◎『伊波城』の城主・伊波按司の子孫が築いたとされるグスク☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2015年9月8日火曜日

◎『伊波城』の城主・伊波按司の子孫が築いたとされるグスク☆

どもども♪

昨日の沖縄本島は、一日中雨が降ったり止んだりと、あまりパッとしない天気でしたね。。。

ですが、週間天気予報によると、今日からの一週間は晴れ時々曇となっていて、少しばかり天候が安定しそうです(^-^)♪

日中は、まだまだ暑いんですが、夜になると少しばかり風もあってだいぶ過ごしやすくなってきました☆

この調子だと明日・明後日くらいには、久しぶりに夜釣りに行ける・・かな・・・?(^艸^)♪

さてさて☆

この前、『伊波城跡』『伊波ヌンドゥンチ』などの『史跡』を見学して回った後、まだ時間が少し余ってたので、今いる場所からすぐに向かえる史跡はないかとコンビニの駐車場でネット検索してみると・・・

そこからクルマで10分圏内のところにグスクがあることを発見!!( ̄▽ ̄)ノ

すぐさまそのグスクへ向かいました☆

沖縄県うるま市字安慶名にある
『安慶名城跡(あげなじょうあと)
安慶名城跡
(グスク北側に『天願川』とゆー川があり、その川のことを『大川』と呼ぶことから、大川グスクとも言われています)
こちらは、うるま市の県道75号線と県道8号線が交差する安慶名交差点から、県道8号線をうるま市栄野比向けに進み、二つ目の信号を右折して、約100mくらい進むと左側に『安慶名中央公園』があります。

その『安慶名中央公園』内に『安慶名城跡』があります☆
安慶名中央公園の石碑
この『安慶名中央公園』内には、安慶名グスクと闘牛場があるんですが、うるま市のHPによると、こちらでの闘牛大会は、年間1~2回しか開催されていないとのこと。

1年を通しての闘牛大会のほとんどは、平成19年5月に新しく完成したうるま市石川にある『うるま市石川多目的ドーム』にて開催されているんだそうです。

と、話を戻しまして( ̄▽ ̄)ノ

公園内の駐車場のすぐ後ろには原っぱがあるんですが、グスクへの入口の案内がどこにもありません。。。

んで、原っぱを散歩していたおじさんに声をかけると、ご親切にも入口の場所とちょっとしたグスクの説明をしてくださいました♪
おじさん、その節は大変ありがとうございましたm(_ _)m
安慶名グスクへの入口・・・原っぱの奥にある木々の間から入っていきます。。。
グスク入口には、コンクリート製の説明板と3つの石碑、グスク入口の門柱?みたいなのがあります。
安慶名グスク入口
コンクリート製の説明板によると・・・
≪史跡 安慶名城跡 昭和47年5月15日国指定
安慶名城は、14世紀の頃、安慶名大川按司によって築城されたと伝えられ、一名大川城とも呼称されています。

城跡は天願川畔の平地に屹立する琉球石灰岩の山全体を占め、自然断崖を巧みに利用して城壁とし、さらに山の中腹部から野面積み手法によって城壁を築きあげています。

中心部は山頂台地であり、これを抱護するように外郭をめぐらした輪郭式の構造をもっています。

内部南側に開口する城門までは、東側下方から斜面に沿って石造の階段がとりつけられています。

城門は自然の岩盤の裂け目を利用して、これを一部切削し、さらに切石を組み合わせて、アーチ状に建造したものとなっています。

城門の間隔は約1.0mと比較的狭くしてあり、内部中央付近の上下両脇には、とりつけるための敷居・鴨居穴がみられます。

城内からは中国製の陶磁器やグスク時代の土器等が出土しています。
文部省 沖縄県≫
・・・と書かれていました。

すぐ上の写真左側の石碑は、この説明板に書かれている文部省 沖縄県の指定史跡の碑なんですが、説明板のすぐ後ろに建てられている石碑は、なんと!『琉球政府』の石碑なんですよ!!ヽ(^。^)ノ
琉球政府 文化財保護委員会の石碑!
この『琉球政府 文化財保護委員会』の石碑には、【建設 1967年6月30日】と記されていました。

スゴくないですか?『日本政府』ではなく、『琉球政府』ですよ!?

