初代中山王『察度』の弟が初代城主とされる那覇市小禄にあるグスク跡☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2017年10月5日木曜日

初代中山王『察度』の弟が初代城主とされる那覇市小禄にあるグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先週は、ちょっと忙しかったので、史跡巡りへ出かける時間が無かったんですが、先日、よぉやっと落ち着いたんで、久しぶりに史跡巡りにいってきました。

まず最初に向かったのは那覇市小禄にあるグスク跡で、こちらは現在、公園として整備されています。

また、こちらのグスクは築城年代は不明とのことですが、初代中山王である『察度』の弟『金満 泰期(かにまん たいき)按司』が初代の城主とされているんだとか。。。

沖縄県那覇市小禄(字)にある

『小禄グスク(森口公園)

小禄グスク(森口公園)の写真
敷地内の頂上の広場にある『殿(トゥン)』と呼ばれる拝所。
こちらは、まず那覇市の県道221号線7号線が交差する『山下(南)』の交差点から、県道221号線を同市赤嶺向けに進み、約270mほどの距離にある2つめの信号『小禄(北)』を左折します。
小禄グスク(森口公園)の写真
顕彰碑が立つ広場と『ハワイ会館』の間から入って来た所から見た『小禄グスク(森口公園)』。
左折してそのまま道なりに約470mほど進んでいくと、右斜め前方に3階部分の外壁が赤レンガになっている『田原自治会館』が見えてきますので、その建物から見て県道を挟んだ道向かい側にある脇道へUターンするように左折します。
小禄グスク(森口公園)の写真
公園の遊歩道入口には『森口公園』と刻まれた石碑が立てられています。
そして、脇道に入って道なりに約330mほど進んでいくと、左側に『正七位 高良隣徳先生顕彰碑』『字小禄ハワイ会館』がありますので、その顕彰碑が立つ広場と会館の間から丘の上へと伸びる脇道へ左折すると、その突き当りにあります。
小禄グスク(森口公園)の写真
公園駐車場前から頂上にある広場へと続く階段入口を見たところ。
写真には写っていませんが、左側に公園駐車場があります。
『森口公園』と刻まれた石碑の左側を通過していくと、左斜め前方に公園駐車場が見えてきます。

その駐車場にクルマを停め、さっそく見学へと向かいました。

後日、いろいろ調べていくと、『小禄グスク』とは通称なんだそうで、正式名称は『カニマン御嶽遺跡散布地』というのだそうですよ。

現在は、『森口公園』として整備されているんですが、敷地内には多くの拝所や古墓等が点在しています。
クサイガー(南)の写真
クサイガー(南)。
駐車場出入口の向かい側にある階段から丘の上へと上がっていくと、その途中左側の芝生の中に『クサイガー(南)』と称される"井戸跡"の拝所があります。

お隣の石碑に記された名称の下に(南)とあったので、もしかすると東西南北に配置されている"カー(井戸跡)"なのかも・・・と思ったんですが、この日は、ここの(南)と(西)の2ヵ所しか見つけることが出来ませんでした。。。(泣)

この『クサイガー(南)』を後にし、さらに上へと上がって行きます。
小禄グスク(森口公園)の写真
『クサイガー(南)』から階段を上がってきたところ。左奥に拝所が見えますが、実はすぐ右側にもあります。
小禄グスク(森口公園)の写真
階段を上がりきったところ右側にある拝所。
階段を上がりきると、右側には1基の香炉が置かれた拝所があり、左側には広々とした広場が広がっていて、真新しさの残る立派な祠を中心にいくつかの拝所が点在しているのが見えます。
小禄グスク(森口公園)の写真
森口公園の頂上部。たくさんの拝所が点在しています。
一基ずつ"拝所"を見学していくと、名称が記された石碑が立てられている"拝所"もあれば、石碑のない"拝所"もあります。

