前々回にご紹介したうるま市与那城の宮城島にある『シヌグ堂バンタ』を見学した後、北東側の麓に位置する上原集落へと向かいました。
その集落内には、宮城島内で最大の湧き水があり、かつての上原集落と宮城集落に住む人々にとって欠かすことの出来ない貴重かつ神聖な水源となっていたんだとか。。。
沖縄県うるま市与那城上原(宮城島)にある
『ヤンガー』☆
上原と宮城の両ムラに住む人々とって貴重かつ神聖な水源となっている『ヤンガー』 |
※『シヌグ堂バンタ』へ向かう道順は、前々回の記事をご参照ください⇒『シヌグ堂バンタ』
前の道路上から見た『ヤンガー』 |
敷地は、フェンスで囲われているんですが、一ヵ所だけ開放されている所があり、そこには真新しい説明板と石碑が建立されていました。
『ヤンガー』の入口 |
≪ヤンガー≫
≪うるま市指定文化財第15号「建造物」 指定月日:1995年(平成7年)6月14日≫
≪琉球石灰岩と第三記層泥灰岩(沖縄方言:クチャ)の地質で成り立つ宮城島は、雨水を保水する理想的な地形で多くの湧き水を持っています。その中でも一番の湧出量をもつヤンガーは、1849年(尚泰2年、嘉永2年)に与那城間切の地頭代(じどぅーでー)の名嘉村親雲上(なかむらペーチン)と池味親雲上(いけみペーチン)が住民19人の協力を得て、石造の改修工事をしたことが琉球王府の歴史書『球陽』に記録されており、この石造が当時の建築技術の高さを今に伝えています。
『ヤンガー』の入口に設置されていた説明板 |
設置:2011年3月 うるま市教育委員会≫
・・・とありました。また、その後方に建立されている石碑は、『上原老人クラブ』の『創立15周年記念碑』で、台座部分には・・・
≪やんがはいみじや いしからるわちゆる よなぐすくうめが うかきうえじま≫
・・・という歌が刻まれていました。
記念碑の周辺には碑文などが見当たらなかったため、碑の由来など詳細は不明です。
『上原老人クラブ』の『創立15周年記念碑』 |
記念碑の後方にあった寄附者名が記された石板 |
以前は、屋根が設置されていたようですが、現在は取り払われています。
入口横のフェンスにも旧与那城町教育委員会の説明板が設置されていたんですが、その説明によると・・・≪泉の内部はトンネル状に石を組んで湧き口まで続いている≫とのことです。
※『与那城町教育委員会』の説明板は、上記の説明とかぶる部分があるので、省略させて頂き、写真を記事の最後の方に掲載させて頂きました。
ヤンガー |
石壁に設けられた2つの樋。中央の四角い穴は香炉なのでしょうか。。。 |
水質も良いらしいですよ。
しかし、『ヤンガー』から少し離れた場所にもう一つ大きな溜め池が設けられており、溢れ出た水は、そこへ流れ込んでいました。
『ヤンガー』の前にある大きな溜め池 |
また、用水路から流れ出る水を利用し、2150坪もの広大な水田を新たに開拓することが出来たんだそうで、地頭代たちは王府から表彰されたという伝承が残されているとのことです。(『うるま市の文化財』より引用)
大きな溜め池には、小魚や亀などが生息してましたよ。 |
冒頭にご紹介した説明にもありましたが、『ウビナリー』といって、現在は毎年正月に清水を取る習わしがあるんだそうで、各門中が『ヤンガー』を拝み、健康祈願を行なっているそうです。
萬川改修 御即位記念碑 |
石碑に記されている『萬川』とは『ヤンガー』のことで、漢字で書くと『萬川』もしくは『万川』となるようです。
現在は、『万川』と表記するのが一般的なようです。
『ヤンガー』に向かって左側の岩壁には綺麗な石積みが見えます。
『ヤンガー』の斜め上には、石灰岩と融合させた綺麗な石積みがあります。 |
旧与那城町の教育委員会の説明板によると・・・≪石造建築の美をみごとに調和させ、今なお原形のままであることは、沖縄の石工の築造技術がいかにすぐれていたかを示すものである≫とありました。
※『与那城町』は、沖縄県中頭郡に属していた町なんですが、2005年4月1日に具志川市、石川市、中頭郡勝連町と合併して『うるま市』となりました。(Wikipedia『与那城町』より引用)
フェンスに設置されていた旧与那城町の教育委員会の説明板 |
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのままクルマへと戻り、『ヤンガー』を後にしました。
いろいろ調べてみると、なんでも今回ご紹介した『ヤンガー』を含め、島内には23ヵ所もの湧き水があるんだとか。。。
なので、また機会を設けて、他の湧き水も見学しに行ってみたいと思います。
それでは、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『ヤンガー』☆
☆場所:〒904-2424
沖縄県うるま市与那城上原 (宮城島)
☆見 学:無料
☆駐車場:無し