国や市町村指定の石碑は、何度も見てきましたが、『琉球政府』の石碑は初めて見ましたね。。。

この石碑を教えて下さったのが、先程のおじさんでしたo(^-^)oホントにありがとうございましたm(_ _)m

ここで、おじさんとは別れて、いよいよグスク内を見学しに行きました☆
石積みの階段
石碑の後ろから山頂へと延びる階段を上がっていくと、その途中に白い石積みの御墓があります。

そのお墓は、この安慶名グスクの城主・安慶名大川按司のお墓なんだそうです。
岩陰にある白っぽい石積みが安慶名大川按司のお墓
この安慶名大川按司は、『伊波城跡』の城主・伊波按司の三男(若しくは五男)と言われており、子供達に具志川・天願・屋良・喜屋武などにグスクを築かせ、中部一帯に勢力を誇っていたとのことです。

最初は、同じ中部の兼箇段とゆー地域にグスクを築こうと計画していたみたいですが、現在の安慶名グスクがある場所の方が、お城を築くのに適していると判断し、こちらに築いたと考えられてるようです。

本島中部に勢力を着々と築き上げてきた安慶名按司でしたが、それを恐れた中山王である尚真王は安慶名グスクへの侵攻を開始します。
安慶名大川按司のお墓からさらに上に登っていくと、内郭へと通じる自然岩と
石積みをうまく組み合わせて造られた城門があります。
内郭側からみた城門
しかし、勢力もあり堅牢に造られた安慶名グスクであるため、中山軍はなかなか落城させることができませんでした。

何か攻め入る手立てが無いかと、いろいろ調査してみると、グスク内には水が無いことがわかり、水攻めを開始します。

すると、安慶名グスク側は、米を馬に浴びせて見せ、遠くから見るとあたかも水を浴びせているように見せていました。

これを見た中山軍は落胆しましたが、やはりグスク内には水が無いことがバレてしまい、その結果、安慶名グスクは落城することとなりました。

安慶名グスクの内郭は、2つに分けられていて出入り口がある側の広場には2つの拝所と石碑があり、奥側の広場には、拝所と石碑が1つずつありました。
内郭の入口がある広場側から内郭奥側の城壁を見たところ
内郭奥の広場
まずは、内郭の奥側の石碑と拝所から。
《天帯子(テンタイシ)の結び 具志久美登繁座那志(グシクミトウハンザナシ) 中が世うみない母親》と掘られた石碑
内郭奥側の自然岩の上にありました。
岩の上にある石碑の下側にある拝所
この内郭奥側の城壁には、狭間(サマ)と呼ばれる弓矢などを放つための小さな穴も残されています。
狭間(銃眼とも)
内郭奥側の城壁
続いては入口がある側の内郭の石碑と拝所。

《天帯子御世(テンタイシウユウ) 安慶名宇志仁大主(アゲナウシジンウフヌシ) 中が世丑のみふし》と掘られた石碑
石碑のすぐ近くにあった拝所
もう1つの拝所
こちらの内郭にも狭間(銃眼)の跡らしき穴がありましたが、こちらは貫通していませんでしたね。
狭間(銃眼)の跡?
写真右側の城壁の壁面にも、狭間(銃眼)の跡らしき穴がありました。
自分が確認できた石碑・拝所・狭間(銃眼)はこれだけでした。

石碑や拝所などを見学して、次に向かったのは、外郭の城壁。
外郭の城壁
とても綺麗な状態で残されていました。
外郭の城壁の角にあった石碑らしき石。
外郭の城壁から内郭の高く積み上げられた城壁を望む
・・・と、ここでグスクの見学は終了致しました。

沖縄にあるグスクは、郭が縦方向や横方向に連なって造られた連郭式がほとんどなのですが、この安慶名グスクは内側の郭を外側の郭で囲うようにして造られているとても珍しい輪郭式のグスクです。

自然岩を利用して造られた城門や高く綺麗に積み上げられた城壁など、見応えのあるグスクですので、もし機会があれば、ぜひ一度、訪れてみてはいかがでしょうか?

今回は大変長くなってしまいましたが、この辺で。。。でわでわ☆★☆
城壁からの眺め
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ    

☆『安慶名城跡』☆

☆場所:〒904-2214
      沖縄県うるま市字安慶名1045

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場有り(公園内)

☆トイレ:有り(公園内)

☆自動販売機:有り(公園内)