琉球三味線歌曲の祖と讃えられる赤犬子が祀られている読谷村楚辺の神社☆|沖縄放浪日記

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2017年7月28日金曜日

琉球三味線歌曲の祖と讃えられる赤犬子が祀られている読谷村楚辺の神社☆

ハイサぁ~イ⭐

先日、読谷村楚辺・大木にある『阿麻和利の墓』『比嘉秀平先生之像』を見学した後、最後に向かったのは、同村楚辺にあるお宮。

読谷村の総合情報サイト『読谷村観光協会』によると、こちらは、琉球古典音楽の始祖と讃えられる『赤犬子』が祀られており、『赤犬子』終焉の地なんだとか。。。

沖縄県中頭郡読谷村楚辺にある

『赤犬子(アカヌクー)

赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
琉球古典音楽の始祖『赤犬子』は、読谷村楚辺では村の守り神として崇拝されているんだそうですよ。
こちらは、読谷村の国道58号線県道6号線がぶつかる『伊良皆』の交差点から、県道6号線に入り、約1.6㎞ほど進んでいくと、右側に『ファミリーマート 読谷トリイステーション前店』があるので、そのファミマ駐車場横の脇道の奥にあります。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
ファミマ駐車場横の脇道入口には、石碑が立てられています。
県道沿いの脇道入口にも石碑が建立されており、碑に記されているのは≪歌と三味線のむかし始まりや 犬子(いんこ)(ね)あがり(東)の神の御作(みさく)という琉歌なんだそうです。

赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
『歌と三味線のむかし始まりや 犬子あがりの神の御作』という琉歌が刻まれている石碑
県道から脇道を奥へ進んでいくと、左奥に両側に中華風の狛犬が配置された階段があり、その先には鳥居と赤瓦のお堂が見えてきます。
沖縄の守り神"シーサー"ではなく、中華風の"狛犬"が配置されているのは珍しいですね。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
『赤犬子宮』の入口
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
階段の両側に配置されていた"狛犬"。足元を見ると子ども(赤ちゃん?)を抱えていますね。
階段を上がっていくと、鳥居の少し手前左側に、草木に覆われた2基の小さな石碑が立てられています。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
鳥居の手前左側には2基の小さな石碑が立てられています。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
「赤犬子終焉之地」と記された石碑(左)と歌碑(右)
向って左側の石碑には『赤犬子終焉之地』と記されており、右側の石碑には≪歌乃道ひるく 世界に輝かち 犬子ねあがりや 末代までも≫という琉歌が記された野村流音楽協会 読谷支部の歌碑となっていました。

2基の石碑を後にし、さらに上っていくと、今度は両側に石板が設置されており、右側の石板には『赤犬子』と題された由来が刻まれており、左側は、『アカヌクー改修碑』と題された説明が記されていました。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
お堂の手前には2つの石板が両側に配置されていました。
まずは、左側の石板にある由来を読んでみることに・・・

≪赤犬子(あかぬく)
≪"歌と三線の昔始まりや 犬子ねあがりの神のみさく"と謳われているように、「赤犬子」は琉球音楽の世界では唄・三線の始祖として信仰されています。

「赤犬子」は今から凡そ500年前、琉球国が近隣諸国と親交や交易を深め、琉球文化の隆盛が築かれた尚真王(1477~1526)時代に活躍した人だと言われています。

1623年に編さんされた"おもろそうし"には、「赤犬子」の偉業を讃える歌が40余首も記述されており、おもろ歌・音楽に卓越した吟遊詩人であったであろうことが、歴史書からも伺い知ることができます。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
『赤犬子(あかぬく)』と題された由来が刻まれた石板
一方、楚辺区の古老伝承によれば、「赤犬子」は大屋のカマーと屋嘉のチラー小との子で、長じては三線をたずさえて各地を巡り歩き、唄・三線を広めるとともに、先々の事を予言したりし、さらに、唐から楚辺むらに五穀(稲・麦・栗・豆・黍(キビ))を持ち帰った偉大なる人物と伝えられています。

この地は晩年を迎えた「赤犬子」が生れじま・禰覇むら(現 楚辺)にたどり着き、杖こしていたデーグ(ダンチク)を岩山に立て、聖なる光に導かれて昇天した聖地と言われています。

