南城市玉城の『奥武島』内に点在する御嶽や井泉などの拝所群☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2018年3月15日木曜日

南城市玉城の『奥武島』内に点在する御嶽や井泉などの拝所群☆

ハイサぁ~イ⭐

今回も、前々回の続きです。

『奥武観音堂』の西側にある『タカラ城』『玉城按司 兼松金の墓』、そして『奥武公民館』にある『観世音泉(クヮンヌンガー)』などを見学した後、島内を囲み込むような形で点在する"拝所"を見学しに向かいました。

以前からお話しているように、『奥武島』内には多くの拝所が点在しており、今回はちょっと長~くなりますので、ご了承ください。。。

沖縄県南城市玉城奥武の『奥武島』内に点在する

『東之御嶽やヒータチーなどの拝所群』

ヒータチー(灯台)の写真
かつて石油ランプを灯して夜間の安全航海に重要な役割を果たしていたヒータチー(灯台)。
『奥武観音堂』やその周辺の拝所を見学した後、次に向かったのは島の東側に位置する御嶽です。
東之御嶽(東御願)の写真
『東之御嶽』がある場所への入口。
以前ご紹介した『奥武島拝所案内図』を頼りに、ポイントが打たれていた場所へ向かうと、道路沿いに標柱がなく、ちょこっと戸惑ってしまったんですが、道路から少し低くなった場所へ続く手摺が設けられた階段を発見したんですよ。

んで、その階段の先にある獣道が森の中へと続いていたので、たぶんこの奥にあるだろうと思い、クルマを路肩に停め、その獣道の奥へ行ってみることにしました。
東之御嶽(東御願)の写真
『東之御嶽』へ続く獣道の途中にあった開けた場所。
階段を下りて森の中へ入っていくと、獣道の途中左側に少し開けた場所があったので、そちらを覗いてみると、奥の方に立っているガジュマルの木の根元に方形の切石が置かれていました。
東之御嶽(東御願)の写真
ガジュマルの木の根元に置かれていた方形の切石。
周囲よりも比較的綺麗な状態であったので、もしかすると、この切石が置かれた場所も"拝所"となっているのかもしれませんね。
あくまでワタクシ個人の憶測なので、定かではないですが。。。

そして、この場所から森の奥の方を見ると、獣道の先に標柱が立てられているのが見えたので、すぐさまそちらへ向かいました。
東之御嶽(東御願)の写真
獣道の終点にある『東之御嶽(東御願)』。
東之御嶽(東御願)の写真
東之御嶽(東御願)。
『東之御嶽(東御願)』は、ご覧の通り森に囲まれた場所に1基の香炉と、その香炉を挟む形で霊石が2基祀られていました。

んで、その他には無いか辺りを見回してみましたが、特に何も見当たらなかったので、そのままクルマへ引き返しました。
東之御嶽の写真
『東之御嶽』入口から少し離れた場所にあった階段。
クルマに乗り込もうとすると、そこから少し離れた場所にもう一つ下の方へ続く階段を発見。

『東之御嶽』の入口に設けられていた階段と同じように手摺も設置されていたので、この先にも"拝所"があるのかもと思い、その先にも行ってみることにしました。
東之御嶽(東御願)の写真
もう1つの階段の先。この先は急勾配で足場も悪かったため、先へ進むのは断念しました。
階段を下りて森の中へ入っていくと、獣道の先は海岸に繋がっていたんですけど、海岸に出るには岩壁を下りなければならなかったんですよ。。。

んで、海岸に下りようと試みてはみたんですが、足場が悪く、しかも思ってたよりも勾配がキツかったため、今回は断念して(あまり時間の余裕もなかったため)、そのままクルマへと引き返しました。
竜宮神の写真
『竜宮神』の拝所入口。こちらは道路沿いに案内板が設置されていました。
だいぶ陽も落ちてきていたので、この日最後に向かったのは南東に位置する『竜宮神』という拝所。

