かつて糸満市の照屋集落と報得川の間に位置する丘にあったグスク☆|沖縄放浪日記

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2017年2月10日金曜日

かつて糸満市の照屋集落と報得川の間に位置する丘にあったグスク☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、糸満市照屋の県道77号線沿いにある『すば処 いーばる家』さんで食事を終えた後、同じ照屋区内にあるグスク跡へ向かいました。

こちらは、沖縄戦は、前後の貯水タンク建設によって大部分が破壊されてしまったそうなんですが、グスク内には、拝所や古墓などが点在しているんだそうです。。。

沖縄県糸満市照屋にある

『照屋グスク』

照屋グスクの拝所の写真
グスク域西側にある貯水タンク建設の際に大部分が破壊されたようですが、東側には拝所群があります。
こちらはまず、糸満市の県道77号線7号線が交差する『照屋(東)』の交差点から、県道77号線を同市糸満向けに進み、約530mほど進んだところにある信号を右折します。

次に、右折して約210mほど進んでいくと、十字路に差し掛かるんですが、その十字路を左折し、また約55mほど進んだところにある右側の脇道に右折します。

そこからさらに約80mほど進んでいくと、右側に細い脇道があり、その奥に真新しい小さな『根屋』と呼ばれる家屋がありますので、その奥の丘がグスク域となります。
照屋グスクの写真
北側に広がる田畑から見た『照屋グスク』の全景。
照屋グスク入口の写真
『照屋グスク』の拝所がある場所へ続く道の入口。左奥の家屋が『根屋』です。
グスク入口を入っていくと、道沿いに『根屋(ニーヤー)』と呼ばれる家屋があります。
當銘門中根屋の写真
當銘門中根屋
『根屋』とは、村の創始者の家の事を指し、祭祀などを行う場所です。(『沖縄方言事典 あじまぁ』より引用)
※『国元(クニムトゥ)』とも言うんだそうですよ。

また、『門中(ムンチュー)』とは、始祖を同じくする父系の血縁集団のことです。この『門中』に似た血縁集団の概念は、日本の同族、中国の宗族、朝鮮半島の本貫、ベトナムのゾンボなど、東アジアの漢字文化圏に見られるんだそうです。(Wikipedia『門中』のページより引用)

過去にこちらを訪れたことのある方のブログを拝見させて頂くと、『當銘門中根屋』は、以前はコンクリートブロック製でかなり老朽化が進んでいたようです。

ワタクシが訪れた時は、結構真新しい感じがしたので、最近建て替えたのでしょうね。

そして、この『當銘門中根屋』の後方に位置する草木が生い茂った場所には、井戸跡(カー)や拝所らしきものがあります。
照屋グスク手前の草木が生い茂った場所の写真
『當銘門中根屋』後方の草木が生い茂った場所
照屋グスク手前にあった井戸跡の写真
井戸跡
照屋グスク手前にあった拝所の写真
井戸跡のすぐ隣にあった拝所らしき場所。
この『当間門中根屋』や井戸跡のある場所を通過して、さらに奥へ進んで行くと、一段高くなった拝所群のある場所の入口へとたどり着きます。
照屋グスクの拝所入口の写真
照屋グスクの拝所群のある場所の入口
こちらの階段も、以前は、もっと雑草などが生い茂っていて、かなり老朽化が進んでいて凸凹な状態だったようですが、ワタクシが訪れた時は、ご覧の通り、綺麗に造り替えられており、雑草などもほとんど無い状態で、とても見学しやすくなっていました。

この階段を上がっていくと、広場のような場所になっており、その広場を囲うようにして、拝所や古墓などが点在していました。
照屋グスクの拝所の写真
階段を上がって右側の様子。
照屋グスクの拝所と古墓の写真
左斜め前方の様子。
照屋グスクの拝所と古墓の写真
左側の様子。
照屋グスクは、別名『ディググスク』、或いは『宇地原グスク』と呼ばれているんだそうで、冒頭でもお話しましたが、沖縄戦やグスク域西側にある貯水タンク建造などで大部分が破壊されてしまったんだそうです。。。
糸満市の公式HPでは『照屋御嶽』と記載されていますね。⇒《糸満市公式HP『照屋の歴史を歩く(H23.11.12)』のページ参照》

築城年や築城者は不明なんだそうですが、発掘調査では、青磁や須恵器、グスク式土器などが出土しているようですね。
拝所と『グバオウの主』の古墓の写真
階段を上がって真正面にある拝所と『グバオウの主』と記載された香炉が置かれた古墓
また、こちらには諸説あるそうで、『照屋グスク』から東南の方角、直線距離にして約1.2㎞ほどのところに位置する『南山グスク(島尻大里城跡)』の出城として機能していたとか、『南山グスク』の貿易品の倉庫として利用されていた、などと言われているんだとか。

『照屋グスク』の北側には、報得川(むくえがわ)が流れているんですが、かつては河口がグスク近くにあったみたいですね。

そして、その河口に対中国交易のために使用されていた進貢船が到着すると、伝馬船などの小型の舟で川を上り、交易品を運んだと考えられているようです。

そのことに因んで、報得川にある窪地は『唐船小塀(トゥシングムイ)』と呼ばれ、この一帯は『唐船嶽(トゥシンダキ)』と呼ばれているんだそうです。
照屋氏神様の拝所の写真
祠の中に『照屋氏神様』と記された拝所
・・・と、話を戻しまして。。。

