富里集落内に点在する世礼井や掟の殿などの史跡☆|沖縄放浪日記

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2018年8月1日水曜日

富里集落内に点在する世礼井や掟の殿などの史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回、南城市玉城富里にある『主留前殿内』を見学した後、今度は富里集落内に点在する史跡を見学しに向かいました。

昨年も、この富里集落内に点在する史跡をご紹介したことがあるんですが、後日、いろいろ調べてみると、その時ご紹介した史跡の他にもいくつかの拝所や井泉などがあることが分かったんですよ。
※過去に富里集落内に点在する史跡をご紹介したブログ記事は、こちらからどうぞ⇒https://oki-night.blogspot.com/2017/09/blog-post_4.html

んで、今回『仲栄真グスク』『主留前殿内』を見学しに訪れた際に、ついでにその見落としていた残りの史跡も見学しよぉ~ってことにしたわけなんです。

沖縄県南城市玉城富里にある

『世礼井や掟の殿などの史跡』

ウザファビラの写真
富里集落の北東に位置する『仲栄真グスク』の城壁の石が使われたといわれる『ウザファビラ』の石畳道。
『主留前殿内』を見学した後、富里集落の『根屋』の前にある小道を通って集落内へと向かいました。

すると、この小道の途中右側の少し低くなった場所に"井泉"がありました。
富里集落 根屋の前の小道の写真
富里集落の『根屋』の前から集落へと伸びる小道。
世礼井(しりーがー)の写真
『根屋』の前の小道沿いにある『世礼井』。
井泉の前に立てられていた標柱によると、こちらは『世礼井(しりーがー)』と称される拝井泉とのことです。
世礼井(しりーがー)の写真
立てられていた『世礼井(しりーがー)』と記された標柱。
富里公民館に設置されている『富里ガイドマップ』によると、こちらの井泉はなぜ『世礼井』と称されているのかというと、富里集落内に住む世礼家の近くにあるので、そう呼ばれているのだそうです。
世礼井(しりーがー)の写真
小道から見た『世礼井』の全景。
また、『世礼井』は、この近くにある『仲栄真井』の水源をたよって掘ったといわれているんだそうで、かつてこちらの湧水は、集落の産井であり、正月の若水汲みなどに利用されていたのだそうです。

小道から水が溜められている貯水槽の前へ下りていくと、その貯水槽の左横に古い石柱が立てられていました。
世礼井(しりーがー)の写真
『世礼井(しりーがー)』の貯水槽。水が溜められてはいましたが、少し濁っていましたね。。。
その石柱には、カー(井泉)の名称などは記されておらず、日付のみが記されており、「大正七年八月」と記されていました。
「大正七年八月」と記された『世礼井』の石柱。
また、貯水槽の右側には綺麗な石垣が造られていたんですが、その一部には方形の大きな穴が設けられていました。
世礼井(しりーがー)の写真
『世礼井』の綺麗な石垣。
この石垣は、2段構造になっているようで、先程の大きな穴の上部側面にも、小さな方形の穴が設けられていましたね。

んで、その小さな方形の穴には香炉のような石が1基置かれており、もしかすると、拝みを行う際は、下と上の2ヵ所を拝むのかもしれませんね。。。
※あくまでワタクシ個人の憶測なので、定かではありませんよwww
世礼井(しりーがー)の写真
集落側から『主留前殿内』側を見たところ。左側に『世礼井』の石垣が見えます。
『世礼井』を見学した後は、小道へ上り、集落内へと向かいました。

南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』に掲載されている富里集落の分布図よると、この近くには『仲栄真井』と称される井泉があるんだとか。。。
富里集落 仲栄真井の写真
『世礼井』から集落に出てきたところにあった大きな岩。
その分布図を頼りに、示されている場所付近へ移動してみると・・・その井泉があると思われる場所には、井泉を示す標柱や案内板などは立てられておらず、さっぱり分からない。。。(泣)

その『仲栄真井』という井泉があると分布図で示されている場所には、標柱や案内板ではなく、大きな岩がそびえ立っており、その根元付近に水たまりがありました。
仲栄真井の写真
岩の根元にあった水たまり。たぶんここの付近が『仲栄真井』と思われます。。。
もしかすると、この水たまりがある場所が『仲栄真井』なんだと思うんですが、なんせ標柱や案内板などはないので、定かではありません。。。

