西原ハイツ南東に位置する与那城集落内に点在する『識名越之殿』などの拝所☆|沖縄放浪日記

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2017年12月21日木曜日

西原ハイツ南東に位置する与那城集落内に点在する『識名越之殿』などの拝所☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した西原町字我謝にある かつて『我謝遺跡(ヨナグスク)』に点在していた"拝所"を合祀・移設した『西原ハイツ公園(南側)』を後にし、次に向かったのは字我謝の北東に隣接する字与那城です。

こちらにも"拝所"などいくつかの史跡が点在しているんだとか。。。

沖縄県中頭郡西原町字与那城にある

『謝名越之殿と與那城大主之碑』

謝名越之殿の写真
西原町字与那城の閑静な住宅街の中にある『謝名越之殿』。
『西原ハイツ公園(南側)』入口の前から『西原ハイツ』内を北東向けに道なりに進んでいき、突き当りを右折して、道路沿い右側にある最初の脇道へ右折します。

そして道なりに進んでいくと、また右側に細い小道があるので、その先へ進むと、突き当り広場のような場所があり、広場入口の右側に丘があるのですが、その丘の上にコンクリート製の祠があります。
地頭火神(ジトゥーヒヌカン)の写真
地頭火神(ジトゥーヒヌカン)。
こちらは、『地頭火神(ジトゥーヒヌカン)』という拝所で、与那城集落で旧暦の8月に行われる『ミチンジャキウガミ』という子どもの健康を祈願する行事の際に拝む"拝所"の1つとなっているんだそうです。
地頭火神(ジトゥーヒヌカン)の写真
地頭火神(ジトゥーヒヌカン)。
地頭火神(ジトゥーヒヌカン)の写真
祠の内部には3基の霊石と1基の香炉が納められていました。
祠の内部には3基の霊石と1基の香炉が納められていました。

『ミチンジャキウガミ』の際、こちらには平線香と酒、そしてまんじゅうをお供えして拝みが行われるんだそうですよ。

この『地頭火神(ジトゥーヒヌカン)』を見学した後、表の道へ出て右折し、坂道を下ります。

すると、道路沿い右側に木々が立つ広場があり、その敷地内に2基の建造物があるのが見えます。
謝名越之殿・与那城大主之碑・龍宮神の写真
表の道から見た『謝名越之殿』と『與那城大主之碑』と『龍宮神』のある場所。
路肩にクルマを停めさせてもらい、歩いてその場所へ行ってみると・・・
謝名越之殿・與那城大主之碑・龍宮神の写真
『謝名越之殿』・『與那城大主之碑』・『龍宮神』が祀られている場所の入口。
2基の灯籠が立てられた拝所があり、その手前には方形の御墓、そして御墓の後方にも拝所尾がありました。

階段を上がり、まず手前右側にある御墓の上に設けられた三角形の石碑を見てみると、『與那城大主之碑』と記されていました。
與那城大主之墓(ユナグスクウフスーヌアジシー)の写真
與那城大主之墓(ユナグスクウフスーヌアジシー)。
"大主"とは、土地を治めていた豪族のことで、こちらに安置されているのは、かつて与那城集落を治めていた人物なのでしょうね。
※ネット上で詳しい資料がアップされていないようで、詳細は不明です。。。
與那城大主之碑の写真
與那城大主之碑。
この『與那城大主之碑』が立つ御墓の後方には、『龍宮神』と記された小さな石碑の立つ"拝所"となっていました。
龍宮神の拝所の写真
『龍宮神』の拝所。
龍宮神の拝所の写真
東南東に向けて立てられている『龍宮神』の拝所。
石碑の前には香炉と数個の石が無造作に置かれていました。

そして『與那城大主之碑』と『龍宮神』の拝所の横にある立派な祠の内部には『謝名越之殿』と記されていました。
謝名越之殿(ジャナグシヌトゥン)の写真
謝名越之殿(ジャナグシヌトゥン)。
謝名越之殿の写真
左側の格子の中に『謝名越之殿』と記された札が掲示されており、その手前に6基の香炉が置かれていました。
西原町の資料には『謝名越(ジャナグシ)の殿(トゥン)』と読み仮名が記されており、こちらの拝所は、中央公民館近くにある『謝名越嶽(ジャナンキー)』と称される御嶽(ウタキ)をウトゥーシ(遥拝すること)するための"遥拝所"となっているのだそうです。
※"ウトゥーシ"は"タンカーユエー"ともいっているみたいです。
(参考⇒西原町の資料『第1章 西原町の景観特性と課題』『町立図書館 町史だより 西原のことば~その⑧~ 子どもの健康祈願』)
謝名越之殿の写真
『謝名越之殿』と記された札と6基の香炉が安置されている棚。
そして『謝名越之殿』と書かれた札と6基の香炉が安置された棚の右側には『火の神』と記された石碑と1基の香炉が納められていました。
与那城火神の写真
与那城火神。
西原町の資料によると、琉球王国の王府が編纂した18世紀の資料『琉球国由来記』には、『謝名越之殿』、『与那城火神』と記されているんだそうで、こちらの『火の神』は、その『与那城火神』と思われます。

