ハイサイ☆
昨日(15日)の沖縄本島は、丸一日晴れてはいたものの、薄い雲に覆われてて、どちらかとゆーと『曇り』の天気でしたねヽ(^。^;
んで、今日(16日)も、降水確率が0%となっており、いちおー晴れるみたいなんですけど、夕方前くらいからはまた次第に曇ってくるみたいです。。。
今週は、天気が晴れても、あまりスッキリしない空模様なので、なんだか微妙な感じですね(笑)
さてさて☆
この前、恩納村の『万座毛』を訪れた際、同村恩納集落内にも史跡やガー(井泉)が点在しているとのことなので、ちょこっと散策しました☆
んで、今回は、18世紀頃に琉歌歌人として活躍した女性歌人の生誕地碑と歌碑をご紹介したいと思いますo(^-^)o
まず最初は・・・
沖縄県国頭郡恩納村恩納にある
こちらはまず、恩納村の国道58号線と県道88号線がぶつかる交差点から、『恩納村立恩納中学校』向けに進み、さらに同中学校を通過してしばらく進んでいくと、左側に『恩納共同組合売店』が見えてきますので、そちらから左斜めに伸びる小道に入ります。
小道に入って約130mくらい進むと、前方左側に『恩納ナビー生誕地跡』と『カンジャガー』の標識がありますので、そこから標識通りに小さな脇道に入って行くと、左前方にあります☆
『恩納ナビ誕生の地』碑がある場所には説明板が無いんですが、そこから約70m離れた場所にある『カンジャガー』(井泉)横に設置された案内板に、その説明が記載されています。
≪恩納村に生まれた女流歌人恩納ナビーは、十八世紀はじめ琉歌歌人として活躍した女性です。
ナビーの生きていた時代は、琉球文化の黄金時代とよばれ文学・音楽・舞踊と一流の文化人が排出すると同時に、庶民の間にも琉歌という歌が流行っていました。
恩納村の美しい自然の中ナビーは、自由奔放かつ大胆な歌を数多く残しました。≫
・・・とありました。
こちらは、そんな黄金時代とよばれた時代に活躍した『恩納ナビー(うんな なび、おんな なべ・・・とも)』が生まれた場所なんだそうです。
石碑に刻まれた『マッコウ家』とは、『恩納ナビー』の家号とのことで、現在、誕生した屋敷跡は、畑になっています。
毎年、こちらでは『ウシデーク』と呼ばれる女性達が農漁の収穫を祝う行事が行われているんだそうですよo(^-^)o
続いては、2ヵ所ある『恩納ナビー』の歌碑をご紹介したいと思います☆
『万座毛』駐車場入り口にある
一七二六年 享保十一年に琉球王府 尚敬王自身を先頭に、具志頭親方蔡温をはじめ、各重臣々下をのこりなく(約二百人)率いて北山巡行のおり、恩納「ムラ」の景勝地万座毛に立ち寄った際に、農民百姓が何のおそれもなく、王賀の大行列を拝すことができて、これこそ大御代の恵みで、欣々然としたその歓喜の余り、国王歓迎で詠んだといわれている。
国王一行を歓迎した雄大なすばらしい風景の「クイシイ毛」で、彼女根取い(音頭取り)の歓迎臼太鼓(ウスデーク)に、国王一行は至極満悦して、尚敬王はこの毛に万人を座せしめることが出来るということで、すぐさま「万座毛」と命名した若き名君尚敬王のすばらしさである。
輝かしい琉歌の歴史を万座毛に残したナビ女を「ムラ」の誇りとしかつ、後世に伝えるために歌碑を、昭和三年十一月十日建立する。≫
・・・と刻まれていました。
この歌碑と碑文がある場所の奥には、記念碑が建立されており、この碑の裏側にも同じ歌が刻まれています。
この二つの石碑のすぐ隣りには、昭和七年秋(石碑には昭和六年と刻まれている)に、童話作家の巌谷小波が『恩納ナベ歌碑』を訪れた際に詠んだ句が刻まれた石碑が建立されています。
≪しぐれたり おんな詩人の 碑を訪へば≫
また、この場所から少し離れた場所にも、『琉歌の里 恩納』と刻まれた大きな石碑があり、その碑にも恩納ナベの琉歌が刻まれています。
