沖縄放浪日記: 史跡・遺跡・文化財

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2016年12月3日土曜日

豊見城市保栄茂にある南山の出城的な役割を担った城砦と推測される城跡☆

ハイサぁ~イ✋😃

この前、那覇市首里石嶺町の『そば かねもり家 石嶺』さんで腹ごしらえした後、豊見城市にあるグスク跡を見学しに向かいました。

こちらのグスクは、かの三山時代、中山に対峙するための第一線の拠点『瀬長』・『豊見城』・『長嶺』の各グスクに対し、南山グスクからの中継地としての役割を担う出城だったのでは・・・と考えられているんだそうで、沖縄の伝統的な歌舞劇『組踊』の『未生の縁』の舞台にもなっているんだそうです。


沖縄県豊見城市保栄茂にある

『保栄茂(びん)グスク』

組踊・未生の縁ゆかりの地碑の写真
グスクの頂上入口向かいには、組踊『未生の縁』ゆかりの地碑が立てられてました。

2016年11月28日月曜日

築城中に破壊を命じられたという伝承が残る八重瀬町新城のグスク跡☆

ハイサぁ~イ✨

一昨日(26日)、南城市玉城船越の『沖縄そば 金太郎』さんで食事を終えた後、まだ少し時間に余裕があったので、帰りがけにお隣の八重瀬町にあるグスク跡を見学しに向かいました。

ネットでちょこっと調べてみると、そのグスクは、築城してる途中に、首里王府から破壊するよう命じられたとの伝承が残されているんだとか。。。

沖縄県島尻郡八重瀬町新城にある

『新城(あらぐすく)グスク』

現在は、『新城神社』となっており、敷地には鳥居とお宮が建立されています。

2016年11月18日金曜日

北中城村仲順の舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓のある御嶽☆

ハイサぁ~イ☆

今月16日(水曜日)、前回ご紹介した沖縄市泡瀬にある『めん処 幸』さんで食事を終えた後、まだ少し時間があったので、帰りがけに北中城村仲順にある御嶽を見学しに立ち寄りました。

こちらは、御嶽内に大きな琉球石灰岩があり、その上部に、舜天王統の開祖とされる琉球国王や、その2代目の王、そして舜天王統最後の王の三王が葬られたとされる御墓があるんだそうです。

沖縄県中頭郡北中城村仲順にある

『ナスの御嶽』

ナスの御嶽の写真
舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓がある『ナスの御嶽』
こちらは、まず北中城村の国道330号線県道81号線がぶつかる『石平』の交差点から、県道81号線を同村渡口向けに進み、約1.9㎞ほど進んだ所にある『琉球銀行北中城支店』のある交差点を左折します。

そして、そこから道なりに約540mほど進んで行くと、道沿い右側にあります。
ナスの御嶽の写真
道路上から見た『ナスの御嶽』
こちらには、駐車場が無いので、近くの路肩に少しばかり路駐させてもらってから見学開始。

御嶽内に、説明が記載されていたであろう石板が無くなっていたので、後日、北中城村の公式HPにて、その由来などを閲覧させて頂くと・・・

≪仲順の集落のはずれから屋宜原へ向かう道路沿い、水道タンクの南側の杜がナスの御嶽である。

『琉球国由来記』(1713年編集)によるとここに祀られている神は「ナスツカサ御イベ」で、安谷屋ノロが祭祀を掌っていた。

御嶽の中にある琉球石灰岩の大岩が御嶽の本体(イベ)だと考えられる。

この岩の上には、舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓がある。

仲順の集落はかつてこの御嶽一帯にあり、御嶽を「腰当て」として南側に発展していったといわれる。

平成7年6月16日に村の史跡に指定された。
(北中城村公式HP「平和で活力ある田園文化村」のページより引用)≫
・・・と記されていました。
ナスの御嶽の写真
入口を入って正面から見た『ナスの御嶽』
道路から階段を上がり、立派な門の前まで行くと、門の前に立派な香炉が置かれており、門の両サイドには灯籠がありました。

