以前、北中城村の喜舎場集落内に点在する『喜舎場公の墓』や『王妃の墓(ウナサラウハカ)』、『喜舎場ウフカー(大井泉)』などの史跡を見学してきたので、今度は喜舎場集落の西側に隣接する仲順集落内に点在する史跡を見学しに行ってきました。
沖縄県北中城村仲順に点在する
『仲順大主之墓をはじめとする史跡』☆
舜天一族が祀られている『仲順公園』内の丘陵中腹にある『根殿の社』。 |
こちらは、北中城村の国道329号線と県道81号線、227号線がぶつかる『渡口』の交差点から、県道81号線を同村喜舎場向けに進み、約1㎞ほどの距離にある二つ目の信号を右折すると、その突き当りにあります。
『仲順公園』の入口。 |
公園入口近くにクルマを停めさせてもらい、さっそく見学へ。
・・・と、公園内へ入る前に、ちょこっと寄り道。
公園入口から南向に伸びる道路を少し下ると左側に『ウフカー』と記された小さな石碑があります。
『仲順公園』から南向けに約20mほど進んだところ左側にある『ウフカー』の入口。 |
ウフカー(仲順)。 |
≪ウフカー≫
≪仲順集落は、ナスの御嶽付近から現在地に移動したと伝えられており、ウフカーは、現集落のウブガー(産井戸)である。『ウフカー』の説明板と古い標柱。右側奥はかつての石碑っぽかったです。 |
また、戦後の一時期までここで旧正月の若水を汲んでいた。≫
・・・とありました。
奥側のカー。戸口には扉が設置されていて、中央に一基の香炉が置かれていました。 |
入口側の井泉。透き通った水が溜まっていました。 |
この『ウフカー』を見学した後、『仲順公園』へと入っていきました。
公園に入るとすぐ左側にコンクリート製の方形の建造物があったので、近づいてみると・・・
『サトー泉水』と記されていた建造物。 |
『サトー泉水』の後方には遊具が設置されていました。 |
また、公園入口を挟んで『サトー泉水』の向かい側には大きな舞台が建てられていました。
『サトー泉水』の向かい側にあった舞台。 |
『仲順流り』という琉歌が記された歌碑。 |
「仲順流り」の歌碑を見学した後、舞台の向かい側の丘陵上に社の屋根らしきものが見えたので、そちらへ上ってみると・・・
たぶんこちらが『根殿の社』だと思います。 |
先程の北中城村内の遺跡が記されている『北中城村の遺跡・文化財』によると、この社の後方一帯は『仲順原遺跡散布地』となっているとのことで、その北側に『根殿の社』という"拝所"があるらしいのですが、散布地一帯は柵で囲われており、進入路も見当たらなかったので、たぶんこの立派な祠が『根殿の社』だと思われます。
※あくまでワタクシ個人の憶測で、定かではありませんので、もし間違っていたらすいません。。。
『舜天』・『舜馬順熈』・『義本』の3人が祀られているんだそうですよ。 |
小さい方の格子戸の内部には木製の位牌が三基 納められていました。 |
大きい方の格子戸内部には霊石らしき石と器が納められていました。 |
『根殿の社』の向かい側にあった水盤。 |
『根殿の社』の西側は広場になっていました。 |
『根殿の社』の右側から森の奥へと続く遊歩道。 |
『根殿の社』の東側にある遊歩道の分岐点。 |
『根殿の社』後方の遊歩道沿いにあった"拝所"らしき場所。 |
んで、この"拝所"を後にし、遊歩道をさらに進んでいくと、クルッと回り込んで先程の遊歩道に出ちゃいました。
右折すると『根殿の社』へ戻っちゃうので、左折して公園の東側に向かいます。
南へ伸びる遊歩道沿いにあった大きな岩。この根元にも"拝所"があります。 |
その岩の方へ近づいていくと、こちらの岩の根元にも"拝所"がありました。
岩の根元にあった"拝所"。こちらには1基の香炉が置かれていました。 |
また、こちらの"拝所"の右側にも小さな器が置かれた"拝所"らしき場所がありました。