また、『謝名越之殿』や『与那城火神』、『與那城大主之碑』、そして『龍宮神』も先述した『地頭火神(ジトゥーヒヌカン)』と同じく、『ミチンジャキウガミ』の際に拝みが行われる"拝所"となっているんだそうですよ。

この『謝名越之殿』などがある敷地の南西側に細い小道があるんですが、この小道は丘の上へと続いていたので、その先へ行ってみると・・・
謝名越之殿の写真
『謝名越之殿』などがある敷地の南西側にある小道。
冒頭でご紹介した『地頭火神(ジトゥーヒヌカン)』へと続いていました。
地頭火神(ジトゥーヒヌカン)の写真
小道の先に『地頭火神』がありました。
この小道は、ほぼ直線になっていたので、もしかすると"神道"の一部となっているのかもしれませんね。
※あくまでワタクシ個人の憶測なので、定かではありません。。。

また、『謝名越之殿』などがある敷地から南西へ伸びる道路を約50mほど進んでいくと、左側の一段低くなった場所に『上井戸』と称される井泉がありました。
上井戸の写真
上井戸。
コンクリート製の祠状に囲われており、左側に香炉が1基置かれており、こちらも"拝所"となっているようですが、『ミチンジャキウガミ』の際には、こちらでは拝みは行われないようですね。

この『上井戸』まで見学した後は、一旦クルマへと戻り、最後に与那城集落内にある『西原町立 西原小学校』近くの『与那城児童公園』へと向かいました。
与那城児童公園の写真
与那城児童公園。
この公園内の北側にこんもりとした小さな丘があるんですが、その丘の傍らに方形の建造物があります。
井戸跡の写真
井戸跡(もしかすると『前ヌカー』でしょうか・・・?)
上部は金網で塞がれており、内部を覗き込むと枯葉や土などで埋もれてしまっていたのですが、どうやら"井戸跡"のようです。

西原町の資料『第1章 西原町の景観特性と課題』の中の『3) 自治会ヒアリング』『(ク) 与那城集落』を読んでみると、「地域から親しまれている場所であり、子供会等の行事が行われる場所で、この公園から「前ヌカー」、「謝名越の殿」を結ぶルートは、与那城の生活風景を象徴する景観となっています。」とあります。

んで、この説明の中にある"『与那城児童公園』と『謝名越の殿』を結ぶルート"をちょこっと調べてみたんですが、"井泉"らしきものが見当たらなかったんですよ。。。

・・・なので、もしかすると、この"井戸跡"が説明に出てきた『前ヌカー』になるのかもしれませんね。。。
※あくまでワタクシの憶測なので定かではありません。もし間違っていたらごめんなさい。。。

・・・と、ここまで見学した後は、この日はこのまま帰宅致しました。

与那城集落で旧暦の8月に行わているという行事『ミチンジャキウガミ』の"ミチンジャキ"とは、現在の与那原町与那原に位置する『三津武嶽(ミチンダキ)』のことで、与那城集落は、かつてこの『ミチンジャキ(三津武嶽)』近くの『ユナグシクタマター』という地にあったという伝承が残されているとのことです。

『ミチンジャキ(三津武嶽)』は、18世紀の資料『球陽外巻・遺老説伝』に『三津嶽』と記され、琉球王国時代の最高神女・聞得大君(きこえおおきみ)の墓であると伝えられているんだそうで、現在は、子どもを見守る神として祀られているんだそうです。

西原町内で『ミチンジャキ(三津武嶽)』を拝むのは与那城集落だけなんだそうですが、以前は、与那原町や中城村、町内各地域からも個人で参拝に訪れる人が多かったとのことです。
(参考:『町立図書館 町史だより 西原のことば~その⑧~ 子どもの健康祈願』)

なので、今度は、その『ミチンジャキ(三津武嶽)』にも、機会を設けて足を運んでみたいと思います。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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『謝名越之殿』・『與那城大主之碑』・『龍宮神』
『地頭火神』・『上井戸』・『井戸跡(前ヌカー?)』☆

☆場所:〒903ー0111
      沖縄県中頭郡西原町字与那城

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。