『村火ヌ神』をはじめとする浦添市の西原区内に点在する史跡☆|沖縄放浪日記

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2017年6月27日火曜日

『村火ヌ神』をはじめとする浦添市の西原区内に点在する史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(6月)の11日は、天気も良かったので、午後から南部方面へ史跡巡りへ行ってきたんですが、南部方面へ向かう途中、浦添市西原にも久しぶりにちょこっと立ち寄りました。

同区内には、2015年8月にご紹介させて頂いた浦添市西原にある浦添市の文化財に指定されている『西原東ガー』・『西原洗濯ガー』や、西原集落発祥の地とされる『うがんやま公園』などがありますが、その他にもいくつかの史跡が点在しているんですよ。

沖縄県浦添市西原にある

『「村火ヌ神」をはじめとする史跡』

浦添市西原 村火ヌ神の写真
古来より西原集落の人々によって大切にされ祀られてきた『村火ヌ神』
こちらは、浦添市の国道330号線県道241号線が交差する『広栄』の交差点から、県道241号線宜野湾市真栄原向けに進み、1つめの信号を右折するとそこから先が西原区内になるので、その先にいくつかの史跡が点在しております。
西原ウマイーの写真
『西原ウマイー』の小さな石碑のある交差点。
信号を入って、道なりに進んでいくと、片側一車線の道路に出るんですが、この地点の左角に『西原ウマイー』の小さな石碑が立てられています。

『ウマイー』とは、沖縄の方言で『馬場』のことを意味しており、浦添市西原自治会ブログに紹介されている資料によると、石碑前から集落向け(東向け)に伸びる道路が、かつての『ウマイー』であり、"旧道"でもあったようです。
西原ウマイーの写真
『西原ウマイー』の石碑
1743年から1745年にかけて琉球王国の正史として編纂された『球陽』には、1695年に各地で馬場をひらいたと記されているみたいで、西原集落でも古くから、こちらで馬競争を行なっていたと考えられているんだそうですよ。(『浦添市西原自治会ブログ』より引用)

また、『西原ウマイー』は、西原集落の『綱引き場』としても利用されてきた場所なんだそうで、現在も夏になると『浦添市西原大綱引き』が行われ、その際には『旗頭』も行われています。
※浦添市観光情報ポータルサイト『うらそえナビ』でも大綱引きや旗頭の様子が紹介されています。⇒『今年もやってきました 西原大綱引き!』
西原ウマイーの写真
西側から見た『西原ウマイー通り』(西原大綱引き会場)
西原ウマイーの写真
東側から見た『西原ウマイー通り』
そして、『西原ウマイー』の石碑の前の片側一車線の道を、西向けに少し下ったところ(約80mほど)右側には『浦添小学校 西原分校跡』の石碑が建立されています。
浦添小学校 西原分校跡の写真
浦添小学校 西原分校跡
分校跡の石碑の左隣には分校の沿革が記された石碑も建立されていたので、そちらを引用させて頂きます。

≪浦添小学校西原分校の沿革≫
≪字西原は、浦添小学校(字仲間在)の校区であったが距離も遠く、道路事情も悪い為、戦前(大正14年)から1・2年の児童の為に分校が設置された。

戦後の一時期、この分校はとだえていたが、1948年(昭和23年)に再開し、1976年(昭和51年)当山小学校の新設に伴い、西原分校はその役目を終えた。
浦添小学校西原分校跡の写真
『浦添小学校西原分校の沿革』
この西原分校で勉学にいそしんだ児童は戦後の28年間だけでも、1.400余名も数えた。

また、西原区民には分校建設をはじめ、分校運営などの面で多大な協力があった。
(浦添市史第7巻より)≫
・・・とありました。

また、『沿革』と平行して『戦後の歩み』が記されていたんですが、『西原分校』は、1948年(昭和23年)9月28日に分校開所式が行われ、西原2番地に茅葺きの校舎が完成したんだそうです。

そして5年後の1953年(昭和28年)には、児童数の増加に伴い、運動場も無かったため、新たに西原野田402番地に706坪の敷地を購入し、その3年後の1956年(昭和31年)5月18日には、鉄筋コンクリート造の平良や3教室が完成し、移転したんだそうです。

さらに1960年(昭和35年)には、便所棟と給食準備室棟が完成したそうなんですが、この16年後の1976年(昭和51年)3月31日には、分校は廃止となり、同年4月1日に『当山小学校』が開校したとのことです。
浦添小学校 西原分校跡の写真
『浦添小学校 西原分校跡』の石碑
こちらの『浦添小学校 西原分校跡』を後にし、再び先程の『西原ウマイー』向けに進みます。

『西原ウマイー』の石碑がある場所から東向けに約320mほどの距離にある左側の脇道へ入ります。

脇道に入って、約80mほど進むと、左側に小さな公園があるんですが、その出入口には『西原一区 アガリモウ』と記された小さな石碑が立てられています。
西原一区 アガリモウの写真
アガリモウ公園
浦添市西原自治会ブログによると、こちらは古くから『東毛(アガリモー)』と称される場所で、綱引きの際に一区の雄綱を綯ったところなんだそうです。

