昨日は、メッチャ良い天気でしたねぇ♪
昼間は、少し暑さを感じるくらい暖かかくて、陽が沈んだら涼しくなって、とても過ごしやすかったですネ( ̄▽ ̄)b
んで、とても天気が良かったので、日ごろの運動不足解消も兼ねて、ちょっとお出かけしてきました(^艸^)(笑)
沖縄県浦添市仲間にある
ここは、国道330号線大平インターから県道38号線を安波茶交差点に向かって進み、安波茶交差点から県道153号線に入り、最初の信号を少し過ぎて右側の2つめの脇道を入って、その道をずーっと直進するとたどり着けます(笑)
県道153号線に入って最初の信号を通過したトコに看板が設置されてますよ♪
また、この城跡内には、史跡だけでなく、遺跡・壕跡などが多数あるので、今回も何回かにわけてお話しよぉと思います。。(^。^;
上の写真に写ってる遊歩道を道なりに進むと『浦添城跡』へ、建て看板を左手に進むと『浦添よーどれ』に行くことができます。
『浦添城跡』の方へ進んでくと、まず最初にあるのは『伊波普猷(いはふゆう)の墓』☆
この方は、沖縄の那覇出身の方で、本土に渡り、東京帝国大学に進学し、在学中に浦添が首里以前の古都であったことを最初に論じた『浦添考』とゆー論文を発表した方なんだそぉです。
帰郷した後建立図書館館長となり、歴史研究をする一方で、沖縄県民に啓蒙活動を行うんですが、大正14年に再び上京し、東京で亡くなりました。
その後、研究にゆかりの深い浦添に墓が作られ、ここで永遠の眠りについているんだそぉです。
こちらを後にし、さらに上に登ってくと、現在復元工事中の立派な城壁が見えてきます☆
以前、最後に訪れたのは、たしか10年くらい前だったと思うんですが、その時はここまで復元されてなかったんじゃないでしょうか。。。( ̄○ ̄;
『浦添城跡』は、首里城以前の、王統の居城として200年余りに渡り、琉球国中山王のお城なんだそぉで、国指定文化財に指定されています。
戦前までは、城壁が残ってたらしいんですが、激しい戦闘によって大部分が破壊されてしまったんだそぉです。。。
・・・が、現在までの発掘調査により、基礎・敷石遺構・建物跡などが良好に残ってることが確認されたので、復元工事を進めてるんだそぉです(^-^)b
この城壁の間を通過し、さらに奥に進んでくと、遺跡や慰霊塔などが多数あります。
最初に目にするのは『和光地蔵尊』
んで、ここからちょっと進んでくと、『故陸軍伍長 小林政雄之碑』と小さな石碑?、そして『石原正広少佐 外戦没者慰霊』の慰霊碑があります。
この小さな慰霊碑の向かいには、『浦和の塔』と『ディーグガマ』があります。
『ディーグガマ』の外周の垣根に埋め込まれてた説明書きの石板より。
昼間は、少し暑さを感じるくらい暖かかくて、陽が沈んだら涼しくなって、とても過ごしやすかったですネ( ̄▽ ̄)b
んで、とても天気が良かったので、日ごろの運動不足解消も兼ねて、ちょっとお出かけしてきました(^艸^)(笑)
沖縄県浦添市仲間にある
『浦添城跡(うらそえじょうあと)』☆
『浦添城跡』の入口♪ |
県道153号線に入って最初の信号を通過したトコに看板が設置されてますよ♪
また、この城跡内には、史跡だけでなく、遺跡・壕跡などが多数あるので、今回も何回かにわけてお話しよぉと思います。。(^。^;
上の写真に写ってる遊歩道を道なりに進むと『浦添城跡』へ、建て看板を左手に進むと『浦添よーどれ』に行くことができます。
『浦添城跡』の方へ進んでくと、まず最初にあるのは『伊波普猷(いはふゆう)の墓』☆
『伊波普猷の墓』 |
帰郷した後建立図書館館長となり、歴史研究をする一方で、沖縄県民に啓蒙活動を行うんですが、大正14年に再び上京し、東京で亡くなりました。
その後、研究にゆかりの深い浦添に墓が作られ、ここで永遠の眠りについているんだそぉです。
こちらを後にし、さらに上に登ってくと、現在復元工事中の立派な城壁が見えてきます☆
補修中の城壁 |
『浦添城跡』は、首里城以前の、王統の居城として200年余りに渡り、琉球国中山王のお城なんだそぉで、国指定文化財に指定されています。
城壁 |