こちらは道路沿いに案内板が設置されていたので、すぐに見つけることが出来ました。
竜宮神の写真
道路上から見た『竜宮神』の拝所。
拝所入口近くの空きスペースにクルマを停めてから、『竜宮神』がある場所へと向かいました。
竜宮神の写真
『竜宮神』の拝所。こちらには香炉は無く、いくつかの霊石が積まれていました。
海岸へと続く階段を下っていくと、石灰岩上にいくつかの霊石が積まれた『竜宮神』の拝所がありました。

こちらは、後述する『奥武ガイドマップ』によると、≪海の神様を祀った拝所で、旧暦3月3日等に航海安全と豊漁等を祈願する。海に接し周辺は巨岩に囲まれ、神秘的な雰囲気がある。≫とありました。
竜宮神の写真
『竜宮神』の拝所後方の海に立つ奇岩が、より神秘的な雰囲気を醸していました。
説明にあるように、たしかに『竜宮神』がある岩やその周辺の巨岩は神秘的な雰囲気が漂っていたんですが、特に『竜宮神』の後方の海に立つ奇岩が、より一層神秘的な雰囲気を醸していましたね。

・・・と、この『竜宮神』の拝所まで見学した後、クルマへと戻り、この日はこのまま帰路に就きました。

そして翌日、残りの"拝所"を見学するため、再び『奥武島』を訪れました。
奥武ガイドマップの写真
『奥武橋』近くに設置されていた『奥武ガイドマップ』。
『奥武橋』を渡って右折すると、すぐ右側の道路沿いに南城市教育委員会が平成27年3月に設置した『奥武ガイドマップ』があります。

そのガイドマップを見てみると、『奥武観音堂』前に設置されていた『奥武島拝所案内図』よりも、より多く"拝所"の位置が示された地図が掲載されており、その中の8つの"拝所"についての説明と、『奥武島』の"歴史と文化"、そして"見どころ"も掲載されていました。

前々回の記事でご紹介した『タカラ城のカー』もこの『奥武ガイドマップ』に記されていましたし、先述した『竜宮神』の場所や説明も記されていました。

『奥武島拝所案内図』やこの『奥武ガイドマップ』、そして南城市の資料『第5章 歴史文化保存活用区域の方向性』等を参考にしながら残りの"拝所"を見学しに向かいました。
※ちなみにガイドマップに記載されていた『奥武島の歴史と文化』と『奥武のみどころ』の説明は記事の最後にご紹介しますね。
西之御嶽(西御願)の写真
『奥武島』の北西に位置する『西之御嶽(西御願)』の入口。左側の岩の根元にも拝所があります。
再訪してまず最初に向かったのは『奥武島』の北西の丘の上に位置する『西之御嶽』です。

こちらは、本島から『奥武島』に渡るとすぐ右折し、約190mほど進むと、左斜めへと伸びる脇道があるのでそちらに入り、約30mほど進むと、左側に『西之御嶽』の案内板が立つ参道入口があります。
西之御嶽の参道入口横にあった拝所の写真
『西之御嶽』参道入口横にある巨岩の根元にあった拝所。たぶんこちらが『ニービガー』だと思われます。
その入口近くの空き地にクルマを停め、さっそく見学へと向かいました。

『西之御嶽(西御願)』へ向おうとすると、入口横にある巨岩の根元に1基の香炉が置かれているのを発見。

近づいてみると、円形のコンクリート製の蓋らしきものが置かれており、南城市の資料『第5章 歴史文化保存活用区域の方向性』によると、こちらは『ニービガー』と称される拝井泉のようです。
ニービ拝所の写真
上の写真の"拝井泉"から巨岩をクルッと回り込むと『ニービ拝所』という拝所がありました。
また、巨岩をクルッと回り込むと、頂部が尖ったコンクリート製の祠があり、そこには『ニービ拝所』と記されており、内部に新旧2基の香炉が置かれていました。
ニービ拝所の写真
ニービ拝所。
先述してきた拝所案内図やガイドマップ、そして南城市の資料にはこちらの2ヵ所の拝所は記載されておらず、『ニービ拝所』という名称以外、詳細は不明です。。。

