北中城村仲順の舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓のある御嶽☆|沖縄放浪日記

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2016年11月18日金曜日

北中城村仲順の舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓のある御嶽☆

ハイサぁ~イ☆

今月16日(水曜日)、前回ご紹介した沖縄市泡瀬にある『めん処 幸』さんで食事を終えた後、まだ少し時間があったので、帰りがけに北中城村仲順にある御嶽を見学しに立ち寄りました。

こちらは、御嶽内に大きな琉球石灰岩があり、その上部に、舜天王統の開祖とされる琉球国王や、その2代目の王、そして舜天王統最後の王の三王が葬られたとされる御墓があるんだそうです。

沖縄県中頭郡北中城村仲順にある

『ナスの御嶽』

ナスの御嶽の写真
舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓がある『ナスの御嶽』
こちらは、まず北中城村の国道330号線県道81号線がぶつかる『石平』の交差点から、県道81号線を同村渡口向けに進み、約1.9㎞ほど進んだ所にある『琉球銀行北中城支店』のある交差点を左折します。

そして、そこから道なりに約540mほど進んで行くと、道沿い右側にあります。
ナスの御嶽の写真
道路上から見た『ナスの御嶽』
こちらには、駐車場が無いので、近くの路肩に少しばかり路駐させてもらってから見学開始。

御嶽内に、説明が記載されていたであろう石板が無くなっていたので、後日、北中城村の公式HPにて、その由来などを閲覧させて頂くと・・・

≪仲順の集落のはずれから屋宜原へ向かう道路沿い、水道タンクの南側の杜がナスの御嶽である。

『琉球国由来記』(1713年編集)によるとここに祀られている神は「ナスツカサ御イベ」で、安谷屋ノロが祭祀を掌っていた。

御嶽の中にある琉球石灰岩の大岩が御嶽の本体(イベ)だと考えられる。

この岩の上には、舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓がある。

仲順の集落はかつてこの御嶽一帯にあり、御嶽を「腰当て」として南側に発展していったといわれる。

平成7年6月16日に村の史跡に指定された。
(北中城村公式HP「平和で活力ある田園文化村」のページより引用)≫
・・・と記されていました。
ナスの御嶽の写真
入口を入って正面から見た『ナスの御嶽』
道路から階段を上がり、立派な門の前まで行くと、門の前に立派な香炉が置かれており、門の両サイドには灯籠がありました。

そして、門の後方には、説明にもあった大きな琉球石灰岩があり、岩の根元に石が積まれ、そのすぐ横に石板が置かれていました。
ナスの御嶽の香炉の写真
門の前に設置されていた立派な香炉
まず、説明の中に出てきた『舜天』という人物なんですが、琉球二番目の『舜天王統』の開祖とされている琉球国王です。

在位は1187年~1237年で、元々は浦添按司だったようです。

この『舜天王統』は、実在していたことを証明する史料などは存在しないんだそうですが、『中山世鑑』や『中山世譜』などの正史では、『初代琉球国王』と位置づけられているんだそうですよ。

※『中山世鑑』とは薩摩支配下において書かれた琉球王国の初めての正史です。また、『中山世譜』とは琉球王国の代表的な歴史書の一つで、漢文で書かれた歴代国王の電気を中心とし、中国との関係を中心にまとめられた部分(正巻)と、薩摩藩など日本との関係を中心にまとめた部分(附巻)とに分かれている書物です。
(Wikipedia『中山世鑑』と『中山俯瞰』のページより引用)
ナスの御嶽後方にある琉球石灰岩の写真
門の後方にあった琉球石灰岩の大岩。根元に石が積まれており、その横に石板が置かれてました。
舜天王・舜馬順熈之墓の写真
舜天王・舜馬順熈王之墓(?)と刻まれた墓碑
そして、お次は『舜馬順熈(しゅんばじゅんき)』という人物なんですが、『舜天』の長男で、『舜天王統』の2代目の王です。

在位は、1238年~1248年となっているんだそうです。
舜天・舜馬順熈・義本の三王の墓の写真
木々に覆われて見えにくくなっていますが、大岩の頂上部に石柱の先っぽが見えました。
んで、最後の『義本』という人物ですが、2代目国王である『舜馬順熈』の子と伝えられており、『舜天王統』最後の国王です。

在位は、1249年~1259年となっているんですが、在位中に天災や疫病が沖縄本島各地で発生してしまい、責任は自身にあるとし、その責任を取って退位して、『英祖』に王統を譲位したんだそうです。

また、譲位した後の義本の消息は不明となっているみたいですね。(Wikipedia『義本』のページより引用)
ナスの御嶽の標柱の写真
新しく設置された『ナスの御嶽』の標柱
標柱の横に立て掛けられていた石板の写真
新しく設置された標柱の横に立て掛けられていた石板。
・・・と、ちょっとここで、一つ疑問が出てきたんですが、沖縄本島北部の国頭村辺戸にも、『義本王の墓』があるんですよ。

しかも、2013年2月20日に国頭村教育委員会が、国頭村反吐にある『義本王が葬られたと伝わる墓の室内から甕に入った人骨5~6柱と装飾品などが発見されたと同年同月の21日のローカル新聞にて発表されています。

同新聞の記事によると、県内複数ヵ所に『義本王』が葬られれているとされる墓があるらしいんですが、この国頭村辺戸の御墓の発掘品の分析が進めば、辺戸に葬られたことが裏付けられる可能性が高まるとのことです。

もし、この記事の分析が進み、『義本王』が葬られた御墓が、国頭村辺戸の御墓であることが立証されれば、こちらの御墓に葬られている王は、『舜天』と『舜馬順熈』の二人ってことになりそうですね。。。
※ワタクシも、国頭村辺戸にある『義本王の墓』には、まだ行ったことがないので、今度、本島北部へ行った時に、立ち寄ってみたいと思います。
ナスの御嶽の写真
標柱側から見た『ナスの御嶽』
・・・と、ついつい三人の王様の話に逸れてしまいましたが、現在は、『ナスの御嶽』の後方にある大岩には立ち入ることができませんが、以前は、門から岩の上部まで石段があったようです。

・・・が、画像を見る限り、階段がかなり劣化していたようで、どうやら取り壊して撤去したみたいです。

・・・とゆーわけで、『ナスの御嶽』を見学できるのは、この門の前にある前庭部分しかないので、この日は、ここまでにして御嶽を後にしました。

後日、この『ナスの御嶽』を調べていくと、御嶽のある北中城村仲順や隣接する同村喜舎場には、拝所やカー、御嶽などが多く点在していることがわかったんですよ。

なので、また機会を設けて、この仲順・喜舎場を散策してきたいと思っております。

それでは、今回はちょっと短めですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『ナスの御嶽』☆


☆場所:〒901-2303
      沖縄県中頭郡北中城村仲順

☆見 学:無料

☆駐車場:ナシ