名護市の真喜屋集落南東にある丘陵中腹に位置するグスク☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2017年12月30日土曜日

名護市の真喜屋集落南東にある丘陵中腹に位置するグスク☆

ハイサぁ~イ⭐

この前ご紹介した名護市宮里にある『ヤンバル食堂』で昼食をとった後、ヨメさんの用事を済ませに、その目的地へと向かいました💨

んで、想定してたよりも早く用事が終わったんで、帰りがけに2ヵ所ほど史跡巡りをしてきました(笑)

まず最初に向かったのは、名護市の真喜屋集落南東側の丘陵中腹にある史跡です。

沖縄県名護市真喜屋にある

『真喜屋グスク(上之御嶽遺跡)』

真喜屋グスク(上之御嶽遺跡)の写真
真喜屋集落南側の丘陵上にある森の中にひっそりと佇む『上之御嶽』の拝所。
こちらはまず、名護市の国道58号線県道110号線がぶつかる『真喜屋』の交差点から県道110号線に入り、最初の交差点『真喜屋(東)』を右折します。

次に約130mほどの距離左側にある脇道へ左折して、そこから約300mほど進むと、右斜めへ伸びる脇道があるので、そちらへ入ります。

そして最初に差し掛かる小さな十字路を左折して道なりに進んでいき突き当りを右折、また最初の左側にある脇道を左折して約40mほど進むと道路沿い左側にあります。
真喜屋グスク(上之御嶽遺跡)の写真
真喜屋集落内にある『アハチャビ(阿波茶部)』から見た『真喜屋グスク』のある丘陵。
この丘陵中腹には井戸跡や拝所などが点在しているんですが、一番上に位置する御嶽から見学を開始しました。
真喜屋グスク(上之御嶽遺跡)の写真
丘陵頂部へと続く道。左側に井戸跡が見えますが、そのさらに上の方に御嶽への入口となる鳥居があります。
御嶽を見学する前に少し下った場所に井戸跡を見つけたので、そちらにちょこっと寄り道。
カミガーの写真
御嶽の入口から少し下った場所にあった『カミガー』。
こちらは『カミガー』と呼ばれる井戸跡で、手前にはかなり劣化した古い小さな石碑が立てられていました。

水は湧き出ていないようで、拝みを行う場所としてのみ利用されているみたいです。
※なんせネット上に『真喜屋グスク』に関する詳細が記された資料などがアップされていないようなので、詳しいことは分かりませんでした(泣)

んで、この『カミガー』を後にし、"御嶽"へと入っていきます。
上之御嶽遺跡の写真
『上之御嶽遺跡』の入口。
ご覧の通り、入口には鳥居が建てられており、その手前には説明が記された案内板が設置されていました。

その説明を読んでみると・・・

≪上之御嶽遺跡≫
≪御嶽の広場一帯から、グスク時代の中期から後期にかけてのものと思われる土器が採集遺物は土器のみで、陶磁器は採集されていません。
上之御嶽遺跡の写真
鳥居を潜って階段を上がると、参道が森の奥へと伸びていました。
御嶽は、真喜屋とその隣の稲嶺で共有する主要な5ヵ所の拝所のうちのひとつとなっています。

時代:グスク時代中期~後期(約800年前~約700年前)
名護市教育委員会≫
・・・とありました。

鳥居を潜り、階段を上がっていくと参道が森の奥へと続いていました。
上之御嶽遺跡の写真
森の中にあった『上之御嶽』。
森の奥へ進んでいくと、目の前に"社"のような建造物が現われました。

その傍らには石碑が建立されており『上之御嶽建設碑』と記されていました。
上之御嶽遺跡の写真
社の左側にあった『上之御嶽建設碑』。
ネット上でいろいろ調べていくと、旧羽地村誌には『真喜屋グスク』と記されているようですが、グスク時代の土器が採集されたことから『上之御嶽遺跡』が正式な名称みたいです。

また、地元の人達も『上之御嶽(うぃーぬうたき)』と読んでいるんだそうですよ。
上之御嶽遺跡の写真
上之御嶽。
『上之御嶽』の社は前庭の入口に二基の灯籠が設けられており、社の内部には祭壇のようなコンクリート製の台が設置されていました。

