前々回にご紹介した『久志之若按司之墓』を見学した後、そのすぐ近くにあるお堂へ向かいました。
こちらは、尚経(豊見城王子朝良)と顧思敬(久志親方助豊)が、久志間切の総地頭の時にもらい受けた観音像を納めるために建てたお堂なんだそうです。
沖縄県名護市久志にある
『久志の観音堂』☆
大きなガジュマルの木の枝に守られるように佇む『久志観音堂』。 |
その小道の突き当りに2基の灯籠が立つ瓦屋根の社があるんですが、この社が『久志観音堂』です。
『久志之若按司之墓』のすぐ右隣りにある『久志観音堂』へと続く小道。 |
まずは『久志観音堂』の説明から読んでみると・・・
≪久志の観音堂≫
≪市指定文化財(有形民俗文化財) 昭和六二年七月十五日指定≫
≪琉球王府時代に書かれた歴史の本「球陽」の中の尚貞王二十年(一六八八年)の記事に、「尚経(豊見城王子朝良)と顧思敬(久志親方助豊)が、久志間切の総地頭のとき、観音様をもらい受け、それをおさめるお堂を久志の村に建て、それ以降、村の人々は毎月一日、十五日、十八日、二十三日にそこを拝むようになった」と、書いてあります。※『総地頭』とは、琉球王国において、一間切を采地(領地)として総領する地頭職のことです(Wikipedia『総地頭』より引用)
『久志観音堂』周囲には社を守るようにたくさんの木々が立っています。 |
久志観音堂。 |
特に、旧暦の一月十八日、九月十八日、十二月二十四日には久志区を上げて観音堂を拝み、村の繁栄と村人の健康を祈ります。
また個人的に、旅に出る時の安全祈願や子供の誕生、合格祈願などに拝まれ、区民が亡くなったときに行なう「ヌギファ(魂が残らないように祭ること)」のときにもここを拝んでいます。
『久志観音堂』の説明板と、かつて時報や火災を知らせる鐘として利用されていた『ボンベの鐘』。 |
この観音堂の建つところを、地元では「アタイ」と呼び、その近くに久志の村の「古島」があったと伝えられています。
平成七年(一九九五年)五月 久志区 名護市教育委員会≫
・・・とありました。名護市役所の公式HP内に『久志の観音堂由来』と題されたページがあり、そこには・・・≪昔、首里のトーミ殿内の人が、務めのために唐に行った。そこで、あまりにも美しい観音様を見て、沖縄に持ち帰って、みんなで祀り上げたいと思った。
務めを終え沖縄に帰るときに、その観音様を船に積み沖縄に向かい、首里に近い港で降ろそうとすると、観音様が「久志グヮーかい、久志グヮーかい」といった。そこで、久志に観音堂を造ってその観音様を祀ったという。≫とありました。
(参考:名護市役所公式HP内『久志の観音堂由来』)
『久志の観音堂』の説明板の左隣に『久志古島遺跡』の説明板が設置されていました。 |
≪久志古島遺跡≫
≪字久志の旧集落跡で、喜名焼ないしは知花焼と思われる沖縄産陶器を中心に、中国産青磁、南蛮陶器、灰色瓦、そして壺屋焼の当貴などが採集されています。遺跡の北側では、古琉球から近代にわたる水田遺跡が確認されています。≫
・・・とありました。
石垣の囲いの中から見た『久志観音堂』。 |
このことから、久志集落が古島(旧集落跡)から現在の場所に移動したのは、喜名窯や知花窯が壺屋窯に統合された17世紀末頃ではないかと考えられているんだそうです。
(参考:名護市役所 公式HP内『久志古島遺跡』)
『久志観音堂』の内部。中央に『観音石像』が安置されており、その両側にも"拝所"が設けられていました。 |
社の入口真正面には説明にも記載されていた観音様が安置されており、その手前に1基の香炉と賽銭箱が設置されていました。
また、観音様の両側にも香炉が1基ずつ置かれており、そちらも"拝所"となっていました。
現在は、旧暦の1月18日と9月18日には久志集落を中心に祭祀が御こなれているんだそうで、過去1年の間に子供が生まれた家では、子育て祈願を行なっているんだそうで、特に近年は合格祈願に訪れる人が多くなっているんだそうです。
『久志観音堂』を見学し終え、クルマへ戻ろうとした時、お堂の東側に立つ木々の向こう側に"石柱"らしきものが立っているのを発見!
すかさずそちらへ行ってみると・・・やはり"史跡"があることを示す石柱でした。
『久志観音堂』の東側を通る道路沿いにあった石柱。 |
『上ヌクムイ 下ヌクムイ』と刻まれた石柱と『久志』と刻まれた小さな石柱。 |
そしてこの2本の石柱の左側には森の中へと続く獣道があったので、そちらへ行ってみることにしました。
『上ヌクムイ 下ヌクムイ』の石柱から森へ入ってきたところ。 |
道路に戻り、南向け(久志観音堂や久志之若按司之墓の前向け)に歩いていくと、道路沿いの茂みの一ヵ所に細い階段入口を発見‼
『上ヌクムイ 下ヌクムイ』の石柱から南向けに約30mほどの距離にあった階段の入口(写真右側)。 |
道路から一段低くなった場所を流れる小川の川べりにあった拝所。 |
また、この"拝所"の前は、幅の狭い小さな小川が流れており、どうやら先程の『上ヌクムイ 下ヌクムイ』から流れてきているようでした。
拝所の前を流れる小川の上流側。 |
小川の下流側。コンクリート製のトンネルへ流れていき、道路の向こう側まで流れているようでした。 |
『久志観音堂』入口にあったフェンスで囲われた"クムイ"のような場所。 |
西側から見た"クムイ"のような場所。敷地の南側に石垣が造られていて水はそこから流れ出ているようでした。 |
・・・と、ここまで見学した後はそのままクルマへ戻ろうとした時、そこから南側の海岸付近へ目をやると、奥の木々の間に一段高くなった場所へと続く階段を見つけました。
"クムイ"の横、『久志観音堂』の入口付近から南側を見たところ。遠くに階段が見えます。 |
道路上から見た『慰霊塔』の入口。 |
階段の先の丘の上には大きな慰霊塔がありました。 |
階段から見た『慰霊塔』。 |
正面から見た久志集落の『慰霊塔』。 |
『慰霊塔』の横から見た久志集落前に広がる太平洋。 |
この日は曇り空であまり綺麗ではありませんでしが、良く晴れた日には青空と青い海を見ることが出来るのでしょうね。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのままクルマへと戻り、最後に久志集落内にある拝所を見学しに向かいました。
今回も少し長くなってしまいましたので、この続きはまた別の回に致しますね。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
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