この前、南城市大里大城にある『ウナザラのお墓』・『ウツーヌアジ墓群』を見学した後、その帰る途中に、同市大里字大里の南風原集落に立ち寄りました。
こちらも、以前から一度散策に訪れてみたかった集落の一つです。
んで、今回はその南風原集落の最高聖地とされる御嶽をご紹介しますね。
南城市大里字大里の南風原区にある
『食栄森御嶽(イイムイウタキ)』☆
南城市大里字大里の南風原集落最高の聖地『食栄森御嶽』 |
次に、県道から左折して道なりに約1.6㎞ほど進んだところにある左側の細い一方通行の脇道に左折し、道なりに約100mほど直進していくと、一方通行の小道沿い右側に『南風原農村公園』があり、『食栄森御嶽』はその敷地内にあります。
赤瓦屋根の家屋の裏にある小高い丘が『食栄森御嶽』です。 |
『南風原農村公園』の北側にある入口。左側に『食栄森御嶽』の標柱が立てられています。 |
以前は、東屋だったみたいな建物だったようですが、現在はご覧の通りに改築され、屋内には祭壇が設けられており、2基の香炉が置かれ、拝所となっています。
『神アシャギ』らしき建物(左)。右側の建物は倉庫とトイレになっています。 |
『神アシャギ』内部。祭壇と向かって左側に香炉が1基ずつ置かれています。 |
≪食栄森御嶽(イイムイウタキ)≫
≪南城市有形民俗文化財≫
≪食栄森御嶽は、農村公園の東側の岩山頂上部分に位置しています。御嶽は、高さ七〇センチメートル程の自然岩を利用した基壇上に建てられており、高さ一・一メートル程で石灰岩を丸く筒状に積み上げ、その上にむくりのついた丸い屋根石が乗せられ、頂上部分に宝珠が置かれています。
この御嶽の形式は大里地区の特徴的なものです。
『神アシャギ』の裏に『食栄森御嶽』の入口があります。 |
石碑には「ここに骨あり世に遠くしてその人知らず 然れども祟りありて嘉慶二十年八月ここに葬る」と記されています。
一説によれば、源為朝と大里按司の妹の間にできた舜天王の墓といわれている。
農村公園一帯には、食栄森御嶽以外にも南風原区の多くの御嶽が所在しています。
平成五年二月二日指定 沖縄県南城市教育委員会≫
・・・とありました。『食栄森御嶽』入口。左右に灯籠が置かれていました。 |
入口内部。右寄りに香炉が置かれており、こちらも拝所となっていました。 |
御嶽の入口は、上の写真にある通り、『神アシャギ』の裏側にあります。
以前は、この入口半分が木の板で閉ざされた状態になっていたようで、その内部に棚が設けられていて、そこに香炉や花瓶が置かれていたみたいです。
『神アシャギ』裏の入口から『食栄森御嶽』へと続く階段。 |
入口を通過すると、急勾配の階段があり、そこを上っていくと『食栄森御嶽』が現われます。
食栄森御嶽 |
南城市の公式HPにある調査報告書などの資料を見てみると、こちらも『ボーントゥ墓』と呼ばれているんだそうです。
※以前、ご紹介した南城市大里大城の『大城按司の墓』と同じ呼称ですね。
食栄森御嶽 |
そして、御嶽に向かって左側にある石碑は、飯森(食栄森)の命名由来を刻銘した墓碑なんだそうです。
命名由来が刻銘された墓碑 |
その銘文は「不思議や其次夜神翁 来ていひもりと唱よと 告命あり仍而由来を 碑文に記之」となっているんだそうですよ。
御嶽に向かって右側の灯籠。 |
しかし、一八一七年になって丁重に供養したところ、その翌日の夜に神が現われ、その場所を「いひもり」と呼ぶようにという告命があり、その由来を碑文に刻銘したとのことです。(『石碑概観ー県内の石碑採拓を通してー』より一部引用)
上の写真の通り、石碑はほぼ中央あたりから二つに割れているんですが、未接合の状態なんだそうですよ。
『食栄森御嶽』から北へ伸びる小道の先にある拝所。 |
資料によると、こちらの拝所は『今帰仁城』への遥拝所なんだそうです。
