北中城村仲順に点在する舜天一族の拝所や仲順大主之墓などの史跡☆|沖縄放浪日記

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2017年11月30日木曜日

北中城村仲順に点在する舜天一族の拝所や仲順大主之墓などの史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、北中城村の喜舎場集落内に点在する『喜舎場公の墓』『王妃の墓(ウナサラウハカ)』『喜舎場ウフカー(大井泉)』などの史跡を見学してきたので、今度は喜舎場集落の西側に隣接する仲順集落内に点在する史跡を見学しに行ってきました。

沖縄県北中城村仲順に点在する

『仲順大主之墓をはじめとする史跡』

根殿の社の写真
舜天一族が祀られている『仲順公園』内の丘陵中腹にある『根殿の社』。
まず最初に向かったのは、仲順集落のほぼ中央に位置する『仲順公園』。

こちらは、北中城村の国道329号線県道81号線227号線がぶつかる『渡口』の交差点から、県道81号線を同村喜舎場向けに進み、約1㎞ほどの距離にある二つ目の信号を右折すると、その突き当りにあります。
仲順公園の写真
『仲順公園』の入口。
この公園内には、初代琉球国王と云われる『舜天』と、第二代『舜馬順熈』、そして第三代『義本』が祀られている拝所や、第二次大戦の際に亡くなられた集落出身者の慰霊塔があるんだそうです。

公園入口近くにクルマを停めさせてもらい、さっそく見学へ。

・・・と、公園内へ入る前に、ちょこっと寄り道。

公園入口から南向に伸びる道路を少し下ると左側に『ウフカー』と記された小さな石碑があります。
ウフカーの写真
『仲順公園』から南向けに約20mほど進んだところ左側にある『ウフカー』の入口。
小さな石碑の横の小道を入って奥まで進んで行くと、立派な石垣に囲われた大きな井泉がありました。
ウフカー(仲順)の写真
ウフカー(仲順)。
奥の方に説明板が設置されていたので、すぐさまその説明を読んでみると・・・

≪ウフカー≫
≪仲順集落は、ナスの御嶽付近から現在地に移動したと伝えられており、ウフカーは、現集落のウブガー(産井戸)である。
ウフカー(仲順)の写真
『ウフカー』の説明板と古い標柱。右側奥はかつての石碑っぽかったです。
ウブガーは、集落の発祥に関わる神聖なカーのことで、戦前までは仲順公園内のお宮で行われる例祭(旧暦9月13日)の時に拝まれていた。

また、戦後の一時期までここで旧正月の若水を汲んでいた。≫
・・・とありました。
ウフカー(仲順)の写真
奥側のカー。戸口には扉が設置されていて、中央に一基の香炉が置かれていました。
ウフカー(仲順)の写真
入口側の井泉。透き通った水が溜まっていました。
また、『北中城村の遺跡・文化財』というマイマップには、この『ウフカー』の入口の南側に『カーグヮー』と称される史跡があるとなっていたので、そのポイントが打たれている場所の周辺を探してはみたのですが、"井泉"らしき史跡は見当たりませんでした。

この『ウフカー』を見学した後、『仲順公園』へと入っていきました。

公園に入るとすぐ左側にコンクリート製の方形の建造物があったので、近づいてみると・・・
サトー泉水の写真
『サトー泉水』と記されていた建造物。
仲順公園の写真
『サトー泉水』の後方には遊具が設置されていました。
『サトー泉水』と記されており、その下には「昭和十年竣工」とも記されていたので、どうやらこちらも"カー(井泉)"跡となっているようでした。

また、公園入口を挟んで『サトー泉水』の向かい側には大きな舞台が建てられていました。
仲順公園の写真
『サトー泉水』の向かい側にあった舞台。
その舞台の傍らには、『仲順流り』と題された琉歌が記された歌碑が建立されていました。
『仲順流り』という琉歌が記された歌碑。
歌碑の左側には碑文が記されており、≪「仲順流り」は北中城村仲順に伝わる仲順大主にまつわる話を題材に祖霊供養の歌として作られ、各地のエイサーに取り入れられて歌いつがれている。 歌の発祥に関わる仲順の地を讃え、歌の末永い伝承を念じ石碑を建立する。≫とありました。

「仲順流り」の歌碑を見学した後、舞台の向かい側の丘陵上に社の屋根らしきものが見えたので、そちらへ上ってみると・・・
根殿の社の写真
たぶんこちらが『根殿の社』だと思います。
木々が生い茂る森の手前に立派な祠が建立されていました。

