沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある琉球八社の一社☆|沖縄放浪日記

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2016年10月22日土曜日

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある琉球八社の一社☆

ハイサぁ~イ☆

以前、那覇市首里末吉町の末吉公園内にある『宜野湾御殿の墓』『玉城朝薫生誕三百年記念碑』などを見学して回った後、今度は同じ公園内にある琉球八社のひとつである神社とその周辺にある拝所などを見学しに向かいました。

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある

『末吉宮』

末吉公園の森の中に佇む『末吉宮』
いやぁ・・・この末吉公園は、ホントに広いですね(笑)

ここまで記念碑や亀甲墓、拝所などを見学・撮影して回った時点で、すでに約1時間が経過してしまってました(笑)
石畳道の先に社務所と『末吉宮』の石垣が見えます。
この前ご紹介した記事の最後の拝所から、石段を下りていくとすぐに古い石畳道に出ました。

そして、そこから東側を見ると、その先に『末吉宮』の社務所と石垣が見えました。
『末吉宮』の社務所。
この社務所を通過していくと、すぐ隣に『末吉宮』の説明が刻まれた石板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに・・・

その説明によると・・・
≪史跡  末吉宮跡≫
昭和47年5月15日国指定
≪末吉宮は「末吉社壇」の名で沖縄県民に親しまれたお宮で、室町時代中期に建立されたものです。

波上、沖、安里八幡、識名、普天間、金武、天久と共に琉球八社の一つにあげられている近くの万寿寺(現遍照寺)の鎮守として熊野権現を祀ってあります。

本殿は沖縄の地方色をよくあらわしている三間社流造本殿として昭和11年に国宝に指定されましたが、第二次大戦で砲撃を受け、建物の礎石と柱二本と虹梁(頭貫)を残したのみで飛散しました。
反対側から見た社務所。すぐ隣に説明が刻まれた石板があります。
現在の建物はこれら残った礎石と資材を基に昭和47年に復元修理をしたものです。

なお、この地域で許可を得ることなく現状を変更し、または保存に影響を及ぼす行為をすることは、法律によって禁じられています。
文部省 沖縄県≫
・・・とありました。

説明を読んだ後、さっそく『末吉宮』を見学開始‼‼

まず目を引くのは、参道からそのまま伸びるアーチ状のトンネル。
参道から直進するとアーチ状のトンネルで、右側の石段を上ると『末吉宮』の祭場にたどり着きます。
アーチ状のトンネルをアップにしたところ。石垣がとても綺麗ですね。
アーチ状のトンネルをくぐって反対側へ行ってみます。
トンネルを反対側から見たところ。
近づいて見ると、とても綺麗に組まれているのがよく分かります。
アーチ状のトンネルを見学した後で、『末吉宮』の前庭へと向かいました。
末吉宮
実は、『末吉宮』の説明版は、先程ご紹介した石板の他に、もう一ヵ所設置されており、参道の入口から、少し入った場所にあります。

この日、ワタクシは、公園西側の拝所群側から回ってきたので、参道入口には、『末吉宮』を見学した後に向かったんですよ(笑)

んで、その時に、その説明版を発見しました。
『末吉宮』参道入口。
『末吉宮』の参道の途中にある説明版
参道の脇にひっそりと立ってました。
こちらの説明も引用させて頂きます。

国指定史跡 末吉宮跡≫
昭和47年5月15日指定
沖縄県指定有形文化財  建造物 末吉宮磴道≫
昭和31年2月20日指定
≪末吉宮は、かつての琉球八社の一つで、俗に「社壇(しゃだん)」と呼ばれている。

尚泰久王代の1456年頃、天界寺住持鶴翁和尚(てんかいじじゅうじがくおうおしょう)が熊野三社権現を歓待して奉祀したのにはじまるという。

本殿は、三間社流造り本瓦葺きで、前面に向拝を付している。

磴道は、参道を登りつめたところから祭場までの8段、祭場から拝殿跡までの21段および拝殿跡から本殿までの7段の一連の石造階段部分をいう。

本殿と祭場はそれぞれ別の岩盤の上にあり、両間は切石積みの石造単拱橋(アーチ橋)で継イでいる。

なお、磴道は昭和46年に修理され、本殿は昭和47年に復元された。
参道は、石畳も残っています。
末吉宮の下方には、末吉宮の神宮寺で俗に「末吉の寺」と呼ばれる遍照寺(もと万寿寺)の跡がある。

