前々回にご紹介した南城市玉城糸数の『根石グスク』を見学した後、この日最後に向かったのは、同じ南城市内にあるグスク跡です。
こちらは、琉球開闢の祖神『アマミキヨ』が造った琉球七御嶽の一つとされるグスクで、古来から現在に至るまで沖縄の聖所を拝巡する『東御廻り(あがりうまーい)』の拝所の1つとして多くの参拝者がいるんだとか。。。
沖縄県南城市玉城玉城にある
『玉城城跡』☆
自然岩をくり抜いて造られた一の郭の虎口。 |
そして約730mほどの距離にある『島尻消防清掃組合消防本部』がある十字路をまた左折し、道なりに約1.3㎞ほど進んでいくと、道路沿い右側にあります。
『なんじー公園(グスクロード公園)』側から見た『玉城城跡』。 |
グスク入口に立つ『玉城城跡』の案内板。 |
クルマを停めた場所のすぐ向かい側に『国指定史跡 玉城城跡』と記された大きな石碑と説明板があったので、まずはその説明を読んでみることに・・・
正面から見た『玉城城跡』の入口。右側の木々の間に石碑と説明板が設置されていました。 |
『玉城城跡』の石碑と説明板。 |
≪玉城城跡≫
≪この城は、別名アマツヅ城とも称され、築城年代や歴代の城主についてはさだかでない。『島尻郡誌』では、「アマミキヨが築いた城であるとの伝説があって、城主はアマミキヨの子孫即ち、天孫子であったと云う」と記述している。
『玉城城跡』の説明板。 |
城壁は一の郭のみよく原型をとどめていて、二の郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材用として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎない。
説明板の平面図によると、この一帯が三の郭になるとのことです。 |
昭和60年3月25日 玉城村教育委員会 沖縄県教育委員会
県指定 史跡 指定年月日 昭和36年6月15日≫
・・・とありました。また、南城市の公式webサイト等によると昭和62年(1987年)には国から史跡に指定されているんだそうで、古くから現在に至るまで沖縄の聖地を巡る『東御廻り(あがりうまーい)』の拝所の1つとなっており、多くの参拝者が訪れているとのことです。
(参考:南城市公式サイト『玉城城跡』のページ、南城市の観光ポータルサイト『らしいね💗南城市』『玉城城跡』のページ)
『二の郭』・『一の郭』へ通ずる獣道。 |
説明板のグスク平面図によると、現在いる場所一帯が『三の郭』になるらしいんですが、その三の郭を南向けに進みます。
すると、その突き当り右側に獣道があるので、そちらへと進みます。
『三の郭』から獣道を入ってきたところ。正面奥の木々が立つ場所が『二の郭』らしいです。 |
二の郭。 |
『一の郭』へと続く階段。この右下に2基の香炉が置かれた石垣があり、"拝所"となっているようでした。 |
『二の郭』にあった石垣の"拝所"。少し見えづらいんですが、2基の四角い香炉が置かれています。 |
んで、『二の郭』から『一の郭』へ向かおうと階段を上がっていくと、その途中左側の藪の中にコンクリートブロックで造られた3基の祠を発見しました。
『一の郭』へ向かう階段の途中左側の藪の中にあった3基の祠。 |
各祠の内部や手前には香炉や霊石などが納められていましたね。
また、この場所から『一の郭』の方を見上げると、崖の頂上に立派な石積みが見えました。
階段の踊り場から見た『一の郭』の城壁。 |
崖の中腹にあった石積みに埋もれていた香炉。 |
しかし、この"香炉"が置かれている場所の周辺には道らしきものは全く見当たりません。。。
"拝所"であれば、一体どうやってあの場所までいくのか凄く不可解でしたね(笑)
んで、さらに階段を上がっていくと、ようやっと『一の郭』へ通ずる虎口の前に辿り着きました。
現在は、『二の郭』から『一の郭』の虎口前まで階段が設置されているんですが、以前はグスクの遺構の石段しかなく、かなり歩きにくかったようです。
※その石段も撮影しようと思ったんですが、雑草が繁茂しててうまく撮影出来ませんでした(泣)
『一の郭』へ通ずる自然岩をくり抜いて造られた虎口。 |