先程の北中城村内の遺跡が記されている『北中城村の遺跡・文化財』によると、この社の後方一帯は『仲順原遺跡散布地』となっているとのことで、その北側に『根殿の社』という"拝所"があるらしいのですが、散布地一帯は柵で囲われており、進入路も見当たらなかったので、たぶんこの立派な祠が『根殿の社』だと思われます。
※あくまでワタクシ個人の憶測で、定かではありませんので、もし間違っていたらすいません。。。
根殿の社の写真
『舜天』・『舜馬順熈』・『義本』の3人が祀られているんだそうですよ。
また、冒頭でご紹介した『ウフカー』を訪れた際、道向かいに建築中の家屋があったんですが、その現場にたまたま居合わせた集落の方にお話を伺うと、こちらがその"社"だろうとのことでした。
根殿の社の写真
小さい方の格子戸の内部には木製の位牌が三基 納められていました。
ご覧の通り社の正面には大小2枚の格子戸があり、小さい方の格子戸内部には三基の位牌が納められており、大きい方の格子戸内部には、霊石らしき石と器が納められていました。
根殿の社の写真
大きい方の格子戸内部には霊石らしき石と器が納められていました。
この『根殿の社』の広場を挟んで向かい側には手を清めるための水盤もありましたよ。
根殿の社の写真
『根殿の社』の向かい側にあった水盤。
仲順公園の写真
『根殿の社』の西側は広場になっていました。
『根殿の社』を見学した後、社の右側から森の中へと続く遊歩道があったので、今度はそちらの方へ行ってみることにしました。
仲順公園の写真
『根殿の社』の右側から森の奥へと続く遊歩道。
遊歩道を進んでいくと、すぐに道が二手に分かれた分岐点に差し掛かかったので、まずは左側の道へ進んでみることにしました。
仲順公園の写真
『根殿の社』の東側にある遊歩道の分岐点。
左側の遊歩道へ進んでいくと左側に大きな岩があり、その根元に石で囲われた"拝所"らしき場所がありました。
仲順公園にある拝所の写真
『根殿の社』後方の遊歩道沿いにあった"拝所"らしき場所。
"花瓶"代わりのペットボトルが両側に置かれていたので、たぶん"拝所"なのでしょうね。

んで、この"拝所"を後にし、遊歩道をさらに進んでいくと、クルッと回り込んで先程の遊歩道に出ちゃいました。

右折すると『根殿の社』へ戻っちゃうので、左折して公園の東側に向かいます。
仲順公園の写真
南へ伸びる遊歩道沿いにあった大きな岩。この根元にも"拝所"があります。
すると、また遊歩道が二手に分かれていたので左へ左折すると、左奥に大きな岩がありました。

その岩の方へ近づいていくと、こちらの岩の根元にも"拝所"がありました。
仲順公園にある拝所の写真
岩の根元にあった"拝所"。こちらには1基の香炉が置かれていました。
こちらも名称や何が祀られているのかなどの詳細は不明です。。。

また、こちらの"拝所"の右側にも小さな器が置かれた"拝所"らしき場所がありました。
仲順公園の写真
岩の根元にあった"拝所"らしき場所。
んで、こちらの"拝所"を後にして遊歩道を進んでいくと、またクルッと回り込んで先程の遊歩道と合流しちゃいました(笑)。

そしてそのまま進んでいくと、『仲順公園』入口横にあった舞台に戻ってきました。

このまま公園を出ようとすると、今しがた通って来た遊歩道のすぐ横にもう一本平行して別の遊歩道を発見しました。
仲順公園の写真
舞台横から東へ伸びるもう一本の遊歩道。
その遊歩道の先を見てみると、岩の上に大きな石碑が建立されていたので、その岩の手前まで行ってみると・・・
大東亜戦々死者之碑の写真
大東亜戦々死者之碑
『大東亜戦々死者之碑』と記された慰霊碑でした。

また、慰霊碑の台座部分には『殿靈』と記されており、碑の左側には『大東亜戦没者芳名』が記された石碑も建立されていました。

・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、次の目的地へ向かおうとすると、クルマを停めた場所のすぐ近くに少し開けた場所があり、その中央付近に井戸跡がありました。
仲順集落内にあった井戸跡の写真
クルマを停めていた場所のすぐ近くにあった井戸跡。
こちらは、先程の北中城村のマイマップにも記されておらず、"拝所"となっているのかどうかは不明ですが、広場の入口横に3つの置物(?)がありました。
仲順集落内にあった井戸跡の写真
井戸跡がある広場の入口横に、割れた器や霊石らしき石が三つ並べて置かれていました。
こちらの"井戸跡"がある広場まで見学した後、クルマへと戻り、次の目的地へ向かいました。

