玉城王の四男が築城したという説が残る南城市玉城船越にあるグスク跡☆|沖縄放浪日記

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2017年8月15日火曜日

玉城王の四男が築城したという説が残る南城市玉城船越にあるグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した『船越大川(フナクシウッカー)』を見学した後、次に向かったのは船越集落の後方の台地に位置するグスク跡です。

こちらのグスクは、14世紀中頃に玉城王の四男が築城したという説や糸数按司の長男が移り住んだという伝承などが残されており、グスク域内には拝所や崖葬墓などが点在しているんだとか。。。

沖縄県南城市玉城船越にある

『船越(富名腰)グスク』

船越(富名腰)グスクの写真
祠内部に『蒲葵生嶽』と記されたグスク域北東の奥にある拝所
こちらは、前々回にご紹介した『船越大川(フナクシウッカー)』の前から、『船越公民館』向けに進み、約90mほどの距離にある右側の脇道へ右折します。
『船越大川』までの道順は、前々回のブログ記事をご参照下さい。
船越(富名腰)グスクの写真
『船越大川』前に広がる田畑から見た『船越グスク跡』がある台地
そして右折した後は、そのまま道なりに進んでいき、約250mほどの距離にある右側の脇道へ右折すると左側に森があるんですが、そこが『船越グスク跡』となります。
船越(富名腰)グスクの写真
『船越大川』の前の道から右折して道なりに250mほど進んできたところ。正面の森がグスク域です。
グスクの入口は、右折した地点から約2~30mほど進んだところ左側にあります。
船越(富名腰)グスクの写真
分かりにくいんですが、写真中央付近がグスクの入口です。
グスクの入口前の道を挟んで向かい側とグスク域の北側一帯は、『ショートコース玉城』というゴルフ場となっているらしいんですけど、ワタクシが訪れた時には、グーグルアースに写っていたグスク道向かいの建物や駐車場はありませんでした。。。
上の脇道入口の写真にもゴルフ場の看板がチラッと写っているんですが、雑草に埋もれて目につきにくくなっています。。。

また、グスク入口からさらに北向けにちょこっと進むと、左側に駐車場があったんでそちらにクルマを駐車しました。
船越(富名腰)グスクの写真
グスク入口から北向けに少し進んだところにあった駐車場。
クルマを停め、さっそくグスク内へ入っていくと、グスクの説明板が設置されていました。
船越(富名腰)グスクの写真
入口を入ってすぐのところに設置されていた『船越(富名腰)グスク』の説明板。
まずは、グスクの説明を読んでみることに・・・

≪船越(富名腰)グスク(玉城村指定文化財(史跡):平成7年2月23日指定)
≪船越グスクは標高約100mの巨大な石灰岩塊の上部に築造されている。

外壁は南側と一部西側に高さ約1.5m積まれ、その他の場所には見られず自然地形の崖面になっているが、内壁は南西部の一部を除いて、全体を囲むように野面積みで積まれている。
船越(富名腰)グスクの写真
説明板を通過すると、道が左右二手に分かれた地点に出ます。
船越(富名腰)グスクの写真
この場所から、右へ進むとグスク内、左へ進むとグスク西側に行くことができます。
城内からは遺物は確認されていないが、入り口付近から青磁やグスク系土器、褐釉陶器などが採集されている。

グスクの歴史については、14世紀中頃、玉城王の四男が富名腰按司としてグスクを築城したという説や糸数按司の長男が富名腰集落に移り住んだという伝承がある。
船越(富名腰)グスクの写真
まずは右へ進み、グスク内へ向かいます。
グスク付近に城下村としての富名腰集落があったが、後に南側の併置に接した現在地(字船越)に移動したといわれる。

グスクの南側の崖下一帯に岩陰囲い込みの石積み墓があり、さらに下方に山川之殿(やまがーぬとぅん)、クバウノ御嶽、富名腰巫火神(ぬるひぬかん)などの拝所が点在している。
船越(富名腰)グスクの写真
郭の入り口から見た郭内。奥に香炉が設けられた拝所が2ヵ所見えます。
周辺の遺跡として、船越グスク南側の旧貯水タンク周辺に船越A遺跡、グスク西側一帯に旧集落跡である船越遺跡がある。
玉城村教育委員会 平成17年3月31日設置≫
・・・とありました。(※現在は南城市の"史跡"に指定されています。)
船越(富名腰)グスクの写真
郭の入口左側にあった石垣。木の根に埋もれてしまい、神秘的な雰囲気を醸しています。
船越(富名腰)グスクの写真
郭の北側にある2基の拝所。
説明を読み終え、グスク内へ入っていくと、道が左右に分かれた分岐点に差し掛かるんですが、まずは右側の斜面を上ってグスク内へ向かいました。

