今月(10月)の6日、午後から時間が出来たので、天気が良かったこともあり久しぶりにうるま市の浜比嘉島まで散策に出かけてきました。
まず最初に向かったのは、浜比嘉島の浜区にあるうるま市唯一残る漂流者墓碑です。
沖縄県うるま市勝連の浜比嘉島にある
『ヤマトゥンチュー墓と東の御嶽』☆
『東の御嶽(シヌグ堂)』内にある大きく枝を広げた神々しいガジュマルの巨木とその横にひっそりと佇む祠。 |
そして、県道238号線『浜比嘉大橋』を渡って突き当りを右折し、約90mほど進むと道路沿い左側にあります。
『浜漁港緑地公園』の駐車場入口の道向かい側にある『ヤマトゥンチュー墓』。 |
"墓碑"の横に説明板が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・
『ヤマトゥンチュー墓』の説明板。 |
≪ヤマトゥンチュー墓≫
≪勝連町指定文化財第9号 史跡≫
≪ヤマトゥンチュー(大和人)墓は、天保10年(1839)の水戸藩領那珂湊の廻船が漂着した歴史を伝えるものです。店舗10年水戸藩廻船漂着文書には、救助さえた水戸領の周蔵と仙台領の宇(夘)太郎は、無事帰国することができ、救助前に死亡した南部領の五助(18歳)、源助(50歳)、亀松(31歳)、仙台領の吉蔵(30歳)、仲蔵(47歳)の5人をこの地に葬ったと伝えられています。『ヤマトゥンチュー墓』の漂着者墓碑。 |
・・・とありました。
『ヤマトゥンチュー墓』は、1997(平成9)年4月23日に"勝連町"(現うるま市勝連)の文化財に指定されたとのことです。
『ヤマトゥンチュー墓』を見学し、次に向かったのは、"海の時化ることを祈願する"行事が行われるという『東の御嶽(シヌグ堂)』へと向かいました。
『東の御嶽(シヌグ堂)』の入口。 |
案内板が設置された入口から中へ入っていくと・・・
入口から少し入ってきたところ。この奥に『東の御嶽(シヌグ堂)』があります。 |
この小道をもう少し進んでいくと、その奥には開けた場所がありました。
『東の御嶽(シヌグ堂)』。 |
森の入口に立てられていた『うるま市 景観賞 2015』の石柱。 |
その祠のすぐ左隣には説明板が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・
『東の御嶽(シヌグ堂)』とガジュマルの巨木。 |
≪東の御嶽(シヌグ堂)≫
≪子の御嶽は、旧暦の6月28日と8月28日の2回「シヌグ祭り」が行われることからシヌグ堂とも呼ばれています。『東の御嶽(シヌグ堂)』。 |
祠の内部にある香炉には『東御嶽』と記されていました。 |
『東の御嶽(シヌグ堂)』の説明板。 |
設置:うるま市教育委員会≫
・・・とありました。たしかに、一般的には海が"鎮まる"ことを祈願すると思うんですが、海が"時化る"ことを祈願するのはとても珍しいですね。
ガジュマルの巨木の右側の方も空間が広がっていました。 |
『東の御嶽(シヌグ堂)』の敷地の奥にあった石段。 |
石段はガジュマルの木の根が張り巡らされた石灰岩の前まで続いていました。 |
琉球石灰岩の間にあった古墓。 |
古墓の前にはいくつかの霊石が置かれていたので、どうやらこちらも"拝み"の対象となっているようでした。
古墓の前方一帯も深い森に包まれていました。 |
古墓から石段を下りていくと、先程の『東の御嶽(シヌグ堂)』の広場が一望できます。
石段から見た『東の御嶽(シヌグ堂)』の広場。 |
広場の中央付近から見たガジュマルの巨木。う~ん。。。神秘的ですねwww |
この続きはまた別の回にご紹介しますね。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『ヤマトゥンチュー墓』・『東の御嶽(シヌグ堂)』☆
☆場所:〒904-2315
沖縄県うるま市勝連浜(浜比嘉島)
☆見 学:無料
☆駐車場:無し(『浜漁港緑地公園』に駐車可能)
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。