浦添市前田の集落内に点在する前田権現や井戸跡などの拝所群☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2017年9月15日金曜日

浦添市前田の集落内に点在する前田権現や井戸跡などの拝所群☆

ハイサーイ⭐

この前、前々回にご紹介した前田集落発祥の屋敷跡などがある『ジリチン毛』を見学した後、同集落内に点在する井戸跡などの拝所群を見学しに向かいました。
※今回も、ちょっと長いですが、ご了承下さい。。。😅

沖縄県浦添市前田に点在する

『前田権現や井戸跡などの拝所群』

前田権現の写真
浦添市前田の閑静な住宅街の中にひっそりと佇む『前田権現』。
『ジリチン毛』から県道38号線に出て『西原入口』向けに進み、最初の信号がある交差点を右折していくんですが、『前田地域散策マップ』によると、この交差点一帯は『サクグイヌメーヌワイトイ』と称される場所のようです。

"ワイトイ"と聞くと、本島中部のうるま市勝連平安名にある『ワイトゥイ』を思い出したんですけど、あちらはたしか断崖を約3年もかけて人力だけで掘削し、農道を開通させたんですよね。。。

こちらも、かつて人の手だけで、数年かけて断崖を掘削した農道を開通させた場所だったのでしょうね。

うるま市勝連平安名の『ワイトゥイ』のように掘削した断崖の痕跡は全く残っていませんが。。。

おっと、、、話がちょっと逸れてしまいましたが。。。この『サクグイヌメーヌワイトイ』の交差点を右折し、約300mほど進んでいくと、道路沿い右側に『川端井戸(カーバタガー)』と呼ばれる井戸があります。
川端井戸(カーバタガー)の写真
川端井戸(カーバタガー)
ネットで、こちらについて検索してみたんですが、資料などが出て来ず、詳細は不明なんですが、ご覧の通り上部にコンクリート製の蓋が設置されています。

そして、そこから水道管のような細い管が通されていたので、もしかすると現在も畑の水やりなどに利用されているのでしょうね。
川端井戸(カーバタガー)の写真
『川端井戸(カーバタガー)』の横に立てられていた『瑞穂の泉』と記された石碑。
また、井戸のすぐ隣には『瑞穂の泉』と記された古い石碑が立てられていたのですが、その石碑には弾痕のような跡もありました。
沖縄戦の際、この一帯は激戦地であったので、もしかする石碑にある二つの穴は弾痕の可能性が高いですね。

石碑には、昭和十八年四月二十二日改修とも記されていました。
川端井戸(カーバタガー)の写真
井戸の後方の塀にあった香炉。
井戸は、後方と左側がコンクリートブロックの塀で囲われていたんですが、後方の塀の一ヵ所に凸型の穴が設けられ、そこに香炉が1基置かれていました。

また、香炉がある塀の後方には小屋があったんですが、そちらは『石川門中 川端』と記された表札だ設置されており、『石川門中』の拝所となっていました。
川端井戸(カーバタガー)の写真
『川端井戸(カーバタガー)』の後方にある『石川門中 川端』の拝所。
この『川端井戸(カーバタガー)』から約50mほど西向けに進んでいくと、右側の道路沿いにも井戸があります。
仲新屋ヌ前ヌ川(ナーカミヤヌメーヌカー)の写真
仲新屋ヌ前ヌ川(ナーカミヤヌメーヌカー)
こちらは、『仲新屋ヌ前ヌ川(ナーカミヤヌメーヌカー)』と称される井戸のようで、こちらも『川端井戸(カーバタガー)』と同じようにコンクリート製の蓋が設置されていました。
仲新屋ヌ前ヌ川(ナーカミヤヌメーヌカー)の写真
琉球石灰岩の霊石と香炉がありました。
また、井戸の後方には琉球石灰岩の霊石と香炉(?)が置かれていました。

こちらも、ネットで資料などを探したんですが、何も見つからず詳細は分かりませんでしたね。。。

この『仲新屋ヌ前ヌ川(ナーカミヤヌメーヌカー)』から、さらに西へと進みます。
トゥンチガーの写真
トゥンチガー
『仲新屋ヌ前ヌ川(ナーカミヤヌメーヌカー)』前から、約140mほど進んで行くと、今度は道路沿い左側に『トゥンチガー』と称される井戸跡があります。