この寺は山号を大慶山といい、真言宗に属し、沖縄における神仏混淆(しんぶつこんこう)の信仰形態を知るうえで重要なしりょうである。

また、社殿の周囲の崖下には点々と拝所が設けられ、信仰の対象となっている。


平成2年3月 沖縄県教育委員会 那覇市教育委員会≫
・・・とありました。
『末吉宮』へと続く参道の途中にあった石段。
『末吉宮』へ続く参道の途中、少し入ったところにも『末吉町』と刻まれた拝所がありました。
『末吉宮』は、かつては那覇市繁多川にある『識名宮』(こちらも琉球八社の一つ)や同市首里鳥堀町の『弁ヶ嶽』とあわせて国王の参詣が、1644年から年に三回(一月、五月、九月)、行われていたんだそうですよ。
『末吉宮』。手前側が拝殿で、その後方にチラッと見えるのが本殿です。
祭場
現在は、拝殿へ続く階段の前にある祭場までは入ることが出来るんですが、拝殿とそれより奥にある本殿への立ち入りは禁止されているとのことです。
※拝殿に近づくと警報装置が作動するらしいですよ。。。
僅かに本殿が見えますね(笑)

祭場から拝殿を見たところ。
『社壇  末吉宮』
・・・と、『末吉宮』を見学した後、一旦、参道へと戻り、今度は『末吉宮』の後方へと続いてる獣道のような場所が森の奥へと続いていたので、そちらへ行ってみることにしました。
『末吉宮』のトンネル手前、参道から『末吉宮』の後方へと続く獣道。
参道から森の奥、ちょうど『末吉宮』の後方にあたる場所に来たところ。
獣道を入って行くと、道が二手に分かれていたので、まずは直進してみました。

すると、その突き当りの、大きな岩の根元に香炉が1基置かれており、拝所(?)となっているようでしたね。
岩の根元に香炉が1基置かれてました。 ※暗かったのでフラッシュを焚いて撮影しています。

また、この香炉が置いてある場所の真向いにある岩壁の根元には、石製の立て札が2枚置かれており、1つには『火の神』、そしてもう1つには『末吉城拝所』と刻まれていました。
岩陰に置かれていた『火の神』と『末吉城拝所』の立て札。
そして、ここから先は、グルッと回り込んで、先程のトンネルの反対側に出ました。

・・・なので、今来た道を少し戻り、今度はもう一方の獣道へ行きました。

すると、こちらの岩壁の根元にも、拝所が設けられており、こちらは最近造り直したようで、少し新しめの香炉と石板が設置されていました。
岩壁の根元にあった拝所。この2ヵ所の拝所のさらに奥にも拝所が1つありました。
そして、この2ヵ所の拝所の奥にも、『末吉町』と刻まれた香炉が置かれた拝所がありました。
奥にあった拝所。こちらも『末吉町』と刻まれた香炉が置かれ、その後ろに石垣がありました。
この『末吉町』と刻まれた香炉がある拝所の手前の、岩の根元にある拝所には『福禄寿役場』と刻まれた小さな石柱が設置されていました。
『福禄寿役場』と刻まれた拝所
そして、『福禄寿役場』の拝所のすぐ隣には『御先七龍宮の一様 子ぬ方御先龍宮神』(うさちななりゆうぐのひとさま にぬふわうさちりゆうぐしん)と刻まれた石柱が立てられていました。
『御先七龍宮の人様 子ぬ方御先龍宮神』の拝所。
どうやら、こちらは『龍宮』の神様が祀られているようですが、先程の『福禄寿役場』の拝所は、『福禄寿』を祀っているみたいですが、『役場』とは一体どういう意味なんでしょうかね。。。

後日、ネットでいろいろ調べてみたんですけど、何も情報が出て来ず、全く分かりませんでした。。。(泣)

ここまで見学した後、今度は『末吉宮』の後方にある『子ぬ方(にぬふぁ)』と呼ばれる御嶽(聖地)を見学しに向かいました。

この『子ぬ方』と呼ばれる御嶽(聖地)は、『末吉宮』が建立された時よりも、さらに古い時代からあったみたいですよ‼

・・・と、だいぶ長くなってしまいましたので、この続きは、また別の回にご紹介したいと思います。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『末吉宮』☆(末吉公園内)


☆場所:〒903-0801
      沖縄県那覇市首里末吉町1丁目8(末吉公園内)

☆問い合わせ:098-868-3697(波上宮)

☆利用時間9:00~21:00(年中無休)

☆見 学:無料

☆駐車場:あり(2ヵ所あり) ※末吉公園内駐車場