虎口を潜って『一の郭』に入ったところ。真正面の石積みの前に拝所があります。 |
虎口の正面にある"拝所"。 |
沖縄時事出版の『沖縄の聖地 拝所と御願』によると、こちらの"拝所"は、『琉球国由来記』に『雨粒天次』と記されている『天つぎあまつぎの御嶽』で、神名は『アガル御イベ ツレル御イベ』とのことです。
また琉球王国最初の正史『中山世鑑』には『玉城アマツヅ』と記されているのだそうです。
虎口を背にして右側を見たところ。 |
虎口を背にして左側を見たところ。 |
小道を右折したところ。ここから少し入ると、すぐ右側に幅の狭い空間があります。 |
数本の木々が立つ幅の狭い空間。この手前にも"拝所"があります。 |
石垣に立て掛けられていた石碑。 |
そしてこの場所を通過すると、またすぐ右側に"拝所"がありました。
外周(?)沿いにあった"拝所"。 |
こちらを横切りさらに奥へと進みます。
上の"拝所"の前から『一の郭』の西側を見たところ。 |
石畳の小道をさらに進んでいくと、右側の自然岩の根元に小さな石積みの"拝所"らしき場所がありました。
拝所(?) |
こちらを後にし、『一の郭』北側へ進むと一段高くなった基壇があり、その奥に前述した三角屋根の祠があります。
『一の郭』北側の基壇にあった墳墓。 |
基壇を下りて、最後に『一の郭』北側へ行ってみることにしました。
『一の郭』北側の様子。 |
"御墓"前から見た城壁北側の様子。 |
んで、その一画に長方形の石が立てられた、まるで"拝所"のような場所がありました。
北側の一画にあった"拝所"のような場所。 |
また、この場所からさらに奥へと進んでいきましたが、雑草が繁茂しており、どこに"拝所"があるのかなど判別することが出来なかったため、ここから引き返しました。
『天つぎあまつぎの御嶽』の後方にあった小さな石積み。 |
この一画だけ石が積まれており、とても不自然に思えたので、もしかするとこちらも"拝所"となっているのかもしれませんね。。。
・・・と、ここまで見学した後は、『一の郭』を出ました。
『天つぎあまつぎの御嶽』を背にして、虎口を見たところ。 |
この虎口は、遥か遠い東の海の彼方、海の底にあるとされる神界『ニライカナイ』に通じるとされており、夏至の日には太陽光が差し込み『天つぎあまつぎの御嶽』を照らすように計算されて造られています。
(参考:南城市公式webサイト『玉城グスクで夏至の太陽』)
『玉城城跡』は、『東御廻り』の最終地となっており、琉球王国時代には国王もこちらで護国豊穣と王国の安寧を祈願したとのこと。
また、『琉球国由来記』には干ばつの際に国王自らこの地に足を運び、雨乞いの儀式を行なったと記されているんだそうです。
虎口から『一の郭』を出て東北東を見たところ。 |
"神の島"と称される『久高島』。 |
グスク北側の景色。 |
グスク南西側。 |
・・・と、ここまで見学した後はクルマへと戻り、この日はそのまま帰宅致しました。
ご紹介してきたように、『玉城城跡』は『東御廻り』の最終地となっていてとても重要な"拝所"となっており、また、国の"史跡"にも指定されているにもかかわらず、無料で見学することが出来ます。
グスク域内は、隅々まで整備が行き届いていないのがちょっと残念ではありますが、風光明媚な景色や『一の郭』の虎口、城壁の石積みなど一見の価値ありなので、南城市玉城を訪れた際には、ぜひこちらにも足を運んでみて下さいね。
※ちなみに、『一の郭』の虎口は、見る角度によってはハート型に見えるので、カップルが手を繋ぎながら入ると、結ばれると言われているらしいですよwww
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『玉城城跡(玉城グスク)』☆
☆場所:〒901ー1400
沖縄県南城市玉城玉城444
☆問い合わせ:098-946-8990(南城市役所/大里庁舎/文化課)
☆見 学:無料
☆駐車場:あり(城跡出入口付近に駐車可能)
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。