津堅島の石工により琉球石灰岩で改築された仲村渠集落の共同用水施設☆|沖縄放浪日記

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2018年2月23日金曜日

津堅島の石工により琉球石灰岩で改築された仲村渠集落の共同用水施設☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(2月)の13日も、午後から南城市の史跡を見学しに行ってきました。

まず最初に向かったのは、南城市玉城仲村渠にあるかつての集落の共同用水施設です。

沖縄県南城市玉城仲村渠にある

『仲村渠樋川』

仲村渠樋川の写真
平成7年6月27日に国の重要文化財に指定された仲村渠集落の共同水施設『仲村渠樋川』。
こちらは、まず南城市の県道137号線86号線がぶつかる『垣花』の交差点から県道137号線を同市玉城百名向けに進み、約1㎞ほどの距離にある『仲村渠』のバス停を通過して左側にある最初の脇道へUターンするように左折します。

そして、約30mほど進んだところにある小さな十字路を右折し、そこから約60mほど進むと右後方に伸びる脇道があるのでそちらへ右折すると、すぐ右側にあります。
仲村渠樋川の写真
『仲村渠樋川』と『仲村渠農村公園』の間を通る小道。奥に見える木々の下に樋川があります。
仲村渠農村公園の写真
『仲村渠樋川』の道向かいには『仲村渠農村公園』がありました。
『仲村渠樋川』がある敷地の片隅にクルマを停め、まずは設置されていた説明を読んでみることに・・・

≪仲村渠樋川(国指定重要文化財)
≪仲村渠樋川は、仲村渠集落の共同用水施設で、沖縄の伝統的な石造井泉を代表するものである。

古くはうふがーと呼ばれ、水場に木製の樋をすえた程度の施設だったようだが、大正元年(1912)から翌年にかけて、津堅島の石工により琉球石灰岩などを用いて造り替えられた。
仲村渠樋川の写真
『仲村渠樋川』の説明板。
その施設はいきががー(男性用水場)、いなぐがー(女性用水場)、広場、拝所、共同風呂、かーびら(石畳)によって構成され、敷地北側からの湧水を貯水槽に貯え、水場へ流して使用されていた。

昭和30年代に簡易水道が敷設されるまでは、飲用、洗濯、野菜洗い、水浴びなどの生活用水として利用されていたが、最近は主に農業用水に利用されている。
仲村渠樋川の写真
説明板に掲示されていた昭和27年に撮影されたいきががーと広場北側の写真。
しかし、先の沖縄戦で共同風呂周辺は破壊され、土で埋められたため、昭和39年に広場にはモルタルが塗られ仮の改修がなされた。

更に、平成16年に実施された復元工事により、大正2年(1913)当時の樋川の状態に復元され敷地全体の景観が整えられた。

同時に、いきががーの芋洗い場や広場の石敷き、共同風呂も復旧整備がなされた。
仲村渠樋川の写真
説明板に掲示されていた『仲村渠樋川』の見取り図。
共同風呂については、主に発掘調査により発見された出土品(北側の石柱二本・石壁の一部、水槽、洗い場床、五右衛門風呂の一部)や近辺の類例などをもとに復元がなされた。

また法面保護のため、共同風呂北側及び広場東側に擁壁工事が施され整備された。
玉城村教育委員会 平成17年3月31日設置≫
・・・とありました。

説明文の最下部に"玉城村教育委員会"と記載されているので、この説明板が設置されたのは、まだ"南城市"になっていなかった頃のようですね。
仲村渠樋川の写真
道路上から見た『仲村渠樋川』全景。
説明を読み終え、さっそく見学を開始。

『仲村渠樋川』に向かって左側にある『かーびら(石畳)』から。
仲村渠樋川のかーびら(石畳)の写真
かーびら(石畳)。
『かーびら(石畳)』は、"樋川"の前の広場から斜面の上まで伸びており、その突き当りには石垣があって行き止まりになっていました。

また、手前から頂部まで石を滑らかに敷き詰めているのではなく、何か所か区分けされて階段状になっていました。
仲村渠樋川の広場の写真
『仲村渠樋川』前の広場。
そして『仲村渠樋川』の前にある"広場"も、『かーびら(石畳)』同様に綺麗に石が敷かれていました。

