琉球の創世神アマミキヨが第一歩を記したとされる『ヤハラヅカサ』と仮住まいをしたとされる『浜川御嶽』☆|沖縄放浪日記

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2019年1月26日土曜日

琉球の創世神アマミキヨが第一歩を記したとされる『ヤハラヅカサ』と仮住まいをしたとされる『浜川御嶽』☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、久しぶりに史跡のご紹介です(笑)。

前回、南城市知念字久手堅にある『久高島そば家』をご紹介しましたが、そちらで食事を終えた後、まだ少し時間があったんで、帰りがけにどこかの史跡を見学してから帰ろうってことになり、同市玉城百名にある琉球の創世神『アマミキヨ』が沖縄本島に最初に降り立ったとされる場所と、一時的に居を構えた地と伝わる史跡へ行ってみることにしました。
(※参考⇒コトバンク『アマミキヨ』)

当初は、『久高島そば家』のすぐ近くにある世界文化遺産『斎場御嶽』を見に行こうと思ってたんですけど、店舗前から『斎場御嶽』の入口を見てみると、ちょっと混雑してるっぽかったんで、そちらはまた次の機会にしようってことになっちゃったんですよ😅ハハッ。。。

沖縄県南城市玉城百名にある

『浜川御嶽・ヤハラヅカサ・潮花司』

浜川御嶽の写真
琉球の創世神『アマミキヨ』が仮住まいをしたとされる『浜川御嶽』。
こちらは、南城市玉城富里国道331号線の旧道と新道がぶつかる『奥武入口』から国道331号線の新道を同市玉城百名向けに道なりに進み、約2.8㎞ほどの距離にある2つめの信号をUターンするように右折します。

次に、国道から入ってまた道なりに進んでいき、約640mほどの距離左側にある脇道へ左折します。
浜川御嶽の写真
道の突き当りにある『アマミキヨ』が仮住まいをしたとされる『浜川御嶽』がある森。
左折して道なりに進んでいくと、道がY字型に分岐してる地点に差し掛かるんですが、そこを左斜め前へ伸びる道へ進みます。

そこからさらに奥まで進んでいくと、その突き当りに『浜川御嶽』や『ヤハラヅカサ』のあるビーチがあります。
※もう一つ別の道もあるんですが、今回は訪れた道順で説明させて頂いてます。
浜川御嶽・ヤハラヅカサの写真
『浜川御嶽』がある森の手前を右折すると『ヤハラヅカサ』のあるビーチに出ます。
『浜川御嶽』の入口手前右側に、以前は有料駐車場だったと思われる空き地があって、他の来訪者さんたちもそこにクルマを停めていたので、ワタクシ達もそちらにクルマを駐車してから見学へと向かいました。
ヤハラヅカサの写真
『ヤハラヅカサ』があるビーチ。
んで、まずは琉球開闢の神『アマミキヨ』が沖縄本島に最初に降り立ったとされる『ヤハラヅカサ』を見学しようと、ビーチの方へ歩いていきました。

すると、海の方に向かって何やらヨガのような動作をしている人達がたくさんいらっしゃるぢゃあ~りませんかぁ~。
ヤハラヅカサの写真
ビーチ南側。
どうやら『ヤハラヅカサ』に向かって"祈願"のようなことをしているようでしたが、その他にも『ヤハラヅカサ』を見学に来ていた人たちが、『ヤハラヅカサ』の手前まで行って見学したり写真を撮ったりしてたので、ワタクシ達も気にせず『ヤハラヅカサ』の前まで近づいていきました。
ヤハラヅカサの写真
ビーチ北側。
『ヤハラヅカサ』の石碑は、リーフ内に立てられているため、干潮の時しか近づくことは出来ません。

んで、この日はちょうど中潮で、干潮から満潮に向かう"上げ"の時間帯。。。
ヤハラヅカサの写真
海面にひょこっと出てる右側の三角錐状の石碑が『ヤハラヅカサ』の石碑です。
砂浜から『ヤハラヅカサ』の石碑が、辛うじて見ることが出来ました。

また、石碑に刻まれた「ヤハラヅカサ」の文字もちゃんと見えましたよん。
ヤハラヅカサの写真
海の中に立つ『ヤハラヅカサ』の石碑。
満潮になると石碑が完全に海中に入ってしまうため、満潮時には石碑は見ることが出来ないんだそうです。