≪恩納嶽あがた 里が生まり島 森もおしのけて こがたなさな≫
そして最後は、先ほどの『恩納ナビ誕生の地』碑の近くにある歌碑です。
こちらには、『恩納ナビ』の琉歌が刻まれた大きな石碑と碑文が刻まれた石板があります。
一七一九年 享保四年 尚敬王のお冠船(戴冠式)に列席された中国の副使節徐葆光が、北部視察に出かけることになった。そのため、宿泊予定地の恩納間切藩所前に「毛遊び」を禁止する王府命令の立札が張り出された。
この「毛遊び」というのは、青年男女が夜ごと野原に集って歌いかつ、舞踊り、昼間の労働の疲れをいやす素朴な遊びのことであるが、王府では男女の風紀を乱するのであり、中国使節にそんなものを見せてはならないという心配から立札を出させたのである。
この歌は恩納ナビー詠作の中でも最も秀逸して、琉球古典音楽の中でも名高い恩納節本歌である。≫
・・・と刻まれていました。
松の下に歌碑を建立したのは、禁止の立札がこちらに立てられていたので、それに対抗するために、ということなんでしょうね☆
『恩納松下の碑』のすぐ隣りには『恩納番所跡』があります。
現在『恩納番所跡』は、門と敷地を取り囲む塀しか残っていません。。。
いかがでしたでしょうか?
今回は、ちょっと長くなってしまいましたが、この『恩納ナビ誕生の地』碑がある恩納村恩納区には、この他にも、神アサギや拝所、カー(井泉)などが点在してますので、また機会を作ってご紹介したいと思いますo(^-^)o
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『恩納ナビー生誕屋敷跡』・『恩納松下の碑』
・『恩納ナベ(ナビー)歌碑』☆
☆場所:〒904-0411
沖縄県国頭郡恩納村恩納
☆入場料:無料
☆駐車場:なし《※恩納ナベ(ナビー)歌碑は、万座毛駐車場利用可》
☆トイレ:なし
昨日(15日)の沖縄本島は、丸一日晴れてはいたものの、薄い雲に覆われてて、どちらかとゆーと『曇り』の天気でしたねヽ(^。^;
んで、今日(16日)も、降水確率が0%となっており、いちおー晴れるみたいなんですけど、夕方前くらいからはまた次第に曇ってくるみたいです。。。
今週は、天気が晴れても、あまりスッキリしない空模様なので、なんだか微妙な感じですね(笑)
さてさて☆
この前、恩納村の『万座毛』を訪れた際、同村恩納集落内にも史跡やガー(井泉)が点在しているとのことなので、ちょこっと散策しました☆
んで、今回は、18世紀頃に琉歌歌人として活躍した女性歌人の生誕地碑と歌碑をご紹介したいと思いますo(^-^)o
まず最初は・・・
沖縄県国頭郡恩納村恩納にある
『恩納ナビー生誕地跡』☆
『恩納ナビ誕生の地』碑☆ |
小道に入って約130mくらい進むと、前方左側に『恩納ナビー生誕地跡』と『カンジャガー』の標識がありますので、そこから標識通りに小さな脇道に入って行くと、左前方にあります☆
標識後方にも、石製の案内板があるんですけど、ちょっと見えにくいですヽ(^。^; |
≪恩納村に生まれた女流歌人恩納ナビーは、十八世紀はじめ琉歌歌人として活躍した女性です。
ナビーの生きていた時代は、琉球文化の黄金時代とよばれ文学・音楽・舞踊と一流の文化人が排出すると同時に、庶民の間にも琉歌という歌が流行っていました。
恩納村の美しい自然の中ナビーは、自由奔放かつ大胆な歌を数多く残しました。≫
・・・とありました。
『恩納ナビ誕生の地』碑☆ |
石碑に刻まれた『マッコウ家』とは、『恩納ナビー』の家号とのことで、現在、誕生した屋敷跡は、畑になっています。
毎年、こちらでは『ウシデーク』と呼ばれる女性達が農漁の収穫を祝う行事が行われているんだそうですよo(^-^)o
続いては、2ヵ所ある『恩納ナビー』の歌碑をご紹介したいと思います☆