"広場"から『仲村渠樋川』に向かって左側の一段高くなった場所にはコンクリート造りの拝所が設けられていました。
仲村渠樋川の拝所の写真
『仲村渠樋川』の拝所。
『むぎ社』出版の『沖縄の聖地 拝所と御願』によると、地元では正月の初ウビ―(元は旧暦の正月2日、現在では新暦の元旦)と旧暦の6月25日のアミシヌウガンの行事で、参拝されているんだそうですよ。

また、同じ仲村渠集落内にある『ミントングスク』を参拝に訪れる人々が、こちらも併せて拝みに訪れるとのことです。
仲村渠樋川の写真
『がーびら(石畳)』から見た『仲村渠樋川』全景。
そして『仲村渠樋川』の中央の3つの樋口が設けられた場所が『いきががー』と称されるところで、"広場"よりも一段低くなった場所に設けられている桶状になった場所が『芋洗い場』となっています。
仲村渠樋川のいきががーの写真
いきががー。
仲村渠樋川のいきががーの写真
横から見た『いきががー』。勢いは弱めですが、今でも水を湛え続けています。
仲村渠樋川の芋洗い場の写真
芋洗い場。
先述した『沖縄の聖地 拝所と御願』によると、戦後の一時期までは水量が豊富で、下流一帯には苗代や水芋田が広がり、田畑を潤していたんだそうです。

現在は、その頃と比べて水量がたいぶ激減したそうなんですが、僅かながらも水を湛え続けていました。
仲村渠樋川のいなぐがーと共同風呂の写真
『いきががー』の右隣にある『いなぐがー』と『共同風呂』。
そして、『いきががー』の右隣には『いなぐがー』と赤瓦屋根の『共同風呂』があります。
仲村渠樋川のいなぐがーの写真
『いなぐがー』の入口。
仲村渠樋川のいなぐがーの写真
『いなぐがー』の内部。こちらには樋口が1つだけですが、上部の1ヵ所からも水が溢れ出ていました。
ご覧の通り、『いなぐがー』は高い石垣で囲われており、外から内部が見えにくくなっていました。

また、貯水槽から出る樋口は1つのみとなっていたんですが、水槽上部の四角い穴に溝が1ヵ所設けられ、そこから水が溢れ出ていました。
仲村渠樋川の共同風呂の写真
共同風呂。
『いなぐがー』の右隣り後方には、赤瓦屋根の『共同風呂』があります。

『共同風呂』内部には、"五右衛門風呂"が中央に設けられており、その近くに『いなぐがー』と直通の出入口がありました。
仲村渠樋川の共同風呂の写真
『いなぐがー』出入口の横の『共同風呂』出入口から見た内部。
仲村渠樋川の共同風呂の写真
『共同風呂』の真横にあった出入口から見た"五右衛門風呂"。左奥に『いなぐがー』内部が見えます。
平成16年に復元された後も、定期的に清掃・整備が行われているらしく、『共同風呂』内部もとても綺麗な状態が保たれていましたね。
仲村渠樋川の写真
道路側から見た『仲村渠樋川』の全景。
貯水槽から流れ出た水は"広場"の下に設けられた排水溝を通り抜け、道路の反対側にある下流域へと流れ出ていました。
仲村渠樋川の写真
道路を挟んで反対側にある下流域。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、クルマに乗り込んで次の目的地へと向かいました。

南城市役所の公式HP内にある『仲村渠樋川』のページによると、『五右衛門風呂』付きの"樋川"は、沖縄県内でもここだけとのことで、とても貴重なんだそうです。
(※参考:南城市公式HP内『仲村渠樋川』・南城市観光ポータルサイト らしいね💗南城市『仲村渠樋川』)

南城市玉城を訪れた際には、ぜひこちらにも立ち寄って国の重要文化財にも指定されている貴重な"樋川"を見学されてみてはいかがでしょうか?

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『仲村渠樋川(国指定重要文化財)』☆

☆場所:〒901ー1400
    沖縄県南城市玉城仲村渠

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

☆問い合わせ:南城市役所観光商工課098-946-8817

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。