また、区民の憩いの場所でもあったそうで、ご覧の通り、現在は公園として整備されています。
西原一区 アガリモウの写真
『アガリモウ』の石碑ともう一つ『石敢當』という魔除の石が立てられています。
ちなみに二区の雌綱は、先程の『西原ウマイー通り』近くの『イリヌ毛』と呼ばれる『前公民館周辺』で準備されたんだそうですよ。

この『アガリモウ』の前の道を、さらに東向けに約100mほど進んでいくと、左側に真新しい祠が建立されています。
村火ヌ神の写真
村火ヌ神(むらひヌかん)
浦添市西原自治会ブログには、『地頭火之神』と表記されていますが、祠の左隣にある説明が記された石板では『村火ヌ神』と表記されていました。

その説明を読んでみると・・・

≪村火ヌ神(むらひヌかん)≫
≪この火ヌ神は、区民の無病息災、幸福と安寧、繁栄を見守る神で、旧二月二日に区民を代表して、自治会役員が拝み、感謝を捧げ、願掛けをします。

火ヌ神の由来は定かではありませんが、昔、隣に住んでいた地頭代(じとぅでー)と、深い関わりがあったという伝承もあることから、琉球王朝時代にはすでに存在していたと考えられます。
村火ヌ神の写真
『村火ヌ神』の説明板
この祠は、戦前までは大木も茂小山でした。この地中から露出した石を、私たちの祖先は拝んでいました。

沖縄戦と戦後の道路拡張で祠の姿も変わり、昭和五十三年、平成二十三年の整備によって現在のようになっています。

昔から私達の先祖によって大切にされ、祀られてきたこの火ヌ神は、西原集落の守り神として、永遠に、この地に住む人々を見守り続けています。
平成二十三年三月建立 西原一区・二区自治会≫
・・・と、ありました。

先程の浦添市西原自治会ブログでは、『地頭火之神』と表記されていたとお話しましたが、昔、この『火ヌ神』の隣に地頭代が住んでいて、深いかかわりがあったという伝承が残っているとのことから、『地頭火之神』とも称されていたのでしょうね。

こちらを後にし、次の場所へと向かいます。

『村火ヌ神』の右隣に伸びる小道へと入り、1つめの十字路を右折、そして道なりに約80mほど進んでいくと、右側に立派な鳥居が設けられた拝所があります。
ふーとやーの写真
ふーとやー
ふーとやーの写真
コンクリート製のプランターに背の低い小さな木が立っていて、まるで『ヒンプン』みたいでしたね。
鳥居のすぐ後ろには、目隠しの役割を果たす『ヒンプン』のようなかたちでコンクリート製のプランターに背丈の低い木が立っていました。

そして、その後方の敷地の奥には、コンクリート製の社がありました。
ふーとやーの写真
『ふーとやー』の社
ふーとやーの写真
内部には大小様々な大きさの霊石と香炉が2基置かれていました。
社の内部には大小様々な大きさの霊石が置かれており、その中でも一際大きな丸い石があり、どうやらこの丸い石が霊石となっているようです。

浦添市西原自治会ブログによると、こちらの拝所は学問の神様として崇拝されているらしく、他の集落から参拝に訪れる人も多いんだそうです。
ふーとやーの写真
社の横の塀には御芳名名簿が設けられていました。
この『ふーとやー』の前の小道の東側は行き止まりになっているので、来た道を一旦戻り、最初の十字路を左折します。

左折して、道なりに約180mほど進んで行くと、2015年の8月にご紹介した『うがんやま公園』の石碑がある十字路に出ます。

そしてまた、この十字路を左折して坂を下り、左斜めに伸びる道へと進み、道なりに約500mほど進んでいくと、右側に『クシガー』という拝所があります。
クシガーの写真
道路から見た『クシガー』
こちらは、かつては"井泉"だったそうで、水が豊富で西原二区の方たちが洗濯に訪れていたんだそうです。

先程の『うがんやま公園』のすぐお隣にも浦添市の文化財に指定されている『西原東ガー』・『西原洗濯ガー』という2つの"井泉"があるんですが、あちらは文化財に指定されていることもあってか、結構訪れる方が多いようで、よくブログなどで紹介されてたりするんですよ。
クシガーの写真
クシガー
しかし、こちらの『クシガー』は、訪れる方があまりいらっしゃらないらしく、全くと言っていいほどネットに情報がUPされていませんね。。。

現在、この『クシガー』は、ご覧のように改修が行われ、"拝所"となっているんですが、現在も僅かながら水が湧いているんだそうですよ。

・・・と、こちらの『クシガー』まで見学させて頂いた後は、そのまま西原集落を出て、次の目的地へと向かいました。

参考にさせて頂いた西原一区・二区自治会の資料によると、今回ご紹介してきた史跡の他にも、『古島ガー』や『おもろの碑』、『古棚原之殿』、『根屋』、『ビジル跡』などの史跡があるみたいなんですよ。。。

なので、またいろいろ調べてから、機会を設けて、そちらの方にも足を運んでみたいと思います。

それでは、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『浦添市西原区内に点在する史跡

☆場所:〒901-2101
      沖縄県浦添市西原

☆見 学:無料

☆駐車場:なし

※参考⇒『浦添市西原自治会ブログ』『湧き水fun倶楽部 活動記録』内の記事〈 浦添市西原自治公民館講座『身近な西原の湧き水を知ろう!』〉