・・・が、現在までの発掘調査により、基礎・敷石遺構・建物跡などが良好に残ってることが確認されたので、復元工事を進めてるんだそぉです(^-^)b
城壁のすぐ隣にある洞穴 |
最初に目にするのは『和光地蔵尊』
『和光地蔵尊』 |
『故陸軍伍長 小林政雄之碑』と小さな石碑? |
『石原正広少佐 外戦没者慰霊』の石碑 |
『浦和の塔』 |
≪浦和の塔は、沖縄戦で散華した人々を祀る慰霊の塔です。1952年に市民の浄財と本土土建会社の協力によって建立されたもので、納骨堂には浦添城跡を中心にしない各地で散華した軍人や民間人5,000人余柱が安置されており市では毎年10月には、慰霊祭を催し英霊を慰めています。
この『ディーグガマ』は少し、窪地になっていて、浦添グスク内の御嶽(拝所)です。
名前の由来は、『琉球国由来記』にある『渡嘉敷嶽(とかしきたき)』とされ、『渡嘉敷(とかしき)』は『浦添』の古い地名と考えられているそぉです。
また、ここにはかつて、大きなデイゴの大樹があったことから、『ディーグガマ』と呼ばれるよぉになったんだそぉです。
その『ディーグガマ』に下りて行くと、『浦和の塔』のほぼ真下に洞穴があり、そこは納骨堂になってるんですが、こちらに『浦和の塔』の遺骨が納められていたみたいですね。
現在、納骨堂は中で落石があったみたいで、立入禁止になってます。今後、危険度の調査と対策工事を行う予定とのこと。
納骨堂の前にある『地蔵菩薩』から奥に伸びる通路の先には、『浦添王子遺跡』と書かれた石碑があります。建立者は『尚氏』と書かれてました。
『浦添王子』とは、琉球王朝第二尚家 第三代尚真王の長男『朝満(ちょうまん)』のことで、二度にわたり身分を剥奪され、浦添グスクに住んでた人物なんだそぉです。
この身分剥奪の背景には、一族の王位継承権を巡って、骨肉の争いがあったみたいですね。。。(ーー;)
んで、この『浦添王子遺跡』の隣りには、『ディーグガマ』の『拝所』があります。
鉄格子がされていたので、中を覗うことはしませんでした。
これで、『ディーグガマ』内の遺跡は終了です☆
そして『ディーグガマ』の前には、奥に展望台がある広場があります☆
・・・と!突然ですが、かなり長くなってしまいましたので、今回はここまでにしましょうね( ̄▽ ̄;
それではまた。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『浦添城跡・浦添よーどれ』情報☆
浦添市役所≫
『ディーグガマ』 |
名前の由来は、『琉球国由来記』にある『渡嘉敷嶽(とかしきたき)』とされ、『渡嘉敷(とかしき)』は『浦添』の古い地名と考えられているそぉです。
また、ここにはかつて、大きなデイゴの大樹があったことから、『ディーグガマ』と呼ばれるよぉになったんだそぉです。
その『ディーグガマ』に下りて行くと、『浦和の塔』のほぼ真下に洞穴があり、そこは納骨堂になってるんですが、こちらに『浦和の塔』の遺骨が納められていたみたいですね。
現在、納骨堂は中で落石があったみたいで、立入禁止になってます。今後、危険度の調査と対策工事を行う予定とのこと。
『納骨堂』のガマと『地蔵菩薩』 |
『浦添王子遺跡』 |
この身分剥奪の背景には、一族の王位継承権を巡って、骨肉の争いがあったみたいですね。。。(ーー;)
んで、この『浦添王子遺跡』の隣りには、『ディーグガマ』の『拝所』があります。
『拝所』 |
これで、『ディーグガマ』内の遺跡は終了です☆
そして『ディーグガマ』の前には、奥に展望台がある広場があります☆
広場♪ |
それではまた。。。でわでわ☆★☆
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☆『浦添城跡・浦添よーどれ』情報☆
☆場所:〒901-2103 沖縄県浦添市仲間2
☆問い合わせ:浦添市商工産業課≫098-876-1234
☆問い合わせ:浦添市商工産業課≫098-876-1234
☆駐車場:有り
☆トイレ:無し
☆入場料無料
※国指定史跡・文化財
☆入場料無料
※国指定史跡・文化財