次に向かったのは仲順集落の北側に位置する岩山で、この岩山がある場所一帯は外人住宅が立ち並んでいます。
仲順集落の北側にある外人住宅の一画にある『仲順大主の墓』の入口。
その外人住宅街の一画に少し劣化した木製の標柱がポツンと立てられており、その標柱には『仲順大主の墓』と記されています。

その標柱が立つ場所から岩山と民家の間へ小道が伸びていたので、そちらへ行ってみると、森の中へ続く小さな階段を発見しました。
仲順大主の墓の写真
岩山の森の中へと続く小さな階段。
外から森の中の様子を伺ってみると、木が倒れたりしてて少し荒れた状態となっていたんですが、意を決して恐る恐る内部へ入っていくと、すぐ右側奥の岩陰に『仲順大主之墓』と記された墓標の立つ御墓がありました。
仲順大主之墓の写真
仲順大主之墓。
北中城村の公式HP内にある『仲順大主の墓』のページを読んでみると・・・

≪仲順大主の墓≫
≪仲順集落の北側はずれの十字路を屋宜原に向かう道と反対方向へ約70m進んだ所に琉球石灰岩の岩山がわずかに残っている。この岩山の北側の岩根を掘り込んでつくられた墓が仲順大主の墓である。
仲順大主の墓と同じ岩山にあった古墓の写真
『仲順大主の墓』のすぐ近くにあった古墓。
仲順大主は、仲順村の創建者といわれる。1259年に英祖に王位を譲り、放浪していた義本王を匿ったとの伝承があることから13世紀中葉の頃の人物だと考えられる。

エイサー曲で有名な「仲順流り」も仲順大主にまつわる伝承が念仏歌になっている。また、歌劇「仲順流り」にも登場する。≫
・・・とありました。

また、この『仲順大主の墓』がある同じ岩山に、もう一基、古墓がありました。

こちらは、完全に岩穴の奥に造られており、手前に香炉と祭壇らしきものが置かれていて、こちらも『仲順大主の墓』と同様に"拝所"となっているようでした。

・・・と、この『仲順大主の墓』と古墓まで見学した後、この日はそのまま帰宅致しまして、数日後、この『仲順大主の墓』から少し離れた場所にある井戸跡を訪れました。
上門ガーの写真
仲順集落から屋宜原に通ずる道路沿いにある『上門ガー』の入口。
こちらの"カー(井戸跡)"は、仲順集落から屋宜原へ通ずる道の途中にあります。
上門ガーの写真
表の道から『上門ガー』へ続く階段。
『上門ガー』は、道路から少し下がった場所にあるので、そこへ伸びる階段を下りていくと、すぐ右側にありました。
上門ガーの写真
上門ガー。
こちらにも説明板があったので、そちらを読んでみると・・・

≪上門ガー≫
≪仲順集落の起源は、ナスの御嶽付近の上門原に住居を構えた七世帯(仲順七煙)にあるとされる。その頃にウブガー(産井戸)として使用されていたのが上門ガーである。
上門ガーの写真
正面から見た『上門ガー』。中央付近に2基の香炉が置かれていました。
井戸の中は、クルトゥ石(砂岩)で左右に区切られていることから、ミートゥーガー(夫婦井戸)でとの伝承もある。

村落祭祀で拝まれることはないが、戦前までは、清明祭の時に個人で拝まれていたようである。≫とありました。
(※参考⇒北中城村公式HP『上門ガー』)
上門ガーの写真
『上門ガー』のすぐ横には霊石らしき石が置かれていました。
また、先程の『仲順大主の墓』とこちらの『上門ガー』は、どちらも北中城村の文化財に指定されているとのことです。

・・・と、『上門ガー』を見学した後は、以前ご紹介した同村喜舎場にある『王妃の墓(ウナサラウハカ)』を見学しに向かいました。

今回、北中城村の仲順集落内にある史跡をご紹介してきましたが、いろいろ調べていくと、一ヵ所だけ行きそびれてしまってたみたいなんですよ。。。

なので、そちらの史跡にも足を運び、後日、こちらの記事に追加でご紹介したいと思います。

今回は、かなり長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『仲順大主之墓』・『根殿の社』・『上門ガー』
・『ウフカー(仲順)』・『大東亜戦戦死者之碑』等

☆場所:〒901ー2303
      沖縄県中頭郡北中城村仲順

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。