一際大きな赤瓦屋根の祠の拝所を囲うようにして小さな拝所が点在していますが、祠の手前側にある3基の拝所は、『安座名・新米須門中』、『思い門中』、『大里門中』(大きな祠の後方)となっていました。
安座名・新米須門中の拝所の写真
『安座名・新米須門中』の拝所。
思い門中の拝所の写真
『思い門中』の拝所。
大里門中の拝所の写真
『大里門中』の拝所。
各"拝所"を見て回ると、どうやら"門中"の拝所、若しくは遥拝所となっているようですね。
※『門中』とは、始祖を同じくする父系の血縁集団のことです。(参考:Wikipedia『門中』より一部引用)
小禄グスク(森口公園)の写真
赤瓦屋根の拝所の左側にある5基の拝所。
赤瓦屋根の祠の左側後方には6基の拝所があります。
小禄グスク(森口公園)の写真
赤瓦屋根の拝所の後方にある2基の小さな祠。
沢岻門中の拝所の写真
『沢岻門中』の拝所。
崎山・殿内 照屋・思い門中の拝所の写真
『崎山・殿内 照屋・思い門中』の拝所。
照屋門中の拝所の写真
『照屋門中』の拝所。
そして広場の北側には3基の拝所があります。
小禄グスク(森口公園)の写真
広場北側にある3基の拝所。
小禄グスク(森口公園)の写真
白色の拝所。
東門門中の拝所の写真
『東門門中』の拝所。
小禄グスク(森口公園)の写真
木の裏側にある拝所。
ほいで、赤瓦屋根の祠の斜め前方には、『崎山ニーガン』と呼ばれる拝所があります。
崎山ニーガンの拝所の写真
『崎山ニーガン』の拝所。
この『崎山ニーガン』の拝所がある場所から、東南東の位置に赤瓦屋根の立派な祠の『殿(トゥン)』と呼ばれる拝所があります。
殿(トゥン)の写真
広場内で一番立派な祠の『殿(トゥン)』と呼ばれる拝所。
祠内部にはシャコガイが安置されていたんですが、いろいろ調べていくと、『小禄グスク』が位置する場所の東側は、かつては海岸線だったんだそうです。

すぐ近くに海があったことから、もしかするとシャコガイが祀られている由来は、そのことに関係しているのかもしれませんね。。。
※あくまで個人的な憶測ですが。。。

この『殿』をはじめとする拝所群のある広場から北向けに階段があったので、そちらを下りていくと、すぐ右側に小道があり、その入口にも"カー(井戸跡)"がありました。
クサイガー(西)の写真
クサイガー(西)
こちらは、『クサイガー(西)』と称される"井戸跡"の"拝所"で、一九六三年一月に竣工されたみたいです。

また、名称が記された石碑には、『(西)』と記されていましたが、この『クサイガー』がある場所は広場の北側に位置しています。

これも個人的な憶測になりますが、沖縄の方言で『北』のことを『ニシ』と呼ぶので、もしかするとその呼称に合わせて『(西)』と表記したのかもしれませんね。
※たとえば、浦添市の西原区や西原町などの地名も、沖縄の方言では『北原』と書いて『ニシハラ(若しくはニシバル)』と読むんですが、通常だと『キタハラ』と読んでしまいますので、後に『"西"原』に変更して地名の『ニシハラ』に合わせたという記事を見たことがあります。
小禄グスク(森口公園)の写真
『クサイガー(西)』から東向けに伸びている小道の先にあった古墓群
この『クサイガー(西)』から東向けに伸びる小道の先に行ってみると、真新しさの残る古墓群がありました。

合祀された向かい合わせの古墓の奥には『吹切世』と記された墓標が設置された大きな古墓があり、その古墓に向かって左側には『アチャーウメー』と記された墓標の合祀された御墓があり、その向かい側には『上里墓』・『平良墓』と記された墓標の御墓がありました。
小禄グスク(森口公園)の写真
『アチャーウメー』と記された墓標のある合祀された御墓。
小禄グスク(森口公園)の写真
『吹切世』と記された墓標の古墓(左)と『上里墓』・『平良墓』の墓標の合祀された御墓。
この『吹切世』の古墓をはじめとする御墓群の向かい側には古い合祀された御墓もあるんですが、どうやらこの御墓群一帯の土地は、那覇市の所有・物件みたいです。

また、『吹切世』をはじめとする御墓群は、ごく最近改築されたようですね。

・・・と、ここまで見学した後、カメラのバッテリーが無くなったので、一旦クルマへと戻りました。

んで、今度は公園北側にある森へと向かおうとしたんですが、公園入口から東向けに伸びる遊歩道の先がちょっと気になったので、先にそちらの方へ行ってみると・・・
小禄グスク(森口公園)の写真
草むらの中にあった小さな祠の拝所。
名称は不明ですが、草むらの中に小さな祠の拝所がありました。

そして、この拝所がある場所からさらに遊歩道の奥へと行ってみたんですが、大きな亀甲墓があるのみで、"カー(井戸跡)"などの拝所は見当たりませんでした。。。

なので、そこから再び公園内へ戻り、公園北側の森へと向かいました。

今回は、ちょっと長くなってしまいましたので、この続きはまた別の回にご紹介しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ  

『小禄グスク(森口公園)

☆場所:〒901-0152
      沖縄県那覇市小禄(字)

☆見 学:無料

☆駐車場:あり(森口公園)

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。