前述した2つの"井戸"同様に、こちらにも蓋が設置されていましたね。
トゥンチガーの写真
『トゥンチガー』。道路側ではなく、南西側に香炉が置かれていました。
また、道路を挟んで向かい側にある藪の中にも1基の香炉が置かれた"拝所"がありました。
『トゥンチガー』の道向かいにある拝所。
『トゥンチガー』も含め、こちらに関する資料をネットで検索してみたんですけど、前述した2つの井戸同様に何も出て来なかっため、残念ながら詳細は不明です。。。
こちらの拝所は『前田地域散策マップ』にも表記されていなかったですね。。。

この『トゥンチガー』のある場所から、さらに西へ進み、約70mほどの距離右側に小さな路地があるんですが、その奥に"拝所"があります。
前田権現の写真
『トゥンチガー』から約70mほどの距離にある小さな路地。
路地を入っていくと、途中に階段があるんですが、その階段の手前右側奥にも井戸跡がありました。
前田権現の写真
表の道から路地を入ってきたところ。右側の奥に井戸跡が見えます。
資料によると、この井戸跡は、後述する『前田権現』という拝所への献水を汲むための"古井戸"なんだそうです。
前田権現近くにある井戸跡の写真
『前田権現』へ献上する水を汲むための古井戸。
古井戸周辺は草刈り清掃が定期的に行われているらしく、比較的綺麗な状態が保たれていましたね。

そして井戸の前には香炉が1基置かれており、こちらも"拝所"となっているようでした。

古井戸を後にし、先程の階段を上がって行くと、右奥にコンクリート製の大きな祠が見えてきます。
前田権現の写真
路地の奥にある『前田権現』。
この大きな祠が『前田権現』という"拝所"で、祠の前には2基の古い灯籠が立てられており、右側の灯籠の前に『権現(グンジン)と記された案内板が設置されていました。

また、祠の前面下部には2基の香炉が設置されていました。
前田権現の写真
正面から見た『前田権現』
資料によると、この『前田権現』がある場所一帯は、かつては『上シジ毛(イーシジモウ)』と呼ばれる場所だったそうで、『権現山(グンジン)』とも呼ばれているんだそうですよ。

伝承によると、昔、首里に勤めていた『くらしゅ石川』という人物が、通勤途中に『真和志堂(マージドゥ)』の馬場(フトゥキントゥウマイー)で毎日同じ黒石に躓いていたんだそうです。

『くらしゅ石川』は、この黒石を不思議な石だと思い、唐へ旅しに行く際に「どうか嵐に遭遇しても私を守ってください。もし守って頂ければ、あなたを神として崇めます。」と願をかけたんだそうです。
前田権現の写真
『前田権現』の案内板と「奉寄進」「阿氏佐久田親雲上守祥」の銘が記された灯籠。
そして、唐に渡る航海中で大シケに遭遇したそうですが、数年後に無事に帰ってくることが出来たので、約束通りに黒石を祀るようになったとのことです。

現在の『前田権現』の祠は、創建年は不明とのことですが、かつては小さな石積みの祠だったようですね。

この『前田権現』を後にし、表の道へと戻り、今度は右斜め向かい側にある道へと進みます。

その道沿い左側にも"井戸跡"があります。
ハンタタイガーの写真
ハンタタイガー
こちらの井戸跡は『ハンタタイガー』と呼ばれる井戸跡で、この『ハンタタイガー』の後方は、かつては"苗代田"が広がっていたようです。
こちらも資料などが見つけられなかったので、詳細は不明です。。。

こちらを後にし、さらに西へと向かいます。

『ハンタタイガー』前から西へ約80mほど進むと、方々一車線の大きな道路に出るんですが、そちらを横切り、道向かいの前田集落内へと進みます。

そちらの集落内の南側の一角にも"井戸"があるんですが、こちらは『井の大人川(イノウシガー又はイノーシガー)』と呼ばれています。
井の大人川(イノウシガー)の写真
ガジュマルの木の根元にある『井の大人川(イノウシガー)』。
浦添市観光振興課と浦添市観光協会が共同で運営する浦添市観光情報ポータルサイト『うらそえナビ』によると、明治時代、7ヶ月間、日照りが続いたことがあったそうなんですが、『井の大人川(イノーシガー)』は、その7ヶ月もの間でさえ水が枯れることがなかったんだそうです。