まずは、階段真正面にある拝所から見学することに。

上の写真の通り、階段の真正面には拝所と古墓があり、向かって左側は『グバオウの主』と記された香炉が置かれた古墓、そして右側は、祠の中に『照屋氏神様』と記された拝所となっていました。
グバオウの主の古墓の写真
『グバオウの主』と記された香炉が置かれた古墓
照屋御嶽の広場内の写真
『照屋氏神様』の拝所・『グバオウの主』の古墓のすぐ隣にあった拝所(?)のような場所。
そして、この拝所と古墓に向かって広場の右奥には、遥拝所と思われる合祀された拝所がありました。
照屋グスクの合祀された遥拝所の写真
合祀された遥拝所。
遥拝所に並べて置かれた香炉には、右側から『世持ち神』、『今帰仁』、『南山』、『玉城』、『西原殿内』、『中城』、『ミチンサンチン』、『上諸泉』、『下諸泉』と書かれてました。

遥拝所を見学した後、今度は広場の反対側へ移動することに。
照屋御嶽の写真
遥拝所の前から広場の反対側を見たところ。

この広場も、現在はコンクリートで舗装されていますが、以前は未舗装で雑草などが生い茂っていたようです。

先程ご紹介した『照屋氏神様』が祀られた拝所と『グバオウの主』の古墓の左隣には、横長の真新しい御墓がありました。
御嶽波平按司御墓と御嶽赤嶺按司御墓の写真
『御嶽波平按司御墓』(向かって右側)と『御嶽赤嶺按司御墓』(左)
御墓は、2基に分かれており、向かって右側の大きい方は『御嶽波平按司御墓』、左側は『御嶽赤嶺按司御墓』となっていました。

2基の按司墓は、2基共に創立年は、昭和3年(1928年)の旧暦6月吉日となっており、改築年月日は平成16年(2004年)11月吉日と記載されていました。

そして、この真新しい按司墓のすぐ左側には、老朽化がかなり進んだ古墓があります。
照屋御嶽の古墓の写真
老朽化がかなり進んだ古墓
墓標などがなく、またネットでいろいろ検索してみたんですが、こちらの古墓については情報が出てきませんでした。。。

そして、この古墓の左隣には、殿(トゥン)らしき『火ヌ神(ヒヌカン)』が祀られた拝所がありました。
照屋グスクの地頭火ヌ神の写真
地頭火ヌ神
建物には、説明も記載されています。

≪ミチムンと呼ばれ、建物の中に数個の石が置かれている。 かつてはウマチーに使うミキ(神酒)はここで炊かれたという。 村ヒヌカンという説もある。≫・・・とのことです。

この『御嶽波平按司御墓』・『御嶽赤嶺按司御墓』、古墓、『地頭火ヌ神』の向かい側にも、横長の古墓があります。
照屋御嶽の古墓の写真
広場の東側の隅にある古墓
先程と同様に、こちらの古墓についても詳細は不明でした。。。

この古墓から少し離れた場所に、この広場のコンクリート舗装完成記念碑が建立されています。

下茂一門の方々のご厚意によって、整備が進められたみたいですね。
照屋御嶽のコンクリート舗装完成記念碑の捨身
コンクリート舗装完成記念碑
・・・と、ここまでで広場内にある拝所・按司墓・古墓・記念碑は以上となります。

広場の階段を下りて、すぐ右側奥の木々が生い茂る場所の下にも拝所らしき場所がありました。
照屋グスクの拝所の写真
照屋グスク拝所・墓所の階段入口手前から東側奥にあった拝所
照屋グスクの拝所の写真
照屋グスク拝所・墓所入口手前から東側にあった拝所
こちらは、琉球石灰岩を利用した拝所となっているようで、向かって左側の穴には小さな石積みがあり、中央部分はブロックとコンクリート製の拝所となってました。

こちらの拝所まで見学した後、今度は、一旦集落まで下りていき、グスク入口前の道路を西側へと歩いていきます。
照屋集落内の拝所の写真
グスク域入口から西側に約33mほどの距離にあった照屋集落内の拝所。『根神屋』でしょうか。。。?
すると、道路沿い左側の少し奥まったところに『根神屋』らしき拝所がありました。

また、そこからさらに西側へ移動すると、殿らしき建物を発見しました。
道路から少し奥まったところにある照屋集落内の拝所。
入口を入ってすぐ左側にも石が積まれた『カー(井泉)』のような拝所がありました。
照屋集落の拝所の写真
石積みの拝所。
照屋集落内の拝所の写真
殿(トゥン)のような建物の拝所。内部に霊石のような石が置かれています。
こちらまで見学させて頂いた後は、一旦クルマへと戻り、今度はグスク域北側へ行ってみることにしました。
照屋グスクの貯水タンクの写真
グスク域東側に立つ貯水タンク
北側を走る小道を進んで行くと、その先は行き止まりになっており、右側には墓地、左側の丘の上には貯水タンクがあります。
照屋グスク北側の道路の写真
グスク域北側を走る道路。東側から西側を見たところです。
このグスク域北側を走る道路沿いにも、先程の拝所・墓所となっている広場への入口があります。
照屋グスク広場の北側の入口の写真
グスク域北側にある拝所・墓所の広場への入口
ただ、こちらの入口は、かなり細く、またご覧のように草木が生い茂っていてすごく進入しにくくなっています。。。

・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのままこちらを後にし、同じ糸満市内にある次の目的地へと向かいました。

いかがでしたでしょうか?

こちらの『照屋グスク(御嶽)』は、城壁らしき石積みなどは破壊されて、ほとんど無くなっていますが(広場の石積みは新しく造られたものと思います)、拝所・古墓などが点在しており、集落の人々によって大切に保存されています。

また、糸満市の公式HPや他サイトをいろいろ拝見させて頂くと、こちらの照屋集落内には拝所や石獅子などの文化財がいくつか点在しているみたいなので、もう一度調べ直して、再訪したいですね。

今回は、かなり長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『照屋グスク』

☆場所:〒901-0315
      沖縄県糸満市照屋207

☆見 学:無料

☆駐車場:無し