この前、糸満市照屋の県道77号線沿いにある『すば処 いーばる家』さんで食事を終えた後、同じ照屋区内にあるグスク跡へ向かいました。
こちらは、沖縄戦は、前後の貯水タンク建設によって大部分が破壊されてしまったそうなんですが、グスク内には、拝所や古墓などが点在しているんだそうです。。。
沖縄県糸満市照屋にある
『照屋グスク』☆
グスク域西側にある貯水タンク建設の際に大部分が破壊されたようですが、東側には拝所群があります。 |
次に、右折して約210mほど進んでいくと、十字路に差し掛かるんですが、その十字路を左折し、また約55mほど進んだところにある右側の脇道に右折します。
そこからさらに約80mほど進んでいくと、右側に細い脇道があり、その奥に真新しい小さな『根屋』と呼ばれる家屋がありますので、その奥の丘がグスク域となります。
北側に広がる田畑から見た『照屋グスク』の全景。 |
『照屋グスク』の拝所がある場所へ続く道の入口。左奥の家屋が『根屋』です。 |
當銘門中根屋 |
※『国元(クニムトゥ)』とも言うんだそうですよ。
また、『門中(ムンチュー)』とは、始祖を同じくする父系の血縁集団のことです。この『門中』に似た血縁集団の概念は、日本の同族、中国の宗族、朝鮮半島の本貫、ベトナムのゾンボなど、東アジアの漢字文化圏に見られるんだそうです。(Wikipedia『門中』のページより引用)
過去にこちらを訪れたことのある方のブログを拝見させて頂くと、『當銘門中根屋』は、以前はコンクリートブロック製でかなり老朽化が進んでいたようです。
ワタクシが訪れた時は、結構真新しい感じがしたので、最近建て替えたのでしょうね。
そして、この『當銘門中根屋』の後方に位置する草木が生い茂った場所には、井戸跡(カー)や拝所らしきものがあります。
『當銘門中根屋』後方の草木が生い茂った場所 |
井戸跡 |
井戸跡のすぐ隣にあった拝所らしき場所。 |
照屋グスクの拝所群のある場所の入口 |
この階段を上がっていくと、広場のような場所になっており、その広場を囲うようにして、拝所や古墓などが点在していました。
階段を上がって右側の様子。 |
左斜め前方の様子。 |
左側の様子。 |
糸満市の公式HPでは『照屋御嶽』と記載されていますね。⇒《糸満市公式HP『照屋の歴史を歩く(H23.11.12)』のページ参照》
築城年や築城者は不明なんだそうですが、発掘調査では、青磁や須恵器、グスク式土器などが出土しているようですね。
階段を上がって真正面にある拝所と『グバオウの主』と記載された香炉が置かれた古墓 |
『照屋グスク』の北側には、報得川(むくえがわ)が流れているんですが、かつては河口がグスク近くにあったみたいですね。
そして、その河口に対中国交易のために使用されていた進貢船が到着すると、伝馬船などの小型の舟で川を上り、交易品を運んだと考えられているようです。
そのことに因んで、報得川にある窪地は『唐船小塀(トゥシングムイ)』と呼ばれ、この一帯は『唐船嶽(トゥシンダキ)』と呼ばれているんだそうです。
祠の中に『照屋氏神様』と記された拝所 |
まずは、階段真正面にある拝所から見学することに。
上の写真の通り、階段の真正面には拝所と古墓があり、向かって左側は『グバオウの主』と記された香炉が置かれた古墓、そして右側は、祠の中に『照屋氏神様』と記された拝所となっていました。
『グバオウの主』と記された香炉が置かれた古墓 |
『照屋氏神様』の拝所・『グバオウの主』の古墓のすぐ隣にあった拝所(?)のような場所。 |
合祀された遥拝所。 |
遥拝所を見学した後、今度は広場の反対側へ移動することに。
遥拝所の前から広場の反対側を見たところ。 |
この広場も、現在はコンクリートで舗装されていますが、以前は未舗装で雑草などが生い茂っていたようです。
先程ご紹介した『照屋氏神様』が祀られた拝所と『グバオウの主』の古墓の左隣には、横長の真新しい御墓がありました。
『御嶽波平按司御墓』(向かって右側)と『御嶽赤嶺按司御墓』(左) |
2基の按司墓は、2基共に創立年は、昭和3年(1928年)の旧暦6月吉日となっており、改築年月日は平成16年(2004年)11月吉日と記載されていました。
そして、この真新しい按司墓のすぐ左側には、老朽化がかなり進んだ古墓があります。
老朽化がかなり進んだ古墓 |
そして、この古墓の左隣には、殿(トゥン)らしき『火ヌ神(ヒヌカン)』が祀られた拝所がありました。
地頭火ヌ神 |
≪ミチムンと呼ばれ、建物の中に数個の石が置かれている。 かつてはウマチーに使うミキ(神酒)はここで炊かれたという。 村ヒヌカンという説もある。≫・・・とのことです。
この『御嶽波平按司御墓』・『御嶽赤嶺按司御墓』、古墓、『地頭火ヌ神』の向かい側にも、横長の古墓があります。
広場の東側の隅にある古墓 |
この古墓から少し離れた場所に、この広場のコンクリート舗装完成記念碑が建立されています。
下茂一門の方々のご厚意によって、整備が進められたみたいですね。
コンクリート舗装完成記念碑 |
広場の階段を下りて、すぐ右側奥の木々が生い茂る場所の下にも拝所らしき場所がありました。
照屋グスク拝所・墓所の階段入口手前から東側奥にあった拝所 |
照屋グスク拝所・墓所入口手前から東側にあった拝所 |
こちらの拝所まで見学した後、今度は、一旦集落まで下りていき、グスク入口前の道路を西側へと歩いていきます。
グスク域入口から西側に約33mほどの距離にあった照屋集落内の拝所。『根神屋』でしょうか。。。? |
また、そこからさらに西側へ移動すると、殿らしき建物を発見しました。
道路から少し奥まったところにある照屋集落内の拝所。 |
石積みの拝所。 |
殿(トゥン)のような建物の拝所。内部に霊石のような石が置かれています。 |
グスク域東側に立つ貯水タンク |
グスク域北側を走る道路。東側から西側を見たところです。 |
グスク域北側にある拝所・墓所の広場への入口 |
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのままこちらを後にし、同じ糸満市内にある次の目的地へと向かいました。
いかがでしたでしょうか?
こちらの『照屋グスク(御嶽)』は、城壁らしき石積みなどは破壊されて、ほとんど無くなっていますが(広場の石積みは新しく造られたものと思います)、拝所・古墓などが点在しており、集落の人々によって大切に保存されています。
また、糸満市の公式HPや他サイトをいろいろ拝見させて頂くと、こちらの照屋集落内には拝所や石獅子などの文化財がいくつか点在しているみたいなので、もう一度調べ直して、再訪したいですね。
今回は、かなり長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『照屋グスク』☆
☆場所:〒901-0315
沖縄県糸満市照屋207
☆見 学:無料
☆駐車場:無し