かつて『クガニムイ』とか『ガージャモー』などと称されていたグスク時代の遺跡☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2017年12月19日火曜日

かつて『クガニムイ』とか『ガージャモー』などと称されていたグスク時代の遺跡☆

ハイサぁ~イ⭐

昨日(18日)は、午後からちょこっと時間が空いたので、久しぶりに西原町内にある史跡を見学しに行ってきました。

実は、こちらは2年ほど前に1度訪れたことがあったんですが、その時は訳あって写真を数枚しか撮ることが出来なかったんですよ。。。(泣)

んで、またすぐに再訪しようと思ってはいたんですが、なかなか足を運ぶことが出来ず、結局、約2年の月日が経ってしまい、今日に至ってしまいました。。。

沖縄県中頭郡西原町字我謝にある

『我謝遺跡(ヨナグスク)

我謝遺跡(ヨナグスク)の写真
『西原ハイツ』の南側に位置する公園内にある『我謝守護神』が祀られている拝所。
『我謝遺跡』は、大型宅地造成工事によって現在『西原ハイツ』という住宅地になっているんですが、住宅地の一画の公園として整備された場所に拝所が移設されています。
我謝遺跡(ヨナグスク)の写真
以前訪れた時に撮影した『西原ハイツ公園(南側)』の入口。
『西原ハイツ』へは、まず西原町の国道329号線県道38号線がぶつかる『小那覇』の交差点から、県道38号線を同町津花波向けに進み、約750mほどの距離にある3つ目の信号を左折します。

そして1つめの信号を通過して約280mほどの距離にある右側の丘陵上へ伸びる脇道へ右折すると、その先の住宅街が『西原ハイツ』となります。
※ちなみに、『西原ハイツ』は、字我謝・字安室・字与那城の境界に位置しています。
我謝遺跡(ヨナグスク)の写真
表の道路から公園内に入ってきたところ。
先述したように、かつて遺跡があった場所には『西原ハイツ』という宅地になっているので、遺構などは消滅してしまっていますが、『西原ハイツ』の南側の丘陵地に『西原ハイツ公園(南側)』があり、そこに遺跡内にあった拝所が合祀・移設されています。
我謝遺跡(ヨナグスク)の写真
コンクリート製の滑り台の下は広場となっており、その左側に拝所があります。
この『西原ハイツ公園(南側)』へは、先述した道順で説明すると『西原ハイツ』に入って約160mほどの距離にある左側の脇道へ左折して道なりに進み、約270mほどの距離にある5本めの左側にある脇道へまた左折します。

そして、突き当りを右折して約20mほど進むと、左側に車両進入禁止の柵が設置された細い小道があるので、この小道の先にあります。
我謝遺跡(ヨナグスク)の写真
入口から入ってきて真正面にある斜面に設置されたコンクリート製の滑り台。
細い小道を入っていくと、左側には鉄製の滑り台、そして真正面の斜面にはコンクリート製の滑り台が設置されています。

この公園の遊具は、この2つのみです。。。
黄金徳 光之徳の拝所の写真
コンクリート製の滑り台のすぐ近くにあった『黄金徳 光之神』の拝所。
真正面にあるコンクリート製の滑り台の下の広場に1基めの拝所があります。
黄金徳 光之神の写真
祠の内部に納められていた『黄金徳 光之神』と記された石碑。
拝所は、ご覧の通り蔦のような植物で覆われており、その中に『黄金徳 光之神』と記された小さな石碑が納められていました。

こちらの拝所に関しては、ネット上に資料などがなかったため、詳細は不明です。。。
我謝遺跡(ヨナグスク)の写真
『黄金徳 光之神』の拝所から園内の西側を見たところ。
この『黄金徳 光之神』の拝所の前から園内の西側へ目をやると、奥の方に大きな祠が見えます。

その祠の前へ行ってみると、隣に建立碑が設置されており、そこには『拝所 我謝守護神』と記されていました。
一旦出入口がある場所へ上り、左側の階段がある場所から撮影。左奥の階段は麓の集落へと続いています。
そして祠の内部には3基の石柱が並べて納められており、向って左から順に『下之殿我謝巫火神』、『中之殿我謝根所火神』、『上之殿 我謝里主所火神』とそれぞれに記されていました。

