ハイサぁ~イ☆
今日の沖縄本島は、夜明け前までは、時折小雨が降ったりして、微妙な天気でしたが、次第にいい天気になりました☆
天気予報では、来週の火曜日まで晴れる見込みで、水曜日からはまた天気が崩れるとのこと。。。
ですが、向こう一週間は、最高気温が20度を超える見込みなので、少し暖かくなるみたいですね♪
あとは、風が収まってくれるといいんですが・・・( ̄▽ ̄;
さてさて☆
この前、沖縄自動車道北中城インター近くの高台にある公園に行ってきました☆
この公園のすぐ隣には、琉球王国第二尚氏王統の初代国王『尚円王』の子供言われる『中城若松』が城主となったグスクがあり、園内にはその『中城若松』のお墓や拝所があるとのことなので、ちょっと見学しに行ってきました☆
沖縄県中頭郡北中城村安谷屋にある
こちらは、北中城村の国道330号線と県道81号線がぶつかる『石平』の交差点から、県道81号線に入り二つめの信号を過ぎて、右側に『OASIS Mansion』と書かれた5階建てのアパートがあり、そのアパート横の道から入っていくと、右側にあります☆
公園入口には、琉球王国・第二尚氏王統の初代国王『尚円王』と安谷屋のノロ(祝女)との間に生まれたと言われる『中城若松』と、玉城朝薫の組踊『執心鐘入』に登場する宿の女『座主(ざす)』の像が、階段を挟んで両側に建てられてます。
中城若松の像の土台にある説明版には・・・
≪中城若松(一名、安谷屋の若松)は、この地に生育し、長じて趣里に召され、真和志間切上間村の地頭職に就き、章氏の始祖となり、没後この地に移葬されたと伝えられる。
この若松公園内に、若松の墓、若松の母と夫人の墓があり、生誕屋敷にあったヒーヌカン(火の神)が残存する。若松は、『おもろさうし』にも謡われ、幼少時におもろ歌唱の名人、あかのこと出会い、心根のやさしい少年として称えられている。
玉城朝薫の組踊『執心鐘入』は、中城若松にかかわる故事を踏まえて創作されたといわれる。中城若松ゆかりの地に、若松公園の開設を記念し、組踊の容姿端麗な中城若松と艶麗な宿の女の像を建立する。
『中城若松』と『座主』の像の後ろには、中城若松を詠った『おもろさうし』の碑があります。
また、若松公園入口前の道をさらに奥に進んでいくと、拝所となっているカー(井泉)『チブガー』があります。
中城若松を詠った碑を通り過ぎると、公園の遊歩道に出ます。
遊歩道に設置された案内板後方には、小さな丘があるんですが、そこは『与那覇(ユナハン)岳』と呼ばれ、頂上には『中城若松の墓』があります。
丘の頂上に登るには、公園の裏手側にある階段から行くことができます。
公園裏側に回ると、そちらにも公園入口があるんですが、その途中には『邊土大主之墓』があり、そのすぐ近くにもカー(井泉)がありました。
この『邊土大主之墓』について、いろいろ調べたんですけど、詳細は分かりませんでした。。。
また、近くにあるカー(井泉)についても、拝所となってるみたいですが、何も分かりませんでしたね。
この『邊土大主之墓』がある公園裏側の入口から、丘の頂上に向かって階段がありましたが、現在は、整備工事中のため、迂回しないと頂上に辿り着けません。
迂回するために、遊歩道をさらに歩いていくと、左手に岩が見えてきます。
その岩の周辺には、小さな祠と『中城若松』の屋敷跡の『火ヌ神』が祀られた拝所、そして『カンジャーヤー跡』があります。
『中城若松』の屋敷跡の『火ヌ神』は、隣に建てられた説明版によると、もともと現在の多目的広場の中央部にあったみたいですが、広場を建設する際に、こちらに移設したんだそうです。
説明版によると・・・
≪火ヌ神の祠移設の経緯
この祠は、北東約七〇メートルのちてん、多目的広場の中央部にあった中城若松屋敷跡に建っていたが、広場建設のため、屋敷跡が埋められることになり、一九八九年二月十二日に現在地に移設された。≫
・・・と、ありました。