拝井泉と『ニービ拝所』を見学した後、『西之御嶽』へと向かいました。
西之御嶽(西御願)の写真
『西之御嶽』の参道入口。
西之御嶽(西御願)の写真
参道の途中。奥の看板は、「ハブ注意」の看板ですw
長ーい参道を進んでいくと、その終点に大きなガジュマルの木があり、『西之御嶽』はそのガジュマルの木の後方にありました。
西之御嶽の写真
参道の終点に立つ大きなガジュマルの木(写真左中央付近)。
西之御嶽(西御願)の写真
西之御嶽(西御願)。
こちらには、冒頭でご紹介した『東之御嶽』と同様に1基の香炉が置かれており、その両側には数基の霊石が置かれていました。
祀られている霊石の数はこちらの方が多かったですがw

『西之御嶽(西御願)』がある場所一帯も、一応見渡してはみたんですが、"御嶽"以外の拝所等は見当たらなかったので、そのままクルマへと戻りました。
ウンティンガーの写真
集落内にある『ウンティンガー』。
クルマに乗り込み、次に向かったのは、『西之御嶽(西御願)』参道入口前の道を南向けに約90mほどの距離にある小さな十字路近くにある拝井泉です。

『奥武ガイドマップ』や『奥武島拝所案内図』では、こちらが『ニービガー』となっていますが、南城市の資料『第5章 歴史文化保存活用区域の方向性』では『ウンティンガー』となっていました。
ウンティンガーの写真
自然岩の根元をコンクリートブロックで囲って造られた『ウンティンガー』。
『西之御嶽』の参道入口横にある巨岩の後方に『ニービ拝所』があったので、南城市の資料の方が正しいかと思われます。
※あくまでワタクシ個人の判断ですので、定かではございません。

『ウンティンガー』は、ご覧の通り自然岩の根元にある小さな穴をコンクリートブロックで囲うように作られており、囲いの前には古い小さな香炉が1基置かれていました。
イイバルガー(上原ガー)の写真
『ウンティンガー』前の十字路から南に約110mほどの距離にある小道。
そして『ウンティンガー』を見た後で、今度は先程の十字路からさらに南へ約110mほどの距離左側にある小道の先へと移動しました。
イイバルガー(上原ガー)の写真
小道沿いにある『イイバルガー(上原ガー)』。
この小道沿いには『イイバルガー(上原ガー)』と称される拝井泉があります。

ご覧の通り、『イイバルガー(上原ガー)』は、円柱状に造られており、上部に円形の蓋が置かれ、さらにその上に1つの石が置かれていました。

南城市の資料『第5章 歴史文化保存活用区域の方向性』によると、≪観音ガー同様、県からボーリング資材を借り受けて地下水の存在を確認し、建造。飲料水として使用されたが、満潮時や干ばつ時には水が塩辛くなった。≫とありました。

『イイバルガー(上原ガー)』を見学した後、島の外周を通る道路に出て、『奥武島』の西側に浮かぶ『奥武沙難(オーガマー)』へと向かいました。
奥武沙難(オーガマー)の写真
『奥武島』の西側に浮かぶ『奥武沙難(オーガマー)』。
『奥武沙難(オーガマー)』へは、『奥武島』の西側の外周を通る道路から海岸に下りることができるスロープが設置されており、クルマで渡ることができます。