そして、門の後方には、説明にもあった大きな琉球石灰岩があり、岩の根元に石が積まれ、そのすぐ横に石板が置かれていました。
ナスの御嶽の香炉の写真
門の前に設置されていた立派な香炉
まず、説明の中に出てきた『舜天』という人物なんですが、琉球二番目の『舜天王統』の開祖とされている琉球国王です。

在位は1187年~1237年で、元々は浦添按司だったようです。

この『舜天王統』は、実在していたことを証明する史料などは存在しないんだそうですが、『中山世鑑』や『中山世譜』などの正史では、『初代琉球国王』と位置づけられているんだそうですよ。

※『中山世鑑』とは薩摩支配下において書かれた琉球王国の初めての正史です。また、『中山世譜』とは琉球王国の代表的な歴史書の一つで、漢文で書かれた歴代国王の電気を中心とし、中国との関係を中心にまとめられた部分(正巻)と、薩摩藩など日本との関係を中心にまとめた部分(附巻)とに分かれている書物です。
(Wikipedia『中山世鑑』と『中山俯瞰』のページより引用)
ナスの御嶽後方にある琉球石灰岩の写真
門の後方にあった琉球石灰岩の大岩。根元に石が積まれており、その横に石板が置かれてました。
舜天王・舜馬順熈之墓の写真
舜天王・舜馬順熈王之墓(?)と刻まれた墓碑
そして、お次は『舜馬順熈(しゅんばじゅんき)』という人物なんですが、『舜天』の長男で、『舜天王統』の2代目の王です。

在位は、1238年~1248年となっているんだそうです。
舜天・舜馬順熈・義本の三王の墓の写真
木々に覆われて見えにくくなっていますが、大岩の頂上部に石柱の先っぽが見えました。
んで、最後の『義本』という人物ですが、2代目国王である『舜馬順熈』の子と伝えられており、『舜天王統』最後の国王です。

在位は、1249年~1259年となっているんですが、在位中に天災や疫病が沖縄本島各地で発生してしまい、責任は自身にあるとし、その責任を取って退位して、『英祖』に王統を譲位したんだそうです。

また、譲位した後の義本の消息は不明となっているみたいですね。(Wikipedia『義本』のページより引用)
ナスの御嶽の標柱の写真
新しく設置された『ナスの御嶽』の標柱
標柱の横に立て掛けられていた石板の写真
新しく設置された標柱の横に立て掛けられていた石板。
・・・と、ちょっとここで、一つ疑問が出てきたんですが、沖縄本島北部の国頭村辺戸にも、『義本王の墓』があるんですよ。

しかも、2013年2月20日に国頭村教育委員会が、国頭村反吐にある『義本王が葬られたと伝わる墓の室内から甕に入った人骨5~6柱と装飾品などが発見されたと同年同月の21日のローカル新聞にて発表されています。

同新聞の記事によると、県内複数ヵ所に『義本王』が葬られれているとされる墓があるらしいんですが、この国頭村辺戸の御墓の発掘品の分析が進めば、辺戸に葬られたことが裏付けられる可能性が高まるとのことです。

もし、この記事の分析が進み、『義本王』が葬られた御墓が、国頭村辺戸の御墓であることが立証されれば、こちらの御墓に葬られている王は、『舜天』と『舜馬順熈』の二人ってことになりそうですね。。。
※ワタクシも、国頭村辺戸にある『義本王の墓』には、まだ行ったことがないので、今度、本島北部へ行った時に、立ち寄ってみたいと思います。
ナスの御嶽の写真
標柱側から見た『ナスの御嶽』
・・・と、ついつい三人の王様の話に逸れてしまいましたが、現在は、『ナスの御嶽』の後方にある大岩には立ち入ることができませんが、以前は、門から岩の上部まで石段があったようです。

