子孫繁栄と無病息災を祈願する伝統行事の際に門中一族が集まる平安座島の拝井泉☆|沖縄放浪日記

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2018年4月19日木曜日

子孫繁栄と無病息災を祈願する伝統行事の際に門中一族が集まる平安座島の拝井泉☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、うるま市與那城屋慶名にある『キングタコス 与勝店』をご紹介しましたが、そちらで美味しい"タコライス"を食べた後、少し時間があったので、ついでにうるま市に属する『平安座島』の平安座集落北側に位置する拝井泉を見学しに行ってきました。

まず最初に向かったのは、1995年(平成7年)6月14日にうるま市(当時は与那城町)の文化財に指定された拝井泉です。

沖縄県うるま市与那城平安座(平安座島)にある

『与佐次川(ユサチガー)

与佐次川(ユサチガー)の写真
集落の北側を走る道路沿いにある赤瓦屋根の『与佐次川(ユサチガー)』。
こちらは、まずうるま市の県道10号線『海中道路』、そして37号線がぶつかる『海中道路西口』の交差点から『海中道路』に入り『平安座島』に渡ります。
平安座島の写真
『浜比嘉島』を訪れた際に撮影した『平安座島』遠景。
次に『平安座島』『浜比嘉島』を結ぶ238号線県道10号線がぶつかる交差点も、そのまま『宮城島』向けに進み、その交差点から約360mほどの距離左側にある脇道へ左折し、約100mほどの距離左側にある2つめの脇道をまた左折します。

そして、そこから約330mほど進んでいくと、道路沿い右側にあります。
与佐次川(ユサチガー)の写真
平安座集落後方を走る道路沿いにある『与佐次川(ユサチガー)』。
『与佐次川(ユサチガー)』周辺には駐車場が無いので、近くの路肩にクルマを停めさせてもらい、さっそく見学へ向かいました。
与佐次川(ユサチガー)の写真
与佐次川(ユサチガー)
『与佐次川』の前にいくと、赤瓦屋根を支える柱に小さな説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみると・・・
与佐次川(ユサチガー)の写真
赤瓦屋根の支柱に設置されていた説明板。
≪与佐次川≫
≪●泉井は、古くは山手の方にあったと伝えられるが乾隆年間(1737年頃)に現在地に移設した石像建築で与那城町の指定文化財である。

●瓦屋根の建造は平成11年2月10日(1999年)に完成した。
平安座自治会≫
・・・とありました。
与佐次川(ユサチガー)の写真
『与佐次川』の右側に建立されていた"おもろ"が刻まれた石碑とその歌意と由来が記された碑文。
また、『与佐次川』の右側には嘉靖10年(1531年)から天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌謡集『おもろさうし』にある神歌(おもろ)の一首が刻まれた石碑と、その歌意と由来が記された石碑が建立されていました。

歌碑には≪ひやむざよ さきかわ てもち よすきいちへて くにてもち おぎやかもいに みおやせ(平安座濯ぎ川 手持ち 濯ぎ出ぢへて 国手持ち おぎやか思いに みおやせ) おもろさうし第十六巻二十八章≫と刻まれていました。
(※参考⇒『おもろさうし』テキストデータベース 16-1154(28)うらおそい節)
与佐次川(ユサチガー)の写真
おもろさうし 第十六巻二十八章のおもろが刻まれた歌碑。
そして碑文と由来が記された石碑には・・・
平安座ゆさちかーに 宝物玉を浄めて その宝物を 我が国主に尚真王にささげん

琉球最古の歌謡集「おもろさうし」にある神歌の一種である。平安座ゆさちかーが如何に神聖なる井泉であり歴史的に常拝されてきたががうかがわれる。
与佐次川(ユサチガー)の写真
歌意と由来が記された石碑。
このゆさちかーを平安座島では産井かー(うぶいかー)とも呼び子供の誕生には産水としても汲んできた。

