◎ミーグスク(新城)とグーグスク(古城)の二つの郭からできている南城市知念にあるグスク☆|沖縄放浪日記

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2016年1月10日日曜日

◎ミーグスク(新城)とグーグスク(古城)の二つの郭からできている南城市知念にあるグスク☆

ハイサぁ~イ☆

昨日(9日)の沖縄本島は、雲が多く、時折、雲の間から太陽を覗かせることもあったんですが、あまりパッとしない一日でしたねヽ(^。^;

今日(10日)の天気予報は、いちおー午前9時までは晴れるみたいなんですけど、その時間以降は、『曇り』との予想になってます。。。

んで、明日(11日)からの二日間は、『曇りときどき雨』で、水曜日(13日)以降もまた、ほとんど『曇り』なんだとか。。。

まぁ、毎年1月~3月にかけての沖縄本島は、『曇り』の日が多く、あまり天候が安定しないんですが、早く天候が安定してほしいものですね(´▽`)ノ

さてさて☆

前回の記事でご紹介した『佐敷上グスク』を見学した後、次に向かったもう一方のグスクのご紹介です☆
※今回も、写真を中心に進めていきます(^^♪

今回は、グスクをはじめ、そのすぐ近くにある史跡も同時に見学してきたので、2回に分けてご紹介しましょーね。

沖縄県南城市知念字知念にある国指定史跡
『知念城跡』
国指定史跡『知念城跡』
こちらはまず、南城市の国道331号線県道86号線がぶつかる『吉冨』の交差点から、県道86号線に入り、『ニライカナイ橋』を経て、しばらく進んでいくと、左側に『カフェくるくま』さんの小さな案内板がありますので、そこを左折します。

しばらく道なりに直進していくと、また『カフェくるくま』さんの小さな案内板がある交差点に差し掛かりますが、そこを左折せずにそのまま直進して急な坂道を下っていくと、右側にあります☆

『知念城跡』入口の道向かいには駐車場がありますので、城跡まではそこから歩いて向かいます。
『知念城跡』へ続く遊歩道の入口
入口の道向かいにある『知念城跡』駐車場
まずは、遊歩道入口にある『知念城跡』の説明板を読んでみると・・・
≪知念城跡は、ミーグスク(新城)とクーグスク(古城)とよばれる二つの郭からできています。クーグスクは古い野面積みで囲まれ、一番高い岩山の上に立地しています。ミーグスクは、二つの門と石垣で囲まれた郭です。

正門を入ると、「火の神」が祀られている小さな祠がみえ、さらにその奥には「友利御嶽」があります。友利とは、「名高く尊い」という意味があります。

知念城跡内には、1761年から1903年に至るまでの間、知念番所(間切の役所)が置かれました。現在の火の神は、番所が移動した後に地域の人々が祠をつくり、祀ったものです。

この御嶽や火の神には、地元だけでなく県内全域からの参拝客も多く訪れ、東御廻り(アガリウマーイ)の拝所となっています。

知念城跡では、現在史跡整備事業を進めており、それに伴う調査で18世紀を中心とした様々な資料が確認されています。
昭和47年5月15日指定 沖縄県南城市教育委員会≫
・・・と、書かれていました。

また、その隣にある【知念ガイドマップ】によると、この『知念城跡』周辺をはじめ、字知念一帯には、ガー(井泉)やノロの墓、拝所、ガマなどなど様々な史跡が点在してるみたいです。

説明板と【知念ガイドマップ】を一通り目を通した後、さっそく城跡へと向かいました。
城跡へと続く遊歩道
遊歩道沿いには写真右側のような石垣が何ヵ所かありました。
遊歩道を歩いていくと、『城跡』手前右側に『ノロ屋敷跡』があります。
『ノロ屋敷跡』
先程の【知念ガイドマップ】によると、『絵図郷村帳』に「知念村」「はたま村」と二つの村が記載されているんだとか。

さらに『琉球国由来記』には、知念に、《知念ノロ》と《波田真ノロ》の二人のノロがいたことが記録されているとのこと。
『ノロ屋敷跡』の入口
この二つの事柄から、元々は二つの集落があったものと考えられるそうで、こちらの『ノロ屋敷跡』は、《知念ノロ》の屋敷跡になるんでしょうね。