南城市役所観光商工課の公式HP『らしいね💗南城市』を見てみると、『ヤハラヅカサ』は海の彼方にあるといわれる理想郷「ニライカナイ」から久高島に降り立った琉球の創世神『アマミキヨ』が久高島に降り立ち、続けて沖縄本島に渡った際に最初に足を下ろした場所とされているんだそうです。
(※参考⇒らしいね💗南城市『ヤハラヅカサ』)

また、この石碑は琉球石灰岩で作られているんだそうで、かつては国王や聞得大君(琉球最高神女)が四月の稲穂祭に行幸した場所とも言われているんだそうですよ。
(※参考⇒らしいね💗南城市『神が渡りし海。ヤハラヅカサ』)
浜川御嶽の写真
『ヤハラヅカサ』を背にして『浜川御嶽』がある森を見たところ。
『ヤハラヅカサ』を見学し終えた後、今度は『アマミキヨ』が仮住まいをした地とされる『浜川御嶽』を見学しに向かいました。

『浜川御嶽』へは、先程お話したように道路側から向かうことが出来るんですが、こちらの『ヤハラヅカサ』があるビーチ側からも向かうことが出来ます。
浜川御嶽の写真
森の一画にビーチから『浜川御嶽』へと続く石段があります。
『ヤハラヅカサ』を背にしてビーチ入口の右側の森の奥に『浜川御嶽』へと向かうことの出来る石段があります。
浜川御嶽の写真
『ヤハラヅカサ』のビーチから『浜川御嶽』へと続く石段。手前に小川が流れています。
その石段を上がると、小さな広場に辿り着くんですが、その右奥に石垣に囲われた『浜川御嶽』の祠があります。
浜川御嶽の写真
『浜川御嶽』と『潮花司』のある森に囲われた広場。
『浜川御嶽』を見学しに行く前に、広場に『ヤハラヅカサ』と『浜川御嶽』の説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに・・・

≪ヤハラヅカサ≫
≪琉球開びゃくの神アマミキヨが、ニライカナイから上陸した際の第一歩を印した場所と伝えられます。
ヤハラヅカサの写真
『浜川御嶽』の広場に設置されていた『ヤハラヅカサ』の説明板。
ヤハラヅカサ(碑)は満潮時には水没し、干潮時にはその全体が現れます。浜川御嶽とともに、国王や聞得大君が4月の稲穂祭に参拝したところです。

南城市指定有形民俗文化財。≫・・・とありました。

続けて、今度は『浜川御嶽』の説明板を読んでみると・・・
浜川御嶽の写真
『浜川御嶽』の説明板。
市指定文化財 浜川御嶽(神名:ヤハラヅカサ潮バナツカサの御イベ)
≪昔、アマミキヨ(島始の神)がギライカナイ(海の彼方の理想国)からヤハラヅカサ(前方五〇mの海中にある。ギライカナイへの遥拝所となっている。)に上陸し浜川御嶽にしばらく仮住まいした後、今のミントングスクに、安住の地を開いたという。

この地は霊域として東御廻いの拝所である。
昭和五二年七月二一日指定 南城市教育委員会≫
・・・とありました。
浜川御嶽の写真
浜川御嶽
説明を読み終えてから、さっそく説明板の向かい側にある『浜川御嶽』を見学することに。。。

石垣左側の出入口から入っていくと、右側に古い二基の石柱が立てられており、その向こう側に『浜川御嶽』の三角屋根の祠がありました。
浜川御嶽の写真
「玉城親方盛林」と刻まれた古い石柱(左側の石柱)。
「玉城親方盛林」と刻まれた古い二基の石柱の間を通り抜けて祠の前に進むと、内部には1基の丸い大きな香炉が安置されていました。
浜川御嶽の写真
『浜川御嶽』の祠。
説明板にも書かれていたように、こちらは『ヤハラヅカサ潮バナツカサの御イベ』が祀られているんだそうです。

南城市観光ポータルサイト『らしいね💗南城市』によると、御嶽の名称にもなっている「浜川(ハマガー)」とは、「海のそばの湧き水」のことなんだそうで、『アマミキヨ』はこの水を飲んで疲れを癒したと伝えられているんだそうです。
(※参考⇒らしいね💗南城市『浜川御嶽』)

