ハイサイ☆
今日(9日)も沖縄本島は、なかなかいい天気でしたねo(^-^)o
ですが、明日(10日)の予報では、降水確率60%となっており、午後からは弱い雨が降るとのこと。。。
この愚図ついた天気は、明後日(金曜日)まで続く見込み。。。
しかし、気温はあまり下がらないみたいで、この二日間もまぁまぁ過ごしやすそうです( ̄▽ ̄)ノ
さてさて☆
この前、嘉手納町にある『野國總管の墓』を見学した後、帰りがけに昔から砂辺住民より霊域として崇められ、沖縄戦の際には避難壕として使用されたガマも見学したかったので、ちょこっと立ち寄ってきました。
沖縄県中頭郡北谷町砂辺にある
こちらは、まず北谷町の国道58号線と県道23号線がぶつかる『国体道路入口』の交差点から、国道58号線を北向けに進みます。
そして、最初の信号を左折して直進していき、また最初の信号を、今度は右折します。
しばらく進んでいくと、左側に『砂辺公民館』がありますので、その手前にある脇道を左折して、少し進んでいくと、右側にあります。
この『クマヤー洞穴遺跡(クマヤーガマ)』には、沖縄戦の最中、砂辺住民や那覇方面から北部へ避難する人々、約300名が身を隠していたんだそうです。
※『クマヤー』とは、沖縄の方言で『篭る』とか『隠れる』という意味です。
米軍が上陸する1945年4月1日の直前に、1人の日本兵が立ち寄り、「ここは米軍上陸の可能性が高いから、別の場所に避難するように」とガマに避難していた人々に告げたとのこと。。。
すると、身の危険を感じた人々は、ガマから出ていき、全員助かったんだそうです。
現在、この『クマヤー洞穴遺跡(クマヤーガマ)』は、勝手には入ることは禁止されている管理壕となっていて、内部を見ることはできませんでしたが、内部には鳥居が建てられているらしく、危険を教えてくれた日本兵に感謝の気持ちを表しているんだそうですよ。
また、壕内の床面には珊瑚が敷かれているそうで、これはその場所を清める際に珊瑚を敷く沖縄の風習です。
『クマヤーガマ』の後方には、『クマヤーガマ納骨拝殿』が建てられています。
納骨拝殿の横にある石碑の説明文によると・・・
≪クマヤーガマでは昔から霊域として崇められ、サル大戦中は砂辺住民が避難し、全員無事で助かった。戦後埋没されていたものを、1986年6月改めて霊域として、また、住民が助かったガマとして構成に語り継ごうという住民賛同のもの、埋没したガマを発掘及び整備を実施した。
発掘を進める中で、多量の先史時代の人骨や遺物が発見され、1986年8月に北谷町教育委員会による発掘調査が一部国庫補助により行われた。その結果、出土した人骨は、今から三千年から二千五百年前の人骨だと鑑定され、南島のルーツの葬制を考える上で貴重な発見であり歴史解明上も重要であることからここに大切に保管し、厚生に残すこととした。
この拝殿は、旧字砂辺戸主会により建設され、保管施設の一部については北谷町の補助により建立された。
クマヤーガマの開口から発掘整備、拝殿建設に至る経緯には多大な人力と経費を要した。
これも一重に砂辺住民の協力の賜である。よって、ここに祖先の霊を供養し、拝殿を建設した。
また、北谷町教育委員会の公式HPの説明によると・・・
≪クマヤー洞穴遺跡は砂辺集落の南西側、海岸近くの標高約7mの低い石灰岩段丘にできた鍾乳洞に位置する。ほぼ東西に延びた全長40mあまりの鍾乳洞は、三つの連続した空間の洞穴(ガマ)から形成されている。
入口は南島隅に鍾乳洞の特有な陥没したドリーネと呼ばれる縦穴で、直径約5m、深さ4mほどの口が開口している。
その入口付近の光の届く12mの範囲である第一ガマに、先史時代の人々の痕跡はみられるが、その北西側億の第二・三のガマには生活の痕跡は発見されなく、原始・古代の人々が、洞穴を利用する様相の一端をうかがい知ることができる。
(中略)
クマヤー洞穴遺跡は、入口付近の狭い範囲にかぎって先史時代からグスク時代にかけて利用されるだけでなく、特に避難場所や沖縄諸島の風葬や改葬の源流を考える上で重要な遺跡だと考えられる。
『クマヤー洞穴遺跡(クマヤーガマ)』は、まさに、史跡・戦跡の両方の面から、とても貴重な場所になっているんですねぇ。。。
『クマヤー洞穴遺跡』から、西側(海より)のすぐ近くには『砂辺之寺』という拝所もありました。
こちらも、地下に入っていくような感じになっていましたが、入口は施錠されており、入ることはできませんでした。
もしかすると、『クマヤーガマ』とこちらは、地下でつながっているのかもしれませんね。
また、後方には扉が施錠された拝所がありました。
もし、北谷町砂辺に行くことがあれば、ぜひ足を止めて見学してみてはいかがでしょうか?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『クマヤー洞穴遺跡(クマヤーガマ)』・『砂辺之寺』☆
☆場所:〒904-0111
沖縄県中頭郡北谷町砂辺
☆時間:自由見学
☆駐車場:なし
☆トイレ:なし
※現在、『クマヤーガマ』は、戸主会・北谷町教育委員会で対応しているとのことです。