・・・が、画像を見る限り、階段がかなり劣化していたようで、どうやら取り壊して撤去したみたいです。

・・・とゆーわけで、『ナスの御嶽』を見学できるのは、この門の前にある前庭部分しかないので、この日は、ここまでにして御嶽を後にしました。

後日、この『ナスの御嶽』を調べていくと、御嶽のある北中城村仲順や隣接する同村喜舎場には、拝所やカー、御嶽などが多く点在していることがわかったんですよ。

なので、また機会を設けて、この仲順・喜舎場を散策してきたいと思っております。

それでは、今回はちょっと短めですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『ナスの御嶽』☆


☆場所:〒901-2303
      沖縄県中頭郡北中城村仲順

☆見 学:無料

☆駐車場:ナシ

2016年11月13日日曜日

那覇市・末吉公園の森に点在する拝所とホタル鑑賞が楽しめる橋☆

ハイサぁ~イ☆

以前、那覇市首里末吉町の末吉公園内に点在する拝所や史跡『末吉宮』、そしてその後方にある聖域『子ぬ方』などを3回に分けてご紹介してきましたが、今回も、その続きです(笑)

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園にある

点在する拝所と『滝見橋』

滝見橋
末吉公園の東側に位置する『滝見橋』

2016年10月30日日曜日

琉球八社の一つ『末吉宮』を囲むようにして形成される一大聖地☆

ハイサぁ~イ☆

今回は、以前ご紹介した『末吉宮』の記事の続きです。

『末吉宮』の下にあるトンネルを抜け、左奥の方へ向かうと、岩壁の上へと続く階段があったので、そちらへ行ってみることにしました。

沖縄県那覇市首里末吉町の『末吉宮』の奥にある

『子ぬ方(にぬふぁ)

那覇市首里大名町側にある『子ぬ方』の入口。

2016年10月22日土曜日

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある琉球八社の一社☆

ハイサぁ~イ☆

以前、那覇市首里末吉町の末吉公園内にある『宜野湾御殿の墓』『玉城朝薫生誕三百年記念碑』などを見学して回った後、今度は同じ公園内にある琉球八社のひとつである神社とその周辺にある拝所などを見学しに向かいました。

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある

『末吉宮』

末吉公園の森の中に佇む『末吉宮』

2016年10月14日金曜日

那覇市の末吉公園内にある王子家の墓とその周辺にある拝所☆

ハイサぁ~イ☆

先週木曜日(6日)、ヨメさんに送迎を頼まれ、南風原町方面へ出かけた際、ヨメさんの用事が終わるまで、ちょこっと史跡などを散策しようと思い、那覇市首里末吉町にある公園へ行ってみることにしました。

こちらは、広大な敷地内に広場や遊具が設置されている遊び場などの他に、神社や拝所、石碑などの史跡も点在しているんですよ。

ただ、広い範囲に多くの史跡が点在しているので、限られた時間内で、どれくらい回ることが出来るのか分かりませんでしたが、回れるだけ回ってみようと思い、今回、とりあえず訪れてみたとゆーわけなんです(笑)

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある
『宜野湾御殿の墓とその周辺にある拝所』
末吉公園の森の中にひっそりと佇む『宜野湾御殿の墓』。

2016年9月25日日曜日

1597年に尚寧王の命によって造られた浦添市安波茶にある石造のアーチ橋と石畳道☆

ハイサぁ~イ☆

この前、浦添市沢岻に点在する史跡を見学した後、帰る途中に同市安波茶にある史跡に立ち寄りました。

こちらは、かつては首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道(幹線道路)として多くの人が往来し、また、国王もこの道を通って現・宜野湾市普天間にある『普天間宮』に参詣したんだとか。。。

沖縄県浦添市安波茶にある
『安波茶橋と石畳道』
かつてこの道は首里城と中頭・国頭方面を結ぶ幹線道路として人々の往来で賑わっていたんだそうです。

2016年9月22日木曜日

18世紀頃に造営されたとされる第二尚氏14代国王・尚穆の第二子・尚図を祖とする浦添市内最大級の浦添家の亀甲墓☆

ハイサぁ~イ☆

今回も、浦添市沢岻に点在する史跡をご紹介させて頂きます。

前々回、『沢岻樋川』と『今帰仁代・安謝墓』を見学した後、最後に向かったのは浦添市内最大級と推定される第二尚氏14代国王『尚穆(しょうぼく)』の第二子『尚図(しょうと)』又の名を『浦添朝央(うらそえちょうおう)』を祖とする亀公墓を見学しに向かいました。