【知念ガイドマップ】によると、《波田真ノロ》の屋敷跡は、同じ字知念の別の場所にあり、『ミーヤ』と呼ばれてるそうです。
屋敷跡のもう一つの入口
屋敷跡内にある遺構
『ノロ屋敷跡』に入ると、石で作られた遺構が残っており、石柱のような遺構もありましたが、かなり老朽化が進んでましたね。

さらに、その石柱の遺構の隣には、石垣で囲われた拝所もありました。
『ノロ屋敷跡』の拝所
一通り『ノロ屋敷跡』を見学させてもらった後、今度は『知念城跡』を見学しに向かいました。
『ノロ屋敷跡』から見た『知念城跡』の正門前
城跡の正門手前側に、石碑と説明が記された石板がありましたので、その説明を読んてみると・・・
≪この城は、二つの部分からなっています。一つは東南部の古城で、高所に1~2メートルの野面積みの石垣で囲まれ、内部はうっそうとした森となっています。

ここは「おもろさうし」に「ちゑねんもりぐすく」と謡われた霊場です。この古城の西方に高さ3メートルの切石積の城壁をめぐらした新城が連なります。城壁の東に正門、北に裏門とアーチ形の城門をひらき、郭内には、沖縄の開闢伝説で名高い久高島の遥拝所があります。

この新城は尚真王の異母兄弟にあたる内間大親が築いたといわれていますが、真意は不明です。

知念城は古くは代々の知念按司の居城でもあったと思われますが、それがたんなる城郭ではなく、「あまみきょ」の伝説と尚真王の権威とが結びついたいわば宗教的城という意味で重要です。
沖縄県教育委員会 昭和53年3月31日≫
・・・と書かれていました。
城跡正門前にある石碑と説明板
『知念城跡』の正門。こちらはミーグスク。
クーグスクは現在立ち入り禁止になっています。
小高い丘のクーグスク(古城)へと続く城壁
ミーグスク内から見た正門
正門を入ってすぐに目隠しのための石垣が置かれてました。
今現在、『知念城跡』は整備・修復中であるため、所々立ち入り禁止の区域がありました。
クーグスクがある丘を背に見た裏門側
正門側にある目隠しの石垣を横切ると、ミーグスクの裏門、そして二つの拝所と遺構が見られました。
長方形の遺構と拝所
裏門横にある『焚字炉』
焚字炉横から城壁へと登れそうな場所がありましたが、警告板が設置されていました。
裏門横の遺構。かなり崩れてました。
裏門を出たところから見た『ノロ屋敷跡』(写真左上の林)
正門から城跡内に入り、一通り見学した後、今度は裏門から遊歩道に出て、再度、ミーグスク内へと続く遊歩道を歩いていきました。
裏門から出て、遊歩道から西側の城壁を見たところ
遊歩道から見たミーグスク内の南西側
こちらはまだ補修・整備中でした。
ミーグスク内の崖側にある城壁
ミーグスク内から今歩いてきた遊歩道を見たところ。
遠くに見える凸になってる崖の中腹あたりに『知念按司の墓』があります。
崖側からミーグスク正門を見た所
ミーグスク裏門の目隠しの石垣はまだ崩れた状態のままになってました。
一通り、『知念城跡』のミーグスク内を見学しましたが、完成までには、まだまだ時間が掛かりそうな感じでしたね。。。ヽ(^。^;

もし、完成すれば、ミーグスク内だけでなく、クーグスクの方も見学することができるようになるんでしょうか。。。
裏門近くの遊歩道上から見たクーグスク(城壁後方の丘)
ミーグスク正門からクーグスクの丘を見上げたところ
クーグスク入口。
現在立ち入り禁止になっています。
ぜひ、クーグスクの方も見学できるようにしてほしいものですねo(^-^)o

『ノロ屋敷跡』と『知念城跡』のミーグスク内を見学した後、今度は『知念按司』の墓などを見学しに向かいました。

・・・と、今回はここまでにして、続きはまた次回にしましょうね☆

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『知念城跡』・『ノロ屋敷跡』☆

☆場所:〒901-1501
      沖縄県南城市知念字知念

☆問い合わせ:098-946-8817(南城市 観光・文化振興課)

☆時間:自由見学

☆駐車場:あり

☆トイレ:無し