今日(9日)も沖縄本島は、なかなかいい天気でしたねo(^-^)o
ですが、明日(10日)の予報では、降水確率60%となっており、午後からは弱い雨が降るとのこと。。。
この愚図ついた天気は、明後日(金曜日)まで続く見込み。。。
しかし、気温はあまり下がらないみたいで、この二日間もまぁまぁ過ごしやすそうです( ̄▽ ̄)ノ
さてさて☆
この前、嘉手納町にある『野國總管の墓』を見学した後、帰りがけに昔から砂辺住民より霊域として崇められ、沖縄戦の際には避難壕として使用されたガマも見学したかったので、ちょこっと立ち寄ってきました。
沖縄県中頭郡北谷町砂辺にある
『クマヤー洞穴遺跡』☆
(クマヤーガマ)
(クマヤーガマ)
クマヤー洞穴遺跡 |
そして、最初の信号を左折して直進していき、また最初の信号を、今度は右折します。
しばらく進んでいくと、左側に『砂辺公民館』がありますので、その手前にある脇道を左折して、少し進んでいくと、右側にあります。
この『クマヤー洞穴遺跡(クマヤーガマ)』には、沖縄戦の最中、砂辺住民や那覇方面から北部へ避難する人々、約300名が身を隠していたんだそうです。
※『クマヤー』とは、沖縄の方言で『篭る』とか『隠れる』という意味です。
米軍が上陸する1945年4月1日の直前に、1人の日本兵が立ち寄り、「ここは米軍上陸の可能性が高いから、別の場所に避難するように」とガマに避難していた人々に告げたとのこと。。。
クマヤーガマ入口から見た内部の様子 |
現在、この『クマヤー洞穴遺跡(クマヤーガマ)』は、勝手には入ることは禁止されている管理壕となっていて、内部を見ることはできませんでしたが、内部には鳥居が建てられているらしく、危険を教えてくれた日本兵に感謝の気持ちを表しているんだそうですよ。
また、壕内の床面には珊瑚が敷かれているそうで、これはその場所を清める際に珊瑚を敷く沖縄の風習です。
側面から見た壕内。内部はとても広い感じがしました。 |
納骨拝殿の横にある石碑の説明文によると・・・
≪クマヤーガマでは昔から霊域として崇められ、サル大戦中は砂辺住民が避難し、全員無事で助かった。戦後埋没されていたものを、1986年6月改めて霊域として、また、住民が助かったガマとして構成に語り継ごうという住民賛同のもの、埋没したガマを発掘及び整備を実施した。
発掘を進める中で、多量の先史時代の人骨や遺物が発見され、1986年8月に北谷町教育委員会による発掘調査が一部国庫補助により行われた。その結果、出土した人骨は、今から三千年から二千五百年前の人骨だと鑑定され、南島のルーツの葬制を考える上で貴重な発見であり歴史解明上も重要であることからここに大切に保管し、厚生に残すこととした。
この拝殿は、旧字砂辺戸主会により建設され、保管施設の一部については北谷町の補助により建立された。
クマヤーガマの開口から発掘整備、拝殿建設に至る経緯には多大な人力と経費を要した。
これも一重に砂辺住民の協力の賜である。よって、ここに祖先の霊を供養し、拝殿を建設した。
平成七年五月吉日建立 字砂辺≫
・・・と書かれていました。クマヤーガマの後方にある建物が納骨拝殿 |
≪クマヤー洞穴遺跡は砂辺集落の南西側、海岸近くの標高約7mの低い石灰岩段丘にできた鍾乳洞に位置する。ほぼ東西に延びた全長40mあまりの鍾乳洞は、三つの連続した空間の洞穴(ガマ)から形成されている。
入口は南島隅に鍾乳洞の特有な陥没したドリーネと呼ばれる縦穴で、直径約5m、深さ4mほどの口が開口している。
その入口付近の光の届く12mの範囲である第一ガマに、先史時代の人々の痕跡はみられるが、その北西側億の第二・三のガマには生活の痕跡は発見されなく、原始・古代の人々が、洞穴を利用する様相の一端をうかがい知ることができる。
(中略)
クマヤー洞穴遺跡は、入口付近の狭い範囲にかぎって先史時代からグスク時代にかけて利用されるだけでなく、特に避難場所や沖縄諸島の風葬や改葬の源流を考える上で重要な遺跡だと考えられる。
北谷町教育委員会 社会教育課 文化係【6.クマヤー洞穴遺跡】より、一部抜粋・引用≫
・・・と、書かれていました。『クマヤー洞穴遺跡(クマヤーガマ)』は、まさに、史跡・戦跡の両方の面から、とても貴重な場所になっているんですねぇ。。。
『クマヤーガマ』から西側の方にある『砂辺之寺』 |
こちらも、地下に入っていくような感じになっていましたが、入口は施錠されており、入ることはできませんでした。
もしかすると、『クマヤーガマ』とこちらは、地下でつながっているのかもしれませんね。
また、後方には扉が施錠された拝所がありました。
後方には『砂辺之寺』の拝所があります。 |
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『クマヤー洞穴遺跡(クマヤーガマ)』・『砂辺之寺』☆
☆場所:〒904-0111
沖縄県中頭郡北谷町砂辺
☆時間:自由見学
☆駐車場:なし
☆トイレ:なし
※現在、『クマヤーガマ』は、戸主会・北谷町教育委員会で対応しているとのことです。