岩の根元にあった"拝所"らしき場所。 |
そしてそのまま進んでいくと、『仲順公園』入口横にあった舞台に戻ってきました。
このまま公園を出ようとすると、今しがた通って来た遊歩道のすぐ横にもう一本平行して別の遊歩道を発見しました。
舞台横から東へ伸びるもう一本の遊歩道。 |
大東亜戦々死者之碑 |
また、慰霊碑の台座部分には『殿靈』と記されており、碑の左側には『大東亜戦没者芳名』が記された石碑も建立されていました。
・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、次の目的地へ向かおうとすると、クルマを停めた場所のすぐ近くに少し開けた場所があり、その中央付近に井戸跡がありました。
クルマを停めていた場所のすぐ近くにあった井戸跡。 |
井戸跡がある広場の入口横に、割れた器や霊石らしき石が三つ並べて置かれていました。 |
次に向かったのは仲順集落の北側に位置する岩山で、この岩山がある場所一帯は外人住宅が立ち並んでいます。
仲順集落の北側にある外人住宅の一画にある『仲順大主の墓』の入口。 |
その標柱が立つ場所から岩山と民家の間へ小道が伸びていたので、そちらへ行ってみると、森の中へ続く小さな階段を発見しました。
岩山の森の中へと続く小さな階段。 |
仲順大主之墓。 |
≪仲順大主の墓≫
≪仲順集落の北側はずれの十字路を屋宜原に向かう道と反対方向へ約70m進んだ所に琉球石灰岩の岩山がわずかに残っている。この岩山の北側の岩根を掘り込んでつくられた墓が仲順大主の墓である。『仲順大主の墓』のすぐ近くにあった古墓。 |
エイサー曲で有名な「仲順流り」も仲順大主にまつわる伝承が念仏歌になっている。また、歌劇「仲順流り」にも登場する。≫
・・・とありました。
また、この『仲順大主の墓』がある同じ岩山に、もう一基、古墓がありました。
こちらは、完全に岩穴の奥に造られており、手前に香炉と祭壇らしきものが置かれていて、こちらも『仲順大主の墓』と同様に"拝所"となっているようでした。
・・・と、この『仲順大主の墓』と古墓まで見学した後、この日はそのまま帰宅致しまして、数日後、この『仲順大主の墓』から少し離れた場所にある井戸跡を訪れました。
仲順集落から屋宜原に通ずる道路沿いにある『上門ガー』の入口。 |
表の道から『上門ガー』へ続く階段。 |
上門ガー。 |
≪上門ガー≫
≪仲順集落の起源は、ナスの御嶽付近の上門原に住居を構えた七世帯(仲順七煙)にあるとされる。その頃にウブガー(産井戸)として使用されていたのが上門ガーである。正面から見た『上門ガー』。中央付近に2基の香炉が置かれていました。 |
村落祭祀で拝まれることはないが、戦前までは、清明祭の時に個人で拝まれていたようである。≫とありました。
(※参考⇒北中城村公式HP『上門ガー』)
『上門ガー』のすぐ横には霊石らしき石が置かれていました。 |
・・・と、『上門ガー』を見学した後は、以前ご紹介した同村喜舎場にある『王妃の墓(ウナサラウハカ)』を見学しに向かいました。
今回、北中城村の仲順集落内にある史跡をご紹介してきましたが、いろいろ調べていくと、一ヵ所だけ行きそびれてしまってたみたいなんですよ。。。
なので、そちらの史跡にも足を運び、後日、こちらの記事に追加でご紹介したいと思います。
今回は、かなり長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『仲順大主之墓』・『根殿の社』・『上門ガー』
・『ウフカー(仲順)』・『大東亜戦戦死者之碑』等☆
☆場所:〒901ー2303
沖縄県中頭郡北中城村仲順
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。