又旧正月三日には門中一族が参詣。子孫繁昌、無病息災を聖水に祈願するウビナティーは由緒ある伝統行事として平安座人の心のよりどころとなって代々続いている。
平成六年九月吉日建立 平安座自治会≫
・・・とありました。
与佐次川(ユサチガー)の内部の写真
『与佐次川(ユサチガー)』の内部。
『与佐次川』の内部は、綺麗な石垣で囲われており、奥の方には水源である方形の穴が設けられ、そこに御願の際に使用したと思われるヒラウコー(平線香)が数本置かれたままになっていました。

現在も水を湛えているらしく、『与佐次川』内部には水の流れ出る音が響いてました。
ユタカガー(東豊河)の写真
『与佐次川』の右側の傾斜地にある2つの拝井泉。
『与佐次川』を見学した後、右側の傾斜地に2つの井泉を発見したので、今度はそちらの方を見学することに。。。
ユタカガー(東豊河)の写真
うるま市教育委員会の資料では『カー』とだけ記載されていました。
傾斜地にある"カー(拝井泉)"は、上下2ヵ所に分かれており、下側の"カー"は、うるま市の資料にある遺跡分布図には"カー"とだけ記されていたので、正しい名称は不明です。
(※参考⇒『うるま市文化財シリーズ③ うるま市の遺跡』)

また、こちらは古い方形の石垣で水源を囲うように造られていましたが、手前右側の石垣が少し崩れた状態になっていました。
ユタカガー(東豊河)の写真
"カー"の貯水槽。
貯水槽の中を覗き込むと、水が溜まっており、こちらもまだ水を湛えているようでしたね。

下側の"カー"を見た後、左側にある階段を上がり、上側の"カー"を見学しに向かいました。
ユタカガー(東豊河)の写真
上の"カー"に続く階段途中にある貯水槽。
すると、その途中の斜面にコンクリートで造られた方形の小さな貯水槽を発見。

これは、傾斜地の上の方から流れてくる水をこちらで一時的に溜め、流れ出る方向を変えるために造られたものと思われます。

そして、この小さな貯水槽を通過すると、目の前にコンクリートで造られた大きな"カー"が現れます。
ユタカガー(東豊河)の写真
ユタカガー(東豊河)。
うるま市の資料によると、こちらは『ユタカガー』と称される拝井泉なんだそうですが、"カー"の奥の内壁には『東豊河』と記されていました。
ユタカガー(東豊河)の写真
『ユタカガー』の内部。奥の内壁に右から『東豊河』と記されています。
また、今でも豊富な水を湛えているらしく、水道管やホース等が設置されていました。
ユタカガー(東豊河)の写真
『ユタカガー(東豊河)』の貯水槽。
『ユタカガー(東豊河)』を見学した後、『ユタカガー』の左側に傾斜地の上へと続く獣道を発見。
ユタカガー(東豊河)の写真
『ユタカガー(東豊河)』の左側にあった獣道。
その先にも何かあるんぢゃないかなぁ~と思い、そちらの方にも行ってみると・・・
ユタカガー(東豊河)の写真
『ユタカガー』の上方にあった畑。
個人所有と思われる畑しかありませんでした(泣)。

・・・と、ここまで見学した後は、クルマへと戻り、『与佐次川』前の道を北向けに進みました。
貯水槽の写真
平安座集落の北側を走る道路沿いにあった貯水槽。
すると、道路沿いにあるガードレール後方にトタン屋根の貯水槽を発見。

こちらは、"カー(拝井泉)"っぽくはなかったんですが、道端には香炉のようなものが置かれていたり、貯水槽横にも平たい石が設置されていたので、もしかすると、こちらも拝井泉となっているのかもしれませんね。。。
※あくまで個人的な憶測なので、定かではありませんが。。。
貯水槽の写真
貯水槽の横。香炉っぽい方形の石と平たい石が置かれていました。
この貯水槽は、湧き水を溜めるように造られているのではなく、上のトタンから流れ落ちる雨水を溜めるために造られているような感じでしたね。
貯水槽の写真
貯水槽は2つに分けて造られていました。
この貯水槽を後にし、道をさらに進んでいきます。