この『奥武沙難』には『海上遭難者慰霊之塔』が建立されています。
海上遭難者慰霊之塔の写真
『奥武沙難』の茂みの奥に建立されていた『海上遭難者慰霊之塔』。
慰霊之塔は、『奥武沙難(オーガマー)』の茂みの奥に建立されており、『奥武島』周辺海域に釣りやレジャー、そして観光に訪れる人が多く、海難事故が増加しているんだそうで、その海上遭難者を弔うために建立されたようです。
海上遭難者慰霊之塔の写真
海上遭難者慰霊之塔。
台座部分には、祠が設けられており、その上に大きな1基の大きな香炉が置かれていました。

再訪したこの日も、『奥武沙難』の西側の海でレジャーを楽しむ人が数組いらっしゃいましたね。
奥武沙難(オーガマー)の写真
『奥武沙難』の西側にある廃墟。
『奥武沙難』には、『海上遭難者慰霊之塔』だけでなく、大きな廃墟もあります。

この廃墟は、かつてレジャー施設だったようですね。

『奥武沙難』から『奥武島』へと戻り、外周を走る道路を南側から東側へと移動しました。
ヒータチー(灯台) と天仁子女王御神の写真
『奥武島』の高台にある『ヒータチー(灯台)』。『天仁子女王御神』も祀られています。
『奥武橋』のある北側から西側を通り、南側へと通る外周の道はそのまま島の高台へと続いています。

南側から坂道を上がっていくと、ちょうど頂上付近の道路沿い左側に2頭の石獅子(シーサー)に守られた『ヒータチー(灯台)』があります。
ヒータチー(灯台)の石獅子の写真
『ヒータチー(灯台)』を守る『石獅子(シーサー)』(左側)。
ヒータチー(灯台)の石獅子の写真
『石獅子(シーサー)』右側。
クルマを路肩にちょこっと停めさせてもらい、すぐさま見学へ向かうと、尖った石垣の上に方形のブロックが設置されており、これがかつての『ヒータチー(灯台)』なんだそうです。
ヒータチー(灯台)と天仁子女王御神の写真
『ヒータチー(灯台)』。
ヒータチー(灯台)の写真
尖った石垣の頂部にある『ヒータチー(灯台)』。
また、『ヒータチー(灯台)』の手前左側には1基の大きな香炉が置かれた『天川神 天仁子乙女王 中龍宮母神』と記された石碑も建立されていました。
天川神 天仁子乙女王 中龍宮母神の写真
『天川神 天仁子乙女王 中龍宮母神』の拝所。
あと、『ヒータチー(灯台)』の石垣の手前と横側にも香炉が1基ずつ置かれており、こちらも"拝所"となっているようでした。
ヒータチー(灯台)の写真
『ヒータチー(灯台)』の右側にも1基の香炉が置かれていました。
『ヒータチー(灯台)』と『天仁子女王御神』を見学した後、島の北東部にある『奥武島グランド』手前左側にある拝井泉へと向かいました。
オウナグガー(夫婦ガー)の写真
オウナグガー(夫婦ガー)。
こちらは『オウナグガー(夫婦(みーとぅ)ガー)』呼ばれる拝井泉で、左右2箇所に分かれています。
オウナグガー(夫婦ガー)の写真
右側の『オウナグガー(夫婦ガー)』。
2ヵ所とも落下防止の鉄柵が設置されていますが、まだ水が枯れているわけではないようで、向かって左側の『オウナグガー』にはホースが設置されていました。
オウナグガー(夫婦ガー)の写真
左側の『オウナグガー(夫婦ガー)』。
んで、この『オウナグガー(夫婦ガー)』のある場所の前には広場があり、その南側にある藪の中にも"拝所"がありました。
奥武布袋大主の写真
『オウナグガー』の南側にある『奥武布袋大主』。
こちらには1基の大きな香炉が置かれた『奥武布袋大主』と記された石碑が建立されており、石碑に向って左側には小さな古い祠がありました。
天孫子御世 子のみふし 奥武布袋大主 阿嘉田人前の写真
『天孫子御世 奥武布袋大主 阿嘉田人前』の拝所。
『奥武ガイドマップ』によると、この付近に『クールクぬ神』・『クールクぬ親加那志』という拝所があるとなっていますが、こちらがその2ヵ所の"拝所"なのかは不明です。。。