楚辺区では古くからウガンジュ(拝所)として崇拝され、毎年旧暦の9月20日(昇天した日)には、「五穀のンバン(御飯)」などを供えるとともに、琉球古典音楽や舞踊を奉納し、唄三線の始祖・五穀豊穣の神・むらの守り神として崇めたて祀る「赤犬子スージ」を催しています。

また1981年の第7回読谷まつりからは平和の神・文化の神として「赤犬子大主前」がまつりステージにお迎えされ「赤犬子琉球古典音楽大演奏会」が盛大に開催されています。
1996年10月吉日 読谷村楚辺区≫
・・・とありました。
※「赤犬子」の伝承が、読谷村楚辺公民館の公式HPに詳述されているので、そちらもご参照下さい。⇒『沖縄県読谷村楚辺公民館 赤犬子(あかいんこ)』

そして、その反対側にある"改修碑"も読んでみると・・・

≪アカヌクー改修碑≫
≪ここは琉球音楽の始祖「赤犬子」昇天の地である。この地は昔から楚辺区のウガンジュ(拝所)で、「アカヌクー」と呼ばれている。

赤犬子は唄・三線の神、五穀豊穣をもたらす神として崇められ、楚辺区では毎年旧暦九月二十日に「赤犬子スージ」を催している。

帰村十年目にあたる一九五六年、太平洋戦争により故郷を奪われた楚辺人が新たな楚辺部落の復興と平和の世を願い、アカヌクーにお堂を建立し周辺を整備した。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
アカヌクー改修碑
この地を参拝する古典音楽愛好者や人々は絶えることがなく、近年、読谷まつりやサンシンの日には赤犬子を讃える祭りが華やかに催されている。

本年、アカヌクーにお堂が建立されて四十周年の記念すべき節目を迎え、更なる文化芸能の発展・平和の尊さ・歴史の重さを後世に継承することを楚辺区民の総意とし、アカヌクーの改修整備を計画し完了した。

本事業は楚辺区の二十一世紀をめざしたむらづくり「きらめくユーバンタと赤犬子の里」の一環であり、読谷村の助成等もいただき行われたものである。
一九九六年十月三十一日(旧暦九月二十日) 読谷村楚辺区民一同≫
・・・とありました。

2つの石板を読み終え、お堂を見学しに向かいました。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
『赤犬子宮』のお堂
いろいろ調べていくと、『赤犬子』は、「あかいんこ」とか「アカヌク」と呼ばれているらしく、"宮"を付けても『赤犬子宮』=『アカヌクー』と呼ぶみたいですね。

また、Googlemapでは、『赤犬子宮』ではなく、『赤犬子神社』と表記されていたんですが、鳥居にも『赤犬子宮』と記されていたので、正式には『赤犬子宮(アカヌクー)』なのでしょうね。
※あくまで憶測ですが。。。

お堂は、ご覧の通り赤瓦屋根となっており、観音開きの扉を挟んで両側には装飾が施された格子窓が設けられていました。

お堂のある場所の入口の両側にも、てっぺんに装飾が施された柱が立てられているんですけど、どの装飾も凄く細かく、しかも全部違う装飾なんですよ。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
お堂入口の柱の装飾
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
お堂の両外側にある装飾が施された格子窓。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
扉側の両内側の装飾が施された格子窓
窓や柱の装飾は、とても精巧に作られており、凄く綺麗でしたね。

お堂を見学した後、お堂に向かって左の奥がちょっと気になったので、そちらの方へ行ってみると、岩の根元に小さな"ガマ(洞穴)"がありました。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
敷地の北西側の隅にあった"ガマ(洞穴)"
洞口の前は、人工的にコンクリートで四角く囲われていたので、こちらも"拝所"となっているのかもしれませんが、"香炉"などは見当たりませんでしたね。
赤犬子宮(赤犬子神社)の写真
内部は真っ暗なので、外からはどうなっているのか分かりませんでした。。。
また、こちらの洞穴について、ネットでいろいろ調べてみたんですが、何も出てきませんでした(泣)

・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのままクルマへと戻り、読谷村を後に致しました。

もし機会があれば、沖縄の弦楽器『三線』にちなんで決められた3月4日の『さんしんの日』に、この『赤犬子宮』のお堂前で奉納されるという琉球古典音楽と舞を観に行ってみたいですね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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『赤犬子宮(赤犬子神社)

☆場所:〒904-0304
      沖縄県中頭郡読谷村楚辺1189

☆見 学:無料

☆駐車場:なし

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