すると、集落の北西側の道路沿い右側に古い石積みで囲われた拝井泉をまたまた発見しちゃいました。
イシガー(石河)の写真
イシガー(石河)。
路肩にクルマを停め、その拝井泉に近づいてみると、こちらもコンクリート製の屋根が設けられており、間口には金網が設置されていました。

うるま市の資料によると、こちらは『イシガー(石河)』と称される拝井泉とのことで、こちらの湧水は、かつては集落の生活用水として使用されていたんだそうです。
イシガー(石河)の写真
イシガー(石河)。
また、こちらの拝井泉は旧正月の際に、一部の平安座集落の家族や親せき達が拝みを行う場所でもあるのだそうですよ。
(※参考⇒『うるま市文化財シリーズ⑧ 平安座島』)
イシガー(石河)の写真
『イシガー(石河)』手前右側には霊石らしき円形の石が置かれていました。
こちらも『与佐次川』や『ユタカガー(東豊河)』等と同じように、今でも水を湛えていました。
イシガー(石河)の写真
『イシガー(石河)』の貯水槽。
この『イシガー(石河)』を見学してクルマへ戻ろうとすると、『イシガー』の道向かいに方形の建物を発見。

これはもしや・・・と思い、建物の前方へ回り込んでみると・・・
イシガーの道向かいにある拝所の写真
『イシガー』の道向かいにある拝所。
内部に祭壇が設けられていて、その上に香炉や位牌等が置かれており、予想通り、こちらは"拝所"となっていました。

ただ、うるま市の『平安座島』に関する資料の分布図等にはこちらの拝所は、掲載されていないので、たぶん集落に住む門中の"拝所"なのでしょうね。

そして、『イシガー』やこの"拝所"から道を西向けに進んでいくと、今度は左側にある民家前にも拝井泉を発見しました。
ミーガー(新河)の写真
民家前にあった『ミーガー(新河)』。
うるま市の資料の分布図によると、こちらは『ミーガー(新河)』と呼ばれる拝井泉のようで、コンクリートブロック造となっており、先述してきた拝井泉と同様に間口には金網が設置されていました。

この『ミーガー』の左側に小さな畑があり、そこで農作業をしていた集落の方に少しだけお話を伺うと、かつてはここで洗濯をする時に使用していた井泉とのことでした。
ミーガー(新河)の写真
『ミーガー』の貯水槽。こちらは半月状に造られていました。
水道が普及した現在、こちらではもちろん"洗濯"はしていませんが(笑)、今でも水が湧き出ているようで、近隣の畑への水やりに使用されているとのことでした。

この『ミーガー』を見学させて頂いた後は、そのままクルマへと戻り、この日最後に平安座集落の南西側に位置する『海中道路』沿いにある『平安座西公園』に立ち寄りました。
世開之碑の写真
世開之碑(よあけのひ)。
この公園の西の端に大きな石碑が建立されているんですが、こちらは『世開之碑(よあけのひ)』という石碑で、うるま市の資料によると、1978(昭和53)年に海中道路接続記念碑として建立されたものなのだそうです。
世開之碑の写真
石碑の台座部分に刻まれた詩。
また、石碑の台座部分には詩と海中道路建設沿革が記されていたんですが、詩は難しい文字で記されていて判読出来ず、また海中道路建設沿革もかなり薄ーく刻まれていたため、こちらも判読出来ませんでした。。。(泣)
世開之碑の写真
台座部分にある『海中道路建設沿革』。
ワタクシがまだ幼かった頃、両親と一緒に『海中道路』を訪れた時は、『海中道路』はまだ片側一車線の細~い道路だったことを記憶しております(笑)。

あの時は、道路幅が狭く、道の両側はすぐ海なので、幼いながらにクルマ落っこちないかなぁ~なんてビクビクしていたものです(笑)。

それが今や片側2車線の立派な県道となり、海に落っこちる心配もなく(笑)、勝連半島から『平安座島』・『宮城島』・『伊計島』・『浜比嘉島』に安全・快適に渡ることができるようになっちゃいましたね(笑)。
(※参考⇒Wikipedia『海中道路』)