今帰仁城への遥拝所。 |
『神アシャギ』のある場所の南側から小さな遊歩道が伸びており、そこを入ってすぐ左側にも小さな香炉が2基置かれてました。
『神アシャギ』南側の遊歩道入口にあった2基の香炉。 |
『神アシャギ』南東側にある大きなガジュマルの木。根元と左側に拝所があります。 |
ガジュマルの木の根元付近にある拝所。『太陽岩』と刻まれた標柱が立てられていました。 |
また、ガジュマルの木は石灰岩上に立っており、その根元には小さな洞穴があって、その洞口に香炉が1基置かれてました。
太陽岩 |
ガジュマルの木の根元にある小さな洞口。香炉が1基置かれてました。 |
『太陽岩』後方の岩壁の根元にあった拝所。 |
ガジュマルの木が立つ場所の下方にある2基の『大瀬山』の拝所。 |
んで、上の拝所は男子誕生に際して祈願する場所で、下の拝所は女子誕生に際して祈願する場所となっているんだそうです。
『大瀬山』と呼ばれる拝所 |
『大瀬山』と呼ばれる拝所。 |
その拝所は『天川』と呼ばれる拝所なんだそうです。
『天川』と呼ばれる拝所。 |
写真左側の岩の根元に香炉が1基置かれており、拝所となっているようでした。 |
東ヌ御嶽(アガリヌウタキ) |
遊歩道はこちらで行き止まりとなっているので、先程のガジュマルの木がある場所まで一度戻ります。
そして、そこから南側へと伸びる遊歩道へ進みます。
その南側へ伸びる遊歩道の途中に脇道があり、その先にも拝所がありました。
拝所 |
南城市の公式HPにある各資料を見ると、その拝所の名称や由来などの情報が分からない拝所も多数あり、資料にも『拝所』としか明記されていません。
なので、こちらの石で囲われた拝所も名称不明でした。。。
そして次に現れたのは『美人堂』という拝所です。
美人堂 |
≪美人堂≫
≪女の子が生まれたら美人に育ちますようにと祈願したといわれる御嶽で、男子禁制だったという言い伝えもあります。石灰岩造の四角錐の屋根には小さな宝珠が載っています。
御嶽の向かいに石造りの門柱の跡があり、南側に道が延びていた可能性があります。≫
・・・とありました。
美人堂 |
拝所 |
小谷殿内門中 |
本家小谷殿内(ムートゥヤーウクルンチ) 御霊位御在所 |
すると、道路から上の方へと伸びる階段があり、そのすぐ隣にカー(井泉)がありました。
下ヌ井(シチャヌカー) |
≪下ヌ井(シチャヌカー)≫
≪上ヌ井(イーヌカー)に対し下のほうにあるので下ヌ井と呼ばれます。字が管理するムラガーで、水質もよく水量も豊富だったことから主に飲料水として使われ、簡易水道ができる以前は貴重な水源でした。
別名「さあし御川(うかー)」「サースガー」ともいいます。
下ヌ井(シチャヌカー) |
大正時代に一部改築されており、上の梁には戦争の銃弾の跡が残っています。≫
・・・とありました。
『下ヌ井』から水道管のような配管が出てきてたので、現在も大事に使用されているようでした。
また、カー(井泉)のすぐ隣には祠状の拝所があり、香炉が1基置かれていましたね。
この『下ヌ井』を見学した後、階段を上っていくと、その途中左側にもまた香炉が1基置かれてました。
拝所 |
『食栄森御嶽』の裏側 |
『南風原農村公園』入口から丘の上に伸びる細い階段。 |
慰霊塔(?) |
『慰・霊・塔』と刻銘されているっぽかったです。。。
慰霊塔(?) |
カー跡 |
今回も、かなり長くなってしまいましたので、この続きはまた別の回にしましょーね。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『食栄森御嶽』・『松尾御嶽』他☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市大里字大里 (南風原区)
☆見 学:無料
☆駐車場:無し