すると、主郭らしき開けた場所に出るんですが、その奥に香炉が設けられた拝所が2ヵ所ありました。
船越(富名腰)グスクの写真
拝所
船越(富名腰)グスクの写真
拝所
また、郭の中央付近に1本の木が立っているんですが、その木の根元近くに石で小さく囲われた場所があり、そちらも"拝所"っぽかったですね。
船越(富名腰)グスクの写真
郭の中央付近にあった拝所らしき場所。
あと、先程の説明板の見取り図に表記されていた郭の東側と北側にある亀裂も、見ることが出来ましたよ。
郭の入口右側にあった亀裂の内部の石垣。
船越(富名腰)グスクの写真
亀裂は郭の入口から北東に向って伸びていました。
亀裂内に降りてみたかったんですが、意外と深く、しかもハブが出てきそうな感じがしたので、今回は断念しました(笑)

郭を見学した後は、一旦、先程の分岐点へ戻り、もう一方の道へ進んでみることにしました。
船越(富名腰)グスクの写真
分岐点から左へ進んできたところ。2基の香炉が設けられた崖葬墓がありました。
左の道へ進むと、すぐ正面に2基の香炉が設けられた崖葬墓が現われます。

この道沿いの岩壁には、数基の崖葬墓が点在しています。
船越(富名腰)グスクの写真
2基の香炉が設けられた崖葬墓の右側にある獣道。その道沿い右側にも崖葬墓が点在しています。
船越(富名腰)グスクの写真
崖葬墓
船越(富名腰)グスクの写真
上のお墓の左隣にある崖葬墓。こちらには上部に文字が刻まれていたんですが、判読出来ませんでした。。。
上の2枚の写真にある2基の崖葬墓を横切り、さらに奥へ進んでいくと、『名嘉門中祝女墓』と記された崖葬墓がありました。
船越(富名腰)グスクの写真
名嘉門中祝女墓
墓標には、「昭和六十年十二月一日改修」と記されており、他の崖葬墓よりも一際大きく、綺麗な状態でしたが、奥の方が崩れてしまっていました。。。

こちらの崖葬墓を横切って進んでいくと、岩の間からさらに奥の方へ獣道が伸びていました。
船越(富名腰)グスクの写真
グスク域西側の獣道。こちらの道の両側にも石垣が点在していました。
こちらの獣道の両側にも、石垣が点在しており、岩の根元には人の手で掘られたような穴がありました。
船越(富名腰)グスクの写真
岩の根元に、人の手で掘られたような長方形の穴がありました。
船越(富名腰)グスクの写真
上の写真の穴の反対側にあった長方形の穴。
この点在する穴が、何のために造られたのかは不明です。。。

こちらを後にし、さらに奥へ進んでいくと、木々の合間から遠くの方に小さな祠が見えました。
船越(富名腰)グスクの写真
グスク北側へ伸びる獣道。遠くの方に小さな祠がチラッと見えます。
船越(富名腰)グスクの写真
祠の内部に『蒲葵生嶽』と記された拝所。
その祠に近づいていくと、祠の前に3基の祠が置かれており、内部には『蒲葵生嶽』と記されていました。

また、この拝所のある場所から東側を見ると、一際存在感を放つ大きなガジュマルの木がありました。
船越(富名腰)グスクの写真
『蒲葵生嶽』の拝所の前から東側にある大きなガジュマルの木。
船越(富名腰)グスクの写真
根元から木の上部を仰いだところ。
このガジュマルの木は、方角的にはグスク域の北側に位置していると思われるんですが、周囲の木々よりも胴回りが太く、神々しい雰囲気が漂っていました。

もしかすると、この森の神木なのかもしれませんね。。。
※あくまでワタクシの憶測ですよw

この立派なガジュマルの木を後にし、先程の『蒲葵生嶽』の拝所からさらに北へと獣道が伸びていたので、そちらの方へ向かいました。

・・・と、少し長くなってしまいましたので、今回はここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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『船越(富名腰)グスク跡

☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市玉城船越332

☆お問合せ:098-946-8990(南城市役所 大里庁舎 文化課)

☆見 学:無料

☆駐車場:あり

※参考:『らしいね💗南城市』の紹介ページ⇒http://www.kankou-nanjo.okinawa/bunka/details/51
※南城市の公式webサイト内の紹介ページ⇒http://www.city.nanjo.okinawa.jp/about-nanjo/movie_ja/2012/02/post-61.html