かつて玉城城から移転した番所があった南城市玉城の富里集落内にある公園☆|沖縄放浪日記

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2018年7月20日金曜日

かつて玉城城から移転した番所があった南城市玉城の富里集落内にある公園☆

ハイサぁ~イ⭐

この間まで、八重瀬町の小城・当銘・志多伯の3集落にある史跡や『西部プラザ公園』内にある3つの杜などをご紹介してきましたが、先週から今週にかけて、久しぶりに南城市内にある史跡をいくつか見学してきたので、今度はそれらをご紹介したいと思います。

まず最初にご紹介するのは、南城市玉城富里にある公園なんですが、この場所にはかつての琉球王府の役場である"間切番所"があったんだそうです。。。

沖縄県南城市玉城富里にある

『番所公園

番所公園の写真
『番所公園』内にある『仲村渠樋川』を模して造られた『番所ヌカー』。
こちらは、南城市玉城富里の国道331号線県道48号線がぶつかる交差点から県道48号線に入り、点滅信号が設置されている最初の交差点を右折して富里集落へと入っていきます。
番所公園の写真
県道48号線の旧道(南城市 農業委員会事務局前)の道路と競技場へ向かう道路の角にある『番所公園』。
んで、そのまま道なりに進んでいくと、県道48号線の旧道(南城市 農業委員会事務局前の道路)から『南城市陸上競技場』へと向かう脇道があるんですが、その角にあります。
番所公園の写真
歩道から『番所公園』を見たところ。奥の方に建造物がチラッと見えます。
公園前を走る道路の路肩にクルマをちょこっと停めさせてもらい、さっそく公園内へ見学へと向かいました。

公園の正面入口と思われる場所へ向かうと、表の道からその建造物へと伸びる公園の小道入口には、2頭のシーサー(石獅子)が設けられていました。
番所公園の写真
『番所公園』の入口。
番所公園の写真
小道を入って公園内を見たところ。
その2頭のシーサーの間から公園内へ入っていくと、『番所公園』と記された石碑が建立されており、そこには≪番所とは 現在の役場のことを言う。 尚敬王時代初期に玉城城址二の丸から現在地に移転した。≫・・・とも記されていました。
番所公園の写真
『番所公園』と記された石碑。
ほいで、この石碑の横を通過していくと、目の前に立派な井泉が現れます。
番所ヌカーの写真
石碑の後方にある『番所公園』の井泉。
井泉の正面と思しき場所の前へ進み、改めて水が流れ落ちる井泉を見てみると・・・はて?どこかで見たような・・・

この『番所公園』には、今回初めて訪れたはずなんですが、この井泉の形にスゴーく見覚えがあるんですよ。。。
番所ヌカーの写真
 番所公園内にある『仲村渠樋川』を模して造られた『番所ヌカー』。
んで、後日調べてみると、この井泉は『番所ヌカー』と称されているんだそうで、井泉から流れ出る水は、かつての簡易水道で使用されていた湧水なんだとか。。。
(※参考⇒南城市 資料『第3章 対象施設周辺の状況』)

そして、このどこかで見覚えのある形の井泉は、南城市玉城仲村渠にある『仲村渠樋川』(国指定重要文化財)を模して造ったんだそうです。
どうりで見覚えがあると思ったんですよねぇ~(笑)

井泉の手前側に小さな石板が設置されていたんですが、そこには≪この水は以前簡易水道に使用していた湧水を利用しています≫・・・とだけ記されていました。
番所ヌカーの写真
井泉の前に設置されていた小さな石板。
そして、井泉に向かって左右に貯水槽らしきものがあるんですが、左側の貯水槽に、その後方上部にある樋口から水が勢いよく流れ出ておりました。
番所ヌカーの写真
樋口から貯水槽に勢いよく流れ出る湧水。
番所ヌカーの写真
『番所ヌカー』の右側。草木が生い茂っててこちらにも湧水が溜められているのかは分かりませんでした。
んで、『番所ヌカー』を見学し終え、公園内を一通り見て回ろうとすると、『番所ヌカー』の一番左端にも、かなり劣化した古い石碑を発見。

