◎『知念城跡』周辺にある井泉と按司墓、そして稲作発祥の地☆|沖縄放浪日記

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2016年1月11日月曜日

◎『知念城跡』周辺にある井泉と按司墓、そして稲作発祥の地☆

ハイサぁ~イ☆

今日(11日)の沖縄本島は、天気予報通り、一日中『雨』でしたね。。。

午後14時くらいは、特に雨脚が強くなり、遠くの方が見えなくなるくらいの大雨でした(^^;

んで、明日(12日)の予報を見てみると、午前6時くらいまでは『雨』マークになっているんですが、次第に天気が回復してくる見込み♪

正午以降からは、『晴れ』マークとなっておりますo(^-^)o

予報通りに天気が回復して時間があったら、またドコか散策にでも行こっかなぁ~(^艸^)♪

さてさて☆

今回は、前回ご紹介した『知念城跡』『ノロ屋敷跡』を見学しに行った時の続きです☆

沖縄県南城市知念字知念にある
『知念按司の墓』『ウファカル』『知念大川』
『知念城跡』の石碑と正門☆
『ノロ屋敷跡』・『知念城跡』を見学した後、遊歩道がさらに奥へと続いていたので、そちらの方へ行ってみることにしました。

この遊歩道の先には、『知念按司の墓』や稲作発祥の地と伝えられる『ウファカル』、そして琉球国王が自ら参拝する聖地とされる『知念大川(ちんねんうっかー)』があるとのこと。。。

歩き始めてすぐに遊歩道右側の藪に、石段を発見‼

こちらは、『知念城跡』入口に設置されていた説明板や【知念ガイドマップ】にも記載が無かったんですが、自宅に戻っていろいろ調べると、『古屋敷跡』なんだそうで、奥には拝所がありました。
遊歩道から藪の奥へと続く石段
『古屋敷跡』
『古屋敷跡』の奥にあった拝所
この『古屋敷跡』には、奥に拝所が一ヵ所あるだけで、周囲には遺構らしきものは見当たらず、深い藪だけだったので、すぐに遊歩道へと引き返しました。

遊歩道を進んでいくと、途中で道が二手に分かれており、右側の道には『知念按司の墓』『ウファカル』の案内板があったので、まずはこちらから行ってみることにしました。
遊歩道の分岐点にあった案内板☆
案内板から入ってきた小道
『ウファカル』と『知念按司の墓』の案内板
獣道みたいな小道を突き進んでいくと、開けた場所に出ました。

そこは、畑(?)田んぼ(?)になっており、農作業をされてる年配の方がいたので、「こんにちは~」と声をかけると、「ハイハイ。御墓はこの小道を歩いていくと、この先にありますよ~」との返事が(笑)

たぶん、『知念按司の墓』を見学しに来る人たちが多くて、何度も出くわしてるのでしょうね(笑)
『ウファカル』の説明板近くにあった湿地のような場所
「ありがとうございまぁ~す」とお礼を言って、先へ進んでいくと、『ウファカル』『知念按司の墓』の案内板があり、まずは『ウファカル』の説明板を読んでみると・・・
≪知念大川の後背地にあり、玉城の「受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ)」とともに稲作発祥地と伝えられている場所です。

1713年に成立した『琉球国由来記』(各地の資料を整理・編集した地誌)には、ニライカナイからアマミク神が稲の種子を持って来たと記されています。

ウファカルは知念城跡に近く、往時の水源地としても重要な場所でした。数十年前まで辺り一面に水田が広がっており、知念城跡に関する祭祀場としても大切な場所です。

崖の中腹には「知念按司の墓」、その周辺には古屋敷跡も残っています。≫
・・・と、書かれていました。

ってことは、今歩いてきたこの広場一帯が『ウファカル』になっているってことなんですねえ。。。
小道側から見た『ウファカル』
『ウファカル』の説明板がある場所から今来た道を振り返ったところ
『ウファカル』の説明文を読んだ後、今度は『知念按司の墓』を見学しに向かいました。。。