そして、この社の斜め向かい側に、森の中へと続く獣道を発見したので、そちらにも行ってはみたんですが、藪が深かったんで今回は断念しました(泣)
上之御嶽遺跡の写真
『上之御嶽』の社の向かい側にあった獣道の入口。
上之御嶽遺跡の写真
獣道の途中まで入っていったんですが、その先は草木が繁茂していたので断念しました(泣)
ほんで、『上之御嶽』の社がある場所まで戻り、その周囲を一通り見渡してみたんですが、"社"以外の建造物は見当たらなかったんで、表の道に戻りました。
上之御嶽遺跡の写真
『上之御嶽』の道向かいにあった林。右奥に家屋が見えます。
すると、道向かいにある林の中に簡易的に造られた階段があり、その奥に家屋があったんで、そちらへ行ってみることにしました。
のろ殿内の写真
のろ殿内。
家屋の左前には大小二基の石碑が立てられており、小さい方の石碑には『のろ殿内』と記されていました。
のろ殿内の写真
『のろ殿内』と記された石碑。
また、左側の大きな石碑には『のろ殿内新築記念碑』と記されており、そこには碑文も記されていました。

≪ノロ殿内新築記念碑≫
≪この のろ殿内は 在伯仲尾徳英氏 及び 仲尾權四郎氏御一家の篤志を戴き 昭和五十六年旧八月八日の吉日をトして落成す

仍て この碑を建て後世に伝う
真喜屋区≫
・・・と記されていました。
のろ殿内の写真
のろ殿内新築記念碑。
この二基の石碑を見学していて気付いたんですが、正しい入口は、今入ってきた小道ではなく、この二基の石碑の前から左側にある階段でした(笑)
のろ殿内の写真
『のろ殿内』の敷地西側にある階段。こちらが正式な出入口だったようです(笑)
この『のろ殿内』の出入口に向かって左側へクルッと回り込み、先程の『上之御嶽』の入口がある道へ行くと・・・
ヌルガーの写真
T字路の角にあった『ヌルガー』。正面の道を進むと『上之御嶽』があります。写真右側は『のろ殿内』。
ちょうどT字路の角に三角屋根の祠を発見したので、そちらへ近づいてみると、『ヌルガー』と記された井戸跡となっていました。
ヌルガーの写真
ヌルガー。
こちらの祠も、先程の『カミガー』同様に水は湧いておらず、小石がたくさん納められていました。

この『ヌルガー』のあるT字路の北側に道路よりも一段高くなった場所があるんですが、そこは『アシャギ庭(なー)』と称される広場で、『真喜屋阿社義』と記された建物の他に『神アシャギ』や『ナイクミ殿内』という拝所、そして『掟火神(うっちひぬかん)』の祠などがあります。
アシャギ庭の写真
『上之御嶽』へ続く道路から見た『アシャギ庭』。
『アシャギ庭』の東側にある小道から入っていこうとすると、右側の藪の中に大きめの祠があるのを発見しました。
上之倉井の写真
道路から少し低くなった場所にある『上之倉井』。
その祠へ近づいてみると、井泉となっており、祠の内部には水がありました。

祠の後方には小さな小川があり、どうやらこの小川の水を一時的にこちらに溜めて利用しているようでした。

また、祠の前方の草むらに小さな石碑が立てられており、そこには『上之倉井』と記されていました。
アシャギ庭の写真
『上之倉井』の前の道から見た『アシャギ庭』。
この『上之倉井』を見学してから『アシャギ庭』へと向かいました。

『アシャギ庭』の東側にある小道から入っていくと、右側にも広場があり、そこにコンクリート製の祠が立てられていたんですが、どうやらこちらが『掟火神(うっちひぬかん)』の拝所となっているようで、内部には二基の香炉が納められていました。
掟火神の写真
『アシャギ庭』の東側にある広場。
掟火神の写真
掟火神。
そして、この『掟火神』の向かい側には『アシャギ庭』が広がっており、右側には『真喜屋阿社義』と記された建物があり、左側には『神アシャギ』と東屋、奥の少し高くなった場所には『ナイクミ殿内』があります。
真喜屋阿社義の写真
『真喜屋阿社義』。
この『真喜屋阿社義』と記された建物は、かつての村屋跡なんだそうで、現在は集落の集会所として利用されており、豊年祭などの念行事の際に使用されているんだそうですよ。

