千手観音像が祀られている読谷村喜名にあるお堂と農業の守護神が祀られた祠☆|沖縄放浪日記

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2018年6月24日日曜日

千手観音像が祀られている読谷村喜名にあるお堂と農業の守護神が祀られた祠☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回に読谷村喜名の国道58号線沿いに建立されている『さくら之塔・梯梧之塔・山吹の塔』を見学した後、次に向かったのは同じ喜名区内にある公園です。

この公園内には、金武の観音寺から勧請された千手観音像が祀られているお堂が建立されているんだそうです。

沖縄県中頭郡読谷村喜名にある

『喜名観音堂と土帝君』

喜名観音堂と土帝君の写真
『観音堂公園』内に建立されている『喜名観音堂』と『土帝君』。
こちらは、読谷村の国道58号線県道12号線がぶつかる『喜名』の交差点から県道12号線に入り約300mほど進んでいくと、県道沿い右側に『観音堂公園』があるんですが、その公園内北側にある丘の上にあります。
喜名観音堂と土帝君の写真
『観音堂公園』の南東側にある『喜名観音堂』へ続く参詣道入口。
同公園には専用駐車場が無かったため、近くの路肩にクルマをちょこっと停めさせてもらい、急いで見学へと向かいました。
観音堂公園の写真
参詣道入口前から『観音堂公園』の広場を見たところ。
『喜名観音堂』へ続く参詣道の入口には説明が記された標柱が設けられていたので、まずはそこに記されていた説明を読んでみることに・・・

≪喜名観音堂、土帝君(キナカンノンドウ、トゥーティークー)
≪喜名観音堂は、1841年の旧暦9月18日に金武の観音寺から勧請したものです。戦前まで境内には大きな松が空を覆っており、拝所としての尊厳が残っていました。
参詣道入口に設置されていた『喜名観音堂・土帝君』の説明が記された標柱。
また、建物は瓦葺で四周は石が積まれ、中には千手観音像が祀られていましたが、1964年に老朽化が進んだため、セメント造りに改築されました。

現在でも旧暦の9月18日には、喜名を中心とした村民による観音堂拝みが続けられています。
喜名観音堂と土帝君の写真
入口から参詣道を入ってきたところ。奥の方に階段が見えます。
観音堂の西側には、農業の守護神・土帝君を祀った石造りの祠があります。もともとは、土帝君の像が祀られていましたが、さる沖縄戦で像はなくなりました。≫
・・・とありました。

説明を読み終え、参詣道を入っていくと、奥の方まで並木が続いていました。
喜名観音堂土帝君の写真
参詣道の先にある階段。この上に観音堂と土帝君が建立されています。
並木の参詣道を進んでいくと、丘の上に続く階段があり、その先に赤瓦屋根の観音堂が見えました。
喜名観音堂の写真
喜名観音堂
階段を上がり、観音堂の前にいくと、扉が開いた状態で内部にある祭壇には1基の香炉が置かれており、説明にあった『千手観音像』も祀られていました。
喜名観音堂の写真
観音堂の内部に設けられている祭壇。
「現在も旧暦の9月18日には、観音堂拝み続けられている」と説明にありましたが、定期的に清掃が行われているらしく、お堂の周辺や内部はとても綺麗な状態が保たれていました。
喜名観音堂、千手観音像の写真
祭壇の下の段には1基の香炉が置かれ、一番上の段には千手観音像が祀られていました。
ネットで得た情報によると、この『千手観音像』は過去に何度か盗難に遭っているのだそうで、プラスチック製の透明のケースに入れて厳重に保管するようになったとのことです。
喜名観音堂 千手観音像の写真
透明のプラスチック製ケースに入れられ厳重に保管されている『千手観音像』。
『喜名観音堂』と内部に祀られている『千手観音像』を見学した後、今度はお堂の西側にある祠へと向かいました。
土帝君の写真
『喜名観音堂』の西側に建立されている『土帝君』の祠。
祠の前まで行くと、こちらも扉が開いた状態になっており、内部を見学することができました。
土帝君の写真
正面から見た『土帝君』の祠。内部には人物像ではなく霊石が納められていました。
沖縄県内各地に点在する各集落には、『土帝君』が祀られている拝所が設けられていることがあるんですが、そのほとんどは内部に人の形をした神像が祀られています。

しかし、説明にあったように、先の沖縄戦で神像は無くなってしまったので、こちらの祠内部には霊石が納められています。
土帝君の写真
祠の内部は祭壇になっており、一番上の段に霊石が祀られていました。
参詣道入口にある標柱の説明によると、こちらの『土帝君』は農業の守護神」と書かれていましたが、『土帝君』はもともと中国から伝わってきた『土地の神様』と言われているんだそうです。

そして、集落によっては「土地の神様」とか「大漁の神様」「商売繁盛の神様」、そして「商売繁盛の神様」として崇められ、その集落ごとの生産基盤と結び付けられているんだそうですよ。
(※参考⇒Wikipedia『瀬底土帝君』、らしいね南城市『新里の土帝君』他)

また、読谷村の公式HP内にある文化振興課の『読谷村内の文化財』のページを見てみると、『喜名観音堂』と『土帝君』は、平成24年5月23日に読谷村の有形民俗文化財に指定されているとのことです。
観音堂公園の写真
『土帝君』の前から県道12号線側の『観音堂公園』を見たところ。
・・・と、ここまで見学した後は、足早にクルマへと戻り、今度は『観音堂公園』からほど近い場所にある史跡を見学しに向かいました。

今回は少し短いですがここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。

それでは、この辺で・・・でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『喜名観音堂・土帝君

☆場所:〒904ー0302
      沖縄県中頭郡読谷村喜名

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。