井戸の名称に『大人』とありますが、これは『ウシ』と読み、尊称なんだそうです。
井の大人川(イノーシガー)の写真
正面から見た『井の大人川(イノーシガー)』。
井の中でも"尊い井"を意味しており、地元では『イノーシガー』と称されているのだそうです。

この名称は、首里王府から授かった名称だと言われており、かつて浦添グスクの前には広大な田んぼが広がっており、集落名である『前田』もそのことから付いたんだそうです。
井の大人川(イノーシガー)の写真
貯水槽前面に『井の大人(ウシ)川』と記されています。
また、湧き水をとりまく文化、自然環境を学び情報発信を目的とする湧き水愛好会『湧き水fun倶楽部』の冊子『浦添の湧き水』によると、戦前は、半月状に切石で縁取られた水ためになっていたそうなんですが、戦後に改修が行われて現在のコンクリート製の貯水タンクの形になったとのことです。
その際に、前面にある蛇口も設置されたんだそうです。

水道が普及する以前は、飲料水として使用され、戦時中には、収容所でお風呂に入るのも遠慮していた人たちがこっそりと水浴びに訪れていたんだそうですよ。
井の大人川(イノーシガー)の写真
貯水タンクの側面には拝みのための香炉が1基設置されていました。
現在も豊富な水量が湧き出ており、近所の人達の雑用水として利用されているんだそうです。

『井の大人川(イノーシガー)』を後にし、最後に浦添城跡の南側斜面にある井戸を見学しに向かいました。

こちらの井戸は、浦添市前田の『前田市営住宅1棟』後方にある遊歩道沿いにあるんですが、『浦添大公園南エントランス管理事務所』の後方の遊歩道から向かった方が、クルマも管理事務所駐車場に停めることができますし、行きやすいです。
山川ガーの写真
山川ガー
こちらは『山川ガー』と呼ばれる井戸で、上部をコンクリートで塞がれ、その一ヵ所にホースが差し込めるくらいの穴が開けられています。

『山川ガー』を訪れた際、近くで地元の人が畑仕事をしていたんですが、その方のお話によると、この井戸から出る水は飲み水として使用されていたんだそうです。
山川ガーの写真
『山川ガー』。上部の中央付近に小石が置かれており、その中央に穴が開けられていました。
以前は、上部は空いた状態だったそうなんですが、誤って子供達が落ちないようにコンクリートで塞いだとのことです。

しかし、全部塞いでしまうと、水を汲むことが出来なくなるため、ホース用の穴を設けたんだそうです。

現在は、畑の水やりに利用しているんだそうですよ。

・・・と、ここまで見学した後、クルマへと戻り、帰りがけにもう一ヵ所だけ回ることにしました。
ジングスク跡の写真
前田公務員宿舎 前田住宅の南側にある『ジングスク』跡。現在は、貯水タンクが建てられています。
帰りがけに訪れたのは、『国家公務員宿舎 前田住宅』の南側に位置する『沖縄県企業局 前田第一調整池』という大きな貯水タンク。

現在、この貯水タンクが建っている場所は、かつては『ジン(銭)グスク』と称されるグスクがあった場所なんだそうです。
ジングスク跡の写真
貯水タンク北側
『前田地域散策マップ』では、貯水タンク北側の前田住宅へと続く道路の向かい側の公園が『ジングスク』のあった場所と記されているんですが、『ジングスク』跡を紹介している他のブログを拝見させて頂くと、この貯水タンクがあった場所が『ジングスク』跡だと紹介されていました。

タンク周辺には、グスク跡を示す標柱や、拝所などは全く見当たらなかったので、どちらが正確な場所なのかは分かりません。。。
まぁ、完全に破壊されてしまっているみたいなので、こればっかりはどうしようもないですね。。

また、『ジン(銭)グスク』についての資料なども、ネット上では見つけることが出来なかったので、残念ながら詳細は不明です。。。(泣)

・・・と、ここまで見学した後は、クルマへと戻り、帰宅の途に就きました。

後日、浦添城跡近くにある資料館『浦添城跡・ようどれ館』を訪れた際に、浦添市立図書館の2Fに、沖縄に関する書籍が収蔵されていると館内にいるガイドさんに教えてもらったんですよ。

なので、今度時間を設けて、そちらに足を運んで、いろいろ調べてみたいと思います。

今回も、凄く長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ  

『前田集落内に点在する史跡


☆場所:〒901-2102
      沖縄県浦添市前田

☆見 学:無料

☆駐車場:無し