昨日(7日)は、午後からちょこっと時間が空いたので、本島南部方面に史跡巡りへ行ってきました。
まず最初に向かったのは、以前ご紹介したことのある『南山城跡(島尻大里城・高嶺城)』の東側約100mほどの距離に位置する泉です。
こちらは、古くから水量が豊富で、南山の繁栄を支えたといわれる泉なんだそうです。
沖縄県糸満市大里にある
『嘉手志川(カデシガー)』☆
現在も豊な水量を誇り、多くの人が拝みに訪れる『嘉手志川』。 |
集落の道路上から見た『嘉手志川』の入口。 |
泉の近くにクルマを停め、さっそく見学へと向かいました。
『嘉手志川』の案内板が立つ出入口。 |
大きなガジュマルの木のすぐ後方に立てられていた2本の石柱。 |
石柱に向かって左側には『無病息災』、右側には『贈 大里シマ創り委員会』と記されていました。 |
『手づくり郷土賞』の石碑。 |
この石碑からさらに下の方へ向かうと、目の前に『嘉手志川』の大きな貯水池が広がります。
『嘉手志川』の前に広がる貯水池。 |
嘉手志川 |
『嘉手志川』の裏側には『恵泉の龍』と記されており、その上に龍の頭部が設置されていました。 |
3つの吐口から水が勢いよく流れ出ていました。 |
≪嘉手志川≫
≪南山繁栄を支えたといわれる泉。「琉球国由来記」にも記述がある嘉手志川は、字大里ではウフガーと呼ばれ、ンブガー(産井泉)として大切にされている。『嘉手志川』の説明板。 |
・・・とありました。
泉の向こう側から見た『嘉手志川』。 |
南山を治めていた『他魯毎(たるみ)』は、物欲がとても強く、中山を滅ぼした『尚巴志』が持っていた金屏風を凄く欲しがったんだそうです。
そこで『尚巴志』は、その金屏風と『嘉手志川』の交換を持ちかけました。
『嘉手志川』のほぼ正面から。 |
『嘉手志川』を手に入れた『尚巴志』は、自らに従う者だけに泉を使用する許可を出したので、今まで『嘉手志川』を利用していた字大里の人々は『尚巴志』に従うようになっていき、ついには『他魯毎』は、戦わずして『尚巴志』に滅ぼされてしまったんだそうです。
泉の畔に建立されていた『灌漑設備記念碑』。 |
石碑は、正面側が損傷していたんですが、これは沖縄戦の際の弾痕なんだそうです。
『嘉手志川』をクルッと一周して、表の道路側にある大きなガジュマルの木の方まで進むと、ガジュマルの木の立つ敷地の一画に小さな祠を発見しました。
『嘉手志川』後方に立つ大きなガジュマルの木。 |
ガジュマルの木の立つ敷地の一画にあった拝所。内部にはいくつかの霊石が納められていました。 |
また、前述した『手づくり郷土賞』の石碑の向かい側に、畑の真ん中を通る道があるんですが、その入口横に立つデイゴの木の根元にも祠があります。
デイゴの木の根元にある拝所。 |
こちらの祠についてもネットでいろいろ調べてはみたんですが、残念ながら名称や何が祀られているのかなどの詳細は分かりませんでした。
んで、こちらの祠まで見学し終え、クルマに戻ろうとした際、ふと『嘉手志川』の西側斜面に目をやると、傾斜地の中腹辺りに石碑が立てられているのが見えました。
『嘉手志川』の西側にある斜面に石碑が見えます。 |
デイゴの木の祠の前から西側へ伸びる小道。 |
デイゴの木の下にある『うびー川』。 |
左側には香炉が設けられており、水が溜まった場所へ石段が造られています。 |
『うびー川』に設けられていた香炉。 |
『うびー川』と記された石碑。 |
・・・と、この『うびー川』まで見学した後は、そのままクルマへと戻り、次の目的地へと向かいました。
『嘉手志川』は、水質も比較的良好なようで、小魚やカニなどが生息しているらしく、夏には子供達が水遊びをしに訪れたりしているようですね。
水位も浅かったですよw
『南山城跡(島尻大里城・高嶺城)』を訪れる際には、こちらの『嘉手志川』と『うびー川』にも足を運んでみてはいかがでしょうか?
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『嘉手志川(カデシガー)』☆
☆場所:〒901-0325
沖縄県糸満市大里
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。