また、各石柱の前には7基の香炉が置かれていました。
拝所 我謝守護神の拝所の写真
『我謝守護神』の拝所。
西原町の公式HP内にある『我謝遺跡』のページを見てみると、この『西原ハイツ』一帯は、かつては『クガニムイ(黄金森)』とか『ガージャモー(我謝森)』などと称され、かつては字我謝の「殿(とぅん)」があったとのことです。

この3基の拝所は、もともと遺跡の東側に『上ノ嶽(神名:マヤリ君ガナシノ御イベ)』という拝所内にあったそうなんですが、宅地造成に伴って、この場所に合祀・移設されたんだそうですよ。

また、宅地造成工事に伴って1981年~82年にかけて3次にわたり緊急発掘調査が行われたそうなんですが、約37,000平方メートルという広範囲な面積に遺物包含層が点在していたとのこと。
拝所 我謝守護神の建立碑の写真
以前訪れた時に撮影した『拝所 我謝守護神』の建立碑。
そして調査の結果、遺跡はフェンサ下層期からグスク時代、そして近世期におよぶ時代幅で"集落"として使用されていたことが分かったんだそうですよ。

発掘調査によって出土した遺物は、グスク系土器をはじめ、輸入陶磁器や須恵器など比較的古い時期のものが出土しているんだそうで、その他には九州からの輸入品と考えられる滑石製の石鍋片もあったとのことです。

さらに、輸入陶磁器には古手のものがあって、青磁や白磁、天目茶碗なども出土しているとのことです。
拝所 我謝守護神の写真
『拝所 我謝守護神』の祠の内部。3基の霊石と7基の香炉が納められていました。
また、グスク系土器や輸入陶磁器などの他には、魚骨、牛の遺存骨、炭化米、麦などが出土したんだそうですよ。
(参考⇒西原町公式HP『我謝遺跡』)
我謝遺跡(ヨナグスク)の写真
『拝所 我謝守護神』の祠を背にして『黄金徳 光之神』の拝所がある広場を見たところ。
ネットでいろいろ調べていると、ちょっと興味深い情報を得ました。

『我謝遺跡』は、『クガニムイ(黄金森)』・『ガージャモー(我謝森)』という名称の他に『ヨナグスク』とも呼ばれているんだそうです。

沖縄県の資料『表1-6 沖縄島における文化財の状況(29)<西原町>』にも『我謝散布地』という記述の横に『ヨナグスク』と記されています。
我謝遺跡(ヨナグスク)の写真
『拝所 我謝守護神』の近くにある階段を下りて来たところ。この先は麓の集落の路地に出ます。
県内の史跡・文化財などを調べる際に、いつも参考にさせて頂いているブログの1つ、HNクオックスさんの『沖縄の裏探検』というブログ内の『我謝遺跡(ヨナグスク)』のページによると、"ヨナ"という言葉は沖縄の古い言葉で『海に開けた場所』とか『砂浜』などを表す言葉なのだそうです。

例を挙げると、『与那原(よなばる)町』とか『世那城(よなしろ)町(現:うるま市)』とか『与那国(よなぐに)島』などで、これらは海に面していることから地名に"ヨナ"という言葉が付けられているんだそうです。

また、八重瀬町世名城(よなぐすく)や西原町与那城(よなしろ)は、現在、海岸線から少し離れた場所にありますが、地殻変動や近年の埋め立てによって海岸線が遠のいてしまったためで、これらの場所からは貝塚が発見されているのだそうですよ。(参考:沖縄の裏探検『我謝遺跡(ヨナグスク)』)
我謝遺跡(ヨナグスク)の写真
以前訪れた時に撮影した公園の一番高い場所から見た景色。この日はとてもいい天気でしたね(笑)
現在、『我謝遺跡』(西原ハイツ)は、海岸線からだいぶ離れた場所にありますが、かつてはもっと近い距離に海岸線があって、そのため『ヨナグスク』と称されたのかもしれませんね。。。
※あくまでワタクシ個人の憶測ですが。。。

・・・と、この『拝所 我謝守護神』の祠まで見学した後、一旦クルマへと戻り、次の目的地へと向かいました。

区切りがいいので、今回はこの辺で終わりにして、この続きはまた別の回にご紹介しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ  

『我謝遺跡(ヨナグスク)
※地図は、拝所が合祀・移設された公園を示しています。

☆場所:〒903ー0112
      沖縄県中頭郡西原町字我謝

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。

スポンサーリンク