『万座毛』駐車場入り口にある
『恩納ナベ(ナビー)歌碑』☆
万座毛駐車場入り口にある『恩納ナベ(ナビー)歌碑』と『巌谷小波句碑』☆ |
恩納ナベの琉歌と碑文が刻まれた石碑☆ |
≪波の声もとまれ 風の声もとまれ
首里天がなし 美御機拝ま≫
碑文≪波の音も沈まれ 風の音も静かになれ 今 私が首里の王様のごきげんを伺いをしますから(お顔を拝しますから)という歌意である。一七二六年 享保十一年に琉球王府 尚敬王自身を先頭に、具志頭親方蔡温をはじめ、各重臣々下をのこりなく(約二百人)率いて北山巡行のおり、恩納「ムラ」の景勝地万座毛に立ち寄った際に、農民百姓が何のおそれもなく、王賀の大行列を拝すことができて、これこそ大御代の恵みで、欣々然としたその歓喜の余り、国王歓迎で詠んだといわれている。
国王一行を歓迎した雄大なすばらしい風景の「クイシイ毛」で、彼女根取い(音頭取り)の歓迎臼太鼓(ウスデーク)に、国王一行は至極満悦して、尚敬王はこの毛に万人を座せしめることが出来るということで、すぐさま「万座毛」と命名した若き名君尚敬王のすばらしさである。
輝かしい琉歌の歴史を万座毛に残したナビ女を「ムラ」の誇りとしかつ、後世に伝えるために歌碑を、昭和三年十一月十日建立する。≫
・・・と刻まれていました。
歌人恩納奈邊記念碑 |
巌谷小波句碑☆ |
≪しぐれたり おんな詩人の 碑を訪へば≫
また、この場所から少し離れた場所にも、『琉歌の里 恩納』と刻まれた大きな石碑があり、その碑にも恩納ナベの琉歌が刻まれています。
≪恩納嶽あがた 里が生まり島 森もおしのけて こがたなさな≫
『琉歌の里 恩納』と琉歌が刻まれた石碑☆ |
『恩納松下の碑』☆
恩納松下の碑☆ |
≪恩納 松下に 禁止の牌のたちゆし
恋しのぶまでの 禁止やないさめ≫
碑文≪「恩納番所前の松の下に 禁止の立札を張り出しているが 恋をすることまで禁止する定めは無い筈だ だからわれわれ若い者は 恋をするのに何も恐れはばかることはないでしょう」という歌の意味である。一七一九年 享保四年 尚敬王のお冠船(戴冠式)に列席された中国の副使節徐葆光が、北部視察に出かけることになった。そのため、宿泊予定地の恩納間切藩所前に「毛遊び」を禁止する王府命令の立札が張り出された。
この「毛遊び」というのは、青年男女が夜ごと野原に集って歌いかつ、舞踊り、昼間の労働の疲れをいやす素朴な遊びのことであるが、王府では男女の風紀を乱するのであり、中国使節にそんなものを見せてはならないという心配から立札を出させたのである。
この歌は恩納ナビー詠作の中でも最も秀逸して、琉球古典音楽の中でも名高い恩納節本歌である。≫
・・・と刻まれていました。
『恩納松下の碑』のすぐ横にある『恩納番所跡』☆ |
『恩納松下の碑』のすぐ隣りには『恩納番所跡』があります。
現在『恩納番所跡』は、門と敷地を取り囲む塀しか残っていません。。。
碑文が刻まれた石板がある方向から見た『恩納松下の碑』♪ |
今回は、ちょっと長くなってしまいましたが、この『恩納ナビ誕生の地』碑がある恩納村恩納区には、この他にも、神アサギや拝所、カー(井泉)などが点在してますので、また機会を作ってご紹介したいと思いますo(^-^)o
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
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☆『恩納ナビー生誕屋敷跡』・『恩納松下の碑』
・『恩納ナベ(ナビー)歌碑』☆
☆場所:〒904-0411
沖縄県国頭郡恩納村恩納
☆入場料:無料
☆駐車場:なし《※恩納ナベ(ナビー)歌碑は、万座毛駐車場利用可》
☆トイレ:なし