『世開之碑』を見ながら、つい過去の思い出にふけっちゃいました(爆)。

・・・と、この『世開之碑』を見学した後、この日はそのまま帰宅の途に就きました。

んで、別の日に『宮城島』へ出かけた際、その帰りに平安座集落の東側の県道10号線沿いに"拝所"があるのを発見したので、ついでにそちらもご紹介させて頂きますね。
竜宮チンク底神・底神大龍宮・龍宮(女神)・世界番引カシ・月海イビー 真珠の写真
平安座集落の東側の海岸にある3ヵ所の拝所。
県道10号線を平安座集落から『宮城島』向けに進んでいくと、ちょうど石油基地東南側を走る県道沿いの海岸に海に突き出た岩場があるんですよ。

その岩場の上に3つの"拝所"があります。
竜宮チンク底神の写真
県道側の岩の上にある『竜宮チンク底神』の拝所。
まず手前側(道路側)の岩の上には『竜宮チンク底神』という拝所があります。
竜宮チンク底神の写真
竜宮チンク底神。
その場所には、大きな1基の香炉が置かれており、その後方には"竜宮チンク底神"と記された三角錐状の霊石が設けられ、さらにその右側には様々な貝殻が置かれていました。

そして、この『竜宮チンク底神』の拝所のある岩から海側に突き出た岩場には2つの拝所があります。
底神大龍宮・龍宮(女神)・世界番引カシ・月海イビー 真珠の写真
海に突き出た岩場へ向かうところの様子。
『竜宮チンク底神』の拝所のある場所から、その場所へは直接向かうことが出来なかったため、一旦道路を戻り、岩を回り込んで向かいます。
底神大龍宮・龍宮(女神)・世界番引カシ・月海イビー 真珠の写真
岩場の上にある2基の拝所。左奥には『ナンザ(南座岩)』と称される拝みを行う2つ岩が見えます。
海に向かって左側の三角屋根の祠の内部には、霊石や貝殻等が納められており、その後方に小さな鳥居が設けられていました。

そして、その鳥居の後ろの壁には、『底神大龍宮・龍宮(女神)・世界番引カシ』と記されていました。
底神大龍宮・龍宮(女神)・世界番引カシの写真
『底神大龍宮・龍宮(女神)・世界番引カシ』の拝所。
また、右側の井戸跡のような小さな拝所には『月海イビー 真珠』と記されていました。
月海イビー 真珠の写真
『月海イビー 真珠』の拝所。
手前側にはコンクリートブロックと円筒状のものが設置されており、その後方の名称が記された石板の右横には丸い霊石が設置されていました。

この2基の"拝所"は、その先の海に浮かぶ2島に向けて設けられているように見受けられました。
ナンザ(南座岩)の写真
『底神大龍宮・龍宮(女神)・世界番引カシ』と『月海イビー 真珠』の後方に受かぶ『ナンザ(南座岩)』。
うるま市の資料によると、この海の上に浮かぶ2つの島は『ナンザ(南座岩)』と称される拝所なんだそうで、旧暦の3月4日に"ナンザ拝み"と称される神事が行われるんだそうです。

ニッツ(根人)や自治会長等が島の東側にある「ナンザ」という岩へ行き、タコなどを備えて大量豊漁を祈願するのだそうです。

そして、その後は、岩から帰ってきた男性たちは手ぬぐいや仮面などで仮装し、浜辺に向かうのだそうです。

浜辺ではノロ(神女)達が待っており、浜に下りて三味線や太鼓を打ち鳴らし、三月旗を挙げて歌い踊りながら、「ナンザ」から帰ってくる男性たちを迎えるんだそうですよ。
(※参考⇒うるま市文化財シリーズ⑧ 平安座島』)

いかがでしたでしょうか?

後日、『平安座島』の史跡をいろいろ調べてみると、今回ご紹介した史跡の他にもまだまだたくさんの拝所や拝井泉などの史跡が点在しているとのこと。

なので、また時間を設けて平安座集落内を散策してきたいと思います。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『平安座集落に点在する史跡

☆場所:〒904ー2426
      沖縄県うるま市与那城平安座(平安座島)

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。