『オウナグガー(夫婦ガー)』と『奥武布袋大主』を見学した後、この場所の前の道を北へ約46mほどの距離左側にある路地の先へと移動しました。
浜ぬヌウシジ(浜ぬ御嶽)の写真
浜ぬヌウシジ(浜ぬ御嶽)。
この路地の先には『浜ぬヌウシジ(浜ぬ御嶽)』と称される拝所があります。

こちらは民家の塀にくっついた状態の祠があり、内部と外側に香炉が1基ずつ置かれていました。
ハマヒチぬ主の写真
ハマヒチぬ主。
『浜ぬヌウシジ(浜ぬ御嶽)』をすぐに見学し終え、表の道路へと戻り、そこから北へ約76mほどの距離右側にある道へ右折、そしてそこから道なりに約120mほど進んでいくと、左側に『ハマヒチぬ主』という拝所があります。

こちらは過去に『奥武島』に訪れた際に一度足を運んだことがあり、上の写真はその時撮影したものを使用させて頂いております。

石碑には碑文が記されており、≪海からの恵みに感謝し豊漁航海安全を祈願する拝所である。新漁港拡張工事のため此の地に移設する。 平成二十三年四月七日 南城市玉城奥武区≫とありました。
産井戸(東ガー)の写真
産井戸(東ガー)。
この『ハマヒチぬ主』のある場所から、『奥武橋』向けに約230mほどの距離左側にある路地に入ると(『軽食と雑貨の店 まいむ』の横の小道です)、すぐ左側に『産井戸(東ガー)』と称される拝井泉があります。
産井戸(東ガー)の写真
『産井戸(東ガー)』の前にある祠。内部に1基の香炉が納められています。
南城市の資料『第5章 歴史文化保存活用区域の方向性』によると、≪奥武集落で最も早くつくられたと考えられている。現在は正月の若水や、産湯、死者の清め等に使用され、また集落の行事や公共工事の着工・竣工等にも拝まれる。≫とありました。
産井戸(東ガー)の写真
井戸を囲う塀にも『産井戸』と記されていました。
また、『奥武ガイドマップ』によると、≪旧正月にカーミジナディーが行われ新年の宴をする。≫とありました。
産井戸(東ガー)の写真
井戸周辺には多くの植木が置かれ、綺麗に整備されていました。
『産井戸(東ガー)』から一度表の道路へ戻り、大人気の『中本てんぷら店(中本鮮魚店)』の左後方にある拝井泉へと向かいました。
西ガーの写真
『中本てんぷら店(中本鮮魚店)』の後方にある『西ガー』。
こちらも南城市の資料『第5章 歴史文化保存活用区域の方向性』によると、かつてはこちらの水が飲料水として使用されていたとのこと。
西ガーの写真
西ガー。
もちろん現在は使用されていないんだそうですが、1月の初ウビ―等の拝所となっているのだそうですよ。
西ガーの写真
『西ガー』の横には古い香炉が1基設置されていました。
資料にはコンクリートで塞がれているとありましたが、ご覧の通り鉄柵が設置されカギがかけられていました。

そして最後に『中本天ぷら店(中本鮮魚店)』の道向かいにある『浜ガーラ』と称される場所へと移動しました。
浜ガーラと奥武橋の写真
以前訪れた際に撮影した『中本天ぷら店』前の船揚げ場と『奥武橋』。
『中本てんぷら店』の道向かいには船揚げ場があるんですが、『奥武ガイドマップ』や『奥武島拝所案内図』、そして『第5章 歴史文化保存活用区域の方向性』によると、こちらは『浜ガーラ』と称される場所となっているようです。
浜ガーラの写真
船揚げ場左側。奥に見える堤防も船着き場となっているようでした。
資料やガイドマップなどには場所を示すポイントしか記載されておらず、どれが『浜ガーラ』なのかは分かりませんでした。。。
浜ガーラの写真
船揚げ場へ降りるスロープ入口から見た『浜ガーラ』。
浜ガーラの写真
船揚げに使う古いウィンチが道路沿いに設置されていました。
また、資料やガイドマップなどによると、この対岸(本島側)には『ミシラギ』と称される拝所があるんだそうです。
ミシラギの写真
ミシラギ。(写真中央の一際大きな岩らしいです。)
ネットでいろいろ調べてみると、この『ミシラギ』へは徒歩では行くことが出来ないようで、船で向かうようですね。