碑文は、文字が擦れてしまってて判読出来ませんでしたが、石碑の名称だけはなんとか判読できました。
歴史と文化観光の道整備事業碑の写真
『歴史と文化観光の道整備事業』と記された石碑。
そこには『歴史と文化観光の道整備事業』と記されており、その事業が行われた際に、この公園も同時期に整備されたようですね。

そして、先述した『番所公園』と記された石碑の前から公園内に再び目をやると、前の道と平行して流れる公園内の小川の途中に、ポツンと小さな石柱が立てられているのを見つけたので、今度はそちらへ行ってみると・・・
玉城小学校発祥之地碑の写真
公園内を流れる小川沿いにあった『玉城小学校発祥之地碑』
石碑には『玉城小学校発祥之地』と記されていました。
玉城小学校発祥之地碑の写真
正面から見た『玉城小学校発祥之地碑』。
また、≪明治十五年一月 玉城間切下知役所詰所に於て開校 百周年記念に建立 昭和五十七年一月十七日≫とも記されていました。

どうやら玉城間切番所内で玉城小学校が開校されたようですね。

この『玉城小学校発祥之地碑』を見た後、再度、公園内を散策しましたが、石碑や拝所などの史跡は見当たらなかったので、2頭のシーサーがある出入口から公園を出ました。
玉城村道路元標の写真
植木の根元に置かれていた『玉城村道路元標』。
『番所公園』を出ると、今度はお隣の『南城市 農業委員会事務局』の前へ移動。

こちらの前の歩道には、かつて道に設置されていた『玉城村道路元標』があるとのこと。。。

しかし、事務局前の歩道に着いても、それらしきものがない‼‼

事務局と『番所公園』の間に設けられている休憩所っぽい場所をくまなく探してもない‼‼

再び歩道に戻ると、元標が立てられていたであろう台座らしきものを発見‼‼
玉城村道路元標の写真
台座から折れてしまい、木の根元にそのまま放置されていた『玉城村道路元標』。。。
ほいで、その台座らしきものと植木の根元の間をよぉ~く見てみると、元標らしき方形の石が寝そべっているぢゃないですかぁ~(泣)
そりゃ~分かんないよぉ~(泣)

たぶん、この方形の石が『玉城村道路元標』だと思われます。。。

せっかく残された史跡なのに、壊れた状態での放置はちょっと残念でしたね。。。(泣)

スゴーく残念な気持ちになり、元標を起こしてあげたかったんですが、なんせ"史跡"なので、個人的に触るわけにもいかず、そのまま元標を後にしました。。。(泣)
番所公園の写真
『南城市陸上競技場』へ続く道路側から見た『番所公園』。
んで、最後に『番所公園』の東側を通る『南城市陸上競技場』に続く道路へと移動。

南城市の資料『第五章 歴史文化保存活用区域の方向性』にある拝所や井泉などの分布図によると、この道沿いに『門井』という井泉があると記されていたんですよ。
番所公園の写真
『番所公園』から陸上競技場向けに『門井』があるとされる場所を見たところ。
ほいで、その資料に記された場所付近をちょこっと散策したんですけど、それらしき遺構が全然見当たらず、結局発見出来ませんでした。。。(泣)

・・・と、ここまで『番所公園』や『玉城村道路元標』などを見学し終えた後は、そのままクルマへと乗り込み、次の目的地へと向かいました。

区切りが良いので、今回はここまでにして、この続きは、また別の回にご紹介したいと思いまーす。

それでは、この辺で・・・でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『番所公園

☆場所:〒901ー1400
      沖縄県南城市玉城富里

☆見 学:無料

☆駐車場:なし

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。