さらに、この『火ヌ神』の向かい側にある、岩の下方に、ガマのような場所があり、入口はブロックで塞がれていたんですが、北中城村の公式HPにある『カンジャーヤー跡』とは、たぶんこちらなのでは?と思います。
この『中城若松の屋敷跡の火ヌ神』から、丘陵を北西側に歩いていくと、先ほどお話した『中城若松の墓』がある『与那覇岳』に行けます。
『中城若松の墓』の横に設置された説明版によると・・・
≪若松は、中城若松とも安谷屋の若松とも称され、『おもろさうし』にもあっぱれな少年として謡われている。玉城朝薫の組踊『執心鐘入』(1719年)でも主人公のモチーフとなった人物とされている。
若松は、尚円王(金丸)と安谷屋ノロとの間に生まれたとの伝承もあり、長じて安谷屋城主になり、のち趣里に上り、上間村(現在の那覇市上間)の地頭職に就き、『章氏』の始祖となったといわれる。
死後安谷屋のこの地(通称ユナハン岳)に葬られたと伝えられる。
若松に関する歴史的伝承だけでなく墓所の周辺には、安谷屋発祥の地とされる安里原(俗称)に若松の屋敷跡や火の神(移設)があり、その隣には安谷屋グスク、墓の裏には若松の妻と母親の墓もあって、この地は、若松の実在を示す由緒ある場所となっている。
岩上に塔型(上に宝珠)のセメント製の祠が設置され、現在、それが墓として拝されている(香炉の後ろを墓とする見方もある)。≫
・・・と書かれていました。
この『中城若松の墓』を通過すると、丘の下の方に伸びる階段と、右側に開けた場所がありました。
この開けた場所の先には、拝所?らしきものがありましたが、詳細は分かりませんでした。
んで、下の方に伸びる階段を下りていくと・・・
階段を下りて行った先には、崖の麓にお墓がありました。
この一帯には、石積みの石垣や石段もありましたね。
・・・と、ここまでが公園内にあった、史跡や拝所などです。
今度は、この『若松公園』と隣接する、中城若松が城主となったとされる『安谷屋グスク』をご紹介しますね☆
少し長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『若松公園』☆
☆場所:〒901-2316
沖縄県中頭郡北中城村安谷屋131
☆お問い合わせ:北中城村役場 建設課 都市計画係:098-935-2233 内線406
☆時間:自由見学 ※施設利用は、午前9時~午後9時
☆駐車場:あり
☆トイレ:あり
今日の沖縄本島は、夜明け前までは、時折小雨が降ったりして、微妙な天気でしたが、次第にいい天気になりました☆
天気予報では、来週の火曜日まで晴れる見込みで、水曜日からはまた天気が崩れるとのこと。。。
ですが、向こう一週間は、最高気温が20度を超える見込みなので、少し暖かくなるみたいですね♪
あとは、風が収まってくれるといいんですが・・・( ̄▽ ̄;
さてさて☆
この前、沖縄自動車道北中城インター近くの高台にある公園に行ってきました☆
この公園のすぐ隣には、琉球王国第二尚氏王統の初代国王『尚円王』の子供言われる『中城若松』が城主となったグスクがあり、園内にはその『中城若松』のお墓や拝所があるとのことなので、ちょっと見学しに行ってきました☆
沖縄県中頭郡北中城村安谷屋にある
『若松公園』☆
北中城村の『若松公園』入口☆ |
公園入口には、琉球王国・第二尚氏王統の初代国王『尚円王』と安谷屋のノロ(祝女)との間に生まれたと言われる『中城若松』と、玉城朝薫の組踊『執心鐘入』に登場する宿の女『座主(ざす)』の像が、階段を挟んで両側に建てられてます。
中城若松(左)と宿の女『座主』(右)の像 |
≪中城若松(一名、安谷屋の若松)は、この地に生育し、長じて趣里に召され、真和志間切上間村の地頭職に就き、章氏の始祖となり、没後この地に移葬されたと伝えられる。
この若松公園内に、若松の墓、若松の母と夫人の墓があり、生誕屋敷にあったヒーヌカン(火の神)が残存する。若松は、『おもろさうし』にも謡われ、幼少時におもろ歌唱の名人、あかのこと出会い、心根のやさしい少年として称えられている。