・・・が、『知念按司の墓』は、切り立った断崖の中腹にあるとのことで、藪の中にある獣道みたいなところを登っていきました。。。ヽ(^。^;
『知念按司の墓』は、この案内板からさらに右奥の藪を登っていきます。

『知念按司の墓』に続く獣道を登り始めたトコ。。。写真ではドコが道だかわかりませんね(泣)
獣道の途中。急勾配だし、足場が悪いのでちょっとキツかったですね(笑)
よぉやっと『知念按司の墓』がありましたヽ(^。^;左側の岩が黒くなっている部分の下側に按司のお墓があります。
獣道のような足場が悪い急勾配の道を登っていくと、よぉやっと開けた場所に出まして、『知念按司の墓』がありました。

お墓は、断崖の中腹にあるって説明板に書かれていましたが、この場所、かなり凄いんですよ‼

お墓の前から真上を見上げると、崖が迫り出してるんです‼
知念按司の墓
『知念按司の墓』の前から真上を見上げた上クルク原の断崖
アングルを縦にすると分かりますかね。。。
しかも、岩肌が『知念按司の墓』の周辺から上にかけて、黒くなっていたので、ちょっと不気味な雰囲気を醸し出してました。。。

んで、『知念按司の墓』手前に設置されていた説明板を読んでみると・・・
≪知念城跡の北西、標高百十mの琉球石灰岩断崖の斜面に位置する。地元では按司墓と呼ばれ、知念を治めた按司とその家族の墓と伝えられる。

墓の前庭部と階段は成形され、墓口には一枚の楯をのせ、石積みで閉じている。
平成二十四年十一月設置 南城市教育委員会≫
・・・と、書かれていました。

この『知念按司の墓』は、平成8年5月1日に南城市の史跡に指定されているんだそうです。
按司墓からみた上クルク原の断崖
『知念按司の墓』は拝所にもなっているみたいで、香炉が置かれており、横側には石碑もありましたよ。
按司墓の前に置かれていた香炉
按司墓の横にあった石碑らしきものと『古墓』と書かれた石。こちらもお墓なのでしょうか。。。?
この『知念按司の墓』を見学した後は、先程の案内板があった分岐点まで戻り、今度はもう一方の小道を行ってみることにしました。
『ウファカル』『知念按司の墓』の案内板があった分岐点からもう一方の小道に入ってきたところ。
こちらは、石畳道が『知念大川』まで続いてました。
もう一方の小道は、古い石畳道になっており、『知念大川(ちねんうっかー)まで続いてました。

しばらく石畳道を進んでいくと、ようやく『知念大川』が見えてきました。
石畳道側から見た『知念大川(ちねんうっかー)』
『知念大川(ちねんうっかー)』
『知念大川』の入口にあった説明板によると・・・
≪知念大川の水源地は後ろの崖下にある『ウファカル』と呼ばれる湧泉で、『中山世鑑』(1650年)には「アマミキヨが知念大川後ろの田と玉城の受水走水(うきんじゅ・はいんじゅ)に稲を蒔いた」と記されています。

このことから、知念大川は琉球国王が自ら参拝する聖地とされ、現在の東御廻り(アガリウマーイ)に受け継がれています。≫
・・・と、書かれていました。
『知念大川』の水溜(手前)と拝所
拝所
『知念大川』の石垣
『知念大川』の拝所の近くにも井泉らしき場所がありました。
この『知念大川』の湧水は、近年まで字知念の簡易水道として利用されていたんだそうですよ。

・・・と、この『知念大川』まで見学して、先程歩いてきた石畳道を戻り、帰宅の途に就きました。

前回同様に、今回もかなり長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『ウファカル』・『知念按司の墓』・『知念大川』☆
※『ウファカル』・『知念按司の墓』・『知念大川』は、『知念城跡』周辺に点在しているので、Gマップは『知念城跡』を表示しています。

☆場所:〒901-1501
      沖縄県南城市知念字知念

☆問い合わせ:098-946-8817(南城市 観光・文化振興課)

☆時間:自由見学

☆駐車場:あり

☆トイレ:無し