この前、うるま市天願の天願川に架けられた『旧天願橋(ターチー橋)』を見学した後、同市天願にあるグスク跡へと向かいました。
しかし、こちらは現在米軍基地内にあるため、グスク内に入ることは出来ないので、フェンスの外から見学させて頂きました。。。(泣)
沖縄県うるま市天願にある
『天願グスク【別称:土城(ツチグスク)】』☆
フェンスの向こう側に見える森が『天願グスク』・『天願貝塚』 |
フェンス内に立てられた『天願グスク』の標柱。 |
反対側から見た『天願グスク』 |
『天願グスク』・『天願貝塚』は、古くから集落の人々と密接な関りがあったそうなんですが、すぐ近くを流れる天願川の氾濫によって、何度も浸水被害に遭っていたそうですよ。(内閣府 沖縄総合事務局【群星 Muribushi】⑩天願川の欄より一部引用)
※『群星(むりぶし)』とは、沖縄の方言で『昴(すばる)』のことです。
『天願グスク』の標柱から、『天願』交差点向けに少し進んだ所に立てられた『天願貝塚』の標柱。 |
『天願貝塚』の標柱の前から『天願グスク』側を見たところ。 |
・・・が、『天願グスク』に居城していたかどうかについては不明ですが、『天願按司』に纏わる伝承を見つけました。
しかも、この伝承は、沖縄の歌舞劇『組踊』の1つ『伏山敵討(ふしやまてぃちうち)』という劇になっているんだそうです。
いつの日か発掘調査が行われて、出土物や年代などの詳細を知ることができるといいですね。。。 |
そして、棚原按司の臣下である富盛大主は、棚原按司の奥方と二人の子どもを連れて逃げ延び、別々に隠れたんだそうです。
『天願』の交差点から天願川沿いの小高い丘の上に延びる階段を発見しました。 |
一方、天願按司は、富盛大主と棚原若按司が仇討ちしようとしているとの情報を狩人から聞き付け、狩人の道案内で富盛大主の隠れ家を襲いに向かいます。
しかし、富盛大主と棚原若按司は、天願按司とその臣下を討ち取り、仇討ちを果たしたんだそうです。
※参考:国立劇場おきなわ 公式HP『組踊公園「伏山敵討」』
※参考:沖縄県国頭郡伊江村 公式HP『組踊 伏山敵討』
階段を上りきると『祝女殿内』と表記された標柱が立てられていました。 |
※沖縄県国頭郡伊江村 公式HP『組踊 伏山敵討』より一部引用。
・・・と、話を戻しまして。
『天願グスク』・『天願貝塚』をさらっと見学した後、『天願』交差点で天願川沿いの丘の上へ続く階段を発見したので、そちらへ行ってみることにしました。
階段を上がると、『祝女殿内(ヌンドゥンチ)』と表記された標柱が立てられていました。
階段を上がると、奥の方まで小道が伸びておりその先に真新しい祠が見えました。 |
祝女殿内(ヌンドゥンチ) |
そして内部には、ご覧のとおり、5基の香炉が置かれていました。
『祝女殿内』内部に置かれていた5基の香炉。 |
こちらの『祝女殿内』についてもいろいろ調べてはみたんですが、『天願グスク』・『天願貝塚』同様に、詳細は分かりませんでした。。。(泣)
・・・と、こちらの『祝女殿内』まで見学した後、一旦、クルマへ戻り、今度はうるま市宇堅・赤野に点在する史跡を見学しに向かいました。
今回はここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介しましょうね。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『天願グスク』・『天願貝塚』・『祝女殿内』☆
※マップ内には『旧天願橋』も表記されています。
☆場所:〒904-2202
沖縄県うるま市天願
※『天願グスク』・『天願貝塚』は、現在米軍基地内となっており、敷地内へ入って見学することは出来ません。
☆見 学:無料
☆駐車場:なし