沖縄県浦添市沢岻にある
史跡  浦添御殿の墓(うらそえうどぅんのはか)
浦添市内最大級の亀甲墓『浦添市指定文化財  史跡  浦添御殿の墓』

2016年9月20日火曜日

沢岻部落発祥のころから地域の人々に重宝されてきた由緒ある井泉と『沢岻遺跡』の南側に位置する古墓☆

ハイサぁ~イ☆

昨日(19日)の午後、那覇市首里石嶺町にある『そば処  あんまー』さんで美味しい沖縄そばを食べた後、天気も良かったので、また浦添市沢岻に点在する史跡を見学しに行ってきました。

沖縄県浦添市沢岻にある
『沢岻樋川(たくしひーじゃー)
現在でも綺麗な水を湛えていました。

2016年9月18日日曜日

かつては区内に点在していた各拝所を宅地造成によって一ヵ所に合祀した拝所とその隣に建立された慰霊塔☆

ハイサぁ~イ☆

前々回、浦添市沢岻の『中の殿』と『金満御嶽』を見学した後、『金満御嶽』から区内を東向けに行った場所にある拝所へと向かいました。

こちらは、かつては沢岻区内に点在していた各拝所が、宅地造成によって一ヵ所に合祀された拝所なんだそうです。

沖縄県浦添市沢岻にある
『沢岻拝所』
立派な祠の中に7基の拝所が合祀されており、その後方の塀にも8基の拝所が合祀されていました。

2016年9月16日金曜日

浦添市沢岻にある鬱蒼と生い茂る林の中の御嶽と1960年に発見された遺跡☆

ハイサぁ~イ☆

一昨日(14日)、浦添市勢理客にある『寿味食堂』さんで食事を終えた後、少しばかり時間に余裕があったので、同市沢岻の閑静な住宅街の中にある遺跡や拝所を2、3ヵ所見学しに向かいました。

まず最初に向かったのは、1960年に発見されたという遺跡。。。

・・・と言っても、現在は、綺麗に整備されて住宅地となっており、遺跡らしい『遺構』などはなく、小さな公園の一角に立派な拝所と神歌が刻まれた立派な石碑があるだけなんですが。。。

沖縄県浦添市沢岻にある
『沢岻遺跡』
綺麗で立派な拝所なのに、地元の人も何のために建立されたのか分からないんだとか。。。

2016年9月11日日曜日

沖縄市仲宗根町の高台に位置する約3500年前から約600年前にわたり存続していた遺跡☆

ハイサーイ☆

ちょっと話が前後するんですが、前回ご紹介した『沖縄そば  又吉製麺(又吉そば)』さんへ向かう前に、沖縄市役所近くにある遺跡に立ち寄りました。

こちら現在、『グスク』と称されていますが、この呼び名は後年からの名称で、『仲宗根貝塚』と『仲宗根御願』を合わせた遺跡を『グスク』と呼称しているのだそうです。

沖縄県沖縄市胡屋にある
『仲宗根グスク(ウチグスク)
御宮周辺は、定期的に清掃しているようで、比較的綺麗でしたね。

2016年9月5日月曜日

古くから『大蛇伝説』が伝わる嘉手納町と沖縄市の境にある池☆

ハイサぁ~イ☆

以前、嘉手納町屋良にある『屋良城跡』について、いろいろ調べていた際、同町屋良(字)に『大蛇伝説』が残る池があることを、たまたま見つけたんですよ。

んで、先週木曜日(1日)、午後からちょこっと時間が空いたので、行ってきました。

沖縄県中頭郡嘉手納町屋良(字)にある
『屋良ムルチ(漏池)
『大蛇伝説』が伝わる池のすぐ手前にあった拝所

2016年9月3日土曜日

14世紀の三山時代に中山王となった『察度』が、即位する前に住んでいたと言われるグスク跡☆

ハイサーイ☆

この前、宜野湾市大謝名にある『大謝名メーヌカー』や『土帝君』などをご紹介しましたが、今回は、その続きです。

『メーヌカー』や『土帝君』などのカーや拝所を見学した後、同じ大謝名区内にある、かつて三山時代の初代中山王となった『察度』が、即位する前に住んでいた屋敷があったと言われるグスク跡を見学しに向かいました。

