前々回にご紹介した豊見城市伊良波の『伊良波収容所跡』や『ウブガー』・『クムイガー』などを見学した後、伊良皆区の南東側に隣接する同市渡橋名にある標高約64mの丘陵へと向かいました。
沖縄県豊見城市渡橋名にある
『渡橋名グスク』☆
グスク域内の大きな石灰岩上にある2基の拝所。 |
そして『豊見城市立座安小学校』の前の信号を通過して約420mほどの距離にある信号を左折し、約200mほど進んでいくと、左側にあります。
以前訪れた渡嘉敷集落から見た『渡橋名グスク』遠景。 |
グスク域入口前にクルマを停め、さっそく見学へと向かいました。
丘陵の北東側にある貯水タンク |
ネットで見つけた豊見城市の資料によると、『渡橋名グスク』は地元では『渡橋名御嶽』と称されているんだそうで、内部には"拝所"や"井泉(カー)"などが点在しているんだそうですが、城壁などの遺構はないのだそうです。
貯水タンク横のグスク域入口。 |
グスク域内の発掘調査では、グスク土器、輸入陶磁器(青磁・白磁・染付陶器)等が採集されているのだそうです。
ちょっと分かりづらいですが、茂みとフェンスの間に獣道があります。 |
んで、獣道を入って行くと、すぐに道幅が広くなり、二手に分かれた分岐点に差し掛かります。
細い獣道を入ってきたところ。道が二手に分かれていますが、道幅は広くなっています。 |
上代 保栄茂城 奴留神の墓 神世 天孫子 |
なぜこの『渡橋名グスク』内に『保栄茂グスク』に関連する"御墓"があるのか、とても不思議だったので、自宅に戻ってからネットでいろいろ調べてはみたんですが、残念ながら資料などが出て来ず、詳細は不明です。。。
また、この"御墓"の後方にも"拝所"が設けられていました。
『奴留神の墓』の後方にある拝所。 |
『奴留神の墓』の右向かいにある巨岩。 |
巨岩の根元にあった"拝所"。 |
巨岩の裏側にあった2基の"拝所"。 |
この場所には、この2基の"拝所"のみだったので、先程の『奴留神の墓』の前に戻り、獣道をさらに奥へと進みます。
『奴留神の墓』の向かい側にある巨岩の右側から獣道が奥へと続いています。 |
巨岩の裏側にあった2基の祠。奥の祠の前には3基の香炉が並べて置かれていました。 |
上の写真に写っている2基の"拝所"のうちの1基。祠内部には霊石が数基納められていました。 |
もう一方の"拝所"。こちらは岩を繰り抜いて作られており、手前に3基の香炉が置かれていました。 |
巨岩の上にあったニービ(砂岩)が立てられた拝所。 |
巨岩の上のもう一方の"拝所"。こちらは石碑らしきものが破損した状態で置かれていました。 |
この小さな広場の入口横の草むらにも、また"井戸跡"のような"拝所"がありました。
4基の"拝所"がある巨岩を背に獣道の先を見たところ。 |
獣道から広場に出てすぐ右側にあった"井戸跡"のような"拝所"。香炉が1基設置されていました。 |
"井戸跡"のような"拝所"のある広場の奥を見たところ。その先にも獣道が続いているようでした。 |
"井戸跡"のような"拝所"の広場の奥にあった一際広々とした広場。 |
この広場の奥の方に石積みの祠があったので、そちらの方へ近づいてみると・・・
祠内部に霊石が納められた"拝所"。 |
この霊石が祀られた"拝所"の左後方に、また獣道があったので、そちらの方へ歩を進めようとすると、獣道入口のすぐ右側の木の根元にも"拝所"の石積みがありました。
霊石が祀られた"拝所"の左側にあった獣道。右側の獣道は行き止まりになっていました。 |
獣道入口の右側の木の根元にあった"拝所"。 |
・・・が、グスク域入口の分岐点手前左側に脇道があったので、今度はそちらの方へ行ってみることにしました。
グスク域入口を背にして今来た獣道を見たところ。右側の方に脇道があるのが見えます。 |
脇道入口から道の奥を見たところ。 |
脇道を入って来たところにあった拝所。内部には数基の香炉や霊石が祀られていました。 |
獣道の突き当りにあった"井戸跡(カー)"。 |
上の写真の"井戸跡"の後方にあった"拝所"。香炉の後方にニービ(砂岩)らしき石が数基置かれていました。 |
奥の方にあったもう一方の"拝所"。 |
この『渡橋名グスク』のある丘陵の北側には畑があるんですが、グスク域を出た後にちょこっとそちらの方へ行ってみると、その畑の一画にも小さな"井泉(カー)"がありました。
畑の一画にあった"井泉(カー)"。現在も水を湛えているらしく、畑の水やりに利用されているようでした。 |
今回、いろいろ調べていくと、この『渡橋名グスク』のある丘陵の北西側には『座波名森(若知花盛)』と称される森があるとのこと。
この『座波名森(若知花森)』と『渡橋名グスク(渡橋名御嶽)』を総称して『座安古島遺跡』となっているようですね。
(たぶん正式名称が『座安古島遺跡』となっているのだと思います。あくまでワタクシ個人の憶測ではありますが。。。)
豊見城市の資料によると、『豊見城市史』には、かつて古い時代には座安と下座安が合併し、現在の字座安と字渡橋名が形成されたと記されているんだそうです。
古い時代の座安集落は、この遺跡が存在する一帯にあり、下座安集落は"現在の"座安付近にあったとんだとか。。。
そして、座安古島遺跡にいた人々が、後に下座安と渡橋名に移動し、現在の座安と渡橋名集落を形成していったんだそうですよ。
(参考資料⇒『座安古島遺跡』)
この日は、ちょっと時間がなかったので、『座波名森(若知花森)』や座安集落まで回ることが出来なかったので、また機会を設けて、そちらの方にも足を運んでみたいですね。
今回は、ちょっと長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
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☆『渡橋名グスク』☆
☆場所:〒901-0222
沖縄県豊見城市渡橋名5
☆見 学:無料
☆駐車場:無し(グスク入口前に車1台分のスペースあり)
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。