沖縄は梅雨が明けて、暑い日が続いてますね。。。😅
前々回にご紹介した糸満市伊原にある『沖縄陸軍病院本部壕跡』を出た後、次に向かったのは、同じ糸満市の兼城集落。
こちらの集落内にも、グスク跡や拝所などの"史跡"が点在しているんだそうで、まず始めに訪れた史跡は、集落の南側の丘陵地にある森に囲まれたガマ(洞穴)です。
沖縄県糸満市兼城にある
『下川ブンギン兼城(下川権現)』☆
兼城集落南側の森の中にある『下川ブンギン兼城』 |
次に、約500mほど進んだところ右側にある脇道に右折し、突き当りを左折します。
そして、道なりに約230mほど進んでいくと、右側に丘陵上へと伸びる道があるので、そちらに右折し、約120mほど進んで行くと道路沿い左側にあります。
※少し分かりにくい場所にあるので、Googlemapなどで確認しながら向かって下さいね。
『下川ブンギン権現(下川権現)』 |
いろいろ調べてみると、この鉄パイプの鳥居は、集落の人が立てたものではなく、字外の人が無許可で立てたものなんだそうです。
鳥居のすぐ左後方に立てられた『下川ブンギン兼城』の標柱 |
この『下川ブンギン兼城』の"ブンギン"(若しくは"ブンジン"とも)は、漢字で"権現"と表記するんだそうで、『兼城ドンドンガマ』或いは『スムガーブンギン』とも称されているんだそうですよ。
※単に『ブンギン』と呼ばれることもあるんだそうです。
『下川ブンギン兼城』の入口。入口の横には、香炉が置かれた拝所があります。 |
出入口の横にある拝所 |
特に、右側のガマ(洞穴)は、横長の大きな洞口で、その手前には、香炉が設けられた拝所がありました。
出入口から内部を見たところ。 |
階段途中から見た右側のガマ(洞穴) |
唯一出てきた情報によると、兼城集落の根屋(ニーヤ―)である『スム幸地腹』の娘が、かつてこのガマ(洞穴)に訳あって隠れていたんだそうです。
※『根屋(ニーヤ―)』・・・村の創始者の家の事。また、村の祭祀を行う場所のことを指します。(沖縄方言辞典『にーやー(ニーヤ―)』のページより引用)
伝承によると、兼城集落は、もともと『スク幸地腹』という"門中"が住んでいたんだそうですが、人数は少なかったんだそうです。
そして、後に『報得川』を挟んだ対岸にある『照屋グスク』にいた『波平門中』が、『南山グスク』が尚巴志によって滅ぼされてしまったことにより、こちらの"兼城"に移住してきたとのことです。
ガマ(洞穴)の内部は、一段低くなっており、そこには2基の祠があるんだそうです。 |
・・・と、話を戻しまして。。。
先程の、右側にあるガマ(洞穴)の内部は、香炉が置かれた拝所のある場所よりも一段低くなっており、2基の祠があるんだそうです。
※今回もガマ内部には、入っていません。
そのうちの1基は、手前の拝所のある場所から、岩陰の下に設けられているのが、かろうじて見えました。
内部の奥行はあまりないんだそうです。
出入口の階段の途中から右側を見たところ。 |
こちらを見学した後、兼城集落の人に少しだけお話を伺うことが出来たんですが、この洞穴墓内部には、人骨が納められている厨子甕が置かれているんだそうですよ。
階段を下りたところから右側のガマを見たところ。右側に過敏があるのが見えます。 |
出入口を背に真正面を見たところ。奥に香炉が1基置かれているのが見えます。 |
琉球石灰岩の中腹に置かれた1基の香炉。 |
・・・と、ここまで見学させて頂いた後、『下川ブンギン兼城(下川権現)』を出て、駐車場の南側にある小道へと向かいました。
『下川ブンギン兼城(下川権現)』の駐車場南側に隣接する小道。 |
鬱蒼とした森に囲まれた小道。 |
すると、兼城集落の西側を走る道路に出たんですが、その右側の石灰岩の下にコンクリート製の枠で囲われた『カー(井泉)』がありました。
『下川ブンギン兼城(下川権現)』の西側にあった『メーンガー』 |
左側から見た『メーンガー』 |
『メーンガー』横の小さな洞穴 |
この『メーンガー』まで見学した後は、先程の小道を戻り、兼城集落内にあるグスク跡を見学しに向かいました。
この続きは、また別の回にご紹介しますね。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『下川ブンギン兼城(下川権現)』☆
☆場所:〒901-0303
沖縄県糸満市兼城
☆見 学:無料
☆駐車場:あり