沖縄県宜野湾市大謝名にある
『黄金宮(クガニナー)
《大謝名黄金森グスク》
閑静な住宅街の一角にある『黄金宮(クガニナー)』

2016年8月29日月曜日

宜野湾市大謝名にある集落の共同井戸と『土地の神』・『火の神』が祀られた拝所☆

どーもども☆

昨日(27日)の午後、ちょこっと時間が空いたので、宜野湾市大謝名の県道251号線(パイプライン通り)沿いにある共同井戸(カー)と、そのすぐ近くにある拝所を見学しに行ってきました。

沖縄県宜野湾市大謝名にある
『大謝名メーヌカー』
大謝名メーヌカー

2016年8月19日金曜日

昔、化け猫が大山村の子供達を行方不明にしたという伝説が残る宜野湾市大山の洞穴遺跡☆

どーもども☆

前回のブログ記事でご紹介した『宮古そばとソーキそば専門店 田舎 安謝店』さんで食事を済ませた後、以前、ネットで偶然見つけた宜野湾市大山にある洞穴遺跡へ行ってみることにしました。

こちらのガマは、かつて化け猫が住み着き、村の子供達を行方不明にしてしまうという言い伝えが残されているんだとか。。。

沖縄県宜野湾市大山にある
『大山マヤーガマ洞穴遺跡』
大山マヤーガマ洞穴遺跡

2016年8月15日月曜日

沖縄市大里にある『大里エーヤマ遺跡』と『あしびなー』☆

どーもども☆

この前、前々回のブログ記事でご紹介した『コザドライブインレストラン』で食事した後、その近くにうっそうと茂った森があり、そこに何やら祠らしきものが見えたので、ちょこっと見学しに行ってみることにしました。

後日、いろいろ調べてみると、こちらの拝所群一帯が遺跡散布地となっているんだとか。。。

沖縄県沖縄市大里にある
『大里エーヤマ遺跡とあしびなー』
小道から見た『大里エーヤマ遺跡』北側の拝所群

2016年8月7日日曜日

首里城の東方約1㎞にあり、王府時代に国王自ら訪れて祭祀が行われたという御嶽(その2)☆

ハイサぁ~イ☆

今日(7日)の沖縄本島は、朝からずーっと小雨が降ったり止んだりの愚図ついた天気となりました。。。

んで、明日月曜日(8日)も、降水確率が80%となっており、今日と同じような天気となりそうです。。。

ここ最近、不安定な天気が続いており、なんだか梅雨が戻ってきたような感じです(泣)

はぁ。。。早く天候が回復して、青空が戻ってきてほしいものです( ̄▽ ̄;

さてさて☆

今回は、前々回のブログ記事の続きです。

東側の『大嶽』一帯を見学した後、公園西側から戻り、今度は『大嶽の石門』の道向かいにある『小嶽(クタキ)』一帯を見学しに向かいました。

沖縄県那覇市首里鳥堀町にある
『弁ヶ岳(弁ヶ嶽)
『弁ヶ岳』の『小嶽(クタキ)』の祠(左奥)と首里城から移された『沖縄神社』(右)。

2016年8月4日木曜日

首里城の東方約1㎞にあり、王府時代に国王自ら訪れて祭祀が行われたという御嶽(その1)☆

ハイサぁ~イ☆

今日(4日)の沖縄本島は、朝方から雷が発生しており、一日中愚図ついた天気となりました。。。

んで、明日(5日)の天気はとゆーと、いちおー降水確率は60%となっているんですが、正午以降は晴れる見込みのようですね。

ここ最近、天候が不安定な状態が続いてるので、もしかすると、急な雨や雷が発生するかもしれないので、明日も外出する際は、携帯用の傘を持っていた方がいいかもしれませんねぇ。。。

早く天候が安定して、いい天気になってくれないかなぁ。。。

さてさて☆

昨日(4日)は、夕方前くらいから少し時間が空いたので、以前から一度訪れてみたかった那覇市首里鳥堀町の史跡に行ってきました。

こちらは、かつての琉球王府時代に、国王が自ら訪れ、祭祀を行っていた重要な御嶽の一つなんだそうです。。。

沖縄県那覇市首里鳥堀町にある
『弁ヶ岳(弁ヶ嶽)
『弁ヶ岳』内にある『大嶽』の石門