『奥武ガイドマップ』によると、≪暴風で難破した唐船をつないだとされる岩。海神祭では、奥武観音堂などを祈願した後、ここからハーリーがスタートする。≫とありました。

『ミシラギ』を遠目で見学した後、最後に『奥武島』の高台にある住宅街へと向かいました。
国軸の写真
集落の中にある『国軸』。
『奥武島』のど真ん中に位置するこの場所には『国軸』と称される拝所があります。

南城市の資料やガイドマップなどには、その詳細は記載されておらず、どのような時に拝みが行われるのかなど分かりませんが、定期的に清掃が行われているようで、綺麗な状態が保たれていましたね。
国軸の写真
国軸。
『国軸』は頂部が尖った自然岩を利用して造られており、手前側に祭壇らしきコンクリート製の方形の台が設けられ、そのすぐ後ろには1基の香炉が設置されていました。

・・・と、この『国軸』まで見学させて頂いた後はクルマへと乗り込み、そのまま『奥武島』を後にしました。

今回は、超ぉ~長くなってしまいましたが、『奥武島』内に点在する拝所などの史跡を3回に渡ってご紹介させて頂きました。

最後に『奥武ガイドマップ』に掲載されていた『奥武の歴史と文化』及び『奥武のみどころ』をご紹介してこの記事を終わりたいと思います。

≪奥武の歴史と文化≫
≪奥武は、約700年前の玉城グスク落城の際に玉城按司の子女がこの島に逃れて国立てしたとの伝承がある古くからの集落です。周囲1.7㎞、面積0.25㎢、最高海抜16mの風光明媚な島で、昭和39(1964)年に新沖縄観光名所に選ばれています。

四方を海に囲まれているため、島の人々は古より海の恵みを受けて暮らしてきました。明治40(1907)年には、漁獲物の分配共助制度や納税準備制度等が評価され、沖縄県の模範集落となりました。

また海難事故や沖縄戦などによる漁業衰退の危機を、一致団結の精神で乗り越えてきました。現在は若い漁師が多く、養殖や近海漁業の盛んな「海人の島」として活気づいています。

島には多くの御嶽や井泉、拝所、赤瓦の家や石垣、フクギ、スージ(細道)が点在し、のどかな散策コースとして最適です。≫
奥武島の写真
南城市玉城中山の国道331号線上から見た『奥武島』遠景。
≪奥武のみどころ≫
≪■海神祭(ハーリー)
旧暦の5月4日に行われる爬龍船(はーるー)競漕のときには数千人の観客が集まり、島は活気にあふれます。
■観音堂祭
5年に一度、観音堂前広場で棒術や臼太鼓(うしでーく)など奉納演武が区民総出で盛大に行われます。
■飛びイカの天日干し風景
平成22(2010)年に国土交通省「島の宝100選」に選ばれました。またスク(アイゴの稚魚)漁も有名です。≫

『奥武島』を訪れた際には、今回ご紹介してきた拝所や井泉、観音堂などの史跡群や島の伝統行事などをゆっくり見学してみて下さいね~。

かなり長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ  

『奥武島内に点在する史跡』☆

☆場所:〒901ー1400
    沖縄県南城市玉城奥武『奥武島』

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

☆問い合わせ:南城市役所(代表)098-948-7111

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。