そして『真喜屋阿社義』の向かい側には、瓦屋根の『神アシャギ』があります。
神アシャギの写真
手前側が『神アシャギ』。左後方は休憩所となる東屋になっていました。
『神アシャギ』は少し低く造られており、内部には祭壇のような台が設けられていました。

この『真喜屋阿社義』と『神アシャギ』の西側に少し高くなった場所にコンクリートブロックの塀で囲われた建物があります。
ナイクミ殿内の写真
『真喜屋阿社義』の横から見た『ナイクミ殿内』。
この建物は『ナイクミ殿内』と呼ばれる拝所なんだそうで、「ないくみ(メークミ)』一門の拝所となっているようです。

羽地内海にある奧武島(名護市真喜屋)には、この「ないくみ(メークミ)」一門の墓の厨子甕があるみたいですね。
ナイクミ殿内の写真
正面から見た『ナイクミ殿内』。
・・・と『アシャギ庭』には、この4ヶ所の拝所のみとなっていたので、『アシャギ庭』を出て、真喜屋集落内へと移動しました。

『アシャギ庭』の東側にある路地を北向けに進んで行くと、右側に真喜屋区公民館があるんですが、この公民館の道向かい側にも三基の拝所がありました。
真喜屋区公民館の写真
真喜屋区公民館。
『真喜屋区公民館』の道向かいにある拝所。
祠に向かって右奥の拝所は何が祀られているのか不明なんですが、手前側にある二基の祠の前には石碑が立てられており、右側から順に『ウプェフ拝』、『根神拝』となっていました。
ウプェフ拝と根神拝の写真
『ウプェフ拝』と『根神拝』の拝所。
また、右奥の祠の内部には祭壇が設けられており、香炉や花瓶などが納められていましたね。
ウプェフ拝と根神拝の写真
一番奥の祠の内部。祭壇の上にや香炉や花瓶などが置かれていました。
・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、集落を出ようとしたんですが、その途中、集落内にある片側一車線の道路沿いに小高い丘があり、そこには琉球松の木々が立っていたので、そちらも見学してみることにしました。
アハチャビ(阿波茶部)の写真
アハチャビ(阿波茶部)。
クルマを路肩に停めさせてもらい、さっそく見学へ向かうと、西側の入口横に写真入りの説明書きが掲示されていたのでそちらを読んでみると、こちらは『アハチャビ(阿波茶部)』と称される場所なんだそうです。

≪アハチャビ(阿波茶部)≫
≪アハチャビの拝所には、天上星が祀られており、地域の主な行事でもある十五夜や、アブシバレー(作物の豊作祈願を願う祭り)、豊年祭の練習などが行われる、地域の宝とも言われている杜です。≫
・・・とありました。
アハチャビ(阿波茶部)の写真
『アハチャビ(阿波茶部)』南側の入口。
南側の階段から上がっていくと、すぐ右側に二基の拝所があります。
アハチャビ(阿波茶部)の写真
南側の階段を上がってすぐ右側にある拝所。内部に一基の祠が納められていました。
アハチャビ(阿波茶部)の写真
もう一方の拝所。こちらは石碑のような形になっていました。
また、丘の上部は平坦になっており、意外と広々としてましたね。
アハチャビ(阿波茶部)の写真
南側から北側を見た『アハチャビ(阿波茶部)』の頂部。
アハチャビ(阿波茶部)の写真
西側から南側を見たところ。奥に先述した二基の拝所がチラッと見えます。
『アハチャビ』は、Googleearthで上空から見てみると、ひし形のような形をしており、現在は四方を道路で囲われています。
アハチャビ(阿波茶部)の写真
北側の道路から見た『アハチャビ(阿波茶部)』。
アハチャビ(阿波茶部)の写真
西側の道路上から見た『アハチャビ(阿波茶部)』。
また、南側の出入口横には、かつての『アハチャビ(阿波茶部)』の写真が掲示されていました。
アハチャビ(阿波茶部)の写真
1963年の『アハチャビ』の写真。
写真が撮られた当時と丘の形がほぼ変わらず、今日に至っているのが写真からよく分かりますね。

・・・と、ここまで見学した後はクルマへ戻り、集落を出て次の目的地へと向かいました。

今回もちょっと長くなってしまいましたが、この続きはまた別の回に致しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ  

『真喜屋グスク(上之御嶽遺跡)』☆

☆場所:〒905ー1143

      沖縄県名護市真喜屋

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。