玉城朝薫の組踊『執心鐘入』は、中城若松にかかわる故事を踏まえて創作されたといわれる。中城若松ゆかりの地に、若松公園の開設を記念し、組踊の容姿端麗な中城若松と艶麗な宿の女の像を建立する。
一九九一年 二月吉日≫
・・・と、書かれていました。『中城若松』と『座主』の像の後ろには、中城若松を詠った『おもろさうし』の碑があります。
中城若松を詠った『おもろさうし』が刻まれた碑 |
拝所となっている『チブガー(井泉)』 |
遊歩道に設置された案内板後方には、小さな丘があるんですが、そこは『与那覇(ユナハン)岳』と呼ばれ、頂上には『中城若松の墓』があります。
丘の頂上に登るには、公園の裏手側にある階段から行くことができます。
公園内にある展望台からみた『与那覇(ユナハン)岳』 |
展望台から見た沖縄自動車道のトンネルの右上にある『ヒニグスク』 |
邊土大主之墓 |
『邊土大主之墓』のすぐ近くにあったカー(井泉) |
また、近くにあるカー(井泉)についても、拝所となってるみたいですが、何も分かりませんでしたね。
この『邊土大主之墓』がある公園裏側の入口から、丘の頂上に向かって階段がありましたが、現在は、整備工事中のため、迂回しないと頂上に辿り着けません。
上の方に見える小さな突起がある場所が『中城若松之墓』です。 |
その岩の周辺には、小さな祠と『中城若松』の屋敷跡の『火ヌ神』が祀られた拝所、そして『カンジャーヤー跡』があります。
拝所 |
拝所のアップ |
『中城若松の火ヌ神』と説明版 |
≪火ヌ神の祠移設の経緯
この祠は、北東約七〇メートルのちてん、多目的広場の中央部にあった中城若松屋敷跡に建っていたが、広場建設のため、屋敷跡が埋められることになり、一九八九年二月十二日に現在地に移設された。≫
・・・と、ありました。
さらに、この『火ヌ神』の向かい側にある、岩の下方に、ガマのような場所があり、入口はブロックで塞がれていたんですが、北中城村の公式HPにある『カンジャーヤー跡』とは、たぶんこちらなのでは?と思います。
カンジャーヤー跡? |
『中城若松の墓』の横に設置された説明版によると・・・
≪若松は、中城若松とも安谷屋の若松とも称され、『おもろさうし』にもあっぱれな少年として謡われている。玉城朝薫の組踊『執心鐘入』(1719年)でも主人公のモチーフとなった人物とされている。
若松は、尚円王(金丸)と安谷屋ノロとの間に生まれたとの伝承もあり、長じて安谷屋城主になり、のち趣里に上り、上間村(現在の那覇市上間)の地頭職に就き、『章氏』の始祖となったといわれる。
死後安谷屋のこの地(通称ユナハン岳)に葬られたと伝えられる。
北中城村指定史跡 中城若松の墓 |
岩上に塔型(上に宝珠)のセメント製の祠が設置され、現在、それが墓として拝されている(香炉の後ろを墓とする見方もある)。≫
・・・と書かれていました。
この『中城若松の墓』を通過すると、丘の下の方に伸びる階段と、右側に開けた場所がありました。
『中城若松の墓』から少し離れた場所にあった展望台のような場所 |
んで、下の方に伸びる階段を下りていくと・・・
崖葬墓 |
崖葬墓の横にあった香炉 |
この一帯には、石積みの石垣や石段もありましたね。
崖葬墓からさらに奥にあった香炉 |
今度は、この『若松公園』と隣接する、中城若松が城主となったとされる『安谷屋グスク』をご紹介しますね☆
少し長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『若松公園』☆
☆場所:〒901-2316
沖縄県中頭郡北中城村安谷屋131
☆お問い合わせ:北中城村役場 建設課 都市計画係:098-935-2233 内線406
☆時間:自由見学 ※施設利用は、午前9時~午後9時
☆駐車場:あり
☆トイレ:あり