しかし、その水たまりの周辺を見渡してみると、岩の根元に香炉のようなものがあり、線香か何かを焚いたような跡を発見したんですよ。。。
仲栄真井の写真
岩の根元にあった香炉のような石。何かを焚いたような跡がありました。
こちらで"拝み"を行っているような感じがしたので、先程の水たまりがある場所付近が『仲栄真井』なんだと思われます。。。

・・・が、集落の人に伺おうにも、この時辺りには人が全く見当たらず、結局確かめることは出来なかったため、詳細は不明です。。。(泣)
※確かめることが出来なかったので、もし間違っていたら、すいません🙇🙇🙇

この『仲栄真井』(?)まで見学した後は、一旦クルマに戻り、今度は集落の中心へと向かいました。
掟の殿(うっちのとぅん)の写真
『掟の殿(うっちのとぅん)』。
クルマへ戻り、『仲栄真グスク』と『主留前殿内』の間を通る道路から富里集落へ向かおうとすると、その道路沿いに標柱が立てられているのを発見したんですよ。

んで、クルマから降りてその標柱に近寄ってみると、『掟の殿(うっちのとぅん)』と記されていおり、その右後方にはコンクリートブロックでコの字に囲われた1基の香炉が置かれた"拝所"がありました。
掟の殿(うっちのとぅん)の写真
『掟の殿』の拝所。
南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』や富里公民館に設置されている『富里ガイドマップ』などには、この『掟の殿』についての詳細が記されておらず、どのような経緯で"拝み"が行われるのかなど、詳細は不明です。。。

この『掟の殿』を後にし、集落内へ移動します。
佐慶田井の写真
民家の敷地内と思われる場所にあった『佐慶田井』。
『南城市陸上競技場』の駐車場から富里集落へと伸びる道路を進んでいくと、富里公民館や、以前ご紹介した『正泉井』などの前に出ます。

南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』の分布図によると、この近くに『佐慶田井』という井泉があるとのこと。。。

クルマを降りて、その分布図が示す場所の近くに行ってみると・・・民家の敷地奥にそれらしき遺構を発見‼
佐慶田井の写真
道路上から望遠レンズを使用して撮影した『佐慶田井』。
・・・したんですが、この『佐慶田井』と思しき井泉がある場所は、民家の敷地内っぽかったんで、井泉の前には行かずに道路上から望遠レンズで撮影させて頂きました。

南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』の分布図でも、民家と民家の間に印が付けられていたので、こちらがその『佐慶田井』に間違いないかと思われます。
※とは言っても、あくまでワタクシ個人の憶測なので定かではありませんよ。。

この『佐慶田井』を見学した後、クルマに乗り込み、集落北東側の傾斜地へと向かいました。
ウザファビラの写真
富里集落の北東側に位置する『ウザファビラ』の入口。
この傾斜地には、かつて『玉城城』『玉城番所』を結んでいた『ウザファビラ』という歴史の道があるんです。

『ウザファビラ』へは、集落北東の道路から階段が伸びており、そこを上がると、上の方まで石段が伸びています。
ウザファビラの写真
道路から階段を上がってきたところ。ここからしばらく石段が続きます。
この石段が始まるところの左側にもう一本小道があるんですが、この小道は『百十踏揚の墓』『三津葉多武喜の墓』に向かうことができます。
※『百十踏揚の墓』をご紹介した過去のブログ記事はこちらからどうぞ⇒https://oki-night.blogspot.com/2017/09/blog-post_2.html
ウザファビラの写真
『ウザファビラ』から『百十踏揚の墓』・『三津葉多武喜の墓』へ続く小道。
『ウザファビラ』は、現在は富里集落と『なんじー公園(グスクロード公園)』を結ぶ遊歩道となっています。
ウザファビラの写真
石段の途中。定期的に草刈りが行われているようで、思いのほか歩きやすかったですね。
石段を上がっていくと、両側の雑草が刈られており、思っていたよりも綺麗な状態が保たれてて、結構歩きやすかったですね。

んで、この石段を上がっていくと、石段が右へL字にカーブした地点に差し掛かるんですが、そこを通過すると今度は石畳道が現れました。
ウザファビラの写真
石段の先にある石畳道。
この石畳の左側には石垣が道に沿って造られており、こちらもまた石段と同様に綺麗に整備されていましたね。
ウザファビラの写真
石畳道の先にあった階段。
んで、この石畳道をさらに進んでいくと、また階段が現れました。

