前々回にご紹介した『阿麻和利の墓』を見学した後、次に向かったのは、お墓のある読谷村楚辺のお隣の読谷村大木にある銅像。
こちらは、以前『阿麻和利の墓』を調べている際に、偶然発見したんですが、お墓からそんなに遠くない距離だったので、そちらにも立ち寄ってみることにしました。
沖縄県中頭郡読谷村大木にある
『初代行政主席 比嘉秀平先生之像』☆
大木公民館のすぐ近くに建立されている『初代行政主席 比嘉秀平先生之像』 |
次に約950mほど進んでいくと、左斜めへと伸びる道路があるので、そちらへ入り、突き当りを右折します。
そして、約50mほど進んでいくと、左手に『大木公民館』があるので、その手前左側の脇道へ入って約50mほど進むと、右側にあります。
『大木公民館』横の未舗装道路から見た『初代行政主席 比嘉秀平先生之像』 |
銅像が建立されている場所は、一段高くなっており、その場所へ上っていくと、定期的に草刈り清掃が行われているらしく、とても綺麗な状態が保たれていました。
初代行政主席 比嘉秀平先生之像 |
≪顕彰の記≫
≪先生の御生前の御偉業を偲び御功績を讃え心熱き教育者政治家比嘉秀平先生の御遺徳を限りなく慕うため時の流れに刻み附設に心ゆるぎなき珠に創り磨き称慕と感謝とふせつの悠久をここに顕彰する。
昭和五十六年八月十八日 字大木比嘉秀平先生銅像建立委員会≫
・・・とありました。台座部分に記された碑文 |
その後、約20年間にわたり教員生活を送り、母校である沖縄県立第二中学校の教諭及び沖縄県立大さん中学校の教頭まで務められたんだそうです。
戦後は、沖縄民政府に採用されて、翻訳課長や官房長などを歴任。
そして、その行政手腕と英語力が買われて、1950年(昭和25年)に臨時琉球諮詢委員会の委員長を務め、翌年の1951年(昭和26年)4月に琉球臨時中央政府行政主席に就任したとのことです。
さらにその翌年の1952(昭和27年)には、琉球政府が樹立され、初代行政主席に就任したんだそうですよ。
しかし、在任中に軍用地問題が起き、その問題に取り組んでいる最中、1956年(昭和31年)10月に急死してしまったのだそうです。。。(Wikipedia『比嘉秀平』のページより引用)
銅像の前に置かれていた扇型の『比嘉秀平先生銅像建立記念』と記された顕彰記 |
また、没後には多年の功労が認められた者に授与される日本の勲章の1つである『勲三等瑞宝章』(現行の名称は瑞宝中綬賞)を受賞されているんだそうですよ。(Wikipedia『比嘉秀平』のページより引用)
建立記念の銅像の写真も置かれていました。 |
戦後、アメリカ施政権下の時代に尽力を注がれた人物の一人なので、もしこの読谷村大木を訪れることがあれば、こちらにも足を運んで頂けたらと思います。
今回は、ちょっと短いですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『初代行政主席 比嘉秀平先生之像』☆
☆場所:〒904-0316
沖縄県中頭郡読谷村大木294
☆見 学:無料
☆駐車場:あり