祠の前にある石垣の一画に樋が設けれており、湧き水はそこから流れ出て石垣沿いをつたって海へと流れ出るんだそうですが、ワタクシ達が訪れた時は、樋から流れ出る水は枯れちゃってましたね。。。
※もしかすると、先程ビーチから『浜川御嶽』前の広場へ上る石段の手前に流れていた小川の水がその清水なのかもしれませんね。。。
浜川御嶽の写真
石垣の一画に設けられていた樋。
また、こちらで仮住まいをしていた『アマミキヨ』と『シネリキヨ』は、後に『ミントングスク』に移り住んだと言われているんだそうですよ。
浜川御嶽の写真
祠に向かって右側にある拝所。小さな古い方形の香炉が3基置かれていました。
『浜川御嶽』の祠を見学した後、その周辺も見てみると、小さな香炉が設けられた拝所が3ヵ所ほどありました。
浜川御嶽の写真
祠の左後方にある拝所。
まず祠に向かって右側には、小さな古い方形の香炉が合計3基置かれており、この一帯自体が拝所となっているようでした。

そして祠の左後方の祭壇っぽく造られた岩場には香炉が1基置かれ、さらにその後方の岩陰には小さな石碑が建てられていました。
浜川御嶽の写真
祠の後方にある拝所。方形の香炉と小さな石碑が1基ずつ設けられていました。
後から気付いたんですが、こちらの拝所の手前左右にも古い二基の灯籠が立てられていたんですが、拝所に向かって左側の灯籠は壊れてしまっており、石柱部分を左後ろの岩に立て掛けてある状態になっていました。
浜川御嶽の写真
祠の出入口の向かい側にある岩の根元に設けられていた拝所。
また、岩陰に立てられていた石碑には文字が刻まれたような跡があったんですが、かなり風化してて判読出来ませんでした(泣)。
浜川御嶽の写真
岩に向かって右側に設けられていた拝所。
ほいで、先程の「玉城親方盛林」と記された二基の石柱を出ると、その向かい側にある岩の根元にも拝所が2ヵ所設けられていました。
浜川御嶽の写真
岩に向かって左側に設けられていた拝所。
こちらの拝所まで見学した後、一度広場に戻り、今度は『浜川御嶽』の広場を挟んで向かい側にある岩場の前へと移動しました。
潮花司の写真
『浜川御嶽』の向かい側にある『潮花司』という拝所がある場所。
岩場は、ガジュマルの木の根が岩を覆いつくすほどに、縦横に伸びていました。

この岩場の上には『潮花司(スーパナツカサ)』という拝所があるんだそうですが、こちらは何やらピリッと張りつめたような空気が漂ってて、岩の上に上るのは、な~んかダメなような気がしたので、今回岩に上るのは遠慮して広場から岩場の上を見るだけにしました。

『潮花司』は、海潮の神霊が祀られているようで、南西の方角(海の方)に向かって拝みを行うんだそうですよ。
(※参考⇒むぎ社『沖縄の聖地 拝所と御願』)
浜川御嶽の写真
『浜川御嶽』・『潮花司』の前から広場北側を見たところ。
・・・と、ここまで見学した後、他に拝所などはないか広場内を歩いて回っていると、広場北側に岩の裂け目があり、その奥にも拝所があるのかと足を踏み入れてみたんですが、その先は崖になっていて、下の方に砂浜が見えるだけでした。
浜川御嶽の写真
広場の北東側にあった岩の裂け目。この先は行き止まりで崖になっていました。
この岩の裂け目まで見学させて頂いた後は、道路側に設けられている『浜川御嶽』の出入口から広場を出て、そのままクルマへと戻りました。
浜川御嶽の写真
道路側に設けられていた『浜川御嶽』の出入口。
そして、クルマに戻ると、予定していた時間をかなり過ぎていたことに気付き、この日はこのまま帰路に就きました。

いかがでしたでしょうか?

今回ご紹介した『浜川御嶽』・『ヤハラヅカサ』・『潮花司』のある場所の近辺には、『アマミキヨ』が創った七御嶽の一つとされる『藪薩御嶽(ヤブサツノウタキ)』や、『浜川御嶽』から『ミントングスク』へ向かう途中に懐妊中であった『アマミキヨ』がお産をした場所とされる『美生之御嶽(みほのうたき)』、琉球の稲作発祥の地と伝えられる聖地『受水走水(ウキンジュハインジュ)』などの史跡が点在しています。

なので、また時間を設けて、それらの史跡も散策しに行ってみたいと思いまーす。

それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『南城市玉城百名に点在する史跡

☆場所:〒901ー0603
      沖縄県南城市玉城百名

☆見 学:無料

☆駐車場:あり

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。

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