階段は手前側と奥側に2ヵ所設けられており、その途中の踊り場っぽい場所からは、南城市の海や集落、そして八重瀬町の方まで一望することができ、とても見晴らしが良かったですね。
ウザファビラの眺望の写真
『ウザファビラ』の途中から見た南城市の海。
ウザファビラの眺望の写真
眼下には富里集落が見え、遠くの方には八重瀬町の『八重瀬岳』まで一望出来ました。
そして、ここからさらに上へ上がっていくと、今度は展望台らしき場所に辿り着きました。
ウザファビラの展望台の写真
『ウザファビラ』の先にあった展望台と思われる場所。
この展望台がある場所は、先程の踊り場っぽい場所よりも高い場所にあるんですが、左側の林が邪魔して、海側の景色はあまり見えませんでしたね。。。
ウザファビラの眺望の写真
『ウザファビラ』の展望台から見た景色。先程よりも海側はあまり見えませんでした。。。
ウザファビラの眺望の写真
先程よりも、より一層遠く・広く見えて、とーっても綺麗でしたよん。
そして、この展望台からさらに遊歩道の先へ進んでいくと、シーサーの形をした4本の車止めがありました。
ウザファビラの写真
遊歩道の先にあった車止め。
ウザファビラの写真
反対側から見ると、シーサーの形になってました(笑)。
車止めがこの場所にあるとゆーことは、『なんじー公園(グスクロード公園)』側からこの場所まで車で乗入れすることができるようですね。
ウザファビラの写真
遊歩道の二手に分かれた分岐点。この先は、どちらの遊歩道も『なんじー公園(グスクロード公園)』に出ます。
んで、この場所からさらに遊歩道を進んでいくと、道が二手に分かれている分岐点に差し掛かるんですが、この先はどちらも『なんじー公園(グスクロード公園)』に出ます。

・・・なので、この場所から遊歩道を引き返し、『ウザファビラ』へと戻りました。
ウザファビラの写真
『ウザファビラ』の石段の途中にあった獣道。
実は、『ウザファビラ』の石段を上がっている途中、石段沿い左側に森の中へと続く獣道を見つけてたんですよ。

しかも、この獣道も綺麗に草刈りされて歩きやすくなっていたので、最後にその奥へ行ってみることにしました。
ウザファビラの写真
獣道沿いにあった石垣。
『ウザファビラ』から獣道を入っていくと、すぐに右側に雑草に覆われた石垣が現れました。

石垣は、それほど高く積まれてはなかったので、グスクなどの城壁や家屋の塀って感じではなかったですね。
ウザファビラの写真
獣道の先にあった拝所。
この石垣を後にし、さらに獣道を進んでいくと、道が右へUターンするように曲がっており、そこからは古い石段になっていて、さらにその先に方形の石が積まれた立派な拝所がありました。
ウザファビラの写真
石段の先にあった拝所。中央の窪んだ所に1基の香炉が置かれていました。
その石積みの拝所の前へいくと、一見すると"古墓"にも見えましたが、この石積みのすぐ後ろには木々が生い茂っているし、石積みの隙間から向こう側がチラッと見えたんですが、やはりこの後方には遺構はないように見えたので、"御嶽"か何かの"拝所"と思われます。
※あくまで憶測ですが。。。

さらにこの石積みの左側や左後方には、先程の石垣と似たような石垣があり、屋敷跡のようにも思えましたが、もしかすると、ここは昔の『ウザファビラ』なのかな・・・とも思えました。
ウザファビラの写真
"拝所"の右側。石積みが崩れかかってました。
しかし、こちらもまた富里公民館の『富里ガイドマップ』や南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』には記載がなかったため、残念ながら詳細は不明です。。。

・・・と、ここまで見学した後は、来た道を引き返してクルマへと戻り、今度は富里集落の南西側に位置する當山集落に点在する史跡を見学しに向かいました。

今回はここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。

それでは、この辺で・・・でわでわ☆★☆

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『富里集落内に点在する史跡
☆場所:〒901ー0611
      沖縄県南城市玉城富里

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。