ち並んだ情景などが歌われているんだそうですよ。
(※参考⇒うるま市文化財シリーズ③『うるま市の遺跡』)
(※参考⇒おもろさうし『おもろさうし 原文・全文』)

この「おもろさうし」に記されている歌の中に「ゑすの、つちくすく」とあるため、別称『ツチグスク』とも称されているようですね。
江洲グスク(江洲城跡)からの展望の写真
沖縄市知花方面を見たところ。
また、『江洲グスク(江洲城跡)』の西側に位置する『うるま市立中原小学校』の公式HPによると、『江洲グスク(江洲城跡)』は、俗称『イーシグシク』とも称されているんだそうで、築城者や築城年代は定かではないようですが、およそ570年~580年前くらいの尚巴志王時代に築かれたのではと考えられているんだそうですよ。
(※参考⇒うるま市立中原小学校『学校の概要』)
江洲グスク(江洲城跡)の写真
『江洲按司』・『つきおやのろ』の御墓の向かい側にある石垣。
『江洲按司(えすあんじ)』・『つきおやのろ』の両御墓を見学させて頂いた後は、参道を下りていき、『つきおやのろ』の石碑が建立されている場所まで戻りました。

石碑前に戻ると、右斜め向かい側に森の中へと続く獣道を発見したので、今度はその先へ行ってみることにしました。
江洲グスク(江洲城跡)の写真
『つきおやのろ』の石碑と参道入口の右斜め向かい側にあった獣道。
こちらの獣道も草刈り清掃が行われたばかりらしく、結構歩きやすかったですね。

この獣道は丘陵の下へと続いていたんですが、道なりに進んでいくと、その突き当りにある岩壁の根元にも古い崖葬墓がありました。
江洲グスク(江洲城跡) 江洌王之墓の写真
岩壁の根元にあった『江洌王之墓』。
この崖葬墓の右側には『江洌王之墓』と記された三角錐状の墓標が建立されていました。
江洲グスク(江洲城跡) 江洌王之墓の写真
『江洌王之墓』と記された墓標。
こちらにも『江洌王』の墓があるということは、こちらに葬られている『江洌王』と『江洲按司』は別の人物ということなのでしょうか。。。?

いろいろ調べてはみたんですが、『江洲按司』と『江洌王』が同一人物であるとか、はたまた別人であるとか等の詳しい情報は見つからなかったため、詳細は不明です。。。

・・・と、こちらの『江洌王』の崖葬墓まで見学した後は、そのまま引き返して、クルマに戻り、この日はそのまま帰路につきました。

いやはや、4度目にしてよぉ~やっと『江洲グスク(江洲城跡)』を見学することが出来ました(笑)

ちなみに、『江洲グスク(江洲城跡)』は、尚泰久王の五男・尚武が城主となった後は、第一王統が尚泰久王の重臣であった『金丸(尚円王)』らのクーデターによって廃退すると、そのまま廃城となってしまったのだそうですよ。。。
(※参考⇒沖縄の裏探検『江洲(えす)グスク』)

それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『江洲城跡(別称:イーシグシク)

☆場所:〒904ー2243
      沖縄県うるま市宮里

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。