一昨日(26日)、南城市玉城船越の『沖縄そば 金太郎』さんで食事を終えた後、まだ少し時間に余裕があったので、帰りがけにお隣の八重瀬町にあるグスク跡を見学しに向かいました。
ネットでちょこっと調べてみると、そのグスクは、築城してる途中に、首里王府から破壊するよう命じられたとの伝承が残されているんだとか。。。
沖縄県島尻郡八重瀬町新城にある
『新城(あらぐすく)グスク』
現在は、『新城神社』となっており、敷地には鳥居とお宮が建立されています。 |
この交差点を左折して突き当りを右折すると、約60mほど進んだ所左側に、丘の上へと続く小さな坂道がありますので、そちらに入ります。
そして、道なりに進んで行き、左側にある最初の脇道に左折して、約80mほど進むと、左側にあります。
『新城城』の標柱が立てられた『新城神社』 |
ちょうど敷地の道路側にクルマを停めることができるスペースがあったので、そちらにクルマを駐車して、すぐさま見学開始👍
『新城グスク(新城神社)』 |
Googleマップでも、『新城城』ではなく『新城神社』として登録されています。
『新城神社』 |
ネットでいろいろ検索してたら、当時の説明版の画像を発見しましたので、そちらを引用させて頂きます。
≪新城城(あらぐすくグスク)≫
≪新城城の築城年代は、城内から出土する青磁破片、土器破片や野づら積みという城壁の積み方からして、具志頭城と同時代の十四世紀の初期頃と推定される。規模は、一万六千五百平方メートルもあり、城の一番高い所には本丸の跡らしい所が残っており、その下に二の丸の跡と思われる平地があり、連郭式の山城形式の城である。
『新城神社』の拝殿 |
社の前には、赤色の香炉と三つの霊石が置かれていました。 |
この城の、南北側の断崖上には一メートル位の高さの野づら積みの城壁が、あちこちに残っており、東南側の方には、高い所で二メートル低い所で一メートルくらいの高さに、野づら積みの三段になった城壁の石垣が残っている。
『国火神』と記された拝所 |
『新城神宮』の五十周年記念碑 |
この新城城の東方すぐ近くには、この城の出城としての山城(やまぐすく)がある。
山城は、玉城城、糸数城などの城主からの攻撃に対しての見張所であったと伝えられている。
具志頭村教育委員会≫
・・・とありました。※『糸数城』は、2015年2月に一度訪れたことがあります。⇒http://oki-night.blogspot.jp/2015/02/blog-post_28.html
この説明からすると、『新城グスク』は、連郭式の相当な規模のグスクだったようですね。
在ハワイ・在ペルーから寄付金を寄付して頂いた方々の御芳名が記された石板 |
どうやら昭和61年に五十周年を記念して、改修工事が行われたみたいですね。
んで、拝殿へ続く階段を挟んで、その反対側には在ハワイ・在ペルーから寄付をして頂いた方々の御芳名が記された石板が建立されていました。
拝殿の後方には先が尖った大きな岩があります。 |
拝殿を横から見たところ。 |
この大きな岩の裏側にも、拝所があるみたいなんですが、雑草が生い茂っており、今回はそちらを見学するのは断念しました。。。
んで、敷地横の坂道を少し上がると、水タンクがあるんですが、その横から小さな細い道があったので、そちらの方へ行くと、展望台がる場所に出ました。
『新城グスク』後方にある展望台。 |
かなり劣化しているので、現在は立入禁止となっています。 |
んで、この展望台のすぐ横に目をやると、可愛らしい石獅子がありました。
新城グスクの石獅子。 |
この石獅子も、集落内に昔からあった石獅子らしいですよ。。。
・・・と、ここまで見学した後、一旦クルマまで戻り、今度は、『新城グスク』の出城であった『山城(やまぐすく)』跡を見学しに向かいました。
『新城グスク』の敷地内にあったアスレチック。 |
竜(?)の形をした水飲み場。 |
『新城グスク』の出城『山城(やまぐすく)』跡。(らしいですw) |
それで、敵を監視するための見張所としての出城が必要だったんですね。
この『山グスク』まで見学してから、新城集落を出ました。
自宅に戻ってからいろいろ調べていくと、今回の新城集落だけでなく、八重瀬町自体にもグスクや拝所、カー(井泉)などの文化財が数多く点在してるので、そちらもゆっくりちょこちょこ回っていきたいですね。
県道131号線から見た『新城グスク』。 |
☆『新城グスク(新城神社)』☆
☆場所:〒901-0503
沖縄県島尻郡八重瀬町新城
☆見 学:無料
☆駐車場:あり