今回は、前々回の続きです。
前々回にご紹介した『安次富グスク』・『大川グスク』を見学した後、今度は當山集落内に点在する史跡を見学しに向かいました。
今回も少し長くなってしまいますが、ご了承下さいませ。。。
沖縄県南城市玉城當山に点在する
『赤嶺之殿をはじめとする拝所群と4つの石獅子』☆
『上江洲神屋』の西方にあったノロ殿内から香炉を移動したと云われる『伊森之殿』。 |
集落内には4つの石獅子の石獅子が配置されているんですが、その道の入口に、その4つの石獅子の内の1つが設置されています。
當山集落へと伸びる道の入口(左側)。石壁の上に『安次富グスク』の方に向けて石獅子が設置されています。 |
集落の入口に設置されている石獅子(1体め)。 |
この石獅子の横から集落内へ入っていくと、すぐ右側に丘陵上へと続く小道があります。
石獅子横の道路から丘陵上へと続く小道。 |
『上江洲之殿』の入口。 |
その説明を読んでみると・・・
説明が記された『上江洲之殿』の案内板。 |
≪上江洲之殿≫
≪上江洲之殿は、志魯・布里の乱(1453年)の後に當山に移住した尚布里を祖先として祀る拝所と考えられています。赤嶺之殿とともに字の重要な拝所の一つであり、主な祭祀には、正月の初御願、5月15日のウマチー、6月25日のアミシの御願、12月24日のニンシーの御願・トドミの御願があります(いずれも旧暦)。
『上江洲之殿(いーしのとぅん)』の祠。 |
南城市教育委員会≫
・・・とありました。説明を読み終え、クルッと右に振り向くと、真新しい祠が設けられており、その中に『上江洲之殿』の拝所が納められていました。
祠の内部。右側に『上江洲之殿』、左側に『火神』が祀られていました。 |
この『上江洲之殿』の祠がある場所は、ちょっとした広場になっており、祠の前から広場北側へ少し移動すると、広場の隅っこに拝井泉が設けられていました。
『上江洲之殿』の祠がある広場。 |
広場の北側に設けられていた拝井泉。 |
この獣道は、先程の小道の先にある『上江洲神屋』に続いているものと思われます。
拝井泉の向かい側にある獣道。 |
『上江洲神屋』へと続く石畳道。 |
集落内に設置されていた『第一尚氏ゆかりの文化財群』という説明板の分布図によると、この石畳道の突き当りに『上江洲之殿(いーしかみや)』があるとのことです。
石畳道の先にあった『上江洲神屋(いーしかみや)』。 |
上江洲神屋。 |
また、集落の祭祀の際には必ずこちらで拝みを行うんだそうですよ。
左の道へ進むと當山公民館。右の小道へ入ると石畳道と『仲西井』に辿り着きます。 |
十字路の角に設置されていた案内板。 |
『上江洲之殿』・『上江洲神屋』の小道入口前から南向けに進むと、前々回の記事『安次富グスク・大川グスク』をご紹介した際にお話した十字路に差し掛かります。
その十字路をそのまま直進していくと、左側に案内板が立てられている十字路に差し掛かります。
十字路から小道を入ってきたところ。左側の塀に『仲西井』と記された案内板がありました。 |
まずは右折して『石畳』と『仲西井』から見学することに。。。
十字路からしばらく歩いていくと、左側の塀に『仲西井(なかんしがー)』と記された案内板がありました。
直進すると『石畳』、左斜め前に進むと『仲西井』です。 |
仲西井(なかんしがー)。 |
現在も水が湧いてるようで、"カー"の左手前には水道管が設けられていました。
『仲西井』の上部。古い石積みがありました。 |
『石畳』は、『仲西井』の案内板からすぐのところにあったんですが、雑草が繁茂しており、長い間草刈り・清掃が行われていないように見受けられましたね。。。
『仲西井』の後方にある石畳道。 |
この石畳道を進んでいくと、集落内の道に出るんですが、そこを右折してちょこっと進むと、右側の木の根元に小さな祠が設けられていました。
道路沿いの木の根元にある『赤嶺之殿』。 |
≪赤嶺之殿≫
≪赤嶺之殿は『琉球国由来記』にもその名が見えます。赤嶺とつく拝所はこのほか産井(うぶがー)の赤嶺井があり、字、門中、個人に拝まれています。
説明が記された『赤嶺之殿(あかんみぬとぅん)』。 |
尚布里の移り住む前に赤嶺という有力者が村を支配し、その名が付けられたと推測されますが、その時代はいつかはわかっていません。
南城市教育委員会≫
・・・とありました。赤嶺之殿(あかんみぬとぅん)。 |
訪れた時、祠の上でネコさんがお昼寝してました(笑) |
十字路から東向けの小道に入ってきたところ。 |
當山の石獅子(2体め)。 |
こちらの石獅子の顔も、冒頭でご紹介した石獅子と同じ顔になっていましたね。
こちらの石獅子は、奥武島の方に向けて設置されていました。 |
こちらの石獅子を見学した後、また先程の十字路に戻り、今度は『當山公民館』に向かって進んでいきました。
『當山公民館』に向かう途中の道路沿いにあった『伊森之殿』。 |
この祠の前には、説明が記された案内板が設置されていたので、そちらを読んでみると、こちらは『伊森之殿(いーむいぬとぅん)』と呼ばれる拝所なんだそうです。
≪伊森之殿≫
≪かつては上江洲の神屋の西方にあったノロ殿内から、香炉を移動したといわれています。ノロがキリスト教に改宗したための移動とも伝わります。
案内板に記されていた説明。 |
南城市教育委員会≫
・・・とありました。伊森之殿(伊森祝女殿内)。 |
たぶん、左側の香炉と霊石は"火之神"が祀られているものと思われます。
また、祠の右側の間口には『伊森祝女殿内』と記されており、左側には『平成五年十月三日 竣工』と記されていました。
當山公民館。 |
公民館の敷地内には、『當山ガイドマップ』と3体めの石獅子が設置されています。
公民館の敷地内。『當山ガイドマップ』が設置されていました。 |
≪當山の歴史と文化≫
≪當山に最初に住んだ人々は赤嶺の一族だといわれています。その後、三山を統一した尚巴志の子どもである尚布里が移り住みました。尚布里は正史である「中山世譜」等では王位をめぐって甥の尚志魯(しょうしろ)と争い、首里城が炎上するほどの激しい内乱の中でともに亡くなったと記されています(志魯・布里の乱)。
公民館の敷地内に設置されていた『當山ガイドマップ』。 |
志魯・布里の乱(1453年)の後、王位についたのは布里の弟の尚泰久でした。
尚泰久の三男尚徳が王位についたため、異母兄弟である長男の安次富加那巴志、次男三津葉多武喜、四男八幡加那志は、叔父の布里を頼り當山に移り住んだと伝えられています。
このように當山は、第一尚氏と関係が深い地域です。≫
・・・とありました。
『當山公民館』の敷地内に設置されていた3体めの石獅子。 |
≪當山のみどころ≫
≪當山には、尚布里をはじめとする歴史の登場人物にかかわる史跡が多くあり、字の重要な拝所にもなっています。第二尚氏による正史の影に隠された歴史が垣間見えるかもしれません。また、石灰岩台地に立地する當山には豊富な湧水があるのも特徴で、字の人々の生活を支えてきました。今も多くの井泉が残っています。
當山の石獅子(3体め)。 |
・・・とありました。
「當山の歴史と文化」・「當山のみどころ」を読み終え、3体めの石獅子を見学。
こちらの石獅子も、先の2体と同じ顔になっており、南西の方角に向けて設置されていました。
集落西側の高台にある石灰岩上に4体めの石獅子が設置されていました。 |
公民館前から北西に向けて伸びる道路を道なりに約180mほど進んでいくと、少し複雑になった小さな交差点に差し掛かります。
その交差点の右側に、Uターンするような形で高台に上がる道に進むと、正面に小さな公園があるんですが、その手前左側にある石灰岩の上に4体めの石獅子がありました。
當山の石獅子(4体め)。 |
横から見た『當山の石獅子』(4体め)。 |
この石獅子を見学した後、今度は道向かいにある丘陵下へと伸びる道へ進みました。
丘陵中腹にある『知眞樋井(ちまひざがー)』。 |
『知眞樋井』と記された標柱。 |
標柱の横から井泉のある敷地内に入っていくと・・・
知眞樋井(ちまひざがー)。 |
こちらの井泉も、水量は少なめながらも、まだ水が湧いているようで、側溝を通ってチョロチョロと流れ出ていました。
また、表の道から井泉までは石畳になっていました。
閑静な集落内の一画にある『加良増井(からましがー)』。 |
交差点から約90mほどの距離右側にある2つめの脇道に入り、道なりに進んでいくと、道から少し低くなった場所にも井泉がありました。
加良増井(からましがー)。 |
井泉には転落防止の金網が設置されていました。 |
んで、『加良増井』を見学し終えてクルマに戻ろうとすると、この近くの道端に小さな祠を発見しました。
『加良増井』の近くにあった拝所。 |
しかし、こちらの"拝所"は、先程のガイドマップや南城市の資料にも掲載されていなかったため、名称や何を祀ってあるのかなど、詳細は不明です。。。
この小さな"拝所"を見学した後は、クルマに乗り込んで『南城市 農業委員会事務局』前に向かいました。
『南城市 農業委員会事務局』の道向かいにある小道の先にあった『番所の井(ばんじゅぬかー)』。 |
この元・駐車場だった広場の一画にも、井泉がありました。
道路と岩壁の間にある『番所の井』。 |
以前ご紹介した南城市玉城富里の『番所公園』内にある『番所ヌカー』とは別の井泉で、こちらは古くから利用されていた井泉です。
番所の井(ばんじゅぬかー)。 |
現在も水が湧き出ているようで、井泉や側溝には水が流れ出ていました。
現在も水が湧き出ていました。 |
県道48号線(富里集落側)から『安次富グスク・大川グスク』の間(當山集落側)を通って国道331号線に抜ける道路の入口の交差点(点滅信号が設置されている交差点)のすぐ近くに『赤嶺井(あかんみがー)』と称される井泉があります。
県道48号線から『赤嶺井』に向かう小道の入口。 |
『赤嶺井』の入口に立てられていた標柱。 |
また、産井(うぶがー)として拝所にもなっているんだそうですよ。
『赤嶺井』全景。 |
赤嶺井。 |
また、井泉の手前左側には1基の香炉が置かれていました。
・・・と、この『赤嶺井』まで見学した後はクルマへと戻り、當山集落を後に致しました。
前々回、今回と當山集落内に点在するグスク跡や拝所、石獅子等をご紹介してきましたが、富里集落と同様に當山集落も、第一尚氏の歴史を身近に感じることのできる地域となっていました。
興味がある方は、実際に足を運んで、歴史に登場する人物にかかわる史跡を見学されてみてはいかがでしょうか?
今回は少し長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『南城市玉城當山の史跡』☆
☆場所